テレビのニュースを見たとき驚いたことがある。
東京地裁の前には、大勢の市民たちがあふれ、無罪判決の知らせに、歓喜をあげ、涙する人々の姿が映っていた。
そして、民主党を離党したある議員は、声を詰まらせ、涙していた。
国会議員の裁判で、いまだかつて、こんな感動的ともいえる光景を見たことがない。
御用メディアは、まるで、陸山会事件が、汚職事件であるかのような印象を与える報道をしてきたが、この事件は、ただの記載ミスの事案である。
違法とされる税金の申告の記載漏れとは次元が違う。
記載ミスは修正すれば済むので違法性はきわめて軽い。
その違法性の程度は、信号の点滅中に横断歩道をわたる程度のもの。
そのため、これまでは黙認されてきた経緯があるという。
が、今回の小沢氏の場合に限って起訴された。
これには、小沢派とは関係のない有識者や法曹界から疑問の声が上がったという。
他人事ではない。明日は我が身。そうなるのもわかる気がする。
検察庁や法務省から目をつけられた人物は、逮捕され、起訴される。
そして、検察官の出したねつ造証拠や状況証拠で有罪判決を受ける。
昨年の小沢秘書三名の有罪判決がその典型例。
海外のメディアが大いに興味をもつのは当たり前のことだろう。
日本の大手メディアや都知事は、無罪判決後の今も、小沢は黒に近いグレーと言ってはばからない。
本来、法務省や検察庁に対する非難が轟々なはずなのに、「猛省すべき」の一言でおしまい。
かれらは、結局、原発ムラの利権にたかる人々と同類なのだろう。
日本の庶民の品格と日本メディアのそれとのギャップは、天地ほどの開きがあることを、海外のジャーナリストたちには常識なのかもしれない。
武術の達人の言葉に、「その人の天運は、日常の誠意に応じる」というのがある。
人をおとしめたと言われる彼らの今後の状況は、ある意味、興味深い。
天裁(天災)は忘れた頃にやってくるらしい。
『「きょうで小沢裁判は終わったのか 2012年4月26日 掲載 ゲンダイネット
<小沢抹殺は何のため 誰のためだったか>
長く不毛な裁判にようやく一区切りがついた。26日、検察審査会によって強制起訴された小沢一郎・元民主党代表に対し、東京地裁(大善文男裁判長)が無罪判決を出したのだ。
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これにて一件落着といえるのかどうか。さまざまな角度から探ってみる。
<この暗黒裁判は歴史的にどう見られるか>
オランダ人ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレン氏は小沢裁判について、こう言っていた。
「小沢一郎氏の裁判で考えなくてはいけないのは、捜査、逮捕、起訴、裁判が先進国として、きちんとバランスのとれたものであったかということです」
「小沢氏を標的にして進行していることは人物破壊です。長年かかって築き上げてきた既得権益を破壊しようとする人物(=小沢一郎)に銃口を向け、そして引き金を引く。体制側にとって、新種の人間というのはいつの時代も脅威なのですが、こういうことが許されていいのか」
これが先進国の第一線ジャーナリストの見立てなのだ。この裁判がいかに異常で異様だったか分かる。
言うまでもなく、小沢は政権交代の立役者だ。政治主導、官僚支配打破の先頭に立つべき政治家だった。
だから、検察は狙い撃ちにした。
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検察審査会が強制起訴の根拠とした捜査報告書は捏造だった。
恐怖の謀略と言うしかない。
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ウォルフレン氏は小沢の元秘書で衆院議員・石川知裕ら3人に有罪が下った判決にも驚いていた。
「判決は推認による有罪でした。私に言わせれば、あれは司法による“大量虐殺”に等しい。秘書3人は、別に政治献金を着服したわけではありません。単なる記載ミスです。推認によって有罪判決を受けるといったことが先進国であっていいのでしょうか」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・」 (gendai net)
http://gendai.net/articles/view/syakai/136330
』