北村隆司という人の「反ハシズム学者が橋下市長に勝てない理由」を読んでみた。
※「勝てない理由」→ http://agora-web.jp/archives/1440144.html
長いので、一部だけ掲載しておいた。
読んでみた感想。
アンチ橋下派に対する分析も鋭く、実に的確な指摘と批判を述べている気がする。
ところが、市職員のイレズミに対する橋下市長の処分は、論外だと批判をしている。
※「それはないよ、橋下さん!」 → http://agora-web.jp/archives/1437985.html
これも部分抜粋しておいた。
この橋下批判について突っ込みを入れてみた。
この人は、日本人の刺青に対する思い入れが、世界標準ではないと批判しているような気がする。
もしかしたら、自分は、皆と違ってグローバルな人間だと言いたかったのかもしれない。
外国に暮らす日本人の中には、こういう妙な欧米偏重的な感覚を持った人が少なからずいるらしい。
日本の刺青は、欧米のタトゥーは、同列に論じられない事情がある。
歴史的に見ても、中国や日本では独自の意味を持っているという。
中国や日本では、古くは、犯罪者に対するイレズミの刑があったことは有名で、一般市民は、刺青者に対して畏怖心や警戒心をもっていたらしい。
古代日本について書かれた「魏志倭人伝」にも、日本人の刺青は、威嚇効果を狙っているという記載があるらしい。
とにもかくにも、日本での刺青の歴史は古く、刺青に対する意識は現代社会においても、欧米のファッション感覚とは大きく異なるのが、現実だろう。
日本では、イレズミが威嚇・威圧の効果をもつことは子供でも知っている。極道の象徴としてのイレズミは、アウトローの自己主張という指摘もあるらしい。
そういう意味では、表現の自由の領域にも達していないと見るのが妥当だろう。
いつも言うが、次元の異なるものをごっちゃにして論じること自体、非論理的で、かつ怪しい臭いがする。
この人も、何か魂胆があるのではと疑いたくなる。
もしかしたら、反ハシズム派の放つ刺客なのかも知れない。
考えすぎ?いや、ありうる話かも。。。
◆「それはないよ、橋下さん!」
『.橋下市長は「入れ墨職員は首、それが駄目なら入れ墨を消させろ」と述べたそうですが、「入れ墨」きらいの私でも「それはないよ!」と言いたくなります。
・・・・・市長個人の価値観を公権力を使って他人に強制するに等しく、民主国家の基本中の基本を無視した暴言です。・・・・・政治家・橋下徹ファンの私ですが、この発言を許す訳には参りません。・・・・・・欧米では「入れ墨」をした警官や消防夫、軍人などはざらです。・・・・・・条例で職員の「入れ墨」を禁止する事も、憲法第11-14条の障碍を乗り切れるかどうか、甚だ疑問です。・・・・・・是非反省して、これ等の言動を訂正して頂きたいものです。 北村 隆司 』
◆「反「ハシズム」学者が橋下市長に勝てない理由―私の分析」
「『ハシズム』人気のわけは?
口撃受けた4氏の分析」と言う朝日新聞の記事は、記事の前提から間違っています。
「橋下主義(ハシズム)を許すな」と言う語呂合わせ本に「稿撃」を受けたのは橋下市長であって、彼は反撃したにすぎません。
「物事を単純化し、レッテルを貼って切り捨てる」と言う山口教授の橋下批判も。的外れの典型で、「『橋下』主義(ハシズム)を斬る」などと、レッテルを貼って切り捨てたのは、山口さんご本人です。
山口先生は、橋下市長の言動に「マッカーシズム」を感じると仰せになったそうですが、故マッカーシー上院議員が悪名を馳せたのは、意見の異なる相手から言論の自由を奪おうとしたからであって、弁論スタイルとは無関係です。ご自分の力量不足を棚に上げて、相手を「マッカーシズム」に結び付けるのは卑劣な印象を与えます。
中島先生は、橋下人気の理由を「東日本大震災で政府への信頼が失われ、不安を抱いた国民に『救世主待望論』が出ているのでは」と解説されたそうですが、東日本大震災は2011年3月11日。橋下氏が大政党の正式支持もなく80万票もの大差で大阪府知事に当選したのが、2007年12月だと言う事実をお忘れでしょうか? 思いつきで世論を惑わせる悪習はおやめ下さい。
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「私は精神科医で、政治の具体策を聞かれても判りません」と論戦参加資格を自ら放棄した香山先生や、しつこい子供みたいに、ビラの一字一句にこだわる薬師院先生などの政治論は、床屋政談から面白さを無くした低レベルで、これには驚きました。「羊頭狗肉」とは正にこの事でしょう。
「反ハシズム」学者の中では比較的質の良い内田樹先生が、自分から仕掛けた論争に参加したくないと棄権してしまったのは、フェアではありません。
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次回は、相手の弁論スタイルの批判ばかりでなく、日本の目指すべき目標や普遍的な課題に触れてみたら、少しは論議になるかもしれません。果たして出来るでしょうか? 」(blogos.com)