去る4月23日に福島県に住む児童の母親からのSOSメールが、そのまま掲載されていた。
これは、もしかしたら、もめるかも。と思っていたところ、今日26日に、同じ福島県に住む住民のクレームメールが掲載されていた。
案の定、もめたらしい。
で、清水くんの意見が出ていたので、読んでみた。
※詳しくは、こちら → http://ameblo.jp/kuniaki-shimizu/
それは、「私は今、正直、戸惑っています。今福島で起きていることを的確に伝えるメールの転載だと思っていましたが、そうか、そんな風に受け止める人もいるのか・・・と。」
で始まっている。
清水くんの立場は、子どもの健康被害を防止することが最優先であるという立場だろう。
これには、おそらく、だれも表立って(?)文句をつける人はいないだろう。
この場合に限らず、児童を守ろうとする親の意見には、当然のことながら、主観的な要素が強く出やすい。
なので、その情報が「的確」かどうかは、判断が難しいところ。
また、これを批判する際も、このことを斟酌してあげなければいけない。
ところで、清水くんが、「こういうメールが来ているので紹介します」と、SOSメールの紹介という形で掲載するのはいいとして。
これをコメントする際に、一言、「このメールの内容が事実だとすれば、・・・」と断わりを入れるとよかったように思う。惜しい。。。
日夜、子どもたちのために東奔西走している清水くんに要求するのは少々酷かも知れない。
できれば、そういう配慮のできる人材があれば。。。それはぼちぼち探せばいいとして。
まあ、それほど重大な欠落ともいえないのでスルーしよう。
次に、クレームメールも読んでみた。
このクレームメールは、復興を目指して頑張っている人からのものらしい。
結論を先に言うと、このクレームメールの批判は、残念ながら、的外れのように思う。
SOSメール内容とは、かみ合っていない。
たとえば、SOSメールには、「福島県は、北朝鮮化している県」とも書いてないし、「福島県民を侮辱している」と思われる文章も見当たらない。
厳しい言い方をすれば、SOSメールの各言葉に反応しているだけで、文脈を正確に読み取っていない。
そんな気がする。
たしかに、SOSメールの内容は、主観的な要素が強い。
しかし、それは、一般に許容できる範囲を超えているとは言いにくいだろう。
しかも、SOSメールは、学校内の狭い範囲を対象にしたもののように読める。
ここで、大事なことは、どちらも、原発事故の被害者ということだろう。
1つのことに無心になると、進むべき方角や周りの状況を見失うこともある。
なので、クレームメールの主の復興にかける想いも分かる。
しかし、批判の相手を間違えては、筋が違うし、収拾がつかない。
どう収拾がつかないのかといえば。
こういうクレームメールが、多数、清水くんのところに寄せられていたとすれば、現地では、もっと酷いことになっているのではないか。
読み手が、そういう印象をもったとしても不思議ではないだろう。
つまり、SOSメールの主が、迫害感を持つのは、当然だろうなあと世間は見るだろう。
注意すべきは、(県民・国民)VS(東電・官僚)という対立関係は、どんなときも変わらない。
そのことを忘れては、町の復興も人命保護も中途半端に終わる。
そんな気がするね。