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冬虫夏草 (新潮文庫)
594円
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大好きな大好きな、梨木香歩さんの『家守綺譚』の続編です。早世してしまった大学時代の友人高堂の実家の留守を預かる、綿貫征四郎と自然界と人間界と霊界?の有象無象の関わり合い。『家守綺譚』の世界観が、美しく優しい日本語が好き過ぎて、すぐに続けて読みたい一方で、読んでしまうのが勿体なくて、ぐずぐずと指加えながら先送り(笑)していましたが、ついに手を出しました( *´艸`)。あぁ、やっぱり素敵。
相変わらずの、綿貫の日々。どうやら塾講師のバイトは卒業し、物書き一本でどうにかこうにか自立が成ったようです。最初の方は、そんな、いつも通りの家を中心とした日常です。出版社の担当編集者、大学に残って菌類の研究をしているかつての学友、南川。可憐なダァリアの君。世話好きな隣のおかみさん。時の営み、人間の営み。移りゆく季節の花や草木。
京都と滋賀の境目あたりだと思われるこの小説の舞台。秋の足音が聞こえる頃、隣のおかみさんが柿の葉ずしを作るくだりがまた嬉しいです(´艸`*)。父方のルーツが京都だからか、単に母の好みだっただけか、子供の頃から柿の葉ずしをよく食べる家庭だったので、今でも催事や東京駅の売店で柿の葉ずしを見つけると無条件で買ってしまうほど懐かしく、大好きなんです(´艸`*)。このおかみさんの柿の葉に関連して、綿貫が書き記す(この小説は、綿貫が書き記したもの、という設定です)一文がまた最高です。
おかみさんは、自分の柿の葉ずしが、秋を急かせたことを知らない。
いつもの(でもちょっと大人になった・・・ような気分になっている綿貫征四郎^^)日常ですが、犬のゴローだけ不在。以前から交際範囲が広く人望?も篤く、四方八方の揉め事やトラブル仲裁に駆り出されて留守がちだったゴローですが、今回の不在はやや長すぎて綿貫も気がかりです。そんな折、南川から鈴鹿の山でゴローらしき犬を見かけたという情報を得ます。さらに、その付近にはイワナの夫婦が人間になりすまして営む宿があるらしいという噂も耳にして、ゴローの身を案ずる気持ちとイワナの宿への好奇心へと突き動かされて、綿貫は思い切ってあてのあるようなないような旅へと出かけます。
母を訪ねて三千里。ゴローを訪ねて鈴鹿山。人里まばらな山間の山道、小さな集落、愛知川の流れ、森林。ここからの展開は、国木田独歩の『武蔵野』や柳田國男の『遠野物語』を連想させるような世界が広がります。森羅万象。時の営み。人間の営み。人間でないものたちの営み。混然一体となって共存するありさま。河童の少年。天狗。長い間不在の竜神。イワナ。幽霊。ゴローはこの鈴鹿のどこかにまだいるのでしょうか。
途中、鳥居の上に佇む天狗と遭遇する綿貫。あれは天狗である。とありのままを受け入れるところも彼らしいのですが、さらに彼らしいのが、その後の、天狗と出会った場合の処し方について一瞬悩む部分。
Q:
さて、天狗と出会ったら、どう挨拶すべきか。まずは礼をすべきなのか、礼をすべきだとして立礼でいいのか、頭を下げる時間は通常でいいのか若干長くすべきなのか、その際口上は述べた方がいいのか述べるにしてどう述べるか。仰仰しすぎるのも考え物だ、足下を見られる。かといって馴れ馴れしいのは論外だ。その後鳥居をくぐるべきか、それとも鳥居をくぐるのは礼を失することであるのか、その脇を通った方がいいのか。短い時間にあれこれ考え、悩む。
:UQ
なんとも綿貫征四郎らしくて、ニマニマ( *´艸`)。でも、確かに。いざ天狗に出会った場合、その先どう処するのが最もマナーにかなっているのか、私もわかりません。これは悩みます。綿貫の気持ちがわかります(笑)。『家守綺譚』でも、高堂から赤竜のことが時々話題に上っていましたが、ここでもまた竜にまつわる逸話が断片的に綿貫の耳に入ってきます。その中で、スピンオフの『村田エフェンディ滞土録』で学友の村田がトルコ留学中に浅からぬ付き合いを得た火の竜サラマンドラの名前があがり、でもまさかその村田がトルコでそんな体験をしているとはまだ知らない綿貫が、綿貫のような固い学者肌の男がまさかサラマンドラなどに詳しいこともあるまい、なんて流してしまっているのが何とも可笑しいです( *´艸`)。
学者といえば、自分勝手なほどマイペースで浮世離れした、そのくせ現実派な科学者である南川とも、旅の途中で再会するのですが、その南川センセイの、足繁く鈴鹿に通う、意外な理由が判明して・・・人間の不条理さと可笑しさがないまぜの苦笑を誘います。センセイてば、もう・・・(笑)。
いつもの(でもちょっと大人になった・・・ような気分になっている綿貫征四郎^^)日常ですが、犬のゴローだけ不在。以前から交際範囲が広く人望?も篤く、四方八方の揉め事やトラブル仲裁に駆り出されて留守がちだったゴローですが、今回の不在はやや長すぎて綿貫も気がかりです。そんな折、南川から鈴鹿の山でゴローらしき犬を見かけたという情報を得ます。さらに、その付近にはイワナの夫婦が人間になりすまして営む宿があるらしいという噂も耳にして、ゴローの身を案ずる気持ちとイワナの宿への好奇心へと突き動かされて、綿貫は思い切ってあてのあるようなないような旅へと出かけます。
母を訪ねて三千里。ゴローを訪ねて鈴鹿山。人里まばらな山間の山道、小さな集落、愛知川の流れ、森林。ここからの展開は、国木田独歩の『武蔵野』や柳田國男の『遠野物語』を連想させるような世界が広がります。森羅万象。時の営み。人間の営み。人間でないものたちの営み。混然一体となって共存するありさま。河童の少年。天狗。長い間不在の竜神。イワナ。幽霊。ゴローはこの鈴鹿のどこかにまだいるのでしょうか。
途中、鳥居の上に佇む天狗と遭遇する綿貫。あれは天狗である。とありのままを受け入れるところも彼らしいのですが、さらに彼らしいのが、その後の、天狗と出会った場合の処し方について一瞬悩む部分。
Q:
さて、天狗と出会ったら、どう挨拶すべきか。まずは礼をすべきなのか、礼をすべきだとして立礼でいいのか、頭を下げる時間は通常でいいのか若干長くすべきなのか、その際口上は述べた方がいいのか述べるにしてどう述べるか。仰仰しすぎるのも考え物だ、足下を見られる。かといって馴れ馴れしいのは論外だ。その後鳥居をくぐるべきか、それとも鳥居をくぐるのは礼を失することであるのか、その脇を通った方がいいのか。短い時間にあれこれ考え、悩む。
:UQ
なんとも綿貫征四郎らしくて、ニマニマ( *´艸`)。でも、確かに。いざ天狗に出会った場合、その先どう処するのが最もマナーにかなっているのか、私もわかりません。これは悩みます。綿貫の気持ちがわかります(笑)。『家守綺譚』でも、高堂から赤竜のことが時々話題に上っていましたが、ここでもまた竜にまつわる逸話が断片的に綿貫の耳に入ってきます。その中で、スピンオフの『村田エフェンディ滞土録』で学友の村田がトルコ留学中に浅からぬ付き合いを得た火の竜サラマンドラの名前があがり、でもまさかその村田がトルコでそんな体験をしているとはまだ知らない綿貫が、綿貫のような固い学者肌の男がまさかサラマンドラなどに詳しいこともあるまい、なんて流してしまっているのが何とも可笑しいです( *´艸`)。
学者といえば、自分勝手なほどマイペースで浮世離れした、そのくせ現実派な科学者である南川とも、旅の途中で再会するのですが、その南川センセイの、足繁く鈴鹿に通う、意外な理由が判明して・・・人間の不条理さと可笑しさがないまぜの苦笑を誘います。センセイてば、もう・・・(笑)。
さらに、私も子供の頃から気になっていたことと同じ疑問を、綿貫が考察する場面も。
Q:
竜宮で饗応に与るとならば、としばし考えた。鯛やヒラメの舞い踊りのほか、料理は何であったのか。
:UQ
イワナ夫婦の宿では、イワナ料理が客人に供される。イワナがイワナを調理するという不条理を聞いた綿貫の思考活動の一端なんですが。思いますよね?竜宮城で出されるご馳走って何だろうって。私も子供の頃、いったい何が出されたんだろう・・・ってものすっごく気になってたんです(笑)。
子供向けの絵本では、綺麗な着物とショールのような天女の羽衣のようなものを身にまとった乙姫と侍女たちが浦島太郎の前に次々とご馳走のお盆を運ぶ場面の挿絵があって、そこにはお頭つきの鯛の塩焼きらしきものなども思いっきり描かれているものがあって・・・竜宮城では鯛やヒラメを始めとした海の生物は、庇護される者たちであり、使える者たちでもあるのに・・・食料にもなっちゃうの?と子供心に衝撃だったのを覚えています^^;。
家を出た旅路の綿貫の出会うあれやこれやも、珍しく、楽しく、美しく。高堂の登場が少ないのが残念ですが(でも旅先にも1回だけ姿を見せます)、いつまでもいつまでも読んでいたい・・・でもいつまでもゴローの気配がつかめません。無事でいるのか・・・元気でいるのか・・・どこで何をしているのか・・・まさか。綿貫同様、一抹の不安が徐々に膨らんでいきつつ、ゴローが見つからないことに焦燥感もつのりはじめます。
早くゴローが見つかって欲しい、早く先を読みたい、結末を知りたい、と焦る気持ちと、いつまでも読んでいたい、読み終わってしまいたくないと惜しむ気持ち、もし最後まで読んでもゴローが見つからなかったら。装束が解かってもそれが哀しい結果だったとしたら。という不安とで、もう最後の1/4あたりはずっと、心が千々に乱れて落ち着かず。綿貫はきっとその何倍も・・・(>_<)。ドキドキしながらあぁでもないこうでもないそれはいやだと読み進めていった先、最後の最後・・・ガバっと身を乗り出してがぶりつき。そして、思わず涙を垂れ流しでした。心が震えました。かろうじて声にはださずにすみましたが、綿貫と一緒に、その場に佇み私も叫んでいました。魂が震えました。フゥー。
そして、読み終わった後の充足感と、やはり感じてしまうのは”あぁ、読み終わっちゃった・・・”という寂しさ。まだまだもっと読みたい。高堂にもっとお会いしたい。ぜひ、どうか、なんとしても、さらなる続編を熱望です(>_<)。
Q:
竜宮で饗応に与るとならば、としばし考えた。鯛やヒラメの舞い踊りのほか、料理は何であったのか。
:UQ
イワナ夫婦の宿では、イワナ料理が客人に供される。イワナがイワナを調理するという不条理を聞いた綿貫の思考活動の一端なんですが。思いますよね?竜宮城で出されるご馳走って何だろうって。私も子供の頃、いったい何が出されたんだろう・・・ってものすっごく気になってたんです(笑)。
子供向けの絵本では、綺麗な着物とショールのような天女の羽衣のようなものを身にまとった乙姫と侍女たちが浦島太郎の前に次々とご馳走のお盆を運ぶ場面の挿絵があって、そこにはお頭つきの鯛の塩焼きらしきものなども思いっきり描かれているものがあって・・・竜宮城では鯛やヒラメを始めとした海の生物は、庇護される者たちであり、使える者たちでもあるのに・・・食料にもなっちゃうの?と子供心に衝撃だったのを覚えています^^;。
家を出た旅路の綿貫の出会うあれやこれやも、珍しく、楽しく、美しく。高堂の登場が少ないのが残念ですが(でも旅先にも1回だけ姿を見せます)、いつまでもいつまでも読んでいたい・・・でもいつまでもゴローの気配がつかめません。無事でいるのか・・・元気でいるのか・・・どこで何をしているのか・・・まさか。綿貫同様、一抹の不安が徐々に膨らんでいきつつ、ゴローが見つからないことに焦燥感もつのりはじめます。
早くゴローが見つかって欲しい、早く先を読みたい、結末を知りたい、と焦る気持ちと、いつまでも読んでいたい、読み終わってしまいたくないと惜しむ気持ち、もし最後まで読んでもゴローが見つからなかったら。装束が解かってもそれが哀しい結果だったとしたら。という不安とで、もう最後の1/4あたりはずっと、心が千々に乱れて落ち着かず。綿貫はきっとその何倍も・・・(>_<)。ドキドキしながらあぁでもないこうでもないそれはいやだと読み進めていった先、最後の最後・・・ガバっと身を乗り出してがぶりつき。そして、思わず涙を垂れ流しでした。心が震えました。かろうじて声にはださずにすみましたが、綿貫と一緒に、その場に佇み私も叫んでいました。魂が震えました。フゥー。
そして、読み終わった後の充足感と、やはり感じてしまうのは”あぁ、読み終わっちゃった・・・”という寂しさ。まだまだもっと読みたい。高堂にもっとお会いしたい。ぜひ、どうか、なんとしても、さらなる続編を熱望です(>_<)。
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冬虫夏草 (新潮文庫)
594円
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