トリコロール/白の愛 | 今日もこむらがえり - 本と映画とお楽しみの記録 -

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備忘録としての読書日記。主に小説がメインです。その他、見た映画や美術展に関するメモなど。

1994年 フランス、ポーランド
監督: クシシュトフ・キエシロフスキー
原題: Trois Couleurs: Blanc
 
 
WOWOWにて録画鑑賞。キエシロフスキー監督による「トリコロール三部作」のうち、「青の愛」に続く2作目。ヒロインは捉えどころのないミステリアスさと透明感を兼ね備えた美貌の女優、ジュリー・デルピー。「白」のイメージカラーが、とても似合う女優さんです。冷たさも、儚さも、真っすぐさも、虚無も。自由、平等、博愛を意味するフランス国旗の青、白、赤。白は「平等」。国籍、言葉、立場(経済力)、性別における愛(友情)の平等さがテーマです。
 
トリコロール三部作は当時一通り観たのですが、観念的で情緒的な雰囲気の、”詳しいことはよく解からないけれど何となく惹かれる海外美術j品”を観た時のような感覚を覚えるのみで、インターネットのレビューサイトのようなものもなかった時代、ぼんやりしたまま終わったのですが、20年超の時を隔てると流石にあの頃より色々とわかる(気がする)ことが増えました。三部作の真ん中のこの作品だけ、男性が主人公で舞台も殆どはポーランドと、少し異色。作品の内容も少し独特で、”喜劇”とカテゴライズされるのに最初は違和感があったのですが、確かに若干荒唐無稽な展開にシニカルなユーモアがスパイスとして効いています。きっと、キエシロフスキー監督流のシニカル・コメディなんでしょうね。
 
 
場所はパリからスタート。ポーランド移民のカロル(ズビグニェフ・ザマホフスキ)が法廷へ向かうところからスタートします。コメディといえば、主人公のフルネームはカロル・カロル。「カロル」はポーランド語の発音で、英語読みになると「チャーリー」になり、すなわち喜劇王チャーリー・チャプリンへの監督のオマージュだとのこと。さてカロルが裁判所へ呼ばれた理由は、離婚訴訟。フランス人妻のドミニク(ジュリー・デルピー)がカロルとの離婚を求めているためです。
 
 
調停の場で待ち構えていた最愛の妻ドミニクの、夫カロルへ向けられるこの冷たい、見下した視線。美人なだけに。離婚の理由は「性生活の不満」。共に美容師の2人は、ポーランドの美容師の大会で出会いました。カルロは実は大きな大会で何度も優勝したほどの腕前。そんなカルロに、最初はドミニクから熱い視線を投げかけていたようですが・・・。意気投合して激しく愛し合ってめでたく結婚し、2人でパリへ。でも、言葉の解からない異国の地での孤独やプレッシャー、移民として受ける社会的差別などが原因でしょうか、結婚後ずっと不能な状態が続いていたようです。継続的な性生活も夫婦の義務だとする欧米社会らしさというか。アムールの国、ラテンの国の美女は、心と肉体、どちらの愛情も満たされないとだめなんですね・・・。
 
 
フランス語があまり離せないカロルには通訳が尽きましたが、思うように自分の言い分を伝えられず焦りと絶望が募ります。「言葉ができない人間の言い分は聞いてもらえないのか?平等さはないのか!」と叫ぶカロルにも冷たく、その日の協議はお終い。そして無情にもカロルの私物が入ったトランク一つを「あなたのよ」と路上に置き捨て、もうこれっきりさようなら、とばかりに冷たく去っていくドミニク。
 
 
当時の移民の状況やポーランドの政情などを知らないので十分に理解しきれない部分が多々あるのですが・・・銀行でお金を引き出そうとしたら口座が閉鎖されておりキャッシュカードも取り上げられてしまいます。言葉があまり通じない国で、頼れる身よりも知り合いもおらず、現金もパスポートもなく途方にくれるカロル・・・余りにも酷な。その上なけなしのコインでドミニクに電話をしたら「これ聞いて」と、自分以外の男性とのこれみよがしの激しい情事の喘ぎ声を聞かされて、散々です。
 
 
この時、パリの地下鉄で出会ったのが同じポーランド人の哀し気な顔の中年男性、ミコワイ(ヤヌシュ・ガヨス)。お互いに同郷という心強さだけでない、何かを感じて心を通わせます。ブリッジでひと稼ぎしたミコワイはもうすぐポーランドに帰るつもりだから一緒にこないか、とカロルを誘いますがお金もパスポートもありません。一度は諦めますが、ミコワイの助けを借りてある違法な手段での帰国を試みることに。
 
 
あんなに酷い仕打ちを受けても尚、ドミニクのことを「天使だ」と崇めてやまないカロル。ミコワイに協力してもらい、その途中で思いがけないトラブルに巻き込まれ、命からがらながらもやっとのことで故郷へ戻り兄の家へとたどり着きます。パリで見つけた、ドミニクによく似た少女の胸像だけは必死で持ち帰り、途中破壊されても執念で修復。じっと黙ってカロルを見つめてくれる胸像をドミニクの偶像とし、持て余した愛情の全てを胸像に注ぐかのようなカロルの必死で哀しい眼が痛々しいです。胸像は、「男」としての肉体的奉仕も要求しませんし、できなかたからといって吐き捨てるように「役立たず!」と罵ったりもしません。
 
 
ポーランドに戻ったカロルは一生懸命働きます。最初は兄の美容室を手伝いますが、もっと実入りのいい仕事を求めて危険な両替商の用心棒の仕事を始め、そこで耳にした怪しげな土地ころがしの計画を出し抜いて見事一攫千金。ミコワイとも再会し、パリでミコワイから聞かされた危ない仕事も受ける決心。内に絶望を抱えていたミコワイも、カロルも、その”仕事”をきっかけに生まれ変わることができます。晴れ晴れとしたカロルとミコワイが、凍った池で駆け回るシーンが印象的。このことで、ミコワイとカロルとの間に、平等(対等)で揺るぎのない友情と信頼が生まれます。
 
一攫千金のお金を元手に事業を初めて、とんとん拍子に成功したカロルはパリっとした高級スーツに身を包み、髪の毛もなでつけて、高級車に運転付きの絵にかいたような羽振りのよさ。ミコワイもビジネス・パートナーに向かえ順風満帆、人生の大逆転。それもこれも、捨てられない元妻への想いがあったから・・・フランス語も猛勉強し自信がついたカロルが勇気を出してドミニクに電話をかけると・・・自分だと名乗った瞬間に、ガチャ切り。流石のカロルも、これで目が覚めたのでしょうか。可愛いさ余って憎さ百倍、沸々と湧き上がる新しい種類の闘志に焚き疲れるまま、とんでもない計画を練り始めます。
 
 
あろうことか、これまでに築いた資産をタテに自分の死を偽装するカロル。「元妻のドミニクに全ての財産を贈与する」という遺言状も作り、死亡証明書を手に入れ、怪しげな裏ルートで身代わりとなる、身元の判別不能な状態の死体まで手に入れて・・・法律的に正式に(?)死人となったカロルは、葬式のためにパリからポーランドへ来た愛しくて憎いドミニクの姿を遠くから観察します。すると、あんなに蔑んだ冷たい目で自分をねめつけていたドミニクが、自分のお墓の前で涙を流していました。
 
 
- 僕の墓の前で泣いていたね?どうしてだい
- あなたが死んでしまったからよ
 
死人となったカロルは大胆にも、ドミニクのホテルの部屋のベッドに裸で待ち構えます。心臓が飛び出るほどビックリしたドミニク(そりゃそーだ)。ドミニクは、自分を嫌ったわけじゃない。愛しているからこそ、肉体的に結ばれることが叶わずそれが辛かったんだ、気持ちはまだボクにあったんだ、と初めて理解したカロルは男としての自信も見事に回復。「電話の声より激しかったね」と男のプライドも大満足なほど、久しぶりに情熱的な夜を過ごす2人でした。ところが、翌朝ドミニクが目覚めるとカロルの姿は消えていました。仕事に行ったのかしら?ドアのノックに「カロル?♡」と答えたらそこにいたのは警察・・・。
 
 
「ご主人の遺体には不審な点があるため捜査しています。他殺だと考えています」なんと、ドミニクは財産狙いの元夫殺しの容疑者に。「彼は生きているわ」といくら主張しても、公に死亡が証明されているのです。カロルのビジネス・パートナーのミコワイに電話しても「カロルは死んだ」と証言します。愛する相手に突き放され、言葉の通じない国で十分な申し開きもさせてもらえず、やっていない罪に問われる・・・まさにカロルが味わったのと同じ体験を、ドミニクに与えるのが彼の復讐でした。
 
 
あえなく逮捕され、投獄されるドミニク。カロルが危険を承知で看守を買収し、ドミニクの独房の窓の下へ行くと、カロルに気が付いたドミニクがカロルをじっと見つめながら、不思議なジェスチャーで語りかけてきます。このシーンもまた、とても印象的で、ドミニクが美しいです。ジェスチャーの意味についてははっきりとした解説はなされていないので鑑賞者の想像にゆだねられ、ネットでも様々な解釈が披露されています。私が感じたのは、「ここ(監獄)を出られたら、あなたとずっと添い遂げたい」または「ここを出られなくても、ずっと愛している」「私はあなたのもの」というようなニュアンス。いずれにしても、ドミニクがやっと素直に曇りのない愛情を、カロルへせいいっぱい伝えているシーンだと思います。
 
 
そんなドミニクを観たカロルは、幸せそうに涙を流します。カロルにも、ドミニクの愛が伝わり、紆余曲折あってようやく2人とも互いの深い愛を自覚し確かめ合うことができたんでしょうね。思えば、最初はこの2人の愛情関係のバランスは極端に偏っていました。明らかに平等ではなかった。愛する人の言葉を話せず、冷たくされ、自分の望む言葉を得られず。圧倒的にカロルの方が弱いというか、カロルからドミニクへの愛情が一方的に空回り。それが立場逆転し、一周まわってようやくお互いに平等、対等に。まったき愛を手に入れたカロルからは、何かしらの決意を感じます。いったい、どうするのか・・・この後が気になる2人です。
 
 
度々フラッシュバックする、結婚式でのドミニクのイメージ。カロルが人生で最も幸せだったその頂点の思い出。愛情と希望に輝くばかりの純白ドレスのドミニクはそれはそれは夢のように美しく、そりゃカロルが「天使だ」と崇めてしまうのも、執着を捨てられないのも無理のないこと。でも、この(多分にカロルの思い出フィルターによってさらに美化された)思い出の中のドミニクより、ラストの囚人服でやつれた現実のドミニクの方がより美しく見えました。三部作の中でもちょっと毛色の変わった「白の愛」ですが、改めて鑑賞してみるとジワジワ、しみじみ、その良さが感じられる気がして、3つの中で「白の愛」が一番好きかもしれません。2018年現在時点(*´ω`)。
 
そして、前回バラバラに観た時にはスルーしていて今回初めて気が付いた「青の愛」とのリンク。ジュリエット・ビノシュが演じたジュリーと思われる女性の姿が一瞬映ります。きっと、夫の愛人の存在をしったジュリーが様子を見に行ったシーンの繋がりだと思われます。エピソード的には直接的な関連のない2作ですが、同じ時間軸を共有している物語なんですね(´ω`*)。それと、空き瓶のリサイクル用の緑のゴミ箱と、老人の姿。高い位置にある投入口に上手く手が届かず、恒例の為に身体の動きもままならず空き瓶の投入に苦労している老人の姿が象徴的にどちらの映画でも繰り返されています。
 
青の愛」では、1人になったジュリーが自由な時間をカフェで寛いでいて、窓外の老人の姿には気が付きませんでした。「白の愛」では、身ひとつでパリの街に放り出されたカロルが老人の姿に気が付き、その哀れな様子に自分の境遇も重ねたのか、老人を眺めてうっすらと悲哀のこもった笑いを浮かべます。空き瓶を捨てるのに苦労している弱々しい老人、というのは同じですが主人公との関わり、反応が違っている点がキモですね。そして予想どおり、「赤の愛」でも同じモチーフは登場します。ジュリー、そしてドミニクのカメオ出演も。どういう顛末になるのかは、お楽しみに・・・^^。