1993年 フランス、ポーランド、スイス
監督: クシシュトフ・キエシロフスキー
原題: Trois Couleurs: Bleu
WOWOWにて録画鑑賞。去年「ふたりのベロニカ」を観た際に、同じキエシロフスキー監督の青、白、赤の愛のトリコロール三部作も久しぶりに観たいなぁと思い、録画したまましばらく寝かせていました。公開当時はまだ人生のひよっこだったから汲み取れなかったことも沢山あったはずなので、今の自分が何を感じるのかという変化も楽しみでした。
映画の内容に入る前にもうひと蘊蓄。キエシロフスキー監督のトリコロール三部作とは。フランス国旗の青(=自由)、白(=平等)、赤(=博愛)をモチーフにした愛にまつわる叙情的な三部作で、今回の「青の愛」が1作目。随所に「青」の色彩や観念的イメージが印象的に取り入られています。1993年の第50回ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞と撮影賞を受賞。主演のジュリエット・ビノシュも女優賞を受賞しました。同年の第19回セザール賞では主演女優・音楽・編集の3部門を受賞。
ある日、家族でドライブ中だった著名な作曲家が運転する車が事故に遭い、作曲家と幼い娘が死亡し、たった一人、妻のジュリー(ジュリエット・ビノシュ)だけが命を取り留めます。冒頭のドライブの風景から、病院でジュリーが目覚めるまでのシーンはとても劇的で強い印象を残します。その後のジュリーと同じように、鑑賞する側の私たちも恐らく、この冒頭の印象的なシーンのいくつかがこの後ずっと脳裏に何度も甦ることになるはずです。(視覚的に激しかったり生々しい演出があるわけではありません、念のため)
自分も大手術を受け、まだベッドから起き上がることもできない状態のため、自分が不在のうちに夫と娘の葬儀が営まれ、その自分不在の式典をビデオ映像で見なければならないというのは、いったいどれほど苦しいことか・・・娘の小さな棺や、司祭が欧州連合の記念の交響曲を作曲中だった夫の死は世界の喪失であると悼む言葉を述べる様子など、いたたまれません。何もかも失い生きる気力を失っても、服毒自殺にも失敗し、虚無を抱えながら生き続けなければならないジュリー。自宅(郊外の豪奢なお屋敷!)の子供部屋だった「青い部屋」にはブルー系のカットガラスがキラキラと光を反射するモビールだけ、何かを象徴するかのように残されていました。
当時20歳でキャリアも私生活も上り調子だったジュリエット・ビノシュが若く透明感に溢れていて、ジュリー役にピッタリの美しさ。殆ど無表情だし台詞もあまりしゃべらないのに雄弁な存在感を醸し出しています。夫のビジネス・パートナーで友人でもあったオリヴィエ(ブノワ・レジャン)は、全てを静かに拒絶するジュリーの代わりに夫の遺品や仕事の整理などをこなし、ジュリーを支えようとします。オリヴィエの自分に対する好意を承知していたジュリーは、ある絶望感に襲われた夜、オリヴィエを呼び出し一夜を過ごします。この電話の会話が、フランス語という言語特性と合わさり、ごく端的で情緒的。電話に出た相手に何の説明もなく問いかける一言で始まります。
- 愛してる?
- あぁ。
- ずっと?
- 君の夫と仕事を組んだときから。
- よかったら今から来て。
ずっと苦しい片想いをしてきたオリヴィエ。ようやく想いが通じたと幸せに浸る朝・・・のはずが「私も普通の女なの。(中略)・・・でもあなたを追わないわ」とコーヒーだけを差し出してオリヴィエの元をあっさり去って行ってしまいます。アムールの国のフランス男にとっても、女心は大いなる謎のようです。
屋敷を含め、夫が築いてきた全ての財産の処分を弁護士へ依頼し自分は預金以外何も持たずにひっそりとパリで一人暮らしを始めます。夫が製作途中だった遺作の楽譜も廃棄してしまい、過去を全て断ち切って無為に生きる日々。ブルーで染まる夜のプールでひたすら泳ぐのも、事故後の体力回復のリハビリの意味と、水の中で音も景色も遮断して「孤独」に浸るためだと想像します。でも、断ち切ったつもりでも過去は追いかけてくるし、生活をしていれば他人との関わりも生じてきます。プールの静寂も、破られることもあります。
同じアパートの性に奔放な若い女性ルシール(シャルロット・ヴェリ)との交流や、ご近所との関わり、カフェにも数回通えば顔なじみになって「いつもの」で通じるようになります。そして、路上演奏者が何故か廃棄したはずのまだ世間に発表されていない音の遺作のメロディを奏でます。そして、ジェリーを真剣に愛するオリヴィエもついに彼女の居場所を突き止めます。そして、老人ホームで暮らす母はジュリーを見ても自分の娘だとは認識できず、妹だと勘違いします。自分が忘れ去りたい過去はどんなに遮断しても追いかけて現れるのに、そっと寄り添って欲しかったもっと昔の過去は自分のことを忘れ去ってしまっている・・・皮肉です。
オリヴィエはジュリーが処分したはずの楽譜を手に入れ、テレビ出演して「自分が後を引き継いで完成させる」と公言します。そして、ジュリーに対して鮮烈な愛の宣言。このあたりの発想もさすがフレンチ。さらに、今更になって、夫に生前、若い愛人がいたことまで知ってしまうジュリー。過去から逃げられなければ、向かい合うしかありません。悩み、苦しみ、逡巡しながら、夫の才能を理解し創作を支えていたように、オリヴィエに協力して一緒に交響曲を完成させる作業を始めます。
象徴的なブルーを多用した映像も美しいのですが、夫が作曲家であったことと、遺作の交響曲が重要なモチーフのひとつであるため、音楽も美しく情感的です。孤独と哀しみの中に閉じこもって無為に暮らしているつもりのジュリーの脳裏に、ふとした瞬間に突然音楽(夫が創作中だった交響曲の旋律)が鳴り響く瞬間。そして、徐々に音が増えハーモニーが重なり広がっていく演出がまた素晴らしいです。特に交響曲の重要なクライマックス部分になる合唱のパートが映画のクライマックスと重なっていくくだりは格別です。
合唱曲に重ねられている歌詞は『新約聖書』にある『コリントの信徒への手紙』のうち「愛の賛歌」と呼ばれる第13章からの引用です。無限の愛(アガペー)について語られており、映画のテーマとも、ジュリーの心象とも重なります。
- わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。
- いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である。
トリコロールの三色のうち「青」が象徴するのは「自由」。でも、一般に「寒色」と分類される青のイメージは清潔とか静寂とか冷静とか、クールなイメージ。そして映画の中で使われる「青」も、事故で夫と娘を亡くすという内容も伴って、静寂とか喪失とか孤独とか、どこか冷たく哀しい雰囲気。これらがどう「自由」と結びついているのか?
この映画で象徴される「自由」とは、すなわち「過去の愛(執着)からの自由」なんですね。失った愛の哀しみや苦しみを忘れようと拒絶するジュリーですが、忘れようと努力することは逆に失った愛に捕らわれ身動きできないことであり、また執着していることにもなります。過去は消えないし、忘れる必要もない。でも、執着してはいけない。それが出来た時、過去をあるがままに受け入れて初めて精神は自由になれます。また、自由であるとは、同時に孤独であることも受け入れることでもあります。孤独と自由は、相反するものではなく常に隣り合わせにあるもの。キエシロフスキー監督が織りなす美しい愛のタペストリーの全体像が見えた(気がする)時、言い知れぬカタルシスが広がります(*'ω'*)。
上述した挨拶も前置きも割愛して唐突な「愛してる?」で始まる、ジュリーとオリヴィエの電話の会話は、後半にももう一度同じような内容が繰り返されます。が、途中から最初の会話の流れからは微妙に変わるその変化がまた言い知れぬ余情を語って有り余ります。他にも、カフェでジュリーがコーヒーにキューブ型の砂糖を浸して、その砂糖がコーヒーを吸って茶色く染まっていくシーンとか、鼠が子ネズミを出産するとか、ルシールがジュリーの部屋に吊るされたブルーのモビールを見て言う台詞とか、ごく短いながらも印象的なシーンやエピソードが沢山あって、何度見てもそのたびに新しい発見がありそうです。
最初、ジュリーが財産を全部処分して欲しいと弁護士に依頼しているシーンで、何も残さず、お金は全部この銀行口座に送金して欲しいと伝えていたのは、いったい誰の口座だったんだろう?と気になったんですが、あれは、母もしくは母が入居している老人ホームの銀行口座だったんでしょうかね。
美しく、叙情的なキエシロフスキー作品。時にはこういう作品で感受性を刺激して鍛えなくてはですね(*'ω'*)。時間と心の余裕のある時に、引き続き「白の愛」「赤の愛」も楽しみです。
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