4日目
昨日、旅の目的は果た
そうそう思い出した。
前日、弘前から五所川原に向かう途中、道の駅つるたに寄って、デカアンパンやらデカメロンパンにわぉ!となり、でも無難にアップルパイで小腹を満たし、貯水池の津軽富士見湖にかかる日本最長木造の橋、鶴の舞橋のポスターを見つけて行きたい!けど、時間が足りず諦めた、と。まー。
五所川原市に宿泊でした。
前の晩から雨です。
ザーザーです。
そして寒いっ
北の春を侮ってはならぬ。
ホテルで朝食
青森のリンゴがうれしいっす!
HPより↓
「御創建の年代は詳らかではないが、鎌倉から室町にかけてこのあたりを統治していた豪族安藤氏の創建と伝えられる。
境内社である「三王神社」御創建の社伝には、山王坊日吉神社を中心に十三宗寺建ち並ぶ一大霊場があり、安藤氏の祈願所として栄えるも、1443年(嘉吉三)(または、1432年(永享四))頃に南部勢の焼き討ちにより焼失。この時、山王大神様が黄金の光を放って流れ星のように高山の聖地に降り鎮まれた、と伝えられる。
「稲荷神社」創建の社伝には、江戸時代の元禄十四年(1701年)播磨子に赤穂藩主浅野内匠頭長矩の江戸城中での刃傷事件による藩取り潰しの際、赤穂城内に祀っていた稲荷大神の御霊代を藩士の寺坂三五郎が奉戴し、流浪の果て津軽の弘前城下に萬し、その後鯵ヶ沢に移り住み「赤穂屋」と号し醸造業を営み栄える。その子孫がお島に移住するにあたり、この高山の霊地に祀れとのお告げにより遷し祀った、と伝えられる。
これらを総合して考えると、元々は「三王神社」が祀られ、その後江戸時代に「稲荷神社」が創建され、江戸時代の稲荷信仰の隆盛とともに稲荷神社が繁栄し、元々の山王神社が後退したものと考えられる。」
聖域に行くにはこれを昇っていかなけばならんのか
三内丸山遺跡の外観だけをさらりと。
雨でなかったら見学しようと思っていたのだが。
青森に親戚がいるという友人オススメのらーめん店へ。
並んでる。
味を選べるのね。

ネギ増し有料を注文したら、別盛りでどんぶりいっぱいのやつが運ばれてきた。
気合っで!
道の駅くじで、玄米や南部せんべいなどを。
久慈、宮古、で釜石に宿泊。
お部屋がアップグレードされてる。
ひろーい。あざす!
大浴場で旅の疲れを癒やしおやすみなさい。
朝。
外が騒がしい?
なんだろかこの音は。
モーター音?
お、SLだ!
調べてみる。
SL銀河、と。
大漁旗でお見送り。
いってらっしゃーい。
直ぐ近くの三陸ICから高速道路に。
本当にほんとうに帰るんだよー





















