人は自我人格としての意識から、
生きている世界の中に排除したい要素を見出す。
そして、それらが無くなった後の幸せと安らぎの感覚を
手に入れるためにエネルギーを向ける。
もしくはその排除したい要素から生じているように見えている
痛み、不快感が起きないようにするためにエネルギーを向ける。
そのような日々のエネルギーの扱いを繰り返す。
きっとどこかに解脱へと通じる
答え、手段、道があると信じて模索を続ける。
しかし、この地球アトラクションの世界では、
人の本体の意識、管理体の人格の視点にとっては、
排除するべき要素、改める方が良い要素、探求、答え探し、
より良い自分、より良い世界という概念は作られていない。
こうなったら嬉しい、こうなって欲しい、こうなってくれないかな、
といった自我人格の意識が思い描いている希望。
これがあれば満足できると信じて目指している
手に入れたい状態、得たい結果、実現したい目標や願望などは、
人の本体の意識、管理体の人格の視点からすると幻覚症状のような認識。
人の本体の意識、管理体の人格は無制限の創造力を活かして、
事前に人が希望したストーリー体験を希望通りに歩めるように
正確に日々現象を作り続けている関係上、
良くするべきこと、起きないようにするべきこと、
という概念が存在しないため。
人の本体の意識、管理体の人格が自我人格の意識に求めていることは、
日々変化を伴って起きてくる時間の流れを受容して味わい尽くすこと。
言い換えれば、自我人格の意識が排除したいと感じる
摩擦の体験や感覚に対して、こちらから親しみを持って
手を繋いで、仲良く共生するようなイメージ。
探求、答え探しはしなくても大丈夫。
何かを排除する、何かを手に入れようとするエネルギーの使い方から、
起きてくる全ての要素の存在を許して、味わうエネルギーの使い方へ。
誕生する生命達は必ず異なる生のプロセスを歩み、
全く同じ体験をすることはない。
全ての命が代替できない唯一無二の存在であり、
他の誰にも決して真似することができない
絶対的な存在の影響を持つ。
起きてくる現実の存在の全てを許し、味わっていく時、
命の持つ存在の影響からの眩い光が全て解き放たれ、
全てと自然と調和が取れていることに気付いていく。
自身と他者との間に境界線が存在する
他者がいる世界、分離した個別の世界ではなく。
全てと一体化している全てが、皆が自分自身である世界、
全てと自然調和している「私という個」がない全体に溶け込んだ存在。
真理を追い求めている方々はその全体に溶け込んだ状態になれれば、
本物の幸せや楽に生きられる人生が得られると信じて、
物凄く真面目に悟りに関する勉強をしたり、その教えをしっかり心掛けたり、
自身の命の役割や使命を探求したりして、
それに沿って生きるべきだと考えて努力をされている方が多いかもしれない。
ただ、上記のような全体性の存在や世界というのは、
知識や情報を活かして、なろうとしてなれるものではなく・・・。
この地球アトラクションの進行権限と決裁権を持っている
管理体の意識が事前に希望した、自身と他者との間に境界線が存在する
各々が分離した世界から起こる摩擦の体験と感情を、
一つ一つ味わい切るプロセスの先で現れる結果。
この摩擦の体験と感情は分離した意識や人格の方が何かしようとしなくても、
本体の意識や人格の方が日々自動的に生み出してくれるので、
行うことは今起きている摩擦の体験と感情を
味わい尽くして完了させていくこと。
そのためには、理性や知識、道徳心、記憶、仮の人格などによって
抑えられているストレスに対する純粋な感度を取り戻すことが鍵。
打算、賢さ、身を守る習性への執着心が解けて、
人間らしい情緒に溢れる無邪気な感度が蘇ってくると進行がスムーズに。
実にシンプルで、まさに灯台下暗し。
他者の力を借りなくても、誰でも今のままで、自分一人で取り組めること。
どうぞ一人でリラックスして過ごせる時間を取って、
純粋な感度から湧き起こるストレスに対する
正直なエネルギー状態、感情、零れ落ちる涙を、
一つ一つ余すところなく味わってみて下さい。
人は幻想的な世界、ファンタジーの時間に惹かれ、
繰り返し思いを馳せる。
それはかつて無制限の創造力を自在に扱っていた、
地球アトラクションを始める前の世界の名残と言えるかもしれない。
地球アトラクションの進行権限や決裁権を持つ
管理体の人格にとっては、未熟で不完全な人間という
能力制限を設定された世界や、その世界から起こる
様々な摩擦の方がファンタジーであり、幻想的な世界。
その不可思議で幻想的な摩擦を味わう体験こそ、
人の中に存在している管理体、本体の意識が
どうしてもやってみたいと願った遊び、
止むに止まれぬ好奇心。
今、全ての可能性が閉ざされるような、
ただ待ち続けることしかできない、
人としての自分、意識からではどうにもできない、
絶望の淵に追い詰められている方は多いかもしれない。
思い通りの調和に溢れる世界を過ごすことよりも、
摩擦の時間の方により価値を感じている本体の意識のために。
今まで何かを得ようと、解決しようと、改めようとすることを通して、
ずっと避け続けてきた、忘れてきた摩擦の痛みや蟠りを、
一つ一つ丁寧に正直に敏感に隅々まで味わい、
摩擦の体験を完了してみませんか?
その体験を無視していると、
いつか強制的に体験させられるような
出来事に巻き込まれるため、その時でも大丈夫。
その過程を経て、蟠りの影響のエネルギーが解けていくにつれて、
管理体、本体の意識としての記憶が蘇り、
苦しみ、悲しみ、悪にしか見えなかった要素が
他ならぬ自分自身の喜びとして映り始める。
傷付く、傷付けられる体験などの人としての意識にとっての
悪の要素すらも歓迎できる意識と世界に、
最早、敵や恐怖は存在しない。
地球アトラクションの元々の目的である、
管理体、本体の意識から物事を見て生きる道へのシフトが始まる。
覚醒の流れが加速する。
素直になれない。
意地を張ってしまう。
どう振る舞えば素直になるのかが分からない。
世の中には素直で在るという感覚が麻痺していて、
素直と言われても、どうすれば良いのかが分からない
という人や状態が存在するらしい。
辱めや懲罰を受けた影響、
他人や社会との摩擦に傷心した影響などが、
身を守るための仮の人格、外界にとって都合の良い人格を作り出したか。
どんな人でも、そのような仮の姿を自分だと信じて疑わない
呪縛の影響を受けている部分は残っている。
対人関係でも生き方でも自己表現でも、
辱められることや傷を負うことに関する蟠りの影響が解けると、
楽で心地良い状態になるだけでなく、
びっくり仰天するくらい一変する気がした。
精神的、体力的、金銭的な負担の増大を背負いたくない。
そんな相手の想いを深掘りして読み取っていくと、
長い間繰り返し続けてきた、
もしくは過去生(?)があるなら転生前からずっと続けてきた、
強がる、大丈夫な振りを無意識にしてしまう記憶の影響、
あるいはそうするしかないような呪縛を感じ取る。
弱弱しく泣き虫として存在しても良い、気丈である必要が無い生活、
支えてもらえる、守ってもらえる生活の中で安心して過ごしていたい、
というような生命エネルギーが届いてきた。
過去生が存在するなら、まるで歴史を越えて抱き続けてきた
悲願のような壮大なストーリーや背景を感じて、
自然と「お疲れ様でした」という労いの言葉が浮かぶ。
負担の増大を背負うことに対しての拒絶反応の影響や、
気丈に振る舞う必要があるという強迫的な反応の影響が、
自身の中から無くなっていくと、生きるストレスからの解放や
生きやすさに繋がる方々は多いかもしれない。