心の重荷を下ろせるヒーリングミュージック

心の重荷を下ろせるヒーリングミュージック

時に理不尽でも尊いもの、それが人生。

命にとっての世界を生きていく源を湧き起こしてあげられるような存在として在ることを心掛けています。

今まで生きてきた人生の軌跡も、今生きていることも。

本当は命が夢に見た楽園、命にとって涅槃の慈愛や安らぎの時間であることを思い出せるような。

これまでも今も改めるべきことが一つもない完全な世界の均衡に命が守られていることを思い出せるような。

そんな優しさが世界に湧き起こることを意図しています。

地球という星に流れている時間が、何も起こる必要も、何も刺激を受ける必要も、一切特別さと関係を持つ必要もない、これ以上先も満ち足りることも、何かをする意識、動く意識が一切誰にも生じない、全てが完了した、全てが揃った場所として創られている地球の均衡点、統一点へと還ることを意図しています。

Twitter

https://twitter.com/akiraclan

こんばんは☆
​
​
​
​
最近、ふと浮かんできたものがあるんですが、
​
​
ほとんどの人達に当てはまらないような
​
​
マイノリティな内容だと思うので、少々戸惑いがありました。
​
​
​
​
ただ、肉体側にメッセージとして残させようとする
​
​
作用を感じましたので、突然ですが、
​
​
少し浮かんできたものを書いてみようと思います。
​
​
​
​
最近、色々な世界の変動の中で、
​
​
以下のような状況と直面している方が
​
​
いらっしゃるかもしれません。
​
​
​
​
生きていくために。
​
​
生活を守るために。
​
​
命を守るために。
​
​
​
​
こういった人間にとっての、自我意識にとっての、
​
​
最も正当な主張と言えるような動機から取り組んできたこと、
​
​
もしくはこれから取り組もうとしていること。
​
​
​
​
企業にアルバイトやパートとしてお勤めする形でも。
​
​
企業に社員としてお勤めする形でも。
​
​
業務委託や個人事業主で取り組まれていらっしゃる形でも。
​
​
経営者として活動されている形でも。
​
​
株式投資や不動産投資などの不労所得という形でも。
​
​
奥さんや旦那さん、家族から収入を支えていただいている形でも。
​
​
国や自治体の公的な生活支援を受ける形でも。
​
​
​
​
形は何でも構いません。
​
​
​
​
そういった、儲けるために、収入を得るために、
​
​
生活を守るために動く、生きるという選択や時間。
​
​
​
​
それらがやろうと思っても、できなくなってしまった。
​
​
意識しても、そんな時間と関係を持てる縁が起きなくなってしまった。
​
​
そのような選択と強制的に引き離されているような流れ。
​
​
​
​
言い換えれば、人の視野から見た時に、
​
​
お金を得るための道や可能性が、
​
​
完全に全て閉ざされているように見える状態。
(そういう動機に関係なく、豊かさが与えられることはありますが。)
​
​
​
​
これまで人類が歴史を越えて、
​
​
特に資本主義社会のシステムの中で、
​
​
当たり前に繰り返して、習慣にしてきた、
​
​
自分の生活を守るためのお金や仕事、人生の
​
​
コントロールを完全に諦めざる得ない状態。
​
​
​
​
そんなふうに表現しても言いかもしれません。
​
​
​
​
今後は、このような状況が起きてくる方々が、
​
​
もしかしたら増えてくるかもしれませんし、
​
​
現在進行形で、その勢いが強まっているような気もします。
​
​
​
​
この状態は、肉体を持った人間や、自我意識にとって、
​
​
日常生活の中では一番恐ろしくて、最も抵抗感が強いもので、
​
​
最も反射的に怯えて、暴れやすいテーマの一つでもあります。
​
​
​
​
非日常的な場面も含めれば、大災害に巻き込まれるとか、
​
​
殺人事件に巻き込まれるとか、暗殺者に狙われるとか(笑)、
​
​
肉体が確実に死ぬようなことに自ら首を突っ込もうとするとか。
​
​
​
​
そういう本当に命を落とす事態が
​
​
実際に目の前に迫ってくる時の方が、
​
​
肉体を持った人間や自我意識は、
​
​
より反射的に暴れて、怖がって、抵抗すると思いますが。
​
​
​
​
いかがでしょうか?
​
​
​
​
これは資本主義社会の中で過ごす人間にとっては、
​
​
最大級に悩ましく、冷静に過ごすのが
​
​
特に難しい状況の一つだと感じます。
​
​
​
​
このような事態が起こる原因の一つは、
​
​
肉体を持った人間や、自我意識を自分事として存在することから、
​
​
生命の本質的な本体の立場として存在することを
​
​
望まれる流れが訪れていることだと思います。
​
​
​
​
肉体を持った人間や自我意識を主体とした世界の枠の中だと、
​
​
・先々の問題を避けるために
​
​
・悩みや問題を解決するために
​
​
・目標や夢を実現するために
​
​
・得たい成果のために
​
​
・成功するために
​
​
・これから変えていきたいことのために
​
​
​
​
そういった、今ではなく、いつかの未来で快適さを得るために、
​
​
もしくは将来不快なことに巻き込まれないように、
​
​
日々のエネルギーの大半を費やすという時間の流れが、
​
​
生きる基盤になっているような気がします。
​
​
​
​
先々の怖いイメージの影、不快なイメージの影に、
​
​
常に追い回されているような感じでしょうか。
​
​
​
​
一方で、生命の本質的な本体の立場にとっては、
​
​
こういった時の流れや、その影響に根差した在り方などが、
​
​
存在しない、必要としない生や世界が広がっています。
​
​
​
​
そのため、肉体を持った人間や自我意識として在ることから、
​
​
生命の本質的な本体の立場として在ることを
​
​
求められる流れやタイミングが起きてくればくるほど・・・。
​
​
​
​
人々が歴史を越えて、ずっと繰り返してきた、
​
​
未来という時の流れを意識して、自分の生活や快適さを守るために、
​
​
お金や仕事、人生のコントロールをすることが、
​
​
不思議なくらい段々できなくなっていく傾向があるように感じられます。
​
​
​
​
この時、肉体を持った人間や自我意識は、
​
​
人生史上、最大の(笑)恐怖を覚える
​
​
瞬間の一つではないでしょうか?
​
​
​
​
これは肉体を持った人間や、自我意識を自分事として存在することを、
​
​
責任を持って引き受ける必要がある立場の命、人々には、
​
​
あまり関係がない縁の薄い話だと感じるので、
​
​
そういう方々は適当に聞き流していただければ良いと思いますが、
​
​
実際に直面している方々からすれば、深刻になりやすいですよね。
​
​
​
​
こんな時、人々に、命に何が起きてくるのか。
​
​
それは、これからの新しい地球の起爆剤になるかもしれません☆
​
​
​
​
そして、あなたは、そんな新生されていく優しい地球や、
​
​
優しい生のシステムの浸透のために、
​
​
これまで生かされてきた、これから活かされていく、
​
​
尊い方なのかもしれません☆
​
​
​
​
怖さや深刻さに無意識に飲み込まれて、
​
​
大変な思いをする時も多いと思いますが、
​
​
もし、この文章に何か縁を感じたのなら、
​
​
何か残してあげられる、届けてあげられることがありそうな
​
​
気がしましたので、今回はこのような記事を書くことにしました。
​
​
​
​
もし、そんな方が読者の中にいらっしゃれば、
​
​
気軽にコメントやメッセージを送っていただければと思います🌈
​
​
​
​
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました^^

癌のような治療できる可能性や
​
回復の見込みが薄いような状態が
​
起きている命と、それを支えている関係者達。
​
​
​
その生命達に向けた見えないエネルギーを乗せる時間は、
​
誰かを変えるためではなく、今ここに生きている
​
命の存在を大切に熱く感じられる時間だった。
​
​
​
当人達からすると深刻な想いを無意識に
​
働かせてしまいがちな状況だろうけど、
​
日々を命のために思い切り生きられる集中力と、
​
本気で在れる熱さをもたらしてくれる豊かさが有難い。
​
​
​
「今日もここに存在してくれて、本当にありがとう。」
​
そんな生命への祝福が自然と湧いてくる熱さと喜びと感動を
​
過ごせる時間が流れていること自体が豊かさの輝き。
​
​
​
当人達の結末は分からなくても、
​
最後まで、この静かな熱さと集中力と喜びと共に
​
毎日を生きていく。
​
​
​
単に長生き、健康、嬉しい、楽に過ごせる、
​
豊かさを実現した、だけではなく、
​
何となく過ごした生涯の経験を超えた宝物となる思い出を
​
共有して持ち帰れる時間が生まれることをモットーに。
​
​
​
肉体部分に回復が起こる、起こらないに拘わらず、
​
この自然と熱く駆け抜ける思い出は、
​
きっと宝物の日々として刻まれる。

以前、物理的に共に過ごしていない状態でも、

エネルギーを送り合う見えない交流が

互いに影響をもたらす体験をする機会が与えられた。



お互いに離れて暮らしているとしても、

命が誰かに意識を向ける時間は、

決して何もできない時間じゃない。



見える交流の形か、見えない交流の形か。



その違いはあっても、生命と生命の関係にとって、

距離はあまり関係ないのかもしれない。



人の肉体部分は永遠には生きられない。



最近、いつまで生きられるか分からなくなるような症状を

抱える命と関わる中で、湧き上がってきたもの。



この文章を読む方にも、ご家族や親族、親しい人達の中で、

そんな症状と直面することになった方が

いらっしゃるかもしれません。



漫然と心地好く過ごすこと以上に、

何となく健康的に長生きすること以上に。



もう互いの関係の中で、これ以上の喜びはないと、

全く心残りが存在しなくなるような、

そんな濃密な交流を込み上げてくる生命の純粋な

熱さに沿って思い切り過ごしたいなと、よく感じる。



フィクション作品のように、自分の命と引き換えに、

あらゆる希望の奇跡を自由に相手に起こしてあげる、

ということはできなくても、そういった命を懸けるくらいの

熱さで本気で在れる濃密な時間を生きるということ。



長生きが必ずしも正しいわけでも、

価値が高いわけでもない。



たとえ短くても、そんなふうに思い切り生きる体験、

本気で在れる時間と、その熱さと輝きで満ち溢れる

思い出を互いに受け取り合って、

肉体がお別れを迎えられる方が命に響く。



だから、今日も、これからも、

そうした時間や在り方を大切に過ごす。



もし物理的に共に過ごせくても、

今日という一日の中で、

大切な命に大切な意識を向けてみて下さい。



今日という時間の中で、大切にしたい命へ

意識を向ける時間が、皆にとって、世界全体にとって、

温かな時間になりますように。

夏の緑豊かな自然の中を歩く。
​
​
​
今までも、この町の景色と雰囲気から、
​
何度も癒しや至福感を受け取ってきた。
​
​
​
でも今日は、少し違った。
​
​
​
植物、野花、木々を見ているうちに、
​
「きれいだな」と感じるだけではなく、
​
「ここにいてくれて、本当にありがとう。」
​
​
​
そんな優しい気持ちが自然と込み上げてきた。
​
​
​
ここに居続けて欲しいな、
​
これからも生きていて欲しいな。
​
​
​
そんなふうに愛でる慈しみや、
​
大切に育てて見守りたい静かな熱さが
​
無理なく内側で湧き起こってきた。
​
​
​
昔なら植物さん達に、こんな慈しみを
​
向けるなんて考えもしなかった。
​
​
​
ガーデニングなんて面倒だと思っていたから。
​
​
​
その変化が不思議だった。
​
​
​
日常の中で大切にしたくなったものを、
​
秘めることなく思い切り大切に思える
​
命の熱さで今日も生きていく。
​
​
​
そんな日々の輝きを植物さん達が
​
静かに伝えてくれた一日だった。

今日という日は、
​
今日しか会えない。
​
​
​
やっと、思い切り生きられる。
​
​
​
そんなふうに本当に心が動くものに出会うと、
​
人は静かなまま生命力が溢れて、
​
熱さが自然と滲み出る。
​
​
​
誰かの期待でもない。
​
何かを証明するためでもない。
​
​
​
生活のためでもない。
​
安全のためでもない。
​
​
​
単に緩むためでも、
​
単に楽しく過ごすためでも、
​
単に好きなように過ごすわけでもない。
​
​
​
ただ、全力になれる相手や景色、
​
その瞬間と巡り合えた時。
​
​
​
ずっと奥で待っていた何かが、
​
無条件に静かに動き出す。
​
​
​
もう秘めなくていい。
​
もう遠慮しなくていい。
​
もうブレーキをかけなくていい。
​
​
​
やっと、本気で生きられる。
​
​
​
そんな喜びや涙と出会える時間が、
​
きっと、あなたにも待っています。
​
​
​
どれだけ世界や生きることに
​
関心や光を見出せなくても。
​
​
​
それらを全て失ったとしても。
​
​
​
その瞬間は、きっとやってくる。