こんにちは、彰です。
今回は珍しく「ひとりごと」以外のテーマで記事を書いています。
特定の人達に向けた記事を書くことを主な目的とする
更新なんて本当に久しぶりですね。
今回は自分との対話に関する内容ではなく、
特定の人達に対するメッセージなので、丁寧語を使っています。
実は前回の記事(新たな角度)を作成していた時に、
これは凄く良いインスピレーションだなと
感じられたアイデアが湧き上がってきました。
(そのアイデアについては後で話します。)
前回の記事(新たな角度)を既に御覧になった方は
覚えているかもしれませんが、前回の記事で
下記のような内容を書きました。
在ってはいけないと判断し続けてきた惨めさや情けなさがある自分でも。
無くさなきゃいけないと固く信じている欠陥要素を自分の中から払拭しなくても。
自分は一緒にいること、一緒に生きることを望まれているという実感や、
自分は現実世界に居て欲しいと求められるに値する存在という感覚、
人は自分の味方でいてくれるという感情を得られる人生。
こういった内容を書いていた時に、
『良いこと喋ってるな~』と自分で自分を褒めたくなったんですが(笑)、
前述のテーマに対して強い関心と欲を持っている人は
自分以外にもいるんじゃないかと思ったんですよね。
(僕はもっと極めたいと感じています。)
前述のテーマに対する関心と欲と言うのは、
在ってはいけないと真剣に思い詰めている欠陥要素を無くさなくても、
僕は(私は)本物の愛や優しさを受け取れる人生を生きたいという
気持ちのことを指しているんだと思います。
そういう人生の代表的な形が恋愛や結婚のような
男女のパートナーシップを本当に極め続けている方達の
生き様なんだろうなという印象を持っているんですが、
(それが僕のパートナーシップに関心を持ち始めた理由の一つ)
無くさなきゃいけないと思い詰めている自分の欠陥要素に
強い蟠りを抱えている人は結構多いのではという印象もあるんですよね。
年齢や立場はあまり関係がないような気がします。
小学生、中学生、高校生、大学生、主婦、父親、母親、
若手社会人、中年社会人、老年社会人、老人、
従業員、起業家、個人事業主、経営者、
10代、20代、30代、40代、50代、60代。
どの年代や立場の人でも在ってはいけないと判断し続けてきた
惨めさや情けなさが、自分の中から無くなってしまえば良いのにと
願っている人はきっと多かれ少なかれ存在すると思います。
僕は以前(3年くらい前まで)に比べれば、大分その傾向は
落ち着いてきましたが、昔はそういう状態がトップクラスに強い
人間だったと思うので、欠陥要素に関する人の意識への感度は
平均よりは確実に敏感な方だと感じています。
だから、前回の記事を投稿した後に先程も言った、
無くさなきゃいけないと真剣に思い詰めている欠陥要素を
自分の中から無くさなくても、本物の愛や優しさを得られる人生を
受け取ることをテーマに何かやろうかなと思うようになりました。
現代では『あなたは生きているだけで価値がある』とか、
『あなたはありのままで完璧』というようなメッセージを
よく耳にする(?)ようになりましたが、それを知識ではなく、
実際に体現している人は極めて少数と言えるでしょう。
なぜなら、人は他者や社会と関わる時に自分にとって好ましくない
人生経験しか引き起こさないと判断している人の要素を
短所や欠陥として見做すからです。
人間同士の関わりでは好き嫌いという感情が必ず絡んできます。
人間には一人一人特性や性質が備わっているので、
人間である限り多種多様な好き嫌いという感情から
逃れることは難しいと言わざるを得ません。
一人の人間を構成する要素や性質は数え切れないほどありますが、
自分を構成する全ての要素に対して今まで一度も且つ誰からも
嫌悪感を抱かれたことがないという人は存在しないでしょう。
この社会には家庭、学校、部活、サークル、会社、
ボランティア、エンターテイメント、趣味、勉強会、
イベントといった様々なコミュニティが存在しています。
ちなみに、コミュニティとは特定の価値観を大切にしている
人達の集合体というような意味を持つ言葉ですね。
どんな価値観を大切にしているのかは、
それぞれのコミュニティによって全然違うので、
当然常識や、ルール、礼儀、善悪みたいなものは
どのコミュニティに所属しているのかに応じて変わります。
だから、現実世界を生きていく中で、
これまでどのようなコミュニティに所属してきたのか、
今までどんな常識やルール、礼儀、善悪の中で生きてきたのか。
それによって何を欠陥として、惨めさや情けなさとして、
美点として、資質として捉えるようになるのかも変化します。
実際、現在自分が主に所属しているコミュニティの人達とは
全然関係がない人達と関わっていた時に、
これまで自分の欠陥だと判断していたものが好評だったり、
逆に今までは自分の美点だと信じていたものが不評だったという
経験をしたことが皆さんにもあるのではないでしょうか?
(僕はありました。)
世の中には無数の価値観が存在する上に、
それに伴い常識やルール、礼儀、善悪なども大きく変動する以上、
時には自分を構成している要素や性質のせいで、
酷い目に遭ったという感情を抱いたことが誰にでもあるはずです。
だから、自分のこの要素や性質は望ましくない経験しか
招かないと感じるような出来事(短所や欠陥と見做す引き金)を
全く経験せずに人生を終えるというのは不可能でしょう。
量と程度の差はあると思いますが、人として生きることになったからには、
どんな人でも『自分のこういう部分に関しては正直良い印象がない』
というような痛みを抱えながら日々過ごしているに違いありません。
全然そうじゃないのは人智を超えた特別な存在か、神様くらいでしょう。
これが『自分は生きているだけで素晴らしい』とか、
『素の自分が一番輝いている』みたいな概念を
大多数の人が心からそうだと信じられない原因であり、
体現できない原因でもあると感じています。
どんな家庭に生まれて、どういう育ちの環境で育ったとしても、
どのような境遇の中でどんな生き様をしてきたとしても、
これまでの人生の軌跡が如何なるものであったとしても。
自分のこの要素や性質は不愉快な現象にしか繋がらない、
言い換えれば短所や欠陥としか思えないと感じて、
悔しくなった記憶、深く傷ついた記憶、泣き続けた記憶、
自分の殻に閉じこもった記憶、絶望した記憶は
多かれ少なかれ必ず刻まれているでしょう。
その記憶こそが前回の記事でも書いた、
こんな自分を知られたら、どうせ愛されなくなる、
こんな自分を見られたら、どうせ傷つけられる、
こんな自分を見せたら、どうせ人間として失格と判断される。
こんな自分でいたら、どうせ責められる、
こんな自分だから、どうせ他人のストレス源になってしまう、
こんな自分のままでは、どうせ厄介者だと思われる。
そのような気持ちを抱き続ける人生の発端。
また、自身の欠陥としか感じられない要素と直面して傷つかないように
するために、自分を頑張って改造しようとしたり、虚勢を張ったり、
感じる力を麻痺させたり、防衛的に生きたりする
生き辛い日々への招待状でもあります。
しかし、自分の中にある数多くの欠陥要素と直面するのは苦しすぎるから、
自分の欠陥を無くすために常により良い変化と成長を
しなければならないみたいな強迫観念を持ち続ける先には、
心の鎧をつけることを全く意識しなくても良い人生や、
純度の高い安心感と優しさに満ちた世界観は存在しません。
それは本望ではないはずです。
つまり、在ってはいけないと真剣に思い詰めている
欠陥要素を無くさなくても、僕は(私は)本物の愛や優しさを
受け取れる人生を生きたいという想いを実現するためには・・・。
『自分のこういったところは吐き気がする』と感じている、
自分の誰にも知られたくない要素や、
自分の極力触れられたくない要素と向き合うことは
残念ながら避けられないということですね。
とは言え、他者や社会と関わる時に自分にとって好ましくない
人生経験しか引き起こさないというイメージが根強い自分の欠陥要素を
歓迎してくれる人なんて有り得ないという考えが浮かぶかもしれません。
ここで鍵となるのは長所や短所といった言葉の
意味に対する正確な認知ですね。
一般的な定義では長所、美点=優れているところ、
短所、欠陥=駄目なところという意味になっていますが、
これは実は正確な意義とは言えません。
人は他者や社会と関わる時に自分にとって好ましい
人生経験をもたらしてくれると判断している人の要素を
長所や美点と見做す傾向があります。
また、これは既に述べましたが、人は他者や社会と関わる時に
自分にとって好ましくない人生経験しか引き起こさないと
判断している人の要素を短所や欠陥として見做します。
でも、もし自分が短所や欠陥だと思い詰めてきたもののおかけで、
自分にとって絶対に譲れないような本当に満たされる
結果や思い出を生むことができたとしたら、どうでしょう?
仮に自分が長所や美点だと信じてきたもののせいで、
自分にとって不本意な結末になってしまったら、どうでしょう?
前者の経験は自分を構成する要素の一つを
素敵だなと感じることに繋がりますし、
後者の経験は自分を構成する要素の一つを
価値がないと思うことに繋がると思います。
つまり、人間を構成している様々な要素や性質自体が
優劣に直接関係しているわけではなく、
自身にとって望ましい人生経験に繋がっているかどうかに
応じて優劣が変化していくと言えます。
従って、より正確に言うと、
望ましい人生経験に繋がる作用のさせ方が長所や美点であり、
望ましくない人生経験に繋がる作用のさせ方を短所や欠陥と呼びます。
前述した『あなたは生きているだけで価値がある』とか、
『あなたはありのままで完璧』というようなメッセージは、
人間を構成している全ての要素や性質自体は
優劣とは直接関係がないというところから来ていると感じますね。
どんな人間として生まれて来たとしても。
どんな人間になっていたとしても。
どんな人生を歩んできたとしても。
人間の特徴や性質自体には決して
罪とか悪とか過ちとか恥などはないという感じでしょうか。
(扱い方によって大きく左右されるのは事実ですが。)
ずっと無くさなきゃと思い詰めていた自身の欠陥要素。
自分にとって好ましくない人生経験しか引き起こさない
というイメージが根強い自身の欠陥要素。
もしそれを自分も他者も社会も歓迎するような作用のさせ方で
表現したり、発信したり、使えたりする場面が増えていくとしたら、
どんな光景が見えて、どんな気持ちになると思いますか?
正しくそれが心の鎧をつけることを全く意識しなくても良い人生や、
純度の高い安心感と優しさに満ちた世界へのプロセスなんだと思いますし、
理想のパートナーや、仲間、友人のような存在と出会える道程とも言えます。
もちろん、ただただ素の自分で生きているだけで愛されるとか、
自分の存在自体に尊い価値があると心から信じられるようになるでしょう。
だから、僕は自身が欠陥だと思い詰めている自分の要素の
望ましい作用のさせ方について探究する時間は、
本当に人生での最重要課題の一つだと考えています。
そこで、そういう課題と向き合うことをテーマとしたワークショップを
やろうかなというアイデアが浮かんだのですが、
興味がある方はいらっしゃるでしょうか?
もしこのブログの読者の中で関心を持っている方がいましたら、
その方には詳細をお伝えしますので、
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