構想を練ってみる。
自己と過去の統合が無理なく
自然と進行していくような世界観。
心の鎧を思わず意識しなくなっているような雰囲気。
そんな環境が滲み出るようになるための「何か」について。
それはかつての自分が最も
求めていたものの一つだった。
そして、今もそれを思い描いて、
欲している自分の姿がある。
自分は生きていること自体を望まれているという人生。
自分が現実世界に居続けることを求めてくれる人がいる人生。
そういった人生を生きることができたという感情と感覚を
心から実感できていないことは僕の唯一の未練だ。
とは言え、このテーマと真面目に関わる場合、
過去のどこかで感じた、もう絶対に味わいたくないと
強く思った感情と感覚が必ず絡んでくる。
だからだろう。
とてつもなく怖いし、恥ずかしいし、
避けたいという気持ちも出てくる。
特に幼い頃から責任感が強く、しっかり者として生きてきた人や、
元気で陽気な振る舞いをしてきた人は、過去に感じた二度と
直面したくない感情や感覚を思い出さないようにしている傾向がある。
もちろん、それが駄目というわけではないのだが、
自分が現実世界に存在し続けることを望んでくれている
人がいるという人生からは遠ざかってしまう。
本来の自分を構成しているはずの要素、
つまり自分が自分である証が歓迎されている
という自信を培うことができないからだ。
以前パートナーシップという分野に唯一の心残りがあると言ったけど、
より正確に言うと、心の鎧を外した状態の自分の価値を信じられない
というのが、ただ一つの心残りと言えるのかもしれないな。
それで昔から探求してきたのか。
心の鎧が無意識に自然と外れていくような純度の高い優しさを。
何かを極めようと考えても、
絶対に切りがないのと同じように、
きっと自己の統合にも終わりはない。
だからこそ、心の鎧を思わず意識しなくなるような雰囲気が
現実世界の色々な場所に滲み出たら良いなと感じる。
最後の夢が終わってからは他人と純粋な交流をすることに
意識が向かなくなってしまったため、もうほとんどの人と
馴れ合うことはないだろうと思っていた。
パーティーのような場に参加することも、誰かと遊び回ることも、
対面での活動に積極的に取り組むことも大幅に減るだろうと思っていた。
だけど、心の鎧が無意識に自然と外れていくような優しい雰囲気が
滲み出るようになるための「何か」をするという目的は非常に魅力的だ。
その活動では対面で人と接することになるんだろうし、
カウンセリング、グループセッション、個人セッション、セラピーのような
行為とは異質な具体性がほとんどない朧げなものだから、
かなり着手しにくいと思うが・・・。
これまでの人生経験の影響から、どうしても表現することに
強い抵抗感を抱いてしまうけど、可能なら本当は受け止めてもらいたいと
感じている自分の要素、自分が自分である証。
そこを縁がある人達で取り扱い合うのが肝心かな。
もし自分が誰かのそうした要素を取り扱うことができるなら、
やる価値は十分あるだろう。
模索してみるか。
これも間違いなく伏線経験に沿った運命の一つだしな。
あっ、ちなみに、今はこんなこともやっています。
http://ameblo.jp/refrain-against/
https://its-a-wonderful-life.themedia.jp/
https://darkness-of-the-mind.themedia.jp
興味があれば、覗いてみて下さい。


