思わず自然と心を許したくなる雰囲気が
滲み出るようになるための何か。
そのテーマを的確に表現するためのツール。
その世界観を上手く形にできる表現方法。
それは何だろう?
こういったコンセプトを形にすることを目指すなら、
メールのようなメッセージだけの遣り取りや、
エンターテイメントのような一方的な情報発信はあまり好ましくない。
無意識に心の鎧が外れていくような純度の高い優しさというのは、
やはり可能なら人間同士による対面での言葉の
交わし合いを通して体感したいものだろう。
一方的な情報発信では心を開いてみようというきっかけに至ることは
あっても、純真な優しさを実際に体感できるわけではない。
メールのようなメッセージでは、
その実感度は対面より絶対に薄くなってしまう。
それに自分にとっても対面で体感することに非常に意味がある。
だから、対面で行うツールで表現するべきだという判断が浮かぶ。
だけど、具体的にどんな表現方法を選ぶのかという
問いに対する答えが全然出て来ない。
思い浮かぶのは漠然とした内容や方向性だけだ。
実は聞き入れてもらいたいと密かに
期待して待ち続けてきた想い。
本当は受け止めて欲しいけど、過去の人生経験の影響によって
抑制せざるを得なくなった(解放できなくなってしまった)自分の姿。
そこに焦点が当てられるのは間違いないだろう。
これは欠落している本来の自分を表すピースを一つ一つ取り戻して、
自分の心を統一(完成)させていく作業とも言える。
正しく自己と過去の統合そのもの。
一般的には傾聴したり、共感したり、褒めたり、お互いの共通点について
話し合ったりすれば、人は心を開くと言われているが、
個人的にはそう単純な話じゃないという印象がある。
人は発している言葉と心の奥底で感じていることが
一致していないことが多いため、日常会話で見られる言葉の
ほとんどは真剣な本心とは直接関係がない。
本当は別の感情を抱いている様子がたくさん見受けられれば、
信用するのは困難だから、相手に気を許すなんてことは到底不可能だ。
加えて、このテーマは相談に乗るわけでも、人を導くわけでもない。
だから、セラピー、カウンセリング、コーチング、
エンカウンターグループのような個人セッションや
グループセッション形式の活動は相応しくないような気がする。
もうそういう言葉自体を使いたくないという想いもある。
人間はこれまでの人生経験によって二度と味わいたくないと
確信した感情と感覚を避けるために今の生き方や在り方、
考え方を日々演じているという側面を持っている。
その演技は心理的なバリアーとも言えるものだが、
この心理的なバリアーを解かないと何も始まらない。
いくら真剣に聴く姿勢を見せても、何でも言って良いよと伝えても、
ここはちゃんと受け入れてくれる環境だと言い聞かせても、
確実にはぐらかされてしまう。
と言うことは、やはり・・・。
今なら心理的なバリアーを解いても思い出したくもない不愉快な
感情と感覚が生じることはないし、寧ろバリアーを解いた方が
遥かに満たされるんだという認識に改まるような時間を過ごすこと。
それが大事なんだろうな。
しかし、そんな時間を適切に表現できる
ツールなんてあるんだろうか?
意識して探してみるか。
あっ、ちなみに、今はこんなこともやっています。
http://ameblo.jp/refrain-against/
https://its-a-wonderful-life.themedia.jp/
https://darkness-of-the-mind.themedia.jp
興味があれば、覗いてみて下さい。


