先月、再びパートナーシップをテーマにしたお話会に参加。
男女のパートナーシップに関する想いや疑問について、
お話会の参加者達やお話会の主催者である夫婦と
自由に談笑して、学び合える、この時間。
今回で3回目の参加になるが、毎回とても充実した時間だ。
毎回パートナーシップを築く道を進むことに関する不快な印象や抵抗が
和らぐ素敵な時間を過ごせるのが印象的。
また、お話会の主催者である夫婦は非常に爽やか且つ安らいでいる
心からの笑顔と雰囲気を見せてくれる人達。
こういった殺伐とした雰囲気がほとんど感じられない人は珍しい。
現代ではなかなかお目にかかれない。
お互いがお互いにとって一番大事な存在である
ということを実感し合える関係性。
自分はこの世界で生きていることを心から望まれている
存在であるということを実感し合える関係性。
そうした絆を築き上げてきた人達しか見せられない
本物の笑顔と本当の優しいオーラがある。
あの夫婦が醸し出している表情と雰囲気は
正しくそういうものだと感じられた。
自分は周りの人にとってなくてはならない存在なんだと思える瞬間は
自決を思いとどまれる理由にも密接に繋がっているくらい
人にとって強力な生きる原動力になっている。
だからこそ、自然と本物の笑顔や優しいオーラを生み出せるんだろう。
今回のお話会では仲間や同志、夫、妻、婚約者、恋人といった
真面目に交際している存在がいる方向けの質問をしてきた。
とは言え、これは知人のような表面的な人間関係しか持っていない方や
独身の方、孤独の方にも関係がある話だ。
僕が今回のお話会で選んだテーマ。
それは互いの相反する価値観の対立による摩擦や蟠りが起きた時に、
どうすればお互いがお互いを大事な存在だと認識し合えるような
関係性にする(もしくは戻す)ことができるのか?
このテーマは人付き合い全般を完全に拒絶して生きている人以外は
必ず悶えることになる永遠のテーマだろう。
生まれた時から今この瞬間まで。
人は数多の他人と出会ってきた。
お父さん、お母さんから始まる人との交流。
その交流は次第にお兄さん、お姉さん、弟さん、妹さん、
おじいちゃん、おばあちゃん、親戚へと広がっていく。
やがて外の世界にも広がり、クラスメイト、部活やサークルの先輩・後輩、
恋人、学校の先生、会社の社長、上司、同僚とも繋がる。
場合によっては志や趣味を共にする仲間、ママ友、
それから自分の子供や配偶者といった自身の家庭にまで広がる人もいる。
その中で己の心が自然と本当に大事な人だと
感じられるような人が何人側にいるだろうか?
この問いについて考えた時、
酷く虚しくなる人は非常に多いような気がする。
パートナーシップや人付き合いは自然衝動に身を任せた対話だけでは
間違いなく無関心や破綻に向かうようになっているからだ。
今回のお話会では喧嘩や争いに耐えられない
という意見を話されていた参加者もいた。
また、30代や40代の方で結婚願望がある人達は
傷つきたくないけど、愛は欲しいという人が多いらしい。
だから、パートナーシップを築く道の途中で必ず生じる
対立や摩擦に対する不愉快な印象も
パートナーシップ(結婚、恋人との交際、自分の居場所)を
築けない要因の一つになっている可能性がある。
従って、人間同士の不和と敵意の元凶を解き明かすという作業は
真面目に交際している存在がいる方だけでなく、
パートナーシップを築けていない方にも関係する内容だと感じる。
今回のお話会で自分が選んだテーマは
大半の人達に共通する痛みであるのは間違いないだろう。
だからこそ、今回の学びも待ち切れなかった。
今回のお話会の主な話題はパートナーシップの存在意義について。
やや哲学的な話なので、今回は難解かもしれない。
なぜ人は特定の女の子(女性)や男の子(男性)を好きになるのか?
どうして結婚や同棲といった概念や儀式が存在するのか?
恋愛やパートナーシップは何のために人に用意されているのか?
もちろん、現実世界で・・・という意味。
この質問に対する一般的な回答はたぶん下記のようなもの。
『それは理想の彼女・彼氏と出会って、完璧に理解されて、
愛してもらって、支えてもらうことで、最高の幸せを得るためです!』
しかし・・・。
残念ながら、これは真実ではなく、全くの嘘で、
この世の誰かが勝手に作り上げた迷信。
(子供や10代の方はショックが大きいかも・・・。)
まあ、フィクション作品では真実とも言える・・・かな。
人間同士の交流はパートナーシップの段階が進むと
必ず破壊的且つ冷酷な対話へと移行していくとか、
互いの相反する価値観によるすれ違いが起こると書いたように、
パートナーというのは自分の常識やマナーをどんどん壊す型破りな存在。
※無論、本心を伝えない、自分のごく一部だけしか見せないような
表面的な関係ではそうはならない。
※しかし、その場合はパートナーシップの段階が進まないため、
第4段階のパートナーシップに辿り着くことはできない。
人は今までの人生経験によって無意識に形成された
常識や偏見をたくさん持っていて、その常識や偏見から
多くの価値観や性格を封じ込めている生物。
この自分が抑圧している(禁止している)価値観や性格を
遠慮なしに平気で表現してくるのがパートナー。
例えば、甘えるのが駄目だと思っている人なら、
全然自分の力でやろうとしない依存的な反応をされることが多いとか。
威圧的で批判的な態度を取るのは良くないと感じている人なら、
攻撃的且つ否定的な反応をされることが多いとか。
これは離婚や別居を経験されている人は凄く理解できると思うけど、
パートナー(彼氏、彼女、夫、妻)に対して、
『理解に苦しむんだけど!』
『有り得ない!』
『私(俺)の彼氏・夫(彼女、妻)なのに、何でそんなことすんの!?』
といった想いを感じた回数は数え切れない人が大多数だろう。
自分が表すことを禁じている価値観や性格を
遠慮なしに平気でぶつけてくるということは、
マナー違反をされたようにしか見えないだろうから、そう思うのは自然だ。
ちなみに、パートナーだけでなく、父親、母親、兄弟姉妹、
息子、娘といった家族にも人はそういった感情を
何度も抱くようになっていると感じる。
その原因はお金や時間の使い方だったり、家事のことだったり、
仕事のことだったり、食生活のことだったり、進路のことだったり、
ライフスタイルの違いだったり、様々。
いずれにしても、人と真面目に関わろうとすればするほど、
これでもかというほど自分と真逆の性質と直面することになって、
『とにかくこの人とは合わない!』という状態に至る。
この現象は正に最高・最愛の人だったはずが、
最悪の人として映るようになっていくプロセス。
これが家族に対して憎しみや蟠りを抱いている人が多かったり、
結婚した後にこんなはずではなかったとか、
どうしてこんな人と結婚してしまったんだろうと
後悔して嘆いている方が多い原因なんだろうな。
また、優秀な経営者の方や自営業者の方、個人事業主といった
仕事の能力が高い方の中に仕事中毒のような状態になってしまう
人がいるという事実に対しての理解が深まったような気がする。
仕事が非常にできる有能な人は日々の仕事を通して、
あなたと出会えて良かったとか、あなたは命の恩人ですというような
感謝の言葉と褒め言葉をたくさん受け取れるので、
仕事を快感なものとして思える度合いがかなり高い。
確かに自分と真逆の性質と嫌というほど直面して、
争いや喧嘩ばかりしてるよりは本当にありがとうございますとか、
凄いですねとか、尊敬してますみたいなことを
言われている方が人間は楽だし、嬉しいはずだ。
だから、家に帰って、奥(彼女)さんとか旦那(彼氏)さんとか
子供といった家族と関わることが面倒くさいと思ってしまうんだろうな。
一般的に、家庭=自分の一番の居場所という認識があるが、
いつの間にか自分の一番の居場所が家庭から仕事にすり替わっている
という事実が多くの親子、旦那さん、奥さん、子供の寂しさを
生み出しているのかもしれない。
不倫をする人の気持ちも何となく分かる。
『この人とは全然合わない!』というような怒りと憎しみが爆発して、
最悪の人として映るようになったら、別の人に期待したくなるだろう。
家庭に居場所がない子供とかも部活動や勉強、習い事のような
自分が褒められたり、認められたりする活動に集中している方が
対立や不和ばかりを味わう場所にいるよりは幸せで楽だから、
家族の誰とも繋がろうとしていないんだろうか?
人間同士の不和と敵意の元凶は恋愛やパートナーシップの
存在意義に対する誤解ということになりそうだな。
理想の彼氏や彼女と出会ったり、結婚して家庭を持ったりすれば、
自分の一番の居場所ができて、最高の喜びを手に入れられる
という人が勝手に行っている妄想。
そして、実際にはパートナーや家族は自分の常識やマナーを
どんどん壊す型破りな存在として現れるという現実。
そのギャップが現代の世界に住んでいる人の孤独や寂しさ、
対立、摩擦、蟠りなどを引き起こしているに違いない。
パートナーや家族は真剣に付き合うと、自分が忌み嫌っている
価値観や性格などを遠慮なしに平気でぶつけてくる
マナー違反の常習者に変貌するというシステム。
現実世界の創造主は何て厄介なシステムを構築したんだと
憤らずにはいられない人もたくさんいるだろう。
でも、実はそのシステムの中にパートナーシップの
真の存在意義が隠されている。
今回のお話会では「喧嘩はチャンス」という内容もあったが、
この事実を知れば、互いの相反する価値観による争いや摩擦などは
決してデメリットしかないわけではないということが見えてくる。
(活かし方次第では奇跡的な変化に繋げることも可能。)
最近、このブログでは「心の鎧」という言葉を使っているけれど、
パートナーシップの真の存在意義というのは
正しく心の鎧を外して生きれるように自分を導いてあげること。
言い換えれば、無意識に形成された人生や世の中に対する
偏見と常識からの解放を通して、 自身のあらゆる側面を
一つ一つ統合していく(許していく)ため。
もし自分が表すことや存在自体を禁じている自分と真逆の性質を
受け入れられるようになって、有効利用できるようになるとしたら?
相容れない性格や価値観を発揮して生きている自分の姿を
鮮明に想像することは非常に難しいと思うので、
そこには今まで全く考えられなかった現実と自分が
目の前にあるのは明らかだろう。
何より生きるのが想像を絶するほど楽になる。
これが正しい、これは悪。
これは劣っている、これは優秀。
これは良い、これは駄目。
そういった批評的な態度で世の中を生きていると、
社会に実在する人や出来事の多くが敵に見えてしまう。
そうすると心休まる時間と場所が少なくなってしまうので、
日々の時間の流れの中でなかなか安らぎを見出せない。
逆に自身のあらゆる側面を一つ一つ統合して(許して)、
世の中の様々な価値観や性格の存在を認められるようになると、
社会にある価値観や人間性を自然と微笑ましいものとして
認識できる範囲と度合いが深くなるため、
社会に実在する人や出来事の多くが味方として映るようになる。
こうなると生きることによる心身の疲弊は物凄く減るだろう。
社会にある価値観や人間性を自然と微笑ましいもの(味方)として
認識できる範囲と度合いが深くなっている状態。
これをニュートラルな視点と呼んでいるんだけど、
この敵、正義、悪、良い、優劣に囚われないニュートラルな視点で
人間や物事を見れるようになる人が増えれば、
この世界は本当に平和になるだろうし、
人も凄く楽に満たされながら生きれるような気がする。
お話会の主催者である夫婦の表情や雰囲気は殺伐とした感じが
本当に少ないため、初めて会った時からとても気に入っていたが、
お二人の様子はそういう平和や人の生き様の縮図と言えるかもしれない。
ちなみに、以前ブログに書いた、パートナーシップを本当に深めていくと
経済的な豊かさや仕事の成果にも恵まれやすくなるという現象の
主な原因が、このニュートラルな視点ということになる。
パートナーシップを本当に深めている人は
ニュートラルな視点で物事を見れる程度が非常に高く、
多くのタイプの人間性を自然と受け入れることができる
非常に大きな器を持っている。
そのため、周りから一緒に仕事がしたい、仕事をお願いしたい、
一緒にいたい、支持したいといった自分(達)のところに
人が集まりやすくなるような人格に成長していることが多く、
それが結果的に仕事の成果や収入の豊かさに繋がる。
それだけでなく、社会に実在する人や出来事の多くが
味方として映ることによる安らぎと平和。
自分や他人、世の中にある様々な価値観や性格の存在を
許し合い、歓迎し合って、活かし合える受容的な雰囲気。
その受容的な雰囲気による濃い信頼関係や深い愛のある関係性。
濃い信頼関係や深い愛から生まれる本当の笑顔と優しさ。
敵、正義、悪、良い、優劣に囚われない自由な感性と生き方。
相容れなかった性格や価値観を発揮することによる
全く想像できないような現実と自分を生きれるドラマティックな人生。
そういった全ての人が自分の人生を生きる上で
あったら良いなと考えているものの多くを
第4段階のパートナーシップでは経験できるんだろうな。
確かに第4段階のパートナーシップに辿り着ければ、
素晴らしい奇跡を享受できそうだ。
でも、もしかしたら、この事実を知ると、
以下のような想いを持つ人がいるかもしれない。
パートナーシップは完璧に理解されたり、愛してもらったり、
支えてもらったりするために存在しているわけではないのなら、
受け入れて欲しいとか、愛して欲しいという欲求を持ってはいけないのか?
そして、互いの相反する価値観による対立が生じた時に、
純粋にお互いがお互いを大事な存在だと認識し合えるような
時間を過ごすこと自体はできないのか?
この問いに対しては決してそんなことはない。
なぜなら、実は相容れない価値観を持っているように見えたとしても、
パートナーや家族は心の深層部分では自分と同じ傷を抱えている
自分の分身と言えるような存在だから。
つまり、人は自分と同じ癒しのニーズを抱え続けている相手を
自分のパートナーや家族(両親、兄弟姉妹、息子、娘)として
選択するように作られているということ。
※この理由を誰もが納得できるような公的な形で証明することは
難しいため、理由の解説に関しては省略。
人は自分と同じ境遇の存在には自然と手を差し伸べられるから、
お互いが同じ痛みと癒しのニーズを背負っているということを
認識し合えるような対話をすることができれば、
相手と打ち解けることは十分可能だ。
ただし、こういう対話はお互いが真剣に内省する必要がある
相当ハイレベルなコミュニケーションだと思うので、
現場でのトレーニングと振り返りを何度も繰り返した結果、
初めてできるようになるものだと感じる。
従って、知識や答えをいくら学んでも、
それだけでは大して効果がないため、
このハイレベルな対話に関する詳しい説明も割愛。
(重要なのはトレーニング)
まとめると、パートナーや家族、もしくは縁があって時間を
共有し続けることになった人と、相反する価値観や
譲れない想いによって対立した時のポイントは・・・。
無意識に形成された常識や偏見によって封じ込めている
価値観や性格を一つ一つ統合していく(許していく)こと。
お互いが同じ痛みと癒しのニーズを背負っている
ということを認識し合えるような対話をすること。
お話会の主催者である夫婦から受けた影響によって
良い感じで力が抜けてきたとか、より心が開いてきたと
言われるようになったけれど、あの夫婦の生き方や様子が
既に自分の心身に伝染しているみたいだな。
悪くない。
この調子だ。
見本を見れたり、体感したりすることができたから、
本物の第4段階のパートナーシップを築けるという
イメージを思い描けるようになってきた。
それにパートナーシップのエッセンスについて学んでいるおかげで
パートナーシップの第2段階である権力闘争期や、
パートナーシップの第3段階であるデッドゾーン期で
起こる現象が引き起こすパートナーシップを
築くことへの抵抗感も大分和らいできた。
第4段階のパートナーシップという領域に行くための
心構えやコツを少しずつ吸収できているし、
人間同士の摩擦や対立に対する見方が変わったからだ。
そのおかげで自分の告白が実る、もしくは告白を受けることになって、
いつかパートナーシップを築ける機会が生じたら、
今度はパートナーシップに踏み切っても良いと思えている自分がいる。
これはかなりの衝撃だ。
正に人生観が大きく変化した瞬間。
このお話会に参加する前までは正直なところ、
濃い信頼関係や深い愛のあるパートナーシップを
築く道に入る気には全くなれなかった。
手を繋げられるような異性と関わっていたこともあったし、
告白をされたこともあったし、告白が実らなかったことも当然あった(笑)が、
見事に無意識に拒否していたのは間違いないな。
権力闘争期やデッドゾーン期に対しての対処法が全く分からず、
人間同士の摩擦や対立を悪としか見做せない状態では、
パートナーシップを築くことに対して不快な印象を持つのは当然だ。
そういう価値観を持っている時はパートナーシップという分野では
バットエンド以外の結末の可能性が見えないだろう。
一般的な恋愛やパートナーシップの構図や法則は
前回や前々回の記事で書いた通り、下記のような流れだ。
①ロマンス期(表面的な関係、表面的な愛)
②権力闘争期(対立、摩擦)
③デッドゾーン期(無関心)
④離婚、お別れ、不倫、絶交、別居、冷え切った間柄など(破綻)
この構図や法則に逆らって、その支配から抜けることは非常に難しい。
なぜなら、第4段階のパートナーシップに入るための
特殊な知恵やトレーニングが必要不可欠であり、
尚且つその知恵やトレーニングは一般の家庭や学校、
会社などでは教わることができないからだ。
第4段階のパートナーシップに入るためのルートを知らなければ、
絶望や破滅に向かっていくようにしか見えないので、
パートナーシップ=災いという信念や価値観を抱いてしまうのは無理もない。
パートナーシップに対する印象を好ましい方向に
改めてくれた人達と出会えて本当に良かったな。
パートナーシップを極め続けている夫婦は他にもいるだろうか?
もっと探して、そういう夫婦と関われる機会を増やすべきだ。
けど、また見つけられるのか?
そもそも現代では第4段階のパートナーシップを築けている
夫婦やカップルは極めて少数派というのが実情だ。
パートナーシップを極め続けているカップルについての情報を探しても、
そのような夫婦やカップルとの繋がりがありそうな方に、
もし知っていたら、教えて下さいというようなことを伝えても、
なかなか手掛かりが得られない。
どこにいる?
どこに向かっている?
何を心に描いて、何に取り組んでいる?
やはり自身の人生観をその質問から推測できる基準と世界観に
意識的に上手く合致させていくしかないか。
人は同じ人生観を持つ者同士でコミュニティを築く性質を
持っている以上、特定の人物と接触できないのは
自分の人生観が大きくずれているという理由に他ならない。
パートナーシップを深め続けている人達は
本物の笑顔と優しさが滲み出ているような人格を備えている。
だとしたら、自分の人格自体を再度改める必要があるだろう。
人格革新・・・か。
それ自体はこれまでも取り組んできたこと。
もはや全然特別なことだとは思わない。
そして、今度の人格革新は・・・。
いつか必ず向き合うことになると確信していた。
遂にその時が来たんだ。
でも、本当にやれるか?
この課題。
心の鎧を外すこと。
心の鎧をつけることを全く意識しなくなる世界に移ること。
それは自分にとっては今までの中で
最も恐怖と不快感を感じるものだ。
どうしようもなく怖い。
当たり前か。
自分なんて受け入れてもらえるはずがない。
自分なんか愛されるわけがない。
自分を歓迎してくれる人なんてどこにもいない。
自分が生き続けることを望んでいる人は誰もいない。
前回の記事に書いた、そうした感情を再び思い出して
感じる場面がたくさん訪れる道でもあるのだから。
あっ、涙が出た。
はは、一人で過ごしている時は随分素直なことで。
自分との対話力は相当高くなったみたいだな。
この感情は昔に味わった感情と同じものか。
確かに心の鎧を外せている状態で在りながら
他人と繋がれた時の感動と安らぎは、それ一つで現実世界に
居続ける原動力になるというのは分かるような気がする。
他人と対話する時はなかなか真実の感情状態に至ることができないけど。
無意識に形成された常識や偏見によって封じ込められている
価値観や性格を一つ一つ統合していくことが鍵なのは理解している。
それに今のところは実践していく意志と勇気もある。
こうした猛烈な恐怖と憧れが混ざった領域にこそ、
自分の人生にとって最も大切な経験の一つが
存在しているというのも熟知しているつもりだ。
それでも今度ばかりは自信がない。
向き合うべきタイミングが来た今なら、
そう簡単には挫折しないと思うが、
いつか心が折れてしまうかもしれない。
本物の笑顔と優しさが滲み出ているような人格ねぇ・・・。
自分の人格とは全く釣り合わない人間性じゃないか。
他人に対して心からの笑顔や本物の優しいオーラを
発したことなんて今まで一度もなかった。
記憶にないどこかではあったのかもしれないけど・・・。
そう言えば、人を憎しみと絶望に追い込んでしまった経験があったな。
優しい人とか、格好良い生き方をしているとか、出会えて良かった
みたいな壮大なフィードバックを受け取ったこともあったが、
それにはずっと強い違和感を覚えていた。
分かっていたんだ。
自分のごく一部だけを体感して口にした感想だということを。
前回の記事を投稿した時に嬉しいメッセージを送ってくれた方がいたけど、
その時もこの違和感のようなものを感じた。
そう。
自分の総合的な実情や人格は全然違うんだ。
(これは他者にも当てはまることだろう。)
常に輝いている自分で在り続けられるように仕向けていたということは、
それ以外の部分を全然知られないまま判断されていたに違いない。
だから、他人と打ち解けられている実感や
他人と繋がっている感覚をしっかり得られたことがない。
自分の存在自体への自信を完全に取り戻せている実感がない。
これから今まで見られないようにしてきた部分を
たくさん知られていくんだろうけど・・・。
絶対に自分の情けなさや惨めさと直面する回数が増えて、
泣きたくなるような気持ちに至ることが増えそうだな・・・。
だからと言って、自分で自分の命を責めたり、
否定したりするつもりは毛頭ないけれど。
ただ、他人が自分をどう判断するかは、また別の話だ。
まあ、それでも構わないか。
無意識に形成された常識や偏見によって抑圧されている
価値観や性格を一つ一つ統合して(許して)、心の鎧を外して生きれるように
自分を導いてあげることがパートナーシップの存在意義なのだから。
この作業に取り組んでいけば、いつか辿り着ける。
自分は生き続けることを望まれているという実感を心から得られる世界に。
パートナーシップを極め続けているカップルや夫婦が増えれば、
きっと誰もが自分は生きていること自体を望まれているという
人生を生きれるような世界観が広がっていくだろう。
そいつは良いな。
早く住みたいと本当に感じられる場所だ。
それを考えるとパートナーシップを極め続けることや、
パートナーシップのエッセンスを他者に発信できるような人間になることを
自分の人生の目標の一つとして持って生きるのは悪くない。
これを経験しなければ、死んでも死に切れないというような未練や悔いは
残っていないから、この世界に居続けたい理由は特にないが、
『敢えて一つ心残りを挙げるとしたら?』と質問されれば、
確実にパートナーシップと答えるだろうし。
間違いなく人生の中で最も痛い目に遭うプロセスだと思うけど・・・ね。
恐らくパートナーシップを深め続けるという作業は
人生で最難関と言っても過言ではないような課題だ。
どこまでやれるだろうか?
未来の自分のビジョンに繋げることができるだろうか?
今は昔よりは遥かに向き合えるようになっているはずだ。
だから、もう後戻りはしない。
このまま進もう。
あっ、ちなみに、今はこんなこともやっています。
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興味があれば、覗いてみて下さい。


