対話の起点と終着点 | Eden

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時に理不尽でも尊いもの、それが人生。

命にとっての世界を生きていく源を湧き起こしてあげられるような存在として在ることを心掛けています。

先日、引き続きパートナーシップをテーマにしたお話会に参加。




このお話会は主催する夫婦に時間の許す限り


男女のパートナーシップに関する想いや質問をぶつけられる時間。




今回はパートナーシップという分野で人が必ず


抱えることになる悩みについて談笑してきた。




恐らくパートナーシップという分野の悩みは


離婚やお別れを除くと大きく分けて二つに集約される。




一つはどうすれば心から両想いになれる人と出会って、


お付き合いを始めることができるのか?




もう一つは夫、妻、婚約者、恋人といった交際相手と過ごす時間を、


どうすればお互いがお互いにとって一番大切な存在であるということを


本当に実感できるような時間にすることができるのか?




前者が独身の方(交際相手がいない方)のケースで、


後者が既婚者の方や交際相手がいる方のケース。




男女のパートナーシップではなく、友情という分野なら、


一つはどうすれば自分の居場所だと心から思える人達と出会えるのか?




もう一つはどうすれば、そのような人達とお互いがお互いにとって


自分の居場所であるということを本当に実感できるような


強固な信頼関係を築くことができるのか?




前者が孤独の方や知人のような表面的な人間関係しかない方のケースで、


後者が仲間や同志のような存在がいる方のケース。




僕も学びを深めたいと思っていたし、皆が関心を持つテーマだろうから、


今回のお話会では上記のような人がパートナーシップという分野で


必ず苛まれることになるテーマに関する想いや質問を主催者にぶつけた。




その結果分かったことは非常に衝撃的且つ興味深いものだった。




まずは独身の方(交際相手がいない方)、孤独の方、


知人のような表面的な人間関係しかない方のケースについて。




・結婚したい


・彼氏や彼女が欲しい


・自分の居場所を見つけたい


・本物の友情を築きたい


・家族と和解したい




そういったことを考えているにも拘わらず、


濃い信頼関係や深い愛のある関係を築く道に入れない主な原因。




それは異性にもてる素質、お洒落、魅力、収入、コミュニケーション能力、


男性性、女性性等が皆無もしくは不足しているから・・・ではないと感じる。




もちろん、原因の一つになっている場合もあるとは思うけど、


最大の原因は自分を曝け出すことに対して物凄く不快な印象を持っていること。 




より正確に言うなら、自分を曝け出すことによって起こり得る痛み、不快感、


恐怖などを味わいたくないという想いが優先的になっていることが最大の原因。




数学の不等式で表すと下記のようになる。


自分を曝け出すことの不快感を避けたい>深い信頼や愛のある関係を築きたい




・好きな人にとって一番大事な存在であることを実感したい


・周りの人にとってなくてはならない存在であることを実感したい


・この世界で生きていることを心から望まれている存在であることを実感したい




表面上はそう思っていても、心の奥底では結婚をする気も、


彼氏や彼女を作る気も、自分の居場所を探す気も、家族と和解する気も、


本物の友達を得る気もないという状態なので、


濃い信頼関係や深い愛のある関係を築く道に入れない。  




自分は大切な存在であるということを本当に実感できる時間。


自分の居場所だと心から感じられる時間。




その領域に行くには当然自身の様々な側面を見せることは必要不可欠。




なぜなら、人間は仮面を被った状態では


人との繋がりを感じられない生物だから。




人は自身の信念や価値観、世界観に対する


理解と支持を得られた時に繋がりを感じる生物だ。




そういう時に人は受け入れられた、歓迎されたという感覚を覚える。




自分を曝け出すことの不快感を避けたいという想いを優先している人は


自身のあらゆる側面が明らかになったり、見られたりする機会を無意識に


避けたいと考えているので、濃い信頼関係や深い愛のある関係を


築く道に入らないように心掛けているんだろうな。




実際、このお話会の主催者の方々によると、


パートナーシップのエッセンスに向き合うイベントや機会は


億劫になる人やキャンセルする人が多く、自分の中にある


真実の感情や想いと無意識に直面しないようにしている人は多いらしい。




こういった人はどうせ誰にも分かってもらえない、


何をやったところで愛されないと強烈に思い込んでしまうような


非常に過酷且つ冷酷な対応を受け続けてきたという


辛辣な人生経験を抱えているに違いない。




自分の話を最後までちゃんと聴いてもらえた経験すらない人も多そうだ。




いつからだと思う?




自分なんて受け入れてもらえるはずがない。


自分なんか愛されるわけがない。


自分を歓迎してくれる人なんてどこにもいない。


自分が生き続けることを望んでいる人は誰もいない。




そう信じるようになったのは。




遠い日のこと?


物心が付いた頃?


思春期の頃?


それとも今?




うん。




なるほど。




そうか。




それでずっと防衛的な姿勢を持って生きるようになったのか。


常に輝いている自分で在り続けられるように一途に生きていた時期があったのか。




確かに辛い。




自分を表すのは。


自分自身を明らかにするのは。




いつか信じるようになったこと。


いつかもう二度と味わいたくないと決めたこと。




受け入れてもらえるはずがない。


愛されるわけがない。


自分を歓迎してくれる人なんてどこにもいない。


誰も自分が生き続けることを望んでいない。




そんな感情と再び対峙することになる可能性があるのだから。




気持ちは分かる。


心の鎧をつけてしまうのは無理もない。




だけど、それって本当に本望?




違うよな。


そうじゃない。




最後の夢が終わる前までの自分よりも遥かに正確に


自分との対話をやれるようになった今ならはっきりと分かる。




人は必ず自分の味方になってくれる存在だと信じられる人生。


人は絶対に自分の味方にならない存在だと敵意を向け続ける人生。




両者の自分の存在や人生に対する納得感は段違いだ。




どちらが自分の本望なのか。


そんなことは言うまでもない。




だったら、踏み出さないとな。




本物の第4段階のパートナーシップを築くための最初のステップは


自分を曝け出すことに関するイメージや印象を好ましいものに改めること。 




言い換えれば、自分のあらゆる側面を知られることや


見せることへの抵抗感と恐怖を解消すること。




個人的には、この課題さえクリアできれば、パートナーシップを


築く道に入るのはそんなに難しくないという印象がある。




もちろん、人間関係はお互いが魅力を感じ合うことによって生じるので、


内面的魅力(人間としての成長)と外面的魅力(お洒落)を高めることに


一切エネルギーを使っていない場合は片想いや


振られるという事態に至る可能性が高くなると思うけど。




ここからは仲間や同志のような存在がいる方、既婚者の方、


交際相手がいる方のケースにも密接に関連する話。




できるだけ第4段階のパートナーシップの基準を吸収するために、


僕はお話会が終わった後も限界までその場に残っていた。




その時に主催者の一人から昔は女なんてどうせ信頼できないと思っていたけど、


妻が受け入れてくれたという体験を積み重ねることができたおかけで、


その傷が癒えたみたいな話を聴かせてもらった。




自分を曝け出すことに関する不快なイメージや印象を完全に改めるには、


やはり心の鎧は要らないということを心から実感できるような時間を


繰り返し経験できるように勇気を出して人に踏み込むしかなさそうだ。   




そのための最も基本的な鍵は対話の起点と終着点を見直すこと。   




自分の正しさを証明することで相手を打ち負かし、優位に立つ。  




どうせ誰にも分かってもらえない、どうせ自分は誰からも愛されない


という恨みを晴らすために意図的に相手の足を引っ張ったり、


相手を冷たくあしらったりする。   




第二段階のパートナーシップである権力闘争期や、


第三段階のパートナーシップであるデッドゾーン期にいる時、


それから自分を曝け出すことに対して不快な印象を持っている方は、


人と本音で対話をする時に、ついつい上記のような想いから


対話をスタートさせて、その想いを対話の目的にしてしまうことが多い。   




第一段階のパートナーシップでいくら仲が良かったとしても。


第一段階のパートナーシップでどんなに熱烈に愛し合っていたとしても。




人間同士の交流はパートナーシップの段階が進むと


必ず破壊的且つ冷酷な対話へと移行していく。




この心理傾向の影響を全く受けない人は


残念ながら現実世界には存在しない。




もし上記のような想いを対話の起点と終着点にして、


コミュニケーションを取り続けてしまったら・・・。 




結果は言うまでもなく、ストレスだらけの地獄。




打ちのめされたり、足を引っ張られたり、冷たくあしらわれたりして、


満たされる人はいないからだ。  




その果てにあるものは離婚、お別れ、不倫、絶交、冷え切った間柄、


私は一人で平気、私は一人で生きていくと強がる未来であるのは間違いない。 




きっとこれが極限までエスカレートしてしまったものが


テロや戦争、民族紛争なんだろうな。  




誰かと付き合い始めた時や新婚の時はお互いが愛し愛されていることを


心から実感できるような関係性や時間を築いていこうという想いが


対話の起点であり、また対話の終着点でもある。




しかし、人はいつの間にかそれをすっかり忘れてしまう生物なので、


頻繁に人間関係の原点に立ち返ることは凄く大事なことかもしれない。   




自分は元々何のために人間関係を築こうとした?  


自分は元々何のために自分の居場所を求めた?  


自分は元々何のために付き合った?  


自分は元々何のために結婚した?   




まあ、玉の輿を手に入れるためとか、利害関係が一致したからという理由で


人間関係が発生する場合もあると思うので、一概には言えないけど、


やはり人間関係を築こうとする根源的な理由はお互いが愛し愛されていることを


心から実感できるような関係性や時間を築きたい・・・のはずだ。   




この人間関係を築こうとする根源的な理由を対話の起点と終着点に


することを心掛けて、コミュニケーションを取ろうとすれば、


確かにしっかりと人と繋がれる可能性が高まるだろう。  




この姿勢で対話をする時は、


『君(お前、あなた)との絆を深めたいから、


純粋に君(お前、あなた)のことをもっと知りたいんだけど、


もし良かったら君(お前、あなた)のことをもっと教えてくれない?』




そういった非常に誠実な対応をお互いが行えるようになるからだ。




人間は自分の良き理解者に対して好意を持つように設定されているので、


自分のことを真面目にもっと知ろうとする、聴こうとする


心意気がある相手を冷酷に扱うのは非常に難しい。




こうなったら、摩擦や蟠りは激減すると感じる。




もっとも、絶対に一人で生きていくと決めている場合や


一方的に心を閉ざしている場合は


いくら誠実な対応をしても全く効果がないと思うけど・・・。  




お互いが愛し愛されていることを心から実感できるような


関係性や時間を築きたいという想いを対話の起点と終着点にするというのは


人と関わる時に最も大切なエッセンスと言えるかもしれない。  




この家庭を家族皆が早く帰りたいと思えるような


家族の一番の居場所にしたい。




このクラスをクラスメイト全員が毎日喜んで


登校したいと思えるような居場所にしたい。




このサークル活動、部活動を部員全員が毎日夜遅くまで


取り組みたいと感じられるような環境にしたい。




この会社、NPO団体をメンバー全員が毎日喜んで


働きたいと思えるような環境にしたい。




交際相手と過ごす時間をお互いがお互いにとって一番大切な


存在であるということを本当に実感できるような時間にしたい。




可能な限りこのような想いを対話の起点と終着点にして、


相手とコミュニケーションを取れば良いのか。




対話の起点と終着点を愛し愛されることにしようと決めたら、


権力闘争期とデッドゾーン期の恐怖や不快感も大分和らいだような


感覚が出てきたから、今回はとても勇気付けられたな。  




もっと深く学んで、本物の第4段階のパートナーシップを


築く道に必ず挑戦しよう。




あっ、ちなみに、今はこんなこともやっています。

http://ameblo.jp/refrain-against/

https://its-a-wonderful-life.themedia.jp/

https://darkness-of-the-mind.themedia.jp




興味があれば、覗いてみて下さい。