約2年前の最後の夢の後から
全く手を付けていなかったこのブログ。
このブログにはもう二度と文章を書くことはないだろうと
思っていたし、ずっと消そうと思っていた。
でも、色々な経緯があって
今日から再び始めることになりました。
と言っても、このブログを書いていた主な目的は
誰かに見てもらうことではなかったので、このブログを
真面目に見ていた人なんてほとんどいないと思うけど。
不思議な気分だ。
このブログを書いていた存在と
現在このブログを書いている存在は
完全に別人のような感じがある。
人格も。
世界に対する見方も。
感覚も。
口調も。
雰囲気も。
生きるリズムも。
かつての自分のものとは明らかに違う。
記憶と名前だけを受け継いだ新しい命、別の存在。
それが今の自分。
だから、このブログを書くこと自体にかなり違和感を覚える。
本当はこのブログを削除するつもりだったので、
新しいブログで個人的な事柄を書き始める予定だった。
けど、過去をできるだけ正確に振り返らなければならない時が
いつか来るので、参考資料としてこのブログを残すことになり、
このブログで個人的な事柄を書き続けることにした。
それにしても当時このブログを一生懸命書いていた
存在には申し訳ないけど、過去の記録を見ていると
恥ずかしいし、気持ち悪いな。
自分の中にある価値感や考え、信念、性格などは
過去の経験の影響によって無意識に作られていることが
多いので、そのほとんどは元々の自分とは関係がない。
今までの人格が完全に消滅して別人格のように
なればなるほど、そのことを痛感する。
恐らく、今の自分が思っていることや
考えていることの大半も一時的なもので、
本来の自分の思想とは関係がない可能性が高い。
と言うことは、自分の想いのほとんどは
偽りと言えるのかもしれない。
自分の記憶を取り戻して、自分の運命を思い出し、
その運命を生きて自己や過去を統合すれば、
再びそれまでの人格は消滅して別人格のような存在に変わる。
だとすれば、自分とは一体何なのか?
そんな考えが自然と浮かぶ。
もうあの最後の夢の後から約2年が経つのか。
だけど、この世界に居続けたい理由が
ないという状況は相変わらずだ。
未練や悔いが全くないような状態だから、
やはりこの世界で絶対的に経験したいことは特にない。
とはいえ、生きることが不本意だとしても、
生きることを選択しなければならないのであれば、
やはりベストに向かって生きていきたい。
約2年前のまさにクライマックスと言えるような時間を
今後も経験できるようにしたい。
まだ回収していない過去の伏線経験はたくさんあるから、
これからはその伏線経験が順番に起こるんだろう。
そのことについて考えたり、イメージしたり、実際に伏線経験の
現実化を目指して前進したりすると、最高クラスの爽やかな
情熱や安らぎ、幸せなどを味わうことができるけど・・・。
同時にまた様々な試練や障害と直面することを
避けられないということを考えると、やっぱり約2年前の
最後の夢の後に自分の人生が終わって欲しかったなと感じる。
でも、痛みを伴うことなく成仏をするなんてことはできない。
約2年前の最後の夢の時のクライマックスを超えた
山場のような瞬間を味わえる時は来るんだろうか?
もし自分の記憶の中にある伏線経験が実際に具現化すれば、
それは起こり得る現象だと思う。
すぐに生じる事象ではないのが残念だけど。
まだ回収していない伏線経験がたくさんあるということは、
この魂を持った自分の人生はまだまだ続くんだろうか?
約2年前の最後の夢の時に自分の人生は綺麗に完結した
という印象があり、今は後日談を生きているような感覚だ。
けど、「まだ終わらないよ~。」みたいなことを
言われたことがあるので、終わりそうもないな・・・。
痛みを伴わない成仏ができないのであれば、せめて全く
何もしなくても、自分の存在や自分が生きていること自体を
純粋に歓迎してくれる人達と誰にも知られることなく、
穏やかに平和に暮らし続けられるようにして欲しいところだが・・・。
それもあまり現実的ではない・・・か。
やはり自分の運命を最後まで生きるという
選択肢しかないような気がする。
力が完全に抜けた影響と未練や悔いが無くなった影響により
頑張れる理由を失った今、億劫になることも多々あるけれど、
自然なインスピレーションを形にするためなら、心を込めて取り組める。
鍵はこの中にあるに違いない。
自信を持って進み続けよう。
あっ、ちなみに、今はこんなこともやっています。
http://ameblo.jp/refrain-against/
興味があれば、覗いてみて下さい。