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海と山、時々きもの

ダイビング記録+きもの試行錯誤の覚書。…だったはずなのに最近は山歩きの記録簿と化しつつある。
23年秋から山のない国に滞在中のため山歩き頻度は低下中。

 
タイトルは迷った結果こうなったけど、私のような登山初心者のピヨピヨヘタレチキンがたった2回スイスの山に行っただけで偉そうに「スイスの山は…」などと語れる/語る資格があるとは思っていない。
 
ただ、去年の7月と8月スイスに行く前に、自分が「私のような若葉マークのヘタレに一人でスイスの雪山が登れるのだろうか」とめちゃめちゃ不安で色々調べたりしたので、もし今後一人で登りたい人がいればちょっとでも日本語の情報として参考になれば、と思って個人的な感想をおいておく。
 
 
改めて書いておくと、去年の7月と8月、自分が登った山は以下の通り。
 
①メンヒ(7月)
②ブライトホルン通常ルート(8月)
③アラリンホルン(8月)
④デュフールシュピッツェ(8月)
 
これも改めて書いておくと、登頂できたのは②と③のみ。
①のメンヒは頂上手前のリッジで足が竦んで引き返し下山時プチ滑落してたぶん右手の小指の腱を切っている。
④のデュフールシュピッツェは体力不足技量不足でそもそも足もとにもたどり着けていない。
という結果に終わっている。
 
出発前に自分が一番不安だったのは「一人でスイスの雪山を登れるのだろうか?」という事だった。
 
日本では一人で雪山行ったりしているけど、地形とか雪質とかうまく言えないけど登り方の常識とか、そういうものが日本に比べてスイスでは難しかったりしないだろうか、という不安。
 
4つ登って(登ろうとして)みて思った感想としては、
 
山による
 
というもの。身もふたもないけど。
 
例えば、ブライトホルン通常ルートであれば、天気が良くて視界が良好でトレースがばっちりついている、という前提であれば、一人でも問題ないのではないか、と思う(あくまで個人の感想)。
 
技術的に難しい所も危ない所も全くなく、人が多いからトレースもがっちりついているし、単に歩いていれば頂上に着く。
 
メンヒも、岩登り技術と雪山の歩行技術があり懸垂下降ができれば一人で登ることは可能だと思う。
 
ただ、高所恐怖症の人であれば私のように頂上手前のリッジでは足が竦むだろうし、岩登り技術がきちんとない人は私のように下山時に滑落して指の腱が逝かれる可能性は十二分にある。
 
 
デュフールシュピッツェに関しては、一人は結構リスクが高い、と思った。
 
日本の雪山になくてスイスの雪山にある固有のリスクとして、氷河歩きがあると思う。
今回初めて氷河というものをまともに歩いて思ったのは、
 
氷河を一人で歩くのは結構リスキーである
 
ということ。
(一応シャモニーの雪山教室の時に氷河はちょっとだけ歩いたけどちょっとだけ過ぎて記憶から飛んでいた)
 
私の事前の想像力が欠如していたんだけど、氷河というものの表面は、本当に「氷」であって、私が思っていたのより数倍固くアイゼンが刺さりにくい。雪面にアイゼンを蹴りこむのとは違う。
 
そしてこれも私の想像力が欠如していたんだけど、当たり前に常にまっ平なんてことはなく、斜めっている(そして斜めの先はクレバス)所もたくさんある。
 
ブライトホルンの記録を書いた時、「万一隠れクレバスに落ちても這い上がれるようにアイゼンを装着~云々」と書いてたけど、実際ローテンボーデンからモンテローザ小屋への道で氷河を歩いて思ったのは、
 
クレバスに滑り落ちたらたぶん途中でアイゼン蹴り入れてorピッケル刺して止まるとか無理なのでは?
 
ということ。
 
それくらい表面が固い。
 
しかもローテンボーデンからモンテローザ小屋までは朝だし目印のポールもあるしでまだましだけど、モンテローザ小屋からデュフールシュピッツェに向かう時は真っ暗な中で標識もない氷河を通過する必要がある。
 
もしここでクレバスに落ちたら終わる気がする。
 
実際に私が行った翌週、同じ場所か近い場所でポーランド人のソロハイカーがクレバスに転落して亡くなっている。
 
これは事故のニュース
 
記事には「モンテローザ氷河」とある。
モンテローザ氷河は広いので私がたどり着けなかったもっと上の方なのかもしれないけど、とりあえずこの氷河のどこかのクレバスに落ちたらしい。
午後に通りがかったパーティが助けを求める声を聴いて救助を呼んだとのことなので即死ではなかったけど、運ばれた後怪我が元で病院で亡くなったとのこと。
 
このケースでは声は届いたけど、もし届かなかったらたぶんずっとクレバスの中に落ちたままなんだろうなと思う。
一人で登るとそういう、落ちても誰にも気づかれないリスクがある。
勿論2人パーティで2人ともクレバスに落ちることあると思うけど(実際にそういう救助映像も見た)、ロープで確保して適切な距離を保って歩いていれば、クレバスに落ちるリスクは一人よりも格段に低くなると思う。
 
このデュフールへの旅の途中で出会ったドイツ人や最後の夜に泊まったツェルマットのホテルの人も私が一人だと聞くと口を揃えて
 
「一人は氷河歩きが怖い。クレヴァスが怖い」
 
と言っていた。
それはほんとにその通りだと、今回身をもって体験した。
 
ゴルナグラート氷河やモンテローザ氷河みたいにクレバスが見えているところもあるけど、氷河が終わったと思っても歩いている下にはたぶん見えない穴が至る所にあるんだろうな、というのは感じた。
 
トレースの脇にいきなりこんな穴が開いていたりする。写真ではうまく伝わらないけどたぶん私の身長(168㎝)より深い穴。
 
 
で、こういう氷河がない山であれば一人で行けるんじゃないかな、とも思うけど、それも今回結構怖いな、というのはアラリンホルンで思った。
(スイス山岳クラブの地図で見る限り、アラリンホルン周辺に氷河はあるけど一般登山ルートは氷河から外れているように見える)
 
こういう段差はこの日はしっかりしているように見えたけど、もしこの橋が崩れたら勿論下に落ちる。
2人以上で確保した状態であればいいけど一人ならフリーフォール。
 
あと、登山ルートはブライトホルン一般ルートなみに踏み固められていたけどトレースのすぐ脇に深い穴(これも私の身長以上)が空いていたりもする。
 
後、ちょっとルートからはずれるとこういう深いクレバスがあったりする。
 
なので、地図でルート上に「氷河」と明確に名のつく場所がなくても、氷河地帯近辺なのであればこういう深い穴はあるし、トレースや視界が明瞭でなく人がいないときにそういう所で穴に落ちれば結構な確率で終わるのではないかな、と思った。
 
あと、今回反省として一人で登る場合に備えてやっとけばよかったな、と思ったのは、
 
①紙の地図を読むスキルを養うか②スイス版yamapかyamarecoをDLしておくこと。
 
…まぁこのどちらもなしにデュフールに挑戦しようと思った私は今となっては無謀だったなと思う。
一応SACからダウンロードした地図とコンパスは持っていったけど、
 
読むスキルがなかったらそれは持ってないのと一緒
 
なんだよな。当たり前だけど。。。
一応ちょっと勉強していったつもりだったけど当たり前に現地では何の役にもたたなかった。
暗い中で左に紙地図とコンパスを、右手には携帯のGPSを握りしめて首を傾げているだけに終わった気がする。
 
この点がもう少しましだったら氷河であんなに迷う事はなかった気がするし、変な所に迷いこんでクレバスに転がり落ちなかった私はラッキーだった。
 
スイス版というかヨーロッパ版yamapかyamarecoってあるのかな。
たぶんあると思うんだよな。シャモニーの雪山教室の時参加者がそれっぽいのを開いていた気がするので。
 
氷河は毎年移動するし地図に氷河の場所までどれくらい正確に書いているのかわからないけど、私のようにyamapに依存しきった奴がいきなり紙の地図なんて読めるわけもないんだから、事前にちゃんとリサーチしてアプリをDLしていくべきだったと思う。これは今回かなりの反省点。
 
纏めると、今回のスイス山行前の自分の不安「一人でスイスの雪山に登れるのだろうか」という疑問に答えると、
 
「技術的に一人でも登れる山はある」
「氷河地帯にある山に登る場合に深い穴(クレバス)に落ちるリスクがあり、クレバスに落ちた場合、一人で這いあがる事はたぶん不可能
「紙の地図を読むスキルあるいはスイス版登山アプリは必須」
 
 
だろうか。
 
今回2回スイスに行って、7月の山旅では自分の未熟さを、8月の山旅では氷河の怖さを思い知った。
 
しかしじゃあ次はガイドツアーか複数で行くかというと。。。たぶん次も一人で行くと思う。
 
私のようなピヨピヨチキンが何を偉そうに、と思われるかもしれないけど、欧州に来てからガイド登山か雪山教室ばかりで今回のスイス旅で久々に一人登山をして、やっぱり一人の気楽さは何ものにも代えがたいと思った。
3月に予約している山旅は一人で行ったら確実に死ぬのでガイド登山にしたけど、そういう所以外は一人で行きたい。
 
たぶん私は今年夏には日本に帰れると勝手に思っているけど、それまでにスイスに行くことは。。。たぶん無理な気がする。
でもいつかまたデュフールにリベンジできたらいいなと思うので、ヨーロッパ版登山アプリについては次行くまでに調べようと思うし、日本に帰ったらまたミ〇〇ツ登山教室に行って今度は雪山でなくクライミングを習いたい。
 
 
今回のホテルは一緒に行った知人が予約してくれた5つ星で、古いけど設備は大変充実していた。
 
ロビーにはクリスマスツリー。
宿泊客は欧米人ばかり。
 
知人が予約してくれたのは朝食込のプランだったけど、現地に行ってみたら年末の年越しディナーは料金に含まれていますよ、と言われせっかくなので参加することにした。料金に含まれているのは料理のみで、飲み物は別途頼む必要がある。
 
部屋から見える中庭のプール。この周りにテーブルや椅子を出す。
 
 
更にプールからちょっと1日目を離している間にこのバーの周りに足組を組んで板を敷いてダンスフロアが作られていた。
 
出発前は大晦日のディナーをどうするか決めてなかったけど、一応なんかあった時のためにと思って黒のワンピース(テロテロジャージー素材で普段使いの奴だけどアクセサリー次第でギリカジュアルの上の方に持っていける)とヒール付のサンダルは持ってきていた。
但し寒すぎてワンピースの上にカーディガン羽織った上にショールもかけたのであんまりきちんと感はなかったけど。。。
 
この世に陰キャ選手権があったら入賞できる自信があるくらいには陰キャなので、これまでの人生で年越しカウントダウンみたいな陽の者のイベントには参加したことがない。
 
パリピ欧米人たちは年越しディナーぱーちぃなるものにどういう恰好で行くんだろう、と眺めていたけど、女性は結構気合入った格好が多くて驚いた。
ドレスは総スパンコールのミニドレスとか胸が半分くらい出ているロングドレスとか結構なドレスアップ度高めのドレスだったし足もともヒール10㎝ありそうなパンプスとかかなりきちんとしていた。
リゾートなのに皆ちゃんとこんなドレス持ってくるんだなぁと感心。
しかもこの気温16度くらいの寒い夜なのに上に何も羽織らず露出したままなの強い。さすが欧米人。
年配のご婦人はワンピースにジャケットみたいな恰好が結構多い。
 
男性はそこまででもなくて、大抵は襟付きシャツくらい。中には蝶ネクタイしてジャケット羽織っている人やマツケンサンバみたいなギラギラ素材のジャケット着ている人もいたけどごく少数。
 
食事はビュッフェ形式で色んな食事があった。
さすが海辺で海鮮も豊富。
 
前菜コーナー。

 
寿司コーナー。

 
飾りのスイカたち。

 
たぶんチェ・ゲバラだと思うんだけど、何故にエジプトのリゾートでチェ・ゲバラが選択されたのか謎。

 
チェゲバラとディズニー映画のプリンセスが並んでるのちょっとおもしろい。

 
たぶん上段は中東のエライ政治家とかだと思うんだけどその人達とマリリンモンローが並んでるのもちょっと面白い。

 
デザート。
手前のこのもしゃもしゃしたお菓子たちは中東やマグレブ諸国でよく見る奴で、ナッツペーストみたいなのをもしゃもしゃでくるんで蜜掛けしたお菓子。
私はこの甘さ増量500%みたいなお菓子が大好きだけど、妹は甘すぎて苦手らしい。

 
プールの脇のステージではダンサーさんが踊ったり音楽演奏したり、そしてそれに合わせてプール上のダンスフロアでは欧米人たちが踊りまわっていた。
 
なんかリゾートっぽいなーと思ったのは、たぶん宿泊客の出身国はある程度把握していて、そこが12時になるたびに「今〇〇が新年になりました!Happy New Year!」とアナウンスがあった事。
アルメニア、というアナウンスも聞こえたので結構ヨーロッパの色んな所から人来てるんだな、と思った。
(宿泊客の中で一番多いというロシアはたぶんディナー開始時には既に新年になっていたからだと思うけどアナウンスなし)。
 
色んな国の年越しアナウンスを経てエジプトが12時になった瞬間にはイルミネーションとひらひらが舞い花火が打ちあがった。

 

これが陽の者が参加するという年越しカウントダウンぱーちぃか。。。

 
良い経験にはなった。
 
知人と初日の出見ようね、と言っていたものの私は酔っぱらって寝てしまったので起き上がる気力はなく、これは寝転がりながら撮ったエジプトリゾートの初日の出前(日の出の瞬間は二度寝して見逃した)。

 
海外リゾートで年越しするのは初めてではない(確かタヒチは年を越したはず)けど年越しパーティに参加するのは初めてで、楽しかったけど陰キャには色々と眩しく、まぁ人生でもう参加することはないかな、と思った。
 
滞在した4日間で非白人の宿泊客は我々だけで、こういうアウェー感を味わうのは久しぶりだった。
聞こえてきた言語はイタリア語、英語、ロシア(?)語。
 
ホテルの人によるとロシア人の宿泊客が大半らしいんだけど、本当だろうか。
 
確かにシャルムエルシェイクはロシア人が多いとは聞いていたけど、今もなんだろうか?
ホテルでもスパや朝食の時に結構ロシア語っぽい言葉(ダ―とかニェットとか)が聞こえてきたけど、私の乏しい言語知識ではロシアとその周辺国の言葉の区別がつかないし勿論顔見ても区別つかないので、果たして彼らがロシア人なのかその周辺国の人達なのかはよくわからなかった。
 
あんまそっち関連のニュース詳しくはないんだけど、ウクライナはそもそも一定の年齢の男性は国を出られないとか聞いた気がするけどロシアはそういう制限ないのか?
一応戦時中なのにエジプトまで年越ししに行く経済的余裕があるのか?
 
もし戦時中なのに一般家庭がこんなところまで海外旅行に来る余裕があるんだとすると国としても余裕があるってことなのかな。国力すごいな。
この人達がロシアから来てるんだとすると皆どういう気持ちで今にこにこの笑顔でフロアで踊っているんだろう。
 
まぁでも私だって世界のあれこれを見ないふりして自分の欲に忠実に生きてるんだから人のこと何か言う資格はないんだよ、それはわかってるんだけどね。。。

などとちょっともやもやしながらエジプト旅、終了。
エジプトに行くちょっと前から風邪ひいていて鼻たれ小僧だったけどポテト王国に帰ってきたら1週間くらい雪で鼻たれ小僧が悪化した。

 
年末はエジプトのシャルムエルシェイクで弾丸ダイビングしてきた。
 
2019-20年の年末年始にタヒチのランギロアでダイビングして以来の6年ぶりのダイビングだったけど、体感1000年ぶりくらいに感じた。
 
不安過ぎて、前夜は一睡もできなかった。
そもそもダイビングショップが信頼できるところなのか、とか、思ったより寒そうなので寒がりの自分が耐えられるのか、とか、上級者向けで流れが早いと書いてある記録もあって6年ぶりで器材のセッティング方法も完璧忘れている自分がそんなの耐えられるのか、とか。
 
あと、出発1週間前くらいから風邪で体調が激悪で鼻がずるずる咳がごほごほだったのも不安材料だった。
咳は咳止めで何とかなるだろうけどきちんと耳抜きができるだろうか。
昔耳抜きを失敗して、たぶん外リンパろうと思われるものになったことがあるので(たぶんというのは例によって医者に行かなかったので)、結構不安である。
 
泊まったホテルにダイビングショップは併設されていたけど、ネットであまりにも情報がなかったのでやめておき適当にツアー会社で有名な国立公園であるラスモハメッドでのダイビングを申し込んだけどそこはレビューは良かったけど信用できるかは心もとないな、とも思っていた。
 
指定された7時20分にホテルの前で待ってたけど15分遅れくらいで迎えが到着し早速不安になりながら港へ向かう。
港にはすごい数の西欧人がいた。アジア人は私と中国人カップル1組しか見かけなかった。
たぶん色んなツアー会社が集結しているっぽく、皆いっせいに湊に停泊している船に乗り込む。
 
これが我々の船。3階建てで結構立派ではある。30人くらい乗ってて3人除いて全員イタリア人だった。
後の3人は日本(私)、スイス、コロンビア。
このうち殆どはシュノーケリング組でダイビングをするのは私とスイス人とイタリア人のみだった。
スイス人とイタリア人はそれぞれAOWとレスキューのライセンス持ちということで、自分が足を引っ張らないか不安になる。
 
こんな感じで色んなツアー会社がいっせいに出港して50隻くらいの大船団でラスモハメッドに向かう。
 
イントラさんは2人載ってるとのことだったけど、実際に一緒に潜ったのは1人だけだった。
 
「5年くらい前まではたくさん日本人ダイバーが来ていたんだよ。今はもうほんとに見なくなった。なんで?」とイントラさん。
 
まぁ、円安がひどいからなぁ。。。
 
たぶんコロナで渡航制限が色々面倒くさくなって海外へのダイビング熱が薄れ(自分がそう。山に嵌ったのもある)、普通になってからは今度は円安がすごいことになり、わざわざエジプトまで行こうという奇特な人があんまりいなくなった、というのが自分の推測。
 
滞在中も日本人を殆ど見なかった(というかポテト王国からシャルムエルシェイクに行く便で一緒になった駐在員家族以外は日本人観光客を見かけなかった)。
 
ちなみに治安の不安もあるのかなとは思う。
エジプトのシナイ半島は、このシャルムエルシェイクと近くのダハブ(とその周辺)を除いて外務省の渡航中止勧告が出ている。
シャルムエルシェイク自体は渡航中止勧告の対象ではないけど、個人的には過去の記憶からちょっと怖い気持ちはあった。
 
前回パリに駐在していた時はダイビングに人生を捧げていたのでシャルムエルシェイクはダイビング目的で行くつもりでいたんだけど、2015年、シャルムエルシェイク発ロシア行の飛行機がテロ(機内で荷物が爆発)で出発直後に墜落し、全員亡くなる、という事故が発生している。
それ以来私の中ではシャルムエルシェイクはテロと切り離せないちょっと怖いイメージがついている。
 
ちなみに今山にドはまりしている身として、シャルムエルシェイクで登山ってできないのかな、と調べたら、シナイ山というモーゼのうんたらで有名な山に行くツアーが結構あるのを知った。
個人で行くのではなくシャルムエルシェイク発のツアーに参加すれば大丈夫じゃないか、と最後まで行くのを迷ったけど、どう地図をひっくり返してもシナイ山は渡航中止勧告エリアの真ん中にあるように見えたし、エジプトに駐在していた知人に聞いたらシャルムエルシェイクからシナイ山までは1本道でそこをテロリストに抑えられたら終わるらしいので、涙を呑んで断念した。
 
これは全然関係ないどこかの山。
 
器材はレンタルしたんだけど、ウェットスーツを見て(しまった)、と思ったのは欧米人仕様の半袖短パンのウェットスーツだったこと。
事前に指定してしておくんだった。
前夜市内で長袖のラッシュガードを買ってはいたけど、絶対に寒い。
イントラさんがフードを貸してくれたけど、エントリーした瞬間、これ、あかんかも、と思った。
 
エントリーしてすぐ、海底にダルマオコゼみたいなのが張り付いていてガイドさんに手招きされた。
 
が、沈もうとするとダルマオコゼ(仮)の近くは冷水層になってて寒すぎて慌てて戻った。
…にもかかわらずイントラさんが(何やってるんだ、こい)と私の腕を引いて冷水層に引き戻そうとするので凍るかと思った。
 
ちなみに風邪のせいなのか耳抜きもあんまりうまくいかなかったので二重の意味で海底に近づくのは苦痛であれこれジェスチャーしたんだけどイントラさんには残念ながら伝わらなかった模様。
 
 
そんなに深度もないんだけどとりあえず寒い。半袖半パンはつらい。
 
さんごはきれいなんだけど。
 
 
大物はナポレオンとか、あとモルディブでも見た気がするデカい迷彩柄の魚がいた。
 
上の動画にもうつっているけどラスモハメドはこういう体験ダイビング(イントラさんが常にダイバーを掴んで連れまわす)のグループがものすごく多くて、今回2本潜ったけど2本とも海の中は大渋滞していた。
 
サンゴ礁の規模は今まで見たどこよりも大きかったかもしれない。
慶良間のサンゴ礁をもっと大規模にした感じ。
 
 

ちなみにこれは翌日ホテルのビーチから小舟で5分くらい走ったところでシュノーケリングをしたときのもの。

ラスモハメドと大差ない規模の大きなサンゴ礁がシュノーケリングでも楽しめる(エイもいた)。
 
 
これがホテルの近くのサンゴ礁。
 
私の勉強不足なだけか紅海で大物ダイビングってあんまり聞かないので、サンゴ礁の美しさを楽しむのがメインなのかもしれない。
今回3本目でシャークリーフという所をお薦めされて寒すぎて結局潜らなかったんだけど、そこはドロップオフになっているとのことだったのでもう少し大物、それこそ名前にもなっているサメなんかが見られるのかもしれない。
 
今回はサンゴ礁よりも自分が一番衝撃的だったのはこれ。巨大ウツボ。

 
どんくらいデカいかというと、見た一瞬はサメかと思うくらいでかかった。
長さは私の身長よりも長かったし、胴体幅も私の2倍はあった。
 
ウツボはお顔がワイルド過ぎて元々そんなに好きではないんだけど、ウツボに恐怖を感じたのはこれが初めてだった。
 
ウツボのあまりのデカさにビビりちらかし写真もうまく撮れず逃げるヘタレチキン。
これはホテルのビーチにあった海の生き物図鑑、みたいな看板なんだけど、これにあるGiant Morayというのがこの巨大ウツボだと思う。日本語ではドクウツボ。
 
もしこれに海中でばったり出会ったら私はロケット急浮上する自信がある。
 
とりあえず久々のダイビングは巨大ウツボと寒さの記憶で終わった。
昼食をはさんでホワイトアイランドという海の中で遠浅みたいになっている有名なスポットでシュノーケリングを楽しむ時間もあったんだけど、あまりに寒すぎて船上でタオルを被ってがたがた震えながら遠くでキャッキャする若者たちを眺めていた。
欧米人、耐寒性能高すぎ。
 
海の色が変わっているところは人の立てるくらいの砂浜になっている。
陸地に近い訳でもない海の中にいきなりこんなところが出現するのおもしろい。
 
久々のダイビングは楽しかった。
でも寒くてサンゴ礁とウツボ以外の記憶がないので、もし12月に潜ろうという人がいる場合はウェットスーツは持参するか5mm長袖長ズボン、とか指定してレンタルしたほうが良いと思う。
 
あと、ダイビングショップはきちんと選んだ方が良いなと思った。
私が今回選んだツアーは適当に選んだものでやたら評価高いなと思ったんだけど、これはたぶんからくりがあって、帰りの船上でスタッフが寄ってきて「今ここでレビューを書いて欲しい。マネージャーに報告するから」と言われて目の前でレビューを書かされそれを写真に撮られた。
普通に親切な人達だったけど器材にちょっと不具合もあったしでもそういうのは目の前では書きづらいので、どうしても評価は上振れがちになるのかな、と思う。
 
チップは強制ではないけど最後にチップをよろしくみたいな説明が(イタリア語で)あって、チップ箱を客席に置かれた。
私は一応400EGP入れたけどイタリア人の若者たちは誰も入れてなかったのでこれは人それぞれ。
私は後は個別でガイドさんにちょっと渡した(フード貸してくれたり私があまりにも寒い寒い言うので2本目はウェットをもう1枚貸してくれたり色々と気を遣ってくれたのと最後のイグジットの時に私がGoproを落として取りに行ってくれたせいで安全停止をもう1回する羽目になったりと迷惑をかけたので)。
 
なんかその際、「学生時代に左足にヒビが入ったので骨に異常があった場合の痛みはわかる、今回は違う」みたいなことを偉そうに書いた。
 
これが落ちたてほやほや翌日の右手小指。
 
腫れてはいるけど骨にひびが入ったときの痛みではない。
 
と突き指なんだと思ってたけど、1か月後のデュフールシュピッツェでも痛く、デュフールから帰ってきて1か月たち、2か月がたってもまだほんのり痛くて、さすがに11月頃から
 
なんかおかしくないか?
 
と思い始めた。
 
突き指ってこんなに治らないものだろうか。
と思ってネットみると、治るのに要する期間は数週間から1か月と書いてある。
 
既に4か月は経っている。
 
さすがに遅くないか?
 
なんかおかしい、と思った理由は痛みだけではない。
 
右手の小指、変。
 
何が変かというと、
 
①まず、伸びないし曲がらない。
 
←が左手小指をMax伸ばした状態
→が右手小指をMax伸ばした状態

 
右手小指、伸びてない。
↑の右手小指はわざと曲げているのではなく、これがMax指を伸ばした状態。
これ以上まっすぐにならない。
 
更に、伸びないだけでなく完全に曲げるというか指を握りこむこともできない。
右手を握りこもうとすると途中で小指だけ第2関節がつっかえるようななんか変な感じがする。
 
②第2関節がなんかおデブ。
 
上の写真でもちょっとわかると思うけど、右手小指の第2関節が左手小指の第2関節よりも太い。
 
第2関節のおデブさは正面から見た比較図のほうがよくわかる。
 
←が左手小指。
→が右手小指。

 
右手小指、やっぱりなんか変。
 
第2関節が明らかに左手(正常な状態)より膨らんでいる。
 
ちなみに右手小指の第2関節は普通に痛い。
常に痛いというよりは力が加わると(いたぁ、、)となる、くらいのマイルドな痛さ。
骨にヒビ入った時は突き抜けるというか刺すような鋭い痛さだったけど、これはそれとは違うじんわりとした痛さ。
 
落ちた当初は突き指だと思ってたのでGoogleでテーピングの方法を検索し適当に薬指に小指を固定するようなテーピングをしていた。
その素人治療が悪かったから変な風に小指が固まってしまったんだろうか、、、と思いつつ、病院には行かなかった。
 
理由は幾つかあるんだけど、まず何よりも英語が通じる病院を探すのが面倒くさい。
 
…というのは不正確で、もっというと例え通じたとしても
 
英語で先生とやり取りできるだけの英語力がない。
 
私のなけなしの英語力の容量は全て仕事に割り当てられている。
 
だから
 
グローバルな競争の激化→increasing global competition
 
みたいな英語変換はすぐに出てくるけど
 
「突き指」を英語でなんて言うのかわからない。
ちなみに「小指」も英語でなんて言うのか知らないことに今回気づいた。
 
こんなミジンコ英語力で病院に行くのは面倒くさい。
 
と思い今まで放置していたんだけど、この前久しぶりにこちらで日本人の知り合いの人に出会って酒のネタとしてこの右手小指の話をしたら、
 
「ああ、それは腱が切れてるんだね」
 
と言われた。
 
指にも腱ってあるんや。。。
 
腱って足首のアキレス腱だけかと思ってた。
 
帰ってきてからネットで調べたけど、確かに症状をみると、屈筋腱損傷、の症状によくあてはまる気がする(指が曲がらない、切れて時間がたった腱は太くなる、等)。
指が曲げられないだけではなく完全に伸ばすこともできないので、屈筋腱だけじゃなく伸筋腱もおかしい気がする。。。
 
で、読んでいて、ふと、
 
腱って英語でなんていんだろう
 
と気になったので調べてみた。
そしたらどうやら
 
tendon(テンドン)
 
というらしい。
 
天丼なんや。
え、おもろ。
 
じゃあ「腱が切れたんです」っていうのは
 
テンドン・イズ・トーン
 
なのか。(the tendon of the little finger is torn?とか)
 
なんかちょっとおもろ。。。と思いながら治療法を見たら真顔になってしまった。
 
どうやら腱が切れると直後なら縫い合わせは可能らしいけど、時間がたって腫れたような腱はそれは不可能で、結構な確率で別の所から腱を持ってきて移植する手術が必要になるらしい。
 
移植手術マジか
 
意外に大工事が必要なことにちょっとビビった。
 
骨にヒビ入ったときですら「自然治癒を待つしかないんですよね。できることはテーピングくらい」って言われたのに。
 
骨ですら自然にくっつくのに腱はくっつかないのか
 
まじかー。
そんな修復に大工事必要な部品が指にあるってわかってたらもうちょっと気を付けてた…なんてことはたぶんない。
 
とりあえず、現在私が抱えているこの指の症状について考えられる可能性と取りうる選択肢を考えても
 
骨にヒビ→なすすべなし。自然治癒を待つしかない
突き指→なすすべなし。自然治癒を待つしかない
天丼がトーン→既に手遅れ。移植手術必要な可能性大
 
なので別に急ぐ必要もなく、医者に行くのは来年帰国してからでいいか、と思っている。
日本語通じるし。
受傷から1年もたって来院してお医者さんにキレられないかというのがちょっと怖いけど。。。
 
メンヒ、相棒であったアイゼンちゃんを片方喪失したのが一番の痛手だと思ってたけど指の腱まで逝かれてるとなると結構高い勉強料になったなぁ。
改めて自分の甘さを反省。
ツェルマット(&サースフェー)山旅7日目。

 

この日は熟睡して朝目覚めた。

夜中にデュフールやノルデンドに出発する人達は結構いたけど、うるさいなぁと思いつつぼんやり目覚めその後すぐまた熟睡したので結構寝られたと思う。

 

朝6時に朝食を食べ、身支度しながら小屋周りを眺める。

早朝は夕方と同じくアイベックスが周りを歩いている。

 
これは前日の夕方小屋の中から撮ったアイベックス家族。

 
 

 
今日はローテンボーデンに帰着するだけなので急ぐ必要はないんだけど、往路があまりに暑かったのでこの日も早めに出発すると決めていた。
 
さようなら、遠かったデュフールシュピッツェ。

 
お世話になり有難うございました、モンテローザ小屋。
超快適だった。

 
 
さていくか。
 
最初のうちは日陰で暑くもなく快適。
 
この辺りは往路はばてばてで写真を撮る余裕もなかった。
ローテンボーデンからモンテローザ小屋までは一応道はこんな感じで印がついている。
 
 
危ないところには鎖(?)があるし、
こういう足場もある。
 
たまにこういうケルンも積んでいる。
 
 
これは幾つかある渡渉箇所の一つ。一応印を目印に渡れるところを探せばよい。
 
梯子がかかっている所もある。
 
 
だから本来迷うことはないはず。。。
 
 
 
。。。なんだけど、何故か私はたぶんこの辺りで道迷いをしてしまった。
 
気づいたら、あれ、こんなところ通ってきたっけ、と思いつつ進んでいた。
 
ここまでガレガレしたところを通っただろうか。
 
さすがにおかしいかも、と思いつつ引き返せなかったのはこの写真に映ってはいないけど右上の方にポールらしきものが見えていたからで、でもこの下の写真の箇所を登るにあたって、往路で氷河を超えて最初の所以外にこんなにザレザレのところを下った記憶はなかったのでさすがにおかしい、と思って立ち止まった。
 
GPSを見るもよくわからない(致命的)。
 
一瞬、どうせ後から人が来るだろうからその人達の通るのを待つか、という山の神様に怒られそうな事を思ったけど、いやいやいかん、と思い直した。
変だ、と思ったら変じゃないと確信できる所まで戻ればいい。
 
戻りかけたところではるか下の方で人の声が聞こえたので見たらだいぶ下を人が歩いている。
どうやら私は登山道の目印をどこかで見落として、本来下らなきゃいけない道を上に登ってきてしまったらしい。
 
これは後日見たYamapの記録で、たぶん道迷いしかけた所。
こっちでのYamapのレコは後から見返すとこうやって登山道を逸れている、とわかるんだけど、行動中はこの黄色の登山道印出てこないんだよね、、、なんでだろう。プレミアムだと出たりするのかな?だったらプレミアム入るけど。
 
ようやく登山道復帰して一安心。
 
今度は見落とさないように目を皿のようにして青白マークを探しながら歩く。
 
道迷いしかけた原因を自分なりに分析すると、標識を見失った箇所はちょうど平らな岩場が続いている所だったので、人の足跡が見つけにくかったこと、あと、逆光のようになっていて岩場の上についていると思われるこういう登山道の目印を見落としてしまったこと、が原因なのかなと思う。
 
たぶんこれに似た平らな岩場。
 
こういう目印は日光の光が強いと見落としてしまう。
 
道迷いでちょっと無駄に体力を消費したけど、ようやく氷河が見えてきた。
 
 
 
往路では氷河の先端から降りたけど、この日は手前に氷河の壁を結構無理くりよじ登った跡がついていたのでそれを有難く拝借することにした。
 
 
 
クレバスは相変わらず怖いなぁと思うけど昨日のモンテローザ氷河よりは百倍ましな道に見えた。
 
 
 
何度も振り返ってしまう。さよならデュフールシュピッツェ。。。
もっと君に近づきたかった。
 
氷河を渡り切ったらもうハイキングルート。
 
このオールドルートとパノラマルートの分岐の辺りで大休憩を取ってのんびりした。
 
あとはひいこら言いながらひたすら登りのルートをローテンボーデンまで登る。
 
無事ローテンボーデン着。
 
ローテンボーデン到着直前は、もう行倒れるかも、と思うくらい疲れていたけどここでベンチに座って休憩したらちょっと気力を取り戻したので、少しだけ歩いて降りることにする。まだチェックイン時間には早いし。
 
 
 
暑いせいかそんなに人も歩いてなくて最高。
 
 
 
 
 
一駅歩いて降りて駅の傍のバーで一人祝杯をあげた。
 
 
 
この日のお宿はAlexという駅傍の4つ星を予約していた。
 
チェックイン時間にはやや早かったんだけど、部屋の準備は出来ているということで入れてもらえた。有難い。
 
さすがの設備だったし、駅傍で便利だったし、次からはここにしようかな。。。
 
4つ星ホテルディナー(嘘)。
 
心の友、カップヌードルを啜りながら、無事旅が終わった幸せと旅の間見た素晴らしい景色たちをしみじみと噛みしめた。
 
最高に楽しかった。
どこも良かったけどやっぱり一番強く印象に残ったのはローテンボーデンからモンテローザ小屋までの旅、そしてデュフールシュピッツェに近づこうとした真夜中の山歩きだろうか。
 
もう一度行けるとしたらまたモンテローザ小屋に行ってみたい。
そこからデュフールに近づく旅をもう一度トライするのも良いけど(でもたぶん登頂は無理だと思う)、そのままマルガリータ小屋まで旅するのも魅力的だ。
私は来年の夏には日本に帰る。
また欧州に赴任になることはあるんだろうか。
あったとして、その頃私は山に登れるような体力はあるんだろうか。
というかそもそも、私は今の会社にいつまで勤めるんだろうか。
 
色々と次の旅に思いを馳せながら約1週間のツェルマット(&サースフェー)山旅、これで終了。