海と山、時々きもの -10ページ目

海と山、時々きもの

ダイビング記録+きもの試行錯誤の覚書。…だったはずなのに最近は山歩きの記録簿と化しつつある。
23年秋から山のない国に滞在中のため山歩き頻度は低下中。

少し前に仕事でミラノを掠めた記録。

 

イタリアは10年前に何都市か訪問したことがあるけどミラノは初めてだった。

せっかくの初ミラノだったけど出張用の仕事と普段の仕事に追われて全く下調べできず、直前になってようやく最後の晩餐はミラノにあることを知った。

勿論直前過ぎて予約は取れず。

 

絵にあんまり興味はないけど生・最後の晩餐はちょっと見たかったな、と思いつつ初日4時半に起きて5時半のタクシーに乗り朝一の飛行機でミラノ入り。

 

空港でアルマーニに出迎えられる。さすがミラノ様。

 

ホテルに荷物だけ降ろそうと思ったけど、「部屋空いているからチェックインできるよ」と入れてもらえた。これは本気で助かった。

部屋でパソコンを開いて仕事用のメールを幾つか返してから翌日のイベント用の打ち合わせに向かう。

打ち合わせ後はホテルに戻りひたすら仕事し1日目終了。

 

2日目もイベントの準備で朝4時半起きで5時半から稼働開始。

イベント終了後は顧客訪問してようやく夕方に解放されたけどへとへとのぼろぼろでとても観光する気にはなれなかった。

 

天気もこれだったし。

 

3日目は朝少し余裕があったので午前中はホテルで仕事し、チェックアウトして顧客訪問に向かう。

最後の訪問が終わってようやく、空港まで少し時間があったので帰り道にあるミラノ最古というカフェに寄って昼食兼おやつを取った。

 

このザッハトルテみたいな奴、メニューに載っていたのはcova sacher cakeという名前で、ricetta(レシピ)1817、とついていたのでたぶんこのカフェの創業年である1817年からあるレシピで作りましたよ、みたいなことか、なら頼むか、と深く考えずに頼んだんだけど、まさかザッハトルテが来るとは思わなかった。

 

食べ始めてからちょっと後悔した。

おいしくないとかいうことではなくてどちらかといえばおいしい、と思う。

しかしどこからどう食べてもザッハトルテ。

すなわち食べても食べてもチョコ&チョコ…∞。

疲れた胃には激重だった。

 

せめてどんなのかネットで検索してから頼むべきだったな、と後悔。

ティラミスにすれば良かったか。。。

でもティラミスの方が高くて12ユーロ=約2,000円したから、それなら名物のsacher(9ユーロ)にするか、と思ってしまった。

 

Covaを出てトラムの駅を探しながら歩く。

 

これが(たぶん)有名なドゥーモか。

 

修復中の側壁にあるゲランの広告がなんか…なんかだけども。

 

昔、事前知識なしにフィレンツェのドゥーモを訪れたときはちょっと感動した。

それまでフランスやドイツの教会しか訪れたことがなかった身にはフィレンツェのドゥーモはあまりに色彩豊かで華やかに見えた。

このミラノのドゥーモは中は入ってないのでどんな感じなのかわからないけど、外からの見た目はフランスやドイツでよく見るなじみ深いモノクロの宗教施設。

 

ドゥーモよりも個人的に感動したのは近くにあったショッピングアーケード。

たぶん有名な観光スポットなんじゃないか、と思う。

 

でっかー。

 

そしてラグジュアリ~。

 

パリによくあるショッピングアーケードの10倍くらいの規模。

さすがミラノ様。

 

他地域からの出張者に教えてもらったスタバのリザーブロースタリーとかいうレア店舗(?)にも寄ってみた。

世界一美しいスタバ、と言われているらしい。

 

中もちょっと入ってみたけど、ネスプレッソマシーンで淹れるコーヒーとスタバのコーヒーの区別がつかない味音痴の私には居心地悪すぎてそそくさと退散。

 

個人的にはこういう街角がイタリアっぽいというか南欧っぽくて好きだ。

 

道路工事中でトラムの駅が本来の場所から移動していて、代替の停留所を探して30分くらい彷徨いへろへろになってホテルに帰還。荷物をピックアップして空港に向かった。

 

さよならミラノ。観光する時間が殆どなくてあんまりよくわからなかったけど、とりあえず華やかな街だということはなんとなく察した。

 

以下、おまけの食の記録。

 

まともな夕食は2日目だけだったけど、これが大変おいしい所で感動した。

特にこのパスタ。くったくたに炒めた玉ねぎと牛肉のパスタ。パスタはちゃんとアルデンテ。

ここのお店のスペシャリテっぽい(おじさんのカタコトの英語とジェスチャーによれば。)

 

前回のイタリア旅行では私の下調べが悪く料理は正直ハズレばかりだったので、初めて本場でおいしいパスタに出会えて感動した。

 

デザートの檸檬ケーキ。これは普通だった。。。でもパスタがおいしすぎたのでよしとする。

 

飛行機は1時間遅れで出発し帰宅したのは深夜になった。

 

疲れすぎてしばらくちょっと体調不良になったけど、おいしいパスタも食べられたし素敵なアーケードも見られたし、弾丸ミラノ、素敵な思い出で終了。

 

さらにおまけのアイスクリーム屋さん(食べてない。気力がなかった)。

真ん中の広告はたぶん「エクストラバージンオイル味アイスクリーム」だと思うんだけど、さすがイタリア。

 

この店舗はたぶん私が住んでるこの街にもあったような気がするので、機会があれば試してみたい。

今年の春はだいぶ珍しい春だった。

 

自分の記憶にあるヨーロッパ(北部)の春は大体雨が降っている。

去年は6月くらいまで半年間くらい太陽をほぼ見なかったくらい雨続きで、それはさすがに異常だったけど、大体小雨が降っているか曇っている。

 

今年は逆に、え、天気の神様何か悪いものでも食べましたか、と言いたいくらい晴天が続いた。

春を迎えるのが初めての同僚の駐在員には「これは異常気象なので。来年もこれを期待すると裏切られると思いますので」としつこいくらい繰り返し言っている。

 

ここで生活するのにすべてに対する期待値はできるだけ下げておいた方がいい。

天気は常に悪く(夏以外)、行政手続きは常に6か月くらいかかり、物事が1回でうまく行くことはほぼない。

 

と思って生活しているとストレスは少なくて済む。

少なくとも私自身はそうやって生活して1年半程経った訳だけど、非常に平和に心静かに生活している。

 

会社と家の往復、後はできるだけ週に数回、近くの公園を走るようにしている。

 

 

そろそろ今年帰国するか来年帰国するかがわかる時期かなぁと思って本部からの連絡をそわそわしながら待っていたら、この前ようやく正式に「後1年いてね」の連絡が来た。

自分が内示を受けた時期を考えるとこれだけ連絡がないということは=後任はいない=後1年延長、と勝手に判断して正式な連絡前から夏山計画を入れまくっていたので、ちょっとほっとした。

 

今年はヨーロッパで過ごす最後の夏になる。

去年全然山に行けなかったから、今年は山に行きまくろうと思っている。

 

とりあえずは、

 

5月 テネリフェ島(テイデ山)

6月 シャモニー(7月のグリンデルワルト用の雪山トレーニング)

7月 グリンデルワルト (大本命:メンヒに登りたい)

8月 ツェルマット(ゆるゆるハイキング)

 

の計画を立てた。

仕事する気はあるのか?と疑問に思われそうだけど、祝日をうまく組み合わせると実は5、6月は合計1.5日有休を取得するだけで行ける。

 

目下悩んでいるのは、モンブランをどうしようかな、という点。

こちらに来る前はどうせだったら滞在中に登ってみたいな、と思っていたけど、色々調べていくうちに、登りたい意欲はだいぶ低下してしまった。

自分の体力を考えるとだいぶしんどい登山になると思うし、そこまでして行きたいかというと、そこまででもない。

去年の2月見たシャモニーからの景色とそこまで変わらないんじゃないかと思ったりもする。

かといって、もうヨーロッパに来ることもないだろうしせっかくの機会なのに登らないのはもったいない。。。のか?とも思う。

 

いずれにせよ最後の1年後悔しないように山を満喫したい。

 

 

 

 

今週はうちのオフィスにとって厄週だった。   

 

駐在員の間で本人や家族の体調不良が相次いだり、仕事が久しぶりにちゃぶ台をひっくり返したくなるくらいストレスフルなものだったり、私のオフィスのPCがいきなりご臨終したりと色々あったんだけど、極めつけは、木曜の午後、秘書さんがトラムの中で財布をすられたことだった。   

 

秘書さん曰く、財布を入れたバッグを首からかけてトラムに乗り、目的地で降りたら、最初閉まってたはずのバッグのファスナーが開いていたらしい。なんか変だな、と思って中を見たら財布だけなかったとのこと。 

そこまで混んでたわけでもないのに、何にも感じなかったのに、いつの間にかなくなっていたらしい。   

 

木曜日の午後に報告があって、大丈夫かなと思って夜に秘書さんに電話したら 「これが初めてじゃないんだよね。2回目。自分自身に腹が立つ」とのこと。   

 

秘書さんはこの街出身ではないけど、正真正銘のこの国生まれのこの国育ちの現地人。 

それでも掏られるんだ、とちょっと驚いた。   

 

さらに聞いて吃驚したのは、被害届を出すのに秘書さんが警察に行こうと思ったらアポイント制で最短でアポを取れたのが火曜の朝とのこと。   

 

まじか。   

 

この国のたぶん全ての銀行が予約制(午前のみはウォークインも可)なのは知ってたけど、警察もなのか。   

 

「不便過ぎる。財布には身分証も保険証も免許証も入ってた。再発行には警察の盗難届が必要だから火曜日まで車の運転もできない」と秘書さんはぷりぷりしていた。   

 

もし私がこの国で将来強盗に遭遇し殴られ身ぐるみはがされてぼろんちょになり警察に電話しても「あ、アポイント制なんで最短でアポ取れるのは3日後ですね」とか言われるのだろうか。   

 

そんなことになったら私は憤死するかもしれない。  

 

 まぁさすがにアポイントベースなのはスリみたいな軽犯罪(軽?)の被害届だけなんだろうとは思いたいけど。。。   

 

私が日本で警察のお世話(?)になったのは、数年前の出張帰りにイスタンブール空港で携帯を落とし遺失物届を出すために交番に行った一度だけ。 

その時は特にアポも何もとらず家の近所の交番にふらっと行っただけで普通に対応してもらえたんだけど、あれは当たり前ではなく有難いことだったんだな。。。 

 

そういえば日本って至る所に交番があるけど、少なくともフランスやこの国で交番って見たことない。 

というか今気づいたけど私はこの街で警察署を見たことないかもしれない(これは私の行動範囲が狭いからだと思うけど)。   

 

パリと比べると治安はましだと思ってるけど、この街の駐在員の間でも結構スリや空き巣の被害は聞く。 

私は今のところ被害にあったことはないんだけど、できればこのまま何事もなく駐在期間を全うして日本に帰りたい。 

(被害自体も嫌だけどその後の後処理のめんどくささと思うと気が遠くなる)                

この山旅最後の、そして一番書きたくなかった記録。

 

サビニャニゴのホテルで爆睡して翌朝、快適に目が覚めた。

旅の終わりの置き去り事件はややもやもやは残るものの、もう終わったことだ、忘れたい。

早く帰ろう。

ここからは、Huesca行きのAVEの代替輸送バスに乗り、HuescaからZaragozaまでローカル線に乗って、ZaragozaからはAVEに乗ってマドリッドに帰り飛行機に乗るだけ。

 

サビニャニゴは小さい街だった。

こういう鄙びた(と言っては失礼だけど)田舎町の風情、とても好きだ。

 

 

駅には誰もいない。だいぶ早い時間に来たせいか、ローカル線っぽいバスが数台止まっているだけでAVEの代替輸送バスが止まる停留所の表示もないし、ここで待っていていいか早速不安になる。

 

その辺に止まっていたバスの運転手のマダムに「AVEの振り替え輸送バスはここで待ってていいんでしょうか」と聞くと、スペイン語でマシンガントークの答えが返ってきた。

何を言っているか一つもわからないけど、たぶんここで待っていればいい、と言ってくれたような雰囲気。

 

その後もそわそわしながら待っていたら、先ほどのマダムがわざわざバスを降りてきておそらく「ここでそのまま待ってればいいからね」的なことをスペイン語で言い残しバスに戻ってそのまま去っていった。

 

この旅で出会ったスペインの人達は本当に親切だった(除くガイド)。アトーチャ駅の窓口のおっちゃんといい、Huescaに行くローカル線で私の乗り換えを気にしてくれたおじいちゃんといい、小屋番さんといいマダムといい。。。

スペインのローカルの人達は英語はそんなに得意ではない人が多いけど、皆親切だ。

 

マダムの優しさをじんわり噛みしめてたらHuesca行きのバスがやってきて無事乗車。

ここからHuescaまでは何の問題もなく、HuescaでZaragoza行きの電車に乗り換えるのも何の問題もなく、もうここまで来たら旅は終わったようなものだと思っていた。

 

…のに、この旅最大の問題はZaragoza駅で発生した。

 

ここで旅の始まりを振り返りたいけど、スペインの高速鉄道、AVEは空港と同じような荷物のX線検査がある。

 

Zaragoza駅でローカル線からAVEに乗るには、AVEのX線検査を通る必要がある。

ぶっちゃけ、ホームに入る道は他にもあるけどそこは一応保安員が見回りしているので、止められたら終わる。

 

私は何の疑問も持たずにマドリードのアトーチャ駅でやったのと同じようにAVEの入り口のX線検査にザックをおいた。

 

そしたら、そのまま出られるかと思いきや、少し離れたところに呼ばれて、荷物を開けていいか、と聞かれた。

頷くとザックを開けた保安員さんが私のピッケルを取り出し、何かをスペイン語で言う。

 

スペイン語がわからない、と答えると保安員さん、

 

「This is not allowed」

 

え?と頭が真っ白になった。

 

「でもアトーチャ駅では駄目とは言われなかった」

 

「いいや、駄目だ」

 

というやり取りを2回くらい繰り返した後に、やってきた別の保安員がスペイン語で何か言う。

 

スペイン語はわからない、と答えると、スペインの人達がよく使う音声翻訳にスペイン語で吹き込み英語に訳された訳を見せてきた。

翻訳曰く、

 

It should be federated

 

federated、ってなんやねん。

federateは形容詞や。勝手に過去形にすな。

いや、動詞もあるのかも知らないけど私は知らん、ていうかピッケルを連邦制にするのか?意味わからん。

 

…と思ったけど何となく言いたいことはわかった。

たぶん事前に認証かなんかを取ってろ、ってことか。。。そんなもんはない。

 

もっとよく考えればよかった。

X線検査があるってことは飛行機で機内に持ち込めないようなものは持ちこんじゃだめなんだ。

当たり前だ。ちょっと想像すればわかったことなのに。

でもどうしよう。

 

AVEが出るまで10分もない。

この便でマドリッドに帰らなきゃ次の便がいつなのか、果たしてそれに空席はあるのか、それすらも確かめる時間はない。

バスだって全く時刻表を確認してないから今日この後マドリッド行きのバスがあるのかすらわからない。

今日夕方までにマドリッドに帰れなければマドリッドから〇〇行きの飛行機も逃してしまう。

そしたら明日の仕事には間に合わない。

 

どうしよう、どうしよう、と思いながらそれでもピッケルを何とか回収したかった。

 

「ピッケルをここに置いていくとして郵送してもらうことはできる?お金はこっち持ちで」

「No」

「じゃあ後日取りに来ていい?」

「No」

「なんで??結構高いんだけど」

「No」

「他に方法はないの?」

「No」

「ここに捨てていきたくない。大事なものなんだよ」

「No」

 

取りつくしまなし。

Federated以降は何を聞いてもNoしか帰ってこなかった。

 

絶望。

 

ここに置いていくしかないのか。ピッケルちゃんを。。。これまで一緒に頑張ってきた相棒を。。。

 

発車時刻の掲示板を見ながら、焦りに焦った。そして迷いに迷った。

 

結果、私はピッケル2本を置いてAVEに乗ることにした。

 

そしてそれを今でも後悔している。

 

なんで翌日仕事に遅れるなんて気にしたんだろう。

AVE代も飛行機代も数百ユーロなんだから無駄になったってよかった。

サラゴザの駅に急遽宿泊することになって追加で出費あったってよかった。

「それならもうAVEなんか乗らねえ!!」と言ってピッケル抱えて駅から出ていってマドリード行きのバスを検索すればよかった。

 

でもその時はもう置いていくしかない、と思ってしまった。

 

AVEの電車にぎりぎり滑り込んでしばらくは茫然としてたんだけど、時間がたつにつれて実感が出てきてちょっぴり泣きそうになった。

 

ごめん、グリベルのピッケルちゃん。

 

まだ買って数年だったのに。

どこに行くにも一緒だったのに。

まだまだ一緒にいろんな山を旅するものだと思っていた。

というかピッケルなんてそんな何本も買い替えるものでもないし一生を添い遂げるつもりでいたのに。

まさかこんな、スペインの田舎(すいません)の駅に捨てることになるとは。

 

私が悪いんだ。

X線検査の存在意義をきちんと考えてなかったから。

ちょっと考えればピッケルなんて持ちこめないことはわかったはずだ。

アトーチャ駅で通ったからOKじゃなくてちゃんと確認すべきだった。

 

ごめん、ほんとにごめんよ。。。

 

失ったピッケルは2本(グリベルと、スコップにもなる可変式の奴)だけど、このずっと使ってきたグリベルのピッケルをこんな形で失ったことのショックがでかい。

山で喪失したならまだあきらめられたけど、こんな、自分の不注意で日本から遠く離れた田舎(すいません)の駅で失うことになるとは。

 

…というわけで我がピッケル、サラゴザの駅に眠る。

 

長々書いてきたけど、これが1年前のスペインの山旅の記録。

景色は綺麗だったけど最後のピッケル事件で綺麗な思い出が全部吹っ飛んだのでなかなか書く気になれなかった。

このお別れから1年経つけど、まだ新しいピッケルは買う気になれない。

 

改めて、グリベルのピッケル。今まで色んな所に連れていってくれて本当に有難う。

八が岳の縦走も残雪の針ノ木岳も裏銀座も霞沢岳も、全部楽しかった。

一人旅の自分にとっては本当に相棒だった。

こんな置き去りにするようなことになって本当にごめん。

 

あのまま捨てられてしまっていたら、と思うと本当に心が痛いので、せめてだれか山登る人の手に渡っていてくれないかな、ということだけを祈っている。

 

 

 

 

この山旅記録で一番書きたくないパートに差し掛かった。

この山旅記録を1年も書く気になれなかったのは何と言ってもこの部分とその次の部分を思い出したくないからだ。

でも記録なのであまり面白くないと思うけどさくっと書こうと思う。 

 

2日目。登頂予定日。

この日は前日の自分の遅さを考えて出発を早めにお願いしていた。

4時頃そっと起きて他の人と起こさないように荷物を全部抱えて下に降りて身支度は全部下でした。

トイレや洗面所が客室と一体になっているというのはいい面もあるけど悪い面もある。 

 

たぶん出発したのは4時半頃。真っ暗なのでしばらく写真はない。 

 

早い時間の出発にしてもらったものの、正直、登頂は無理だろうなという気もしていた。

本来4時間で来られるオルデサ渓谷からゴリッツ小屋までの道を6時間かかってる。

そして今日は登頂して小屋に帰ってきた後さらにそこからオルデサ渓谷の駐車場まで帰らなきゃいけない。

今日はサビニャニゴ宿泊予定なのでバスや電車の時間を気にする必要はないけど、問題は体力。。。 

 

小屋の横手の斜面を上がっていってしばらく進んでいたらようやく夜が明けてきた。 

雪は少しは締まってくれているといいなと思ったけど、結構ずぼずぼで足を取られてしんどい。

 

出発当初はせっかく来たんだから登頂したい、とそれでも少しは思っていたけど、あまりにずぼずぼで進めず無理かも、という気持ちがどんどん大きくなってきた。 

 

昨日も何人かは登頂しているはずなんだけど、トレースらしきトレースが見当たらなかった。 

 

 結局、ガイドと「この時間までに基部についていなかったら引き返す」と約束した時間までに基部には辿り着けず。

「登頂はあきらめる。適当な所で引き返す」と伝える。 

それがここ。 

 

 

たぶんあの向こうが山頂。ほんとはあそこまで行きたかったけど。。。 

 

タイムアップだ。残念。 標高3,355mのうち2898mがこの旅のわたしの限界。

 

モンテペルディドは遠かった。

 

 しばらく休憩した後に引き返す。

昨日のバテっぷりで、まぁ無理だろうなという気持ちが結構あったので、そんなに残念ではなかった。

スロバキアの時と違って天気も良いし景色は最高だし。

これが楽しめただけでもこの旅の価値はあった。

 

さよならモンテペルディド。 

またいつか来たい。今度は一人で。 

 

 渓谷の向かいの山。トレースみたいなのがついていたけどあっちも登れるんだろうか。

 

宿泊していた人達のうちスキーヤーっぽい人達はペルディド山のルートとは反対側に行っていたので、もしかするとスキー用のルートがあったりするのかもしれない。 

 

行きはあんなに苦労した気がするのに帰りはあっという間だった。

 

 

ゴリッツ小屋に到着してしばらく休憩してから犬に別れを告げて下山開始。 

そういえばこの通常ルートは怖い所難しい所は全くなかった。

私が行けなかった先、山頂方面に1カ所怖い所があるとガイドさんが言ってたけど。

 

行ってもいない身でこんなことを言うのもあれだけど、Youtubeなどで通常ルートの登頂動画を見る限りそんな難しいところはなさそう。 

唯一ちょっとスリリングかなぁと思うのは観光ルートから登山ルートに入った直後にあるこの岩場。

この時ちょうど例の家族連れが下りようとしていて、後から来た小屋番さんと犬に道を譲ってた。 

 

さて。ここまでは良かった。

 

 問題はこの後に発生した。 

 

予め強調しておくけど、この滝の所からオルデサ渓谷駐車場までは一般観光ルートになっていて、山用装備がない普通の観光客でもこの滝の所までは来られる。

迷うようなところはたぶんない。 

 

その滝の所を過ぎたあたりから、なんか、ガイドが急いでいるのかな、という気がし始めた。

 

何故ならガイドと私の距離がどんどん開いていく。 

私は、登頂は無理だったとはいえせっかく来たのだから景色を楽しみたいし、あれは何とか色々ガイドに聞きたいこともあった(何故なら行きはその余裕がなかった)。

でもガイドが気づいたらはるか先にいるのでそれができない。 

 

最初距離が開いた時は、少し先に行くとガイドは待っていた。

「トイレに行きたかったんだよね」と言われてそうか、と思った。

 

 でもまたすぐにガイドの距離が開き始める。

 

一生懸命歩いて追いついてようやくちょっと先に再び道端に座ってるガイドの姿が見えた、と思ったらガイドは私を認識したとたん立ってまたすたこらさっさと歩き始めてしまった。 

 

正直、は?と思った。

 

 でもまぁ私が遅いのは事実だしガイドは昨日からちょっと私の遅さに苛立ってる部分はあってそれは申し訳ないと思ってるし、なんか今日も早めに帰りたいみたいなことを言ってたから待たせるのはな、と思って必死に歩いてたんだけど、しばらく経ってガイドの待っている姿が見えてまたガイドが私を認識した途端さっさと歩き始めて去っていったのを見て、 もうええわ、 となった。

 

 そりゃ別に観光ルートだから迷うようなところも危ないところもないよ。

でも私は登頂できなかったとはいえ、景色を楽しみたいし色々この辺りについて聞きたかったよ。

いやまあ、ガイドさんの仕事というものは顧客が安全に登山できるようサポートする登山ガイドであって、ツアーガイドじゃない、というのはわかってるけどさ。

でもちょっとお金にさもしい本音を言わせてもらえば、私は本来400ユーロしないツアーに700ユーロ以上払ってるんだよ? 

 

なんで本来払わなくていい700ユーロも払ってこんなガイドの機嫌を伺い必死に追いつこうと頑張ってるんだ? 

 

と思ったら、もう、追いつくのやーめよ、と思った。

 

 もう急ぐのはやめた。 

 

写真だって好きなだけ撮っちゃうもんね。

 

 これたぶんスペインの登山道の標識。

ガイドが待ってる?知らんわ

 

 朝4時半からの行動でかなり疲れていたので、終盤は我ながら歩くペースが落ちた。

でももう急がない。

 

ゆっくりゆっくり、3回くらい休憩をはさみつつ、何とかオルデサ渓谷駐車場到着。

 

疲れてたけどガイドのいない最後の数時間は超快適だった。 

 

ガイドは既に待っていないんじゃないか、という気も若干してたんだけど、さすがにそれはなく、一応車の中にガイドはいた。

ガイドは無言。私も無言。

 

 装備を外して車に乗り込んでしばらくして、ガイドがぽつんと「ああいう平坦な道って僕疲れちゃうんだよね」と。 

 

え?それが客を置いていった言い訳? 

 

ガイドの機嫌を損ねるとサビニャニゴまで送ってもらえないかも(一応送迎代払ってるけど)、というチキン心が働き「そうだよね。わたしもだよ」と言ってみたものの、心中は「は?は?は?」だった。 

 

サビニャニゴに近づくにつれてガイドの機嫌も回復していき、「今年の夏はシャモニーにいるからツアーとか興味あったら連絡して」と言われて「うん、またね(誰がするかよ)」とガイドとお別れ。 

 

終わったことだからもう忘れよう、と思ったものの、ホテルについた後も、もやもやは残った。 

 

このガイドさんは、コロナ前は日本から定期的に来る日本人の固定客がいてヨルダンに一緒に登山ツアーにも行った、というくらいなので、きっと良い人なのだろう。 

 

でも私は今回の登山ツアー、全く満足していない。

主に最後の数時間の置き去り事件によって。

道中色々小さな不満はあったけど、そんなの最後のこれと比べたらふっとぶ。 

 

正直言わせてもらえれば、いくら一般観光ルート上であったとはいえ、ツアーの最中に残り数時間あるのにガイドが客を置いていく、というのは私には信じられない。

登山ガイドはツアーガイドではない、というのはわかってるけど、例え99.9%安全だとわかっているルートでも契約したならツアーの最後まで客を視界の端にいれて安否を気にかける義務はあるのでは???

 

登山でパーティ客の遭難の結構な理由に、途中ではぐれたとか置いてったとかそういうのあるじゃん。

パーティを組んだからには最後まで一緒に行動、は登山では基本なのでは? 

 

いや、ていうか登山の基本云々に、ツアーの途中で仕事を放棄するのはどうなんって話よ? 

 

ともやもやが止まらなかったけど、ホテルで暖かいシャワーを浴びてベッドに横になったら、まぁいいか、という気もしてきた。なんかもやもやするけど。。。700ユーロも払ったのに。。。とお金に汚いこと考えてしまうけど。。。でももう終わったんだ。雪のモンテペルディドは綺麗だったしゴリッツ小屋は最高だったじゃないか。

嫌なことは忘れよう。

 

 と思ってたんだけど、この次の日、この旅最大の嫌なことが待っていた。