創作ラボ2 -627ページ目

都合のいいように願掛けをする

ある番組で、空海と最澄の特集をしていた。


私は、間違いなく仏教徒ではあるが、日常的には、仏教徒である事を意識する事はない。


仏教徒だからといって、神社に参拝しないわけではない。


キリスト教の教会の中に入る事もあるし、母校では、キリスト教の精神に基づいた教育を受けている。


しかし、だからといって、キリスト教徒でなければ、その学校で学べないというわけではない。


母校を卒業をしても、私は、仏教徒である。


風見鶏のように、自分に都合のいいように、神社、仏閣で願をかける。


それでよしとする。


正月の挨拶

正月といえば、だらだらと休んで過ごすべきだと思い込んで、気持ちがだらけてしまう。


どうも、仕事に気持ちが入らない。


まず、どこに行っても、新年の挨拶から始まる。


「おめでとうございます。今年もよろしくおねがいします」と言う。


この挨拶は、何日まで言い続けるのだろうか。


一週間くらいは、正月気分で、この挨拶の言葉を使うべきなのだろうか。


一月末までは、今年初めて会う人には、この挨拶をするべきなのだろうか。


せいぜい、7日あたりまでは、「おめでとうございます」をつけて、それ以後は、一月末までは、「今年もよろしくお願いします」でいいのではないかと思う。



アバターをWOWOWで見たが

WOWOWで、『アバター』を見た。


途中から見たこともあって、さっぱり、どういうストーリーなのかは分からなかった。


テレビだから、3Dでは見られなかった。


プレイバックしながら見ると、理解できるかもしれないが、映画館で見た場合は、プレイバックはできない。


事前にストーリーが分かっていると面白くないという人が多いが、私は前もって、ストーリーが分かっていないと、プレイバックのできない映画は理解できない。


大切なことは、理解することだろうと思う。


理解できないと、あたりまえだが、面白くない。




見知らぬ年賀状

元旦に届く年賀状は楽しみでもあるが、少し、腑に落ちない事もある。


それは、見知らぬ人物からの年賀状である。


思いだそうとしても、どうしてもその人物の名前を思い出す事ができない。


何かの間違いだろうかとも思ってみる。


家族の誰かの知り合いなのだろうかとも思ってみる。


どうしても思い出す事ができなくなると、腑に落ちないというより、不気味ですらある。



年頭の決意

謹賀新年。


年頭にあたり、今年の決意のようなものを書いてみます。


昨年は、読みきる事が出来なかった、トーマス・ハーディの、『ダーバヴィル家のテス』を読み切り、エミリー・ブロンテの、『嵐が丘』も読み切り、ゼルダ・フィッツジェラルド全集も読み切る。

読書に関しては、そのように決意する。


小説書きに関しては、今、書いている小説を完成させて、電子書籍の形にして販売する。


ストックフォトに関しては、売上を月1万にする。


とりあえず、決意だけはしてみる。


自分にとっても、皆様にとっても、幸せに満ちた一年になりますように。