都合のいいように願掛けをする
ある番組で、空海と最澄の特集をしていた。
私は、間違いなく仏教徒ではあるが、日常的には、仏教徒である事を意識する事はない。
仏教徒だからといって、神社に参拝しないわけではない。
キリスト教の教会の中に入る事もあるし、母校では、キリスト教の精神に基づいた教育を受けている。
しかし、だからといって、キリスト教徒でなければ、その学校で学べないというわけではない。
母校を卒業をしても、私は、仏教徒である。
風見鶏のように、自分に都合のいいように、神社、仏閣で願をかける。
それでよしとする。
正月の挨拶
正月といえば、だらだらと休んで過ごすべきだと思い込んで、気持ちがだらけてしまう。
どうも、仕事に気持ちが入らない。
まず、どこに行っても、新年の挨拶から始まる。
「おめでとうございます。今年もよろしくおねがいします」と言う。
この挨拶は、何日まで言い続けるのだろうか。
一週間くらいは、正月気分で、この挨拶の言葉を使うべきなのだろうか。
一月末までは、今年初めて会う人には、この挨拶をするべきなのだろうか。
せいぜい、7日あたりまでは、「おめでとうございます」をつけて、それ以後は、一月末までは、「今年もよろしくお願いします」でいいのではないかと思う。
アバターをWOWOWで見たが
WOWOWで、『アバター』を見た。
途中から見たこともあって、さっぱり、どういうストーリーなのかは分からなかった。
テレビだから、3Dでは見られなかった。
プレイバックしながら見ると、理解できるかもしれないが、映画館で見た場合は、プレイバックはできない。
事前にストーリーが分かっていると面白くないという人が多いが、私は前もって、ストーリーが分かっていないと、プレイバックのできない映画は理解できない。
大切なことは、理解することだろうと思う。
理解できないと、あたりまえだが、面白くない。
見知らぬ年賀状
元旦に届く年賀状は楽しみでもあるが、少し、腑に落ちない事もある。
それは、見知らぬ人物からの年賀状である。
思いだそうとしても、どうしてもその人物の名前を思い出す事ができない。
何かの間違いだろうかとも思ってみる。
家族の誰かの知り合いなのだろうかとも思ってみる。
どうしても思い出す事ができなくなると、腑に落ちないというより、不気味ですらある。
年頭の決意
謹賀新年。
年頭にあたり、今年の決意のようなものを書いてみます。
昨年は、読みきる事が出来なかった、トーマス・ハーディの、『ダーバヴィル家のテス』を読み切り、エミリー・ブロンテの、『嵐が丘』も読み切り、ゼルダ・フィッツジェラルド全集も読み切る。
読書に関しては、そのように決意する。
小説書きに関しては、今、書いている小説を完成させて、電子書籍の形にして販売する。
ストックフォトに関しては、売上を月1万にする。
とりあえず、決意だけはしてみる。
自分にとっても、皆様にとっても、幸せに満ちた一年になりますように。