電灯は半分だけ光る
日頃より、節電は心がけている。
部屋の電灯の蛍光灯は、円形のタイプのものと、電球タイプのものとがある。
電灯は、円形のものが三個付いているけど、一個しか使用していない。
別の部屋には、電球タイプのものが六個付いている。
そのうちの半分の三個しか、電球は取り付けていない。
部屋はあまり明るくはないけれど、とくに不便ではない。
パソコンの背後には、蛍光スタンドがあるので手元は明るい。
夏になっても、毎年、できるだけエアコンは使用しない。
扇風機を使用している。
基本的に、夏は、窓を開けている。
デフォルメはどの程度
イラストとか、絵を描く場合は、実際の形と同じに描く必要はないし、同じ色にする必要はない。
むしろ、実際と同じに描かないほうが、いいのかもしれない。
作者が好きなようにデフォルメすればいいのだが、できるだけ実際の形に近づけようとして、結局は物の形そのものが分からなくなる。
描いては消して、描いては消して、その繰り返しで、結局は何もできずに時間だけがすぎた。
園児の絵のようにデフォルメしてもいいのだが、どこまでデフォルメしていいのやら分からない。
罪深きは親
東日本大震災関連の報道が、落ち着いてくると、日常に起こっている事件も報道されるようになる。
そんな報道の中で気になるのは、親による子供の虐待。
子供は親の所有物で、気に入らなければ、暴力で従わせてもいいと思う親がいかに多い事か。
虐待は、肉体的な暴力だけではなくて、言葉による暴力もある。
言葉による暴力はあまり報道はされないけれど、子供を死に至らせる事がある。
私の身近なところでも、親の言葉の暴力で自殺した者がいる。
罪深きは、親。
事件は完成間近で起こる
やっと、これで完成する。
あとは、保存するだけ。
予定よりも早くできた。
そういう時は、気持ちに隙ができてしまうようだ。
最後の最後でミスをしてしまう。
せっかく完成寸前だったのに、間違ったポイントでマウスをクリックしてしまったばっかりに、もう一度やり直しになってしまう事になる。
完成間近、あとほんの少しで家に到着する時に、事件が起こる。
真実はどこにある
またか、と言いたくなる。
誰がほんとの事を言って、誰が嘘を言っているのか分からない。
偽りなく、持っているすべての情報は公開すると言っておきながら、今になって、福島第一原発の一号機への海水の注入の中断はなかったと、報道された。
一体、誰が真実を知っているのか。
真実を知っているのは現場にいる人間だろう。
しかし、現場にいる人間は、記者会見を行う事はない。
東電も、政府もあまりにもお粗末すぎる。
情報の錯綜は、真実が隠ぺいされている事の証拠でもある。
国民は、真実を知る権利がある。