後の世のしわ寄せ
先送りすると、後の時代の人々にしわ寄せがくる。
今、まさに、日本国憲法がその状況にある。
日本が主権を回復した直後に、占領軍であるGHQに作れらた本来無効である憲法は改正するべきだった。
あの時に、さっさと、やっておけば、現代の国民が戦後体制から抜け出せずに、鬱々とした気分に陥ることはなかったはず。
有事の時にアメリカが日本を守るなどということは、ほとんど迷信のようなもの。
アメリカが前線に出て、自営隊は銃弾の届かないところから、米軍の後方支援をして、自衛隊には死者がでないという状況をイメージしているとしたら、それはたいへんな間違いである。
まったく、その逆で、日本を守るために、自衛隊が前線に出て、アメリカが後方支援に回る。
日本は、日本国民が守るのは当たり前。
特定アジアと終戦の日
終戦の日です。
靖国神社には行ったこともないし、行く予定もありません。
首相が参拝することを特定アジアが毎年のように非難します。
大きなお世話です。
日本の首相が、日本国のために戦った戦没者に、尊崇の念を表わすのは当たり前であり、他国がとやかく言うべきものではない。
特定アジアの感情を鑑みて、首相が靖国神社に参拝しないのではなくて、特定アジアの裏にいるアメリカの顔色をうかがって、首相は、本日参拝しなかったのではないかと思う。
特定背後裏にはアメリカの影があるということを考えておくべきではないかと思う。
日本とは何か
日本とは、何か。これに答えられる人がどれだけいるだろうか。
その答えは、『古事記』にあるらしい。
しかし、『古事記』を読んだことのある人はあまり多くはないと思う。
だいたい、小学校、中学校では古事記を授業で習うことはない。
聖書と同じように古事記を読むべきではないかとも思う。
『古事記』は神話なのか、あるいは、史実なのか。
『古事記』は、日本の正式な歴史書として位置づけられている。
国が編纂したものだから、正式な歴史書である。
現代から見れば、神話的要素が多いが、およそ、1300年前に、編纂された正史なのである。
ならば、学校でも教えるべきであるし、学校で教えなくても、国民は、積極的に、『古事記』を読むべきである。
全く予期できない
昨夜、まったく予期せず、買って、一週間ほどしかたっていないPCが壊れた。
買ったのは、NECのPCなのだが、このPCには、スマートアップデートという機能がついている。
たていて、アップデートは、自動的に行われるものだが、このPCは、手動で行うアップデートもある。
手動でアップデートしている時の手順に何か間違いがあったようで、PCが自動的に、修復作業をしようとした。
しかし、修復ができず、PCが立ち上がらなくなり、PCの初期化をした。
その結果、個人ファイルはすべて削除されてしまった。
ほぼ、100ギガ分のファイルが消えた。
なぜ、こんなことになったのか。
ふつうは、アップデートに失敗したとしても、『正しくアップデートができなかったので、もう一度やり直してください』という程度で、PCが壊れれるなどということはまったく予期できない。
殺されるまで反撃ができない憲法
国家というと、漠然としてしまって、現実感が乏しいから、国家を家と考えてみる。
家には、あなたもいるし、あなたの家族もいる。
あなたの家に誰かが訪ねてくる。
ドアを開けると、玄関の前に、ナイフを持った、外国人がいた。
彼は、今にも、襲い掛かってナイフで刺そうとしていた。
しかし、家には、憲法があって、相手が今にも、攻撃して、命を奪おうとしていることが明らかであっても、あなたは攻撃することはできない。
相手が、あなたの心臓を刺してからやっと、反撃できる。
それでは、遅い。
しかし、家には、憲法9条があるから、殺されるまで反撃ができない。
これが日本国憲法の平和憲法といわれる憲法9条である。
なんとも、すばらしい憲法だ。
家族を守る憲法でなくて、侵入者を守る憲法だ。