ルールを逆手に攻撃するのはもはや悪 | PLAYESTオフィシャルブログ「one's life time」Powered by Ameba

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プロから学ぶ本当に正しい
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お伝えします。

小学生がやるべき
サッカーのトレーニングはこれだ!

昨日
武と延々とLINEでディスカッション

テーマは「暴力」

PLAYESTは
やっぱり「暴力は反対!」です。
「今道を選ぶのは君なんだ」でも
歌にしましたが
あの思いです。

あの曲の漫画の中に
2種類の「殴る」シーンが描かれてます

実はあのPVをアップした時
イジメに関する団体の方から
片方の殴るシーンが問題だと指摘されました。

それは
主人公がイジメグループに囲まれて
殴られているシーンでは無く、

自殺しそうな主人公を
ヘラヘラ笑ってるイジメっ子を
亮君が殴るシーンです。

理由は暴力が正義に見える
でした。

でね、

武と話してたのは
例えばね
レストランで彼女とご飯食べてる時に
横の席の奴がこっちに聞こえるように
彼女の容姿の事でバカにして来たとして
散々我慢したけど彼女は堪え兼ねて
相手を泣きながらビンタしてしまった
そしたら相手は「はい暴力!訴えるから!」で警察沙汰になり
彼女は会社もクビで積み上げた物が崩壊
みたいな事があったとして
それでもビンタした側が悪でしょうか?

これって
仮に僕が裁判官なら
「言葉の暴力をふるった奴が悪い、ビンタはその償いに相当」って言いたいです。

今って
暴力に対して
過程は関係無くて
手を出したら終わり!な風潮じゃないですか?

勿論暴力はダメです!
ダメですが
ルールとして暴力を振るったら負け!
と決まってしまったら
それを逆手にとって相手を落としめる奴
だって出てきます。
やはりちゃんと一件一件
そこまでの過程を見定める必要は有ると
思うんです。

話しを
「今道を選ぶのは君なんだ」
に戻します。

亮君が殴ったシーン
何故入れたか?
「やり過ぎに気付かせてくれる存在」と
言うか、
間違いや、失礼や、調子に乗り過ぎたり
したら「オマエおかしいぞ!」って

はたまた落ち込んでる時に
「落ち込んでんじゃねぇ!」と
真正面で向き合ってくれる人って
大切だよ!って伝えたかったんです

イジメてた子には
これまで「オマエかっこ悪いぞ」と
言ってぶつかってくれる友人がいなかった
んじゃないかな?って
そう言う存在はいた方がいいでしょ?
あそこで気付かせてもらえなかったら
もしかしたらイジメで人を自殺に追いやった自分として生きなきゃならなかった訳です。

だからラストライブのシーンで
亮くんに殴られたイジメっ子は
応援に来てるんだけど

僕も先輩とか友達とか
ガツっとやられて
暖かさを感じたり、後に感謝したり
あるんですよね。

「あの人なんもやってくんないんですよね」みたいな甘い考えに
ガツっとお尻蹴られて
「その考えは捨てろ!誰も力貸してくれなくなるぞ!言われ方は蹴るくらいイラつくからな!」ってそんなふうな
尊敬してる人の一撃は有り難いです。

一方的な暴力
何かを奪う暴力
逆らえない相手への暴力
そんなのが許されないのは当然

ただ
中には暖かく優しい暴力や

やられた方にもそれ相応の原因が
有る暴力

そう言うのも有ると思って
ちゃんと良し悪し、
悪しなら原因はどこにあったのか?
それをしっかり見るべきだと思うのです。
それを見ずに
殴ったら即アウト!で安易に批判すると
わざと人を怒らせてお金をたかるような
殴らせ屋みたいなのが出て来ますよ!
竜の字