マーケティングジャーナルカフェ
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コンビニのパンを考える

 諸事情あって、ブログを更新できませんでしたが、本日より再開します。

 さて、今回はコンビニのパンを考えてみたい。

 メロンパンというのは、どのようなバリエーションのものでもたいていよく売れる。どのチェーンもベーシックなメロンパンを品揃えしているが、外の皮が固めのタイプ、柔らかいタイプ、網目がないタイプ、あるタイプと様々である。
では、メロンパンについで売れるものはというと、ぱっとしたものがない。その時々売れるものが違っており、チェーンによっても、品揃えが強化されているパンが違う。

 現在、各チェーンは、街のベーカリーショップのパンをベンチマークにし、ベーカリー色を強めたパンをPB商品として発売しているが、この考えかた自体が誤った方向を向いているように思える。
 所詮、ベーカリーショップにまねたものを作ろうとしても、その場で焼き上げているものに勝てるわけではない。
 ベーカリーショップで味わう、できたてのパンを買うという一種の幸福感と同じものを提供できはしないからだ。
で、あるなら、CVSはまたしても「ほんもの」の物を売れず、それに似たものを売る存在になりさがってしまう。
ベンチマークして、似せたものを並べるのではなく、真のオリジナリティあるパン売り場を作ること、それが今求められている。

スターバックスコーヒー、CVSで販売へ

関東のCVSにおいて、スターバックスコーヒーのチルド飲料の販売が開始した。
イメージが湧かない人のために説明すると、森永カフェラテと同じようなプラスチック容器に入った商品で、もちろんその場でコーヒーを炒れるようなものではない。同じような製品で、ドトールコーヒーの銘をうつものも既に発売されていて、CVSにおいてもコーヒー戦争が起きていると言える。

問題は、このような他業態とのコラボレーションのありかたである。
コンビニでスタバやドトールのコーヒーが買えることがどれほど人の目を惹くのだろうか?  
確かに少しは興味が湧く。しかし、リピートしたくなるほどのものではなさそうだ。むしろ、同じものを飲み続けるより、いろんな味を楽しみたい。

確かにコンビニとコラボすると飛躍的に売上を上げることはできるだろう。
しかし、ブランド力を高められるかというと、疑問が残る。
コンビニは常にある種、バカにされながら、利用されてきている。どんなにプレミアムを謳っても、しょせんコンビニはコンビニである。であるから、コラボする側も慎重であるべきだと言いたい。単発的な売上を作るなら手っ取りばやいが、長期的にブランディングを行っていくには、向いていないからだ。

コンビニ側にも問題がある。ビッグネームとのコラボばかりが連発され、その姿勢は節操もない。これでは4番バッターを他のチームからひっぱってくるようなもので、長続きしない。
猿真似だけが能ではない。真の独自路線を改めて検討していかねばならない。

セブンイレブン、一部清涼飲料水を恒常的値下げへ

セブンイレブンは禁断の果実といわれてきた値下げ販売を断行する。
時代の流れに乗っていくには、この決断が本当に必要なのだろうか?
実験販売を行ってきたとのことであるが、一体どれだけの期間それをおこなってきたのかが気になる。
値下げ販売は、やはり一時的に行われているからこそ、消費者は興味を持つのであろう。恒常的な値下げというものを、とりわけ日本人という民族は好むのだろうか?デパートのバーゲンセールをみてみたらいい。単調な毎日に埋没しているなかで、ほんのささやかな「ハッピー」と「ラッキー」があるから「プチ幸せ」を感じられるわけだ。たとえが悪くて申し訳ないが、ショップ99にはさほどサプライズがない。安さがあたりまえのなかで、それ以上のものが売り場に転がっていない。


また、セブンは値下げ額を実勢価格にあわせたとのことであるが、定価147円のドリンクが125円になることが、消費者にどれほどのインパクトを与えるものなのかも、疑わしい。それでもまだ、100円自販機や、ショップ99にはかなわないからだ。

対象アイテムは6種類ほどであり、そのなかに伊藤園の「おーいお茶」が含まれている。おそらくダントツの売れ筋になるだろう。伊右衛門もはじめも、何をやってもたちうちできなくなるだろう。プライスの差で、売れ筋が決まってしまうという結末は、明白であり、ヘルシアのような例外を除けば、毎週発売される新商品が俊発的な売上を作る機会も大いに減っていくだろう。全てがプライスに屈するのだ。

ここにセブンの戦略のあやうさがある。CVSは新規商品を売りにしてきた。そこには、ドリンクなら147円という価格的同一条件という前提があった。価格が同じなら、中身で競う、そういう市場論理がメーカーも、店主も、顧客も共有していた。これをぶち壊すのが、今回のセブンの戦略である。自らをもって、プライス論理に支配されたつまらない売り場を作ってしまったのではないだろうか?

丁とでるか半とでるか、極めて危険なばくちである。セブンのマーケティング力が正しく強いものなのかどうか、見守っていくことにしよう・・・。




新しいビジネスモデルを生み出す

既成概念を疑うということは、文字で書くほどには優しいものではない。
それが、一つの会社組織に属している者にとってであるなら、もっと難しいものになるであろう。

「気がついたら、変化していた」という程度の変化ならば、いたるところにあり、ストレスも感じないだろうが、無から有を生み出すような変化には、人間同士の衝突、バッシングも多くあるだろう。
そうであったとしても、あるいはそうであるからこそ、既成概念をまず疑ってみようとせねば、状況を打破できなさそうだ。
結局は、オピニオンリーダーの一言で大勢が決まってしまうというのは、あまりに面白くなさ過ぎる。
なぜなら、オピニオンリーダーの言う意見など、現場ではずいぶん前から分かっていたことであるから。

しかし、こうも考える。現実否定ほど簡単なことはない、と。
よく言われることだが、否定するということは意外と難しくない。嫌悪感というのは、敏感に自覚できる。
ちゃぶ台をひっくり返すのなら、誰だってできる。
惰性だけで、現状の姿形ができたのではなく、なんらかのヒストリーを経て、今の形になった、そういう必然性を十分に認めたい。否定だけでは、物事を生み出しにくい。否定は否定を呼ぶだけだ。

であるから、まずは現状を肯定した上で、既成概念を疑い、現状を発展的に変化させる、というのがあるべき形であると言える。
それを実現させるには何が必要なのか、と考える。
ひとまずこう思う。面白みに欠けるかもしれないが、やはりどこで理想のラインを引くのかという自己判断にかかっているのではないか?
理想のライン。
ある者は終わりなき欲望によっていつまでもラインをひけずにいるだろう。ある者は、あっさりとひいてしまうだろうし、ある者は常にひきたいラインに手が届かずにもがいているのだろう。









年収300万円時代の精神論

 どのように生きるのもその人の自由に任されている。いわば選択と決断の時代である。

 無数の選択肢のなかで、「これが自分の生きる道」だと言えるだけものを見つけることは容易ではないが、我々は、―好むと好まざると―何かを選ばねば先に進めない。
 逆に、たとえ自分はそれを決して望んでいなかったとしても、他に選択肢が残っていないなら、それはもうあなたの生きる道以外の何物でもない。あなたは膨大なチャンスを全てふいにしてきたのであって、やはりあなたの前にも十分に選択肢はひろがっていたのだから。

かつて女性は、ただ結婚して子供を産むという役目から脱却しようと、社会に進出してきた。しかし、そんなキャリアウーマンも、負け犬でくくられてしまう。かっこいいという価値観は、いとも簡単にひっくり返ってしまうのだ。

であるからこそ、最後に信じられるのは自分のなかの価値観なのだ。自分の価値観を信じる、これを言い換えれば、選択と決断ということになる。そして、たいていの場合、選択と決断を実行できた者は、仮にそのチョイスが間違っていたとしても、本人が納得し、本人自身を慰めることができている。

年収300万円の時代において、最も不幸な人というのは、何も選択せず、決断しない人たちである。膨大な選択肢を前にして、そこから前に踏み出さない人のことである。彼らは、右にも左にも進もうとせず、選択肢の多さを前に、擬似的な幸福感に浸り続けている。彼らは多様化する価値観の海に漂っている頼りないボートの漕ぎ手と同じである。もしかしたら南の島に漂流できるかもしれないし、そうでないかもしれない。

年収300万の幸福論と、IT長者の不幸論が交錯する世の中では、何を選択すれば正解なのかははっきりしない。結果論を導きにくいのだ。であるなら、今、最も重要なのはプロセスの方であり、要はあなたには活力はあるのか、ないのか、ということだけが問われている。選択と決断をする活力、内から放たれるエネルギーを、あなたはもっており、活かせていますかと。

マクドナルド、100円マックが裏目に、大幅減益

マクドナルドは4月からセットメニューを500円にし、シェイクはスモールサイズで100円に変更した。メニュー表は以前と比べると簡潔になり、料金体系がはっきりするようになった。
これにより、客数は増えたが、客単価が落ち、結果として減益につながった。
どのようなカラクリなのか分からないが、食材コストが同じなら、売価を下げた分だけ粗利は薄くなる。

価格の引き下げというのはCVSにおいても商品ごとに時々行われている。
値下げした以上、値下げ分をリカバーするだけの販売個数を稼がねば、売上トータルで数字を下げてしまう。
実際のところ、個数は伸びるが、売上額を以前よりも増やすことは、なかなかに難しい。
どちらかというと、短期的な販売促進企画の一つと捉えるべきであり、それを長期的な戦略にするべきではないというのが、私の考えである。

確かに、マックに行く機会は増えた。しかし、レジに並ぶ人が増え、待ち時間が長くなった。
頼むのは、たいてい決まってマックシェイクバニラ、100円である。
スーツを着たサラリーマンが財布から100円玉一枚を取り出して、支払いを済ませるのはなんとなく恥ずかしい。
まさにマックの戦略にのってしまっているのだが、従業員はどことなく「またシェイクか」という感じの接客をする。
スマイルは欠かさないのだが、そういうことは感づかれてしまうものだ。

日経平均が12000円を超えた。景気は踊り場を脱却したという。
ワンプライス値下げ戦略という手段は、今後ますます通用しなくなっていくのではないだろうか・・・

ローソン、ストア100の経営戦略修正について

ローソンは、新業態の100円ショップ「ストア100」の経営戦略の修正を発表した。
不採算店2店舗に関しては、閉店するという。
店名も「ローソン ストア100」にするとのことである。
また野菜の鮮度向上ということで、より早く産地から売り場に並べるまでを短くさせるという。

確かに、まだ始めたばかりであり、ビジネスモデルを模索中であるとはいえ、当初の思惑が外れた形となる。
改めて、これをやれば必ず当たるというものはないのだと思わされた。

コンビニは毎日来店してもらうことを狙っている。毎日どころか、一日に2回、3回足を運んでもらうことを狙っている。だからそのような商品構成をとっている。ここのところを崩してしまうと、コンビニはコンビニでなくなる。

100円ショップには、ワンプライスの魅力があるが、それによって品揃え上、犠牲になっているところがあるのかもしれない。プライスであわせてしまうと、置きたいものを置けなくなってしまうということだ。

売上=客数×客単価であることを考えると、100円ショップは相当の客数を稼がねば売上がとれないと思うが、客数は来店人数×来店頻度であり、やはり頻繁にお客さんにお店に来てもらわねばならないわけで、品揃えをしていく上で、ワンプライスは邪魔な仕掛けになってくるのではないだろうか・・・

明治製菓、冷やして食べるチョコ好調で経常益2倍に上方修正

タイトルにあるとおり、冷やして食べるチョコがヒットしているそうだ。
しかし、そこまで売れているのだという実感は、意外とない。
CVSにおいて、チョコを冷やして販売する場所、展開スペースがないというのが、その一つの理由だ。
たとえばどこかのCVSのお店で、チョコがドリンクコーナーのガラスの内側にひっかけられて売られているのを見たことがある方もいるかもしれないが、そういう販売方法は例外的なもので、どこのチェーンでも統一されて行われているものではない。
CVSのチェーンにおいては、チョコは常温の棚で販売するものという固定観念が支配されており、チェーン全体で冷やしてチョコを売ろうという策をとっていない。

ここにギャップがある。積極的に、チョコを冷やす場所を見つけ、チェーン全体で統一された販売方法を確立すれば、明治製菓ほどとは言わないが、夏場に売上の厳しいチョコの底上げは可能なはずだ。
このギャップを埋めるのは、来年の夏まで持ち越しになりそうだが、やはり我々は常にフットワークの軽さというものを求められている。ギャップを飛び越えるには、確かな推測、トレンド察知能力、決断力に裏打ちされたスピードある行動力が必要なのだろう。

個に起きる変化について

 街を歩いていると、レコード袋を何枚も手にした若者を見かける。タワーレコードの黄色い袋一枚なら、きっと視界にも入ってこないはずだろう。DJを夢見て、レコードショップを渡り歩き、これはと思った一枚を買いあさっているのか、それとも、DJなんて目指してなくて、ただ好きで、そういうことにお金を使っているだけなのだろうか。

これと同じようにして目につくのは、若い女性がどこかのショップの袋をいくつも手にしているところだ。ローリーズファーム、セオリー、ユナイテッドアロウズ・・・一体今日一日でいくら使ったのかが気になってくる。

文字通り、消費生活というものが営まれている風景だ。欲しかった商品をやっと買えた喜びというのは、自分にもよく分かる。必要最低限の生活必需品ばかりを買っていては息が詰まってくる。自分のお気に入りのものを、躊躇せずに買う、このささやかかもしれないが大胆な行動が、生活に彩りを与えるのだ。

彼らが幸福かそうでないかは、他人には図りしえないことだが、おそらく来週か、あるいは来月も、今日と同じような勢いでレコードや服を買いあさっていくことだろう。そしていつか気がつくのだろうか?これほどまでにお金をつぎこんでも、もはや自分を満たせなくなっていると。自分のなかの何かが変化しているのだ。かつて自分を大いに満たしていたものが、そうでなくなる。今の自分を満たすのはもっと別のものかもしれないという、違和感。
 
 であったとしても、我々は一瞬一瞬に個を魅了するもの、個を満足させることのできるものを作り出していかねばならない。一瞬をとらえなれないなら、一生付き合ってくれる保障などないのだから。

ブームのない時代

 何かに殺到するということがなくなった。  あったとしても、必ずそれを醒めた視線で見ている人がいる。
 1億総中流社会は、やや形を変えてきた。成功者は成金ではなく、セレブと呼ばれる。
 自由人は、ニートとくくられる。

身につけるもの、飾るためのものには金をおしまず、デパートやショップで手に入れる。身につけず、家のなかから持ち出さないものには、コストダウンを図るため、100円ショップやディスカウントストアにでかける。賢いお金の使い分けが自然と行われている。

一つの世代がまとまって何かに熱狂することはない。個々が取捨選択して生きている。余りにも多岐にわたっており、分かりやすいロールモデルも見つけられない。ただ熱狂と正反対に、坦々とそれぞれが取捨選択を行っている。それが悪いと言っているのではない。そういう時代だとしかいいようがない。

ブームを起こすのではなく、一人一人の顧客に満足を提供できること、を我々は考えていかねばならない。
個に深く支持されることが、熱狂と殺到の新たな形なのだろう。