新幹線の車内販売、今昔
ワゴンを押して、コーヒーやサンドイッチを売る仕事だった。
今、月に一度、仕事で新幹線を利用するとき、ワゴン販売員を見かけるが、あの当時の忙しさとは明らかに違っているように見える。
「なるほど、あれがバブルだったんだ」と思う。
当時、一両歩きぬけるまでに何杯ものコーヒーを注ぎ、夕方からはビールが文字通り飛ぶように売れていった。
座席を向かい合わせにして、宴会を始めるサラリーマンは、ケースごとビールを買ってくれ、大して吟味もせず、つまみも適当にまとめ買いしてくれた。
さて、今はどうなっているだろう。まるで新幹線の車内は瞑想の場とでも言わんばかりに誰もが眠っている。
チビチビと缶ビールを一人であおっている人もいるが、せいぜい2、3本で終わりだ。
確かに、駅の売店が充実したとか、のぞみのスピードアップにより、電車旅行、電車移動がかつてほど大層なものではなくなったからなのかもしれないが、間違いなく13年前のほうがよく売れており、車内は賑やかだった。
普段の生活のなかで、近所の店が潰れたとかいうのは、たまにある。
新幹線という閉鎖されて、他の競合がないような環境においてもまた、同じような問題を抱えているのではないのだろうか。
瞑想しても、バブルは戻らない。
何かを生み出さねば、状況は変わらない。
だが、何かを生み出すだけの元気を得るには、もう少し眠りが必要なのか・・・
電車男、観客動員200万人突破の意味
相乗効果を狙っているのだろうが、悪く言えば新しいものを生み出せず、他からの流用に頼らざるをえないという、一種のもがきにも見える。
オタクの恋愛ストーリーというのは、ドラマの骨格としては極めてオーソドックスだ。
いわゆる、負を背負う男が、難関を乗り越えて成長するという骨格だ。
こういうスタイル自体は、少しも新しいものではない。
この作品に漂う今日的な時代背景として最も感じられるのは、主人公の年齢にそぐわない恋愛なり、ファッションセンスなり、生き方というものについてである。
その年齢で通過していないといけないこと、その年齢で知っていなければならないこと、とのアンマッチ感が常に主人公につきまとっている。
晩婚化、少子化、ニートといったものは、ゆっくり成長をしていっている人が多くなっている表れのように映る。
あるいは、少年の凶悪犯罪、ドラッグの蔓延、売春の低年齢化といったものは、老成した世の中を映している。
かつては、この年齢ですべきことというガイドラインが明確にあったが、個人の自由な生き方がより尊重されるようになり、このガイドラインとのアンマッチが当たり前になった。
おそらく、オタク男だけが、この作品に共感しているのではないだろう。
アンマッチを感じている人なら、男女、若い人も歳をとってきた人も、主人公に自己投影しながら観れるのではないだろうか。
アエラの記事から
赤色が、人を燃え上がらせ、指揮が高まるため、であるということだ。
それと似たようなことを私も思っていて、また好きな色でもあるから、このブログのデザインを赤基調のものにした。
思い返して欲しい。世の中のトップブランドの会社のロゴマークの色を。
トヨタ、セブンイレブン、キャノン、日清食品、東京三菱、マクドナルド、コカコーラ、フェラーリ・・・
YAHOOの色はと聞かれたら赤と答えてしまうだろう。楽天も赤だ。
対して、赤と永遠のライバル、青で思い出すのはローソン、日産、パナソニックといったところが思い出される。
私が会社を設立するなら、そのロゴマークは間違いなく赤を選択する。
赤でなければ、天下はとれない。
そういう特殊さをもつ赤が好きだ。
ファミリーマートも生鮮販売開始
コンビニはもはや仕入れることのできるものは、なんでも売っていく構えであるようにみえる。
確かに、もう「近くて便利」「いつでも開いてる」だけでは、売上を伸ばすのは難しい。
だから、これまで扱ってこなかった商品を積極的に売っていこうとするのはよく分かる。
しかし、当然、そこには新たな問題が浮上してくる。
例えばデジカメプリントサービスを扱い始めた時、新しい売り上げを取れるが、後に、隣に写真屋が出店してきた場合、わずかな影響とはいえ、競合店の出現となり、昨日まで取れていた売上を減らすことになる。
それと同じように、生鮮品の取り扱いにより、スーパーはもちろんのこと、これまでそれほど意識してこなかった昔ながらの八百屋も競合店となるだろう。
つまり、自ら敵を増やすということである。
そこでもう一つ問題となってくるのは、新しい業態へ変化していきながら、どうブランドイメージをひきあげていくかということである。
ただコンビニが生鮮を取り扱いはじめたからといって、売れるとは限らないと考えるべきである。
繰り返し述べるが、「ただ便利なだけ」では、もはや売りを取れる時代ではない。
ローソンやファミリーマートは、ある種ミーハーな形で、ショップ99をまねするように生鮮を始めたように映る。
これに対し、セブンは静観をしている。
売れてるスタイルを模倣するのが一番簡単なのかもしれないが、敵を招くのも早い。
もう一度言うが、「ただ便利なだけ」のお店ではなく、「遠くても足を運びたくなる」お店を目指すことが、最も難しく、目指すべきところはそこなのだと思う。
ダイエーの不振店閉鎖について
いまとなっては、ダイエーが「やばい」ことは誰でも知っているが、だいぶ昔、そんなことが報道される以前に、ふとダイエーに立ち寄った際、その予兆のような「やばさ」はすでに漂っていたように思う。
企業は、生きる生き物であり、それ自体が生きようとする生命であるが、拡大成長を遂げてきた業界最大手が、このようにスリム化を図らねばならないことに、なんともいえない感慨を覚える。
よく報じられているが、1982年という断層を境に、高度成長期が終わり、それによって、商品がなんでもかんでも売れるようにはいかなくなったという。
セブンイレブンの鈴木会長は、スーパーが衣料品を売る時代は終わったと語っている。
この商品ならば、積極的にお金をかけたい、そういうものでないと売れない時代の流れのなかで、ダイエーは取り残されていったのではないのか?
こういうことを考えると、拡大成長というものに慎重にならざるをえない。
いや、そもそも拡大成長というものには、常に慎重な態度が求められるべきだ。
そこにつきまとうのは、拡大成長しながらいかにブランド力を向上させるかということである。
1982年を境に、均一的なものが、簡単に手に入ることに私たちは素直に喜べなくなってしまった。
その代わり、私たちは、希少性があり、クオリティーが高く、コストパフォーマンスに優れるものをいつも捜し求めるようになったのだ。
「やばさ」というのは、ニュースになる前から漂っている。10年前と同じ手法を繰り返しているだけでは、生き延びてはいけない。勝ち残っていくには、やはり本気で拡大成長を目指していくしかないんだろう。
ワンプライス、ワンコインの行方
価格を固定にして、購買決定要因からプライスという要素を外すことによって、顧客の購買意欲を活性化させる戦略は、今のところ100円という単価の低いところで成功をしている。
消費者からしたら、値段は気にせずに済み、商品の内容だけが問題となり、あとは買い物かごに入れるか、入れないかの判断だけが残ってくる。
ローソンも500円弁当を打ち出し、買いやすさをアピールしている。
プレミアム性を打ち出そうとするとき、その商品が498円とか1,980円といった価格では、顧客の心理に安売り感がちらついて、失敗する。そういう売価設定は、スーパーやドラッグストアで見慣れていて、それ以上のものがプライスにこめられていない。プライス設定のなかに、その必然性があると、そう思わせる必要がある。例えば、1,000円ぴったりの弁当などどうだろう。妥協を許さずに作り上げた、こだわりの弁当と思わせる、少なくともその可能性は秘めていると感じさせはしないか?
いずれにせよ、100円、500円といったワンコインや、1,000円というワンノート(というのだろうか?)といった切りのいいプライスゾーンは、ヒットゾーンとかぶってくると見ていい。
1000円でできること、1,000円で驚かせること、1,000円ならリピートできること、こういった所を突いていくべきである。700円で商品を完成させてはいけない。あと300円分付け加え、1,000円でフィニッシュさせよう。妥当と思われる700円では、サプライズは起きない。それを起こすためには、切りのいいプライスゾーンにいかに近づけられるかというさらなるアレンジなのだろう。
デザインが全てを解決する~パート1~
おしゃれなデザインは、コストアップにつながり、価格面で競争力が弱くなる。
おしゃれな居酒屋では、落ち着いて飲めない年輩層もいるわけで、ターゲットを誤ると、斬新なデザインは意味をなさなくなる。
安全パイの売上を見込むには、徹底した凡庸なデザインがいいだろう。
しかし、安ければ売れるという時代はとっくの昔に終わっており、人と同じものでは満足できない人が増えているなかで、真に顧客を感動させることのできる商品を作ることが、メーカーや各種産業の第一義的な目標と考えるべきである。
人は商品それ自体に感動するだけでなく、その企業の姿勢、理念に共感と尊敬を覚える。そのような関係が、企業の持続的成長の堅固な下支えとなる。
プレミアム性を謳うということは、その企業がプレミアムに対する優れた感度、感性を持っていることを証明することであり、顧客のニーズを我々はよく理解しているのだということを自己アピールすることでもある。逆に言えば、プレミアムを謳えない企業は、感性の鈍い、顧客のことに頭のまわらない企業と言える。
ファミリーマートの低年齢戦略
特定の年代だけに特化したマーチャンダイジングでは、客離れが起きてしまうので、ターゲットを絞り込まず、「広く浅く」という戦略が通説である。
そのなかにおいて、最近のファミリーマートは、特に20代前半の男性客に向けた販促プロモーションをとっているように見える。
例えば、サッカー日本代表のスポンサーであったり、少し前だが「フォルツァ俊輔」という企画を行っていたりというのは、サッカーファンを取り込もうとしたコンセプトというより、若い世代の取り込みを意識したものと思える。最近ではハイジの似顔絵を描くという企画があるが、こういう遊び心ある企画を積極的に行っているのは、他のチェーンと比較して若い層の囲い込みにつなげていく姿勢であるとみていい。
しかし、私はこの一連の試みに、居心地の悪いミスマッチ感を覚える。
若い世代は、均一化したものを好まないが、コンビニのような均一化した業態で、これを行おうとするところに無理があるように思う。少しばかり、若い世代に迎合されたいという思惑が漂っている気がしないでもない。
また、お金を持っているわけではない若い世代をターゲットにしているのも、誤った方向性をチョイスしているようにも見える。客単価が下がる道を自ら選んでいないか?
今、コンビニ間競争が激化してくるなかで、チェーンの差別化を行っていく時に、若くてきままで、流動的な客層の獲得を狙っていくより、30代、40代の男性客、つまり少々疲れており、スーパーや他のチェーンのコンビニまでいく気力のない世代、一通りよいもの、プレミアムなものを知っている世代を、自店のカスタマーにすることのほうが賢明な戦略であると考えられる。
この層にしっかり受け入れられる真のプレミアム戦略は、変に若作りしただけ戦略より、若い世代を取り込むことも可能にしていくだろう。
ニートの生きる道
かつて、「イデオロギーの時代」と呼ばれる時代があった。ムーブメント、社会運動、学生運動など、人は世の中を変えられると信じ、あるいは人はこのように生きるべきだという一つの考えを実現しようと、メッセージを放とうと努めていた時代。
時が過ぎ、いつしか人はイデオロギーなど手放してしまった。イデオロギーに頼らずとも、「なんとなく」生きていける時代になったのだ。しかし、この「なんとなく」というのは、肩肘張らない生き方にみえて、本当に恐ろしいものでもある。
今の時代、人は他人に迷惑さえかけなければ何をやっても構わない、自分で責任をとればいいのだ、という考えが深く浸透している。しかし、何をしても構わな
いとか、自己責任という言葉は、別の甘えを引き起こす。人は、他人のただだらしのない生き方を尊重せねばならなくなっている。本当はただ甘ったれて、勝負
する所で逃げているだけの生き方であっても、他人がそれを否定するほど深くは干渉したりしない世の中ともいえる。
このブログを通して、ニートを否定するつもりはない。ただ、私が驚くのは、一個人が、若いうちから、生きるうえでの自由な道を与えられたとしても、人は
そんなには賢く生きられず、結果として、より多くの苦痛や、悩み、一生を台無しにしてしまうほどの不幸を抱えてしまうことになる、そういう自由の怖さに驚
くのだ。
自由など、いくらでもある。捕まるのを覚悟すれば、少女を監禁して自分の欲望を果たせる。いくらでも堕ちていこうと思えば、そうすることができる。社会
参加しないのも、その人の自由だ。本当に癒えない傷を負って生きている人もいるかもしれないが、傷を負ったふりをし続けるのも、また自由。いたるところに
自由があり、人は「それは俺の自由じゃないか」という言葉を免罪符にして生きている。恐ろしいのは、その言葉に頼りすぎて、自分の身を持ち崩しはしないか
ということだ。
そういう状況に簡単に陥ってしまう危険性のある世の中で、皆さんは人生と、自由を謳歌できていますか?
生鮮コンビニの時代へ
CVS以上に、「なんでもある」感の強いのが生鮮コンビニではあるが、公共料金の支払い、郵便ポスト、クレジットカード、チケット発券、宅配便受付など、サービス面をみると、まだまだインフラは整っていない。
さらに見てみると、例えば日清カップヌードル、UFO、グリコポッキーなどの定番品がラインナップされておらず、あまり馴染みのないメーカーの商品が売られている。
いわゆるメーカーが社運をかけたような新規商品は並んでおらず、そのような商品を探す期待感そのものが湧いてこない。
一見するとCVSと同じような作りになっているが、まだまだ売り場における販促、メディアとのコラボ企画などに関しても、非常に弱い。
しかし、生鮮を扱っているところは、CVSに対し大きな優位性がある。
CVSで買い物をする客層は、家に冷蔵庫がない一人暮らしの層とかぶるところが多いが、ショップ99の客層は、買った商品を、家の冷蔵庫で保管する一人暮らし層や、大きなスーパーが苦手な老年層をカバーしている。
現状のCVS業界は、既存店前年比を割り続けているが、この生鮮の全店レベルでの取り扱いと、認知度アップは、大きな売上アップにつなげられるほどのものではないものの、新たな客層の開拓という意味では、極めて意義のあるものとなってくるだろう。