ハリウッドスターのような風貌。
見事に鍛え上げられた肉体と、南国の民族を連想させる二の腕のタトゥー。
トレーニングのために取り入れたはずのボクシングでは、いつの間にかプロボクサーとなり、プロデビューから4年後にはWBAインターナショナルヘビー級タイトルを獲得する。
風貌と逸話がすでにヘビー級だが、ラグビー界では誰もが知る世界的なスーパースター。
ポリネシア諸島のサモアにルーツを持つ元ニュージーランド代表、ソニー・ビル・ウィリアムズは芸術的な”オフロードパス”(相手DFにタックルされながら放たれるパス)が代名詞とも言えるだろう。
ここ最近、福岡県の中学生ラグビー大会を見る機会が2回ほどあった。
一言で言うと、本当に上手いし見ていて面白かった。
ある年配の観客は、お金を払っても見る価値があると言っていて、全くその通りだと同意できた。
今まで中学生ラグビーは指導の経験もなければ、見る機会もあまりなかったが、まずはスキルの高さに驚いた。
そして誰もが臆することなく、かの世界のスーパースター、ソニー・ビル・ウィリアムズのように、相手ディフェンダーにタックルで倒されながらも、どうにか味方選手にボールを繋ごうと、積極的にチャレンジしていたのがすごく印象的だった。
二つの背景が頭をよぎった。
一つ目は、子供たちを取り巻く環境の変化、具体的にはアクセスできる情報量の変化だ。
以前では、世界レベルのテストマッチやプロフェッショナルなゲームは、今よりも見る機会が限られていた。もちろん今でも、誰でも見れる地上波放送などはほとんどないが、動画コンテンツの発展によって、SNSにアクセスすれば、自分の趣味趣向にあった動画が次から次へと、しかもダイジェストで出てくる。
子供たちのプレーを見てると、すでに頭の中には自分の高校時代とはまるで違うほど、世界レベルのプレーイメージがダウンロードされていると感じた。
そしてもう一つがより興味深かったのだが、彼らが日々教わるコーチングの変化を感じた。
最も感じたのは、中学生たちは失敗するかもしれないチャレンジングなプレーをすることに対して、<もしミスをしたらコーチに叱られる。>というネガティブな態度でプレーしていないことだった。
少なくても遠くから見ていて、そのように感じた。
チームによって、全くなかったわけではないが、50/50のプレーでミスが起こった時、ベンチのコーチやプレーヤー同士の罵声は、思ったよりも少なく感じた。
ここからは推測に過ぎないが、おそらく現役時代に高いレベルでプレー経験を持つ元選手や、選手経験は無くても一からコーチングを熱心に学ぶ週末コーチたちが、各スクールのコーチングに熱心に携わっていて、リトル ウィリアムズ達を大切に指導しているのだろうと感じた。子供たちが一定のディシプリン(規律)やチームの方向性のもと、自分たちで判断する機会を重要視しているのだろうと思った。
果敢なチャレンジと無責任なプレイは、似て非なる。
だからこそ、日々の彼らに寄り添いながら、心の機微を理解するコーチたちが、時にチャレンジを讃えて、時には無責任を正してあげることが求められるのだろう。
もしチャレンジングなプレーをして、例えばそれが致命的なミスや失点に繋がったとしても、頭ごなしにその子供を叱るのではなく、忍耐強く見守ったり、あるいは自分たち自身でそのプレーがどうだったかについて考えさせる過程を大切にしているように感じた。
だからなのか、あるいは子供達はいつでもそうなのか。
とにかく子供たちは元気だった。
溌剌と走り回って、プレーの得意不得意に関係なく、臆することなくチャレンジしてラグビーを楽しんでた。
ご年配の観客から<お金を払ってもみる価値がある>と言われたその試合終了後に、チームのベンチに近寄っていった。
劇的な勝利を収めたチームのコーチは、自分と同じ年の友人が務めていた。彼は試合終了後に、30以上歳の離れた中学生たちと抱き合って喜んでいた。
見に来て良かった。
リトル・ウィリアムズ、ヤングラガーへの喝采は、彼らを愛してサポートする全ての大人達への最高の喝采だ。