忘我没頭の日々③ 英語の壁 | ジョンギブログ 〜スポーツのある人生〜

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大学1年生の時、人生最初で最後(たぶん)の英語弁論大会に出場したことがありました。


進学した朝鮮大学校外国語学部が毎年開催する英語弁論大会で、同じ学部の男子同級生4人で「恥をかくのも承知で参加してみよか?」と、当時の自分たちにとっては、すごくハードルが高かったけれど、貴重な経験が出来た弁論大会でした。


自分を含めたその4人は特別英語が得意なわけでもなく、ただそれぞれが何かしらの目的意識を抱いて外国語学部に進学して、そんな彼らに感化されて、自分としても英語力の向上に繋がればと出場を決めました。

 

 

 

 

結果としては、まさかの3位入賞!

それも1位と2位は、同じ学年ながらすでに英語力が並外れていて、そんな彼らに次いでの3位入賞は、とても大きな自信になりました。


何よりそれまでほとんど縁がなかった英語弁論大会に出場するというチャレンジと、一度は途中で心が折れかけたものの、同級生たちの励ましもあって最後まで猛練習を続けれたことはすごく貴重な経験でした。

(あれから30年近く経った今でも、その時の原稿はスラスラと言えます。)

 

 

 

*   *   *   *

 

 

 

2003年3月某日、開業間近だった六本木ヒルズ内のグランドハイアット東京の一室で、スパ&フィットネス部門責任者との面接が行われました。


部門責任者のJさんは日本語が話せないカナダ人女性で、そのほかにも日本人女性スタッフも通訳を兼ねて同席していました。

部屋に入って初めて目にしたお二人の容姿は、清潔感にあふれて凛とした佇まいがとても印象的でした。


まずは同席したもう一人の応募者の方の質疑応答が行われて、次に自分の番になりました。

1つ決めていたことは、通訳はお願いせずに、少し手こずったとしても、最後までJマネジャーと英語でやり取りをしようと思っていました。


はじめに質疑応答が行われたもう一人の応募者は、フィットネス業界での経験はあるものの、英語でのコミュニケーションはほとんどできない方で、正直あまり明るい雰囲気の方ではありませんでした。


自分にはフィットネス業界での経験はなかったけど、ニュージーランド留学期間にスポーツ専門学校でトレーニング論を学んできたことや、英語、韓国語でのコミュニケーション能力、そして「自分には夢と目標があって、東京に上京してきてこのホテルで働きながら母校でラグビーのコーチがしたい」という想いを、元気に一生懸命伝えようと思って質疑応答に臨みました。

 

英語に少してこずりながらも、思っていた以上に受け答えが出来ていることに自分自身驚きながら、質疑応答が終盤のころ、Jマネジャーからある質問をされた時でした。


ふと過去に数百回と反復した英語のセンテンスが、頭の中の引き出しから口から出てきました。

それは大学1年生の時に出場した英語弁論大会で語った、1つのフレーズでした。

それは、すごく綺麗な文脈で数百回と練習しただけあって、我ながらネイティブのように流暢な英語でした。

 

 

大学時代に毎夜毎夜と英語の辞書を開いて課題をこなして、NZ留学時代恥をかきながらもニュージーランド人と沢山付き合ってきた自分には、もはや「英語の壁」は何もありませんでした。


英語でやり取りすることのためらいや苦手意識は何もなく、自分がこのホテルでこれから役に立つことが出来ますと、自信を持って当然のように振舞えた。

それは、たかが面接に過ぎないけど、はじめて社会活動で英語を実践できた出来事で、自己採点としても100点満点でした。

 

 

大阪に戻ってから数日後、派遣会社の方から連絡があって無事採用が決まったとのことで、2003年4月以降は大学以来、再度上京することが決まりました。


次は小平市と六本木を往復するために、どこに住むのが良いか、東京の路線図とにらめっこしながら、上京準備に取り掛かりました。

 

 

2004年2月 同僚たちと。