忘我没頭の日々② はじめの一歩 | ジョンギブログ 〜スポーツのある人生〜

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やりたいことがようやく見つかって、その為に留学も終えて帰国してきたものの、実際にそのスタートラインには一体どうすれば立てるのかわからない。

当然ながら今いる大阪に住んだままでは、母校のラグビー部には何も関われない。だからと言って、大学の教職員にはなれないのに、いざ東京に行っても何ができるのか。。

そんな気持ちを抱きながら、悶々としながら当面の生活のために大阪環状線森ノ宮駅からほど近い工場で短期のアルバイトをしていた頃でした。

 

ふと部屋で休んでいた時に、こんな事を思い始めました。

 

”留学期間に学んだトレーニング学を活かして、母校がある東京でトレーナーとして働けるところはないだろうか? それかトレーナー専門の派遣会社とかがあれば、今の自分に合った就業先を紹介してもらえるかも知れない。

トレーナーのバイトをしながら、朝鮮大学校ラグビー部のコーチをすれば、今まで経験したことも活かして、やりたいこともできるんじゃないか。

それに自分には英語と韓国語を話せるという強みがある。

そんな強みを活かせる場所、自分のような人材をどこか求めている場所は無いだろうか?”

 

 

2003年3月頃、そんな思いで当時各家庭にも普及し始めたパソコンとインターネットで検索をし始めました。

すると、間もなく自分が今まさに探していた条件の求人情報に出会うことができました。

 

<2003年4月末に六本木にオープンするホテルで、フィットネスインストラクターを募集。トレーナー経験、もしくはスポーツ系学部卒の方募集。英語など外国語での接客あり。>

 

うゎー、これやんけ!!!

まさにこんな場所があればと思っていた求人内容でした。

その求人を出していたのは、東京都江戸川区のとあるトレーナー人材に特化した派遣会社でした。

すぐに連絡をして、その後家族も「あんた急にどこ行くの?」みたいな勢いで大阪を発って、江戸川区の新木場辺りの会社に面接に行くことになりました。それから一度大阪に戻ったあと、間もなく求人が出されていた六本木のホテルに面接に行くことになりました。

 

そのホテルとは当時日本中でも話題になっていた、六本木ヒルズに開業するグランドハイアット東京でした。

2003年4月25日のオープンを目前に、急ピッチで開業準備を進めていた頃、派遣会社の方ともう一人の面接を受ける方と自分の、合計3名でホテルに到着しました。

 

今までに見たことのない煌びやかな空間、先進的で芸術的なオブジェの数々、ムードのある照明。それは想像していたよりも、遥かにラグジュアリーで、もし採用が決まってこのホテルで仕事をすることになったら、この先どんな経験ができるのかというワクワクと、今から外国人部門責任者との面接という緊張が交差しながら、真新しいホテルの廊下を一歩ずつ進み始めました。