白い巨塔ってドラマが異様にどろどろしている。



あんまりどろどろしているから、エンディングのテーマが優しく流れて来るとほっとする。



しかし、あのどろどろさ加減。無きにしもあらず。



それが恐ろしい。



ドラマの中で江口さん扮する里見先生がせめてもの癒し。



どろどろ族の連中には「なーーにを甘いこと言ってるんだ!いつまでそんな素人みたいなことを言っているんだ!」と言われているが、あの中では一番心満たされた人間のサンプルのようだ。



私利私欲の為だけに動く者たちは、我が我がといつでもエゴイスト。

物凄く自分の事を考えこだわっていると言うのにさ迷い続け、その傍らで人のために悩み苦しむ者が、結局はその「人との関わり」の中から己が答えをはじき出す。



素敵な皮肉だなと思う。



その甘い男の役柄が言っていた。



「結局は、『頑張れ、頑張れ。』と、積極的な治療をしたために、本人の寿命を縮めることになった。」と。末期癌の患者さんのことだ。



「頑張るのか受け入れるのか。どっちがいいのか。一人一人の患者さんに出会う度に迷い続ける。」



私は昔出会った患者さんを思い出す。いや、思い出すと言うより、いつもここにいる。



その人はいつでも怒っていた。



「あんたたちの言葉や態度には『あなた死ぬ人。私生きる人。』って考えが滲み出ている。」



そんなことはありませんよ。



「嘘を言え!おまえも一緒に死んじまえばいいんだ。あたしと一緒に死んじまえ。皆、皆死んじまえ!」



私たちは毎日呪いの言葉を甘んじて受けていた。



ずっとずっと傍にいて。



悪態ついている彼女の口から普通だったら聞くに耐えない言葉が来る日も来る日も飛び出して来るのに、



傍にいて。

ずっとずっと傍にいて。

一人にしないで。



そう言っているような気がしたから。



やがて、その方の憎しみが日増しに溶けて来て、ある日、にっこりと微笑みかけられた。



「いつもありがとう。」



その笑顔から、彼女が召されてしまうまでの時間はとても短かった。



何年も長い経過を辿り、「死ね!おまえも死ね!」と言っていた時の彼女は憎しみに生かされて、それでも生き生きとして元気だった。



私たちは「ありがとう」って言う力無き微笑みを忘れない。幸せそうな笑顔に見えた。だけど、力が抜けたようなその笑顔が零れた瞬間、彼女の中から何かが飛び立ってしまったような気がしてならなかった。



自分たちがしたことは果たして・・・・。



月日が流れた。



同じような状況が何度かあった。



そんな疑問を幾人かの患者さんに抱いたことが何度かあった。





ドラマの中で大河内教授って役の爺さんが、ずいぶん初めの段階で里見助教授に言っていた。



「人の命を預る仕事に答えなどない。」



私はその通りだと思った。



だから、ずっとずっと考えつづける。思考錯誤してここにいる。



だけど、ただの一度足りとも「これで良かった。」と思ったことはない。



答えなんてない。



本当にその通りだと思った。





療養型の病棟では一日中、静かにBGMを流している。お年寄りが好きそうな童謡とか演歌とか森や川の自然の音とか。



そんな中で白い巨塔のテーマがかかった。オルゴールバージョンだ。



振り返って見る。



6階の窓から見る景色は晴れ晴れとしていて、ビルの向こうの遥か遠くの家並みまでもが見えた。さらにその向こうには山並みが見えた。



その上に雲がかかっていて、雲間を縫った日の光が地上に向かって射していた。



私はそのBGMにぴったりな景色を患者さんと眺めていた。



「いやあ、絶景だ。神様が降りて来そうな景色だねえ。」とそのお婆ちゃんが言うので、それがとても可愛らしく思えて笑った。二人で笑った
いよいよ新しい部署での勤務。



知らない人ばかりだと想像していたのだけど、今日私の指導を受け持ってくれたのは、何と、あのKちゃんだった。



Kちゃんは3年ほど前の異動をきっかけに療養型の病棟に勤務し続け、とうとう急性期の病棟には帰って来なかった。



「私にはここが合っている。」と言ってケアマネージャーの資格まで取った。今では療養型病棟のプロになっている。



私は、かつての同僚に指導を受けることになったのだが、このKちゃんの指導の優しいこと、親切丁寧なことに驚いた。



しかし、一緒に働いた時期もあるので、的はずれなほど簡単なことは言わない。無駄な説明は一切無く、私が知らないこの場所での特殊性だけを聞かせてくれた。



とても助かった。



Kちゃん、感謝。



━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━◆



とある病室を覗くと、片手を上に上げて天井を見ている人がいた。



異様な光景に思えたので、しばらく立ち尽くして注目していたが、その老人は微動だにしない。



周りではお風呂の支度をしている助士さんやナースがばたばた通り過ぎたりしているが、その人は同じ格好で静止している。



うーん、何だか、精神科病棟の実習でこんな人いたな。何が原因だったっけなあ。この人は精神科の既往はないのかなあ。



「いつもこうだから、着替えさせる時とか、食べさせるときとか、無理やり手を下ろしたりするんです。すると普通に動き出すんだけど。」



ふうん。



こちらの都合で力を加えて動かすまでは、ずーーっと同じポーズを取っているんだ。何でだろ?そうしていることに何か意味があるのかな?



私はその人の横にどすん!と腰掛けて見た。



「あ、傍に寄っても、あんまり喋ってくれないよ。」と助士さんが親切に教えてくれた。



へえ、そう。



返事をしたあとで、私はその人の横でまったく同じポーズを取って見た。



片手を上に上げて天井を眺めて見た。



あ、何か、まだ似てない。



そうだ。私、口が開いていない。この人のように口を開けて上を向くんだ。



助士さんが吹き出した。「○○さんっておかしい人ですねえ。」と初めは笑っていたが、



それに対して返事もせず老人と同じ格好をしている私を見ているうちに、彼女は段々不安になって来たのかも知れない。



「○○さん?○○さん?大丈夫ですか?○○さん?」と私の名前を連呼している。



ここで返事をしたり動いたりしてはおじいさんの形を真似ていることにならない。彼とまったく同じように外界に関心がないかのように天井を見てみよう。誰に呼ばれても。



横のおじいさんはそれでも微動だにしなかったので、もちろん私も微動だにしなかった。



でも、心なしか、手を上げて上を見ていると肺に空気が流れ込んでいるのがよく感知出来る。呼吸に集中出来ているという感じ。



もうちょっとやっていたかったのだけど、段々周りに人が集まってきたのでやばいと思う。恥ずかしいと思う。



他の患者さんも「あれ?どうしたの?真似しているの?」と口々に話しかけて来るし、とうとう遠くの方でKちゃんのどすの利いた声が聞えて来た。



「かおちゃーーん!どこにいるのー?かおちゃーーん?」



しかし、ここまで来て止めるわけには行かない。何でかはわからないが。



とにかくおじいさんと同じようにじっとしていた。



「あ、いた!何やってんの!こら!かおちゃん?かお?かおーーっ!?」



うるさいなあ、もう。何かが掴めそうなのに。



その時だった。



横のおじいさんはおもむろに手を下げた。外界からの力ではなくて自ら手を下げた。



そして右側の私の方をくるり!と向いた。



「あんた・・・。呼ばれてるみたいだよ。」



・・・・・・・・・・・・・・。あ、ども。○○さんもお風呂の順番みたいですよ。



「うん。そのようだ。」



彼は自分からタオルを取ったり下着を揃えたりしてお風呂の支度を始めた。



会話が出来てしまったことに感動して痺れてしまったのだけど、さらに「何で、手ぇ上げて上向いてたんですか?」と訊いて見た。



「そんなことは関係ないだろ。」とのこと。



・・・・・・・・・・。まあ、いいか。会話が出来た。今日はよしとしよう
夜勤明けで帰って来て何気にTVをつけると、野村萬斎さんが目に飛び込んで来た。



おおっ、ラッキー♪と思って釘付けになって観たが、残念なことに私が付けた時には番組も残り10分程度という終盤を迎えていた。



それは彼のお子さんとお父様の万作さんらによる『靱猿』の稽古の風景だった。



鍛えられた喉から飛び出して来るリズムのある声を聴いていると、いつも心が震える。



それで、何度もアップで映し出されている彼を観て初めて気がついたのだけど、発達して喉仏が凄く大きい。もはや声帯と言うよりは一つの楽器なんだなと思う。



しかし、その素敵過ぎる声と華麗な舞で稽古をしていると言うのに、父の万作さんに叱られる。大の大人が厳しく叱られる。それでも彼は三つ指をついて教えを乞う。



一方で、いたいけな幼い息子さんは可愛いお猿さんを演じているのだけど、これもまた萬斎さんにこっぴどく叱られる。



あんなに可愛いほっぺたで、あんなにキラキラした瞳の子供を、あれだけこっぴどく叱るって言うのはいったいどんな気持ちだろう?と正直ビックリした。



しかも、その家に生まれて来たと言うだけで、まだ自分で人生を選択する心も自我も、判断力もないのに、ただひたすら毎日稽古することを押しつけられる。



が、萬斎さんは真剣だった。緊迫する。



そんな中で、祖父である万作さんが、息子の萬斎さんには苦虫を潰したような表情しか見せないし、決して「うん。」とは言わないのに、お孫さんへの稽古をつける段になると、「おじいちゃんの方を向いてごらーーん♪」と途端に甘くなるところが笑えた。あちらの世界でさえも似たようなところがあるんだな。



それにしても「教える側」である親は迷いがないのか?と疑問に思っていた。何の迷いもなく子供を操作し叱咤出来るものなのか?



そして、いよいよ舞台は本番を迎える。



『靱猿』だ。



とある藩の大名が道端の猿に目を止めて、その毛皮を所望する。



「さても、さーても美しき毛並みかなー!」と大名。



「キャー!キャー!キャー!」と拒否する小猿。



しかし、大名に乞われては猿を殺して毛皮を献上するしかない。



飼い主は、泣く泣くその小猿に己が運命を説明するのである。



鳥肌が立った。



瞬時に斬り捨てて毛皮にしてしまっても不思議でないくらいの時代背景の中で、小猿に向き合う一人の男。



殺して毛皮にする前に、小猿に向き合い、己の運命を説明している萬斎さんのその姿にその声にその演技に。



それが、ほとんど演技では無いと思ったからだ。



俺はおまえが可愛いけど殺さなければならない。おまえは罪もないのにこの世界の掟で殺されなければならない。本当はおまえは猿なのに。山にはおまえの仲間が沢山いて、皆自由に生きているってのに。

俺と対で存在するために殺されなければならない。



アップになる。



多分、生の舞台を観に行っていたとしたら見えなかったであろう表情がアップにされる。



萬斎さんは大粒の涙を流していた。本気の涙だった。



ビックリした。衝撃が走った。その涙の意味が何を比喩しているのかが想像出来るような気がして。





しかし、この物語のラストは、大名が小猿と男のけなげさに打たれて、毛皮への執着を捨ててしまう。



つまりは小猿を生かしてくれる。



狂言というものは良くわからないが、粗方はそんなストーリーらしい。何ともほっとすると同時に、やっぱり懸命に生きてれば運命ってものは変えられるのだと感じた。



自由になった小猿を抱きかかえて萬斎さんが舞台を後にする顔は父親そのものだった。



ゆるくゆるく、しかし、しっかりと抱いて舞台を去って行く。



私は思った。



もしも、教育と言うものが本当に「押しつけ」であったとしよう。



だけど、親はその「押しつけ」と同時に、逃げる自由、選択する自由、その強さや勇気さえも与えて行くものでありたいと。



息子を抱きかかえて去る彼の腕の緩みに、そんなことを思った。
しかし、男子バレーも面白いなあ。



ほーーんと、凄いと思う。



娘たちも観戦しながらキャーキャー言っている。



二人ともあの選手のファンのようだ。名前何だっけな。あの、ほれ、あの人。←顔は浮かんでいる。



「何度名前言ったら覚えるのよ!馬鹿!」と怒られるのだけど、違う。違うんだ。



私は、人の名前とか誕生日とか中々覚えられないんだ。←違わないってば。だから馬鹿って言われるんだってば。



そうそう、私は、人の名前とか誕生日とか自分の結婚記念日とか、約束とか、自分が何歳であるかとか、はたまた自分の性別とか・・・・。



「じゃあ、いったい何を覚えんだよ!馬鹿!」



・・・・・・。何にも。



いいや、そんな事が言いたかったんじゃなくて、誰がカッコ良いとか、そんなことはお母さんにとってはどうでもいいんだ。



だって、あれだけ内容の濃い試合を見ると勝ち負けさえもどうでも良くなってしまう。



同じ負けの中にも凄く胸のすくような負け方が存在する。実に気持ちの良い試合だった。



「そうだよね。負けたってのに、これだけの感動を与えてくれるってのは、どんだけ彼らがベストを尽くしたかってことだよね!やっぱ人生は内容だ!うん!」と次女。非常に力強い。



あんまり良いことを言うので感心して一発励ましておいた。



そうだ!高校受かんなくたっておまえは立派だっ!



「まだ受けてもないのに言うなっ!(怒)」



あ、そうだったね。ごめん。



これで次女がやる気満々だと言うことが分かって良かった。お母さんは安心したよ。



「良くない!今に見てろよ!」



負けん気も確認出来た。いい感じです。



やっぱ、受かる受かんないより大事です。
「この日の当直を代わって欲しいの。」と言われたので、「ああ、いいよ。」と答えて仕事をしていた。その日なら特に予定に支障はない。



すると「何で理由を訊かないの?」と言う。



・・・・・・・・・・・・・・。



「何で?」と訊いたところ、夜勤の相棒が嫌いなやつだからだと言う。



ほう、そうか。じゃあ、仕方がないよねえと相槌を打って仕事を続けていたら、鋭い視線を感じた。



え?何?まだ何か?はっ!そうか。何で嫌いか訊けということか。



彼女は何でその人が許せないのかを延々と語ってくれた。



それは酷いね。じゃあ、夜勤代わってあげるねと答えてその場は治まったのだけど、後に「冷たい。」と訴えられる。しかも他の人を通して。



「あんまり同意してくれなかったのと、何にもアドバイスしてくれなかったのが気に入らなかったらしいよ。」とのこと。



あれー、いちおう同意したのに、それは酷いねって頷いたのに、夜勤代わってあげたのに、もっと激しく同情しなくてはならなかったらしい。うがー。



またその人が同じ話をして来た。



今度はハッキリと「どうしたらいい?」と言うので、合わない人間、嫌いな人間は存在するので仕方ないよ、どうしてもあなたがそれを我慢出来ない時は夜勤でも何でも代わってあげるからさ・・・としか答えられなかったのだけど。



すると今度は、私が自分のことを「あなた」と言ったのが他人行儀で冷たい感じだったとのこと。傷ついたとのこと。



あああっ、すみませんね!冷たくて!と思い、頭を抱えてタバコを吸っていた。もう、何も言いようがない。



それを聞いていた他の同僚が「あのね。言葉じりとか捉えるんじゃなくて、自分の話に付き合ってくれた『他人』に感謝出来ない?」と口を挟んだのだけど、そう!それ!と思った。いや、感謝なんかいらんから、せめて、話を聞かせた上に絡むのは止めてくれないか。



そう言えば、ネット上の掲示板と言うものでも時々ある。



心の病気で苦しんでいるんだけど、こういうことがあって自分は傷ついたという話を読んでレスをする。あくまで、私の掲示板に書かれたものだから、私はレスする。相手が求めているときに初めてレスをする。



ところがそのレスが気に入らないと言われる事は度々ある。そんな返事では自分は救われないと執拗に絡まれることがある。



絡まれるのはいいんだけど、何故この人はなかなか引き下がらないんだろう?と思うことがある。



目の前の彼女も中々引き下がろうとしないので、どうしてだろう?と思っていたら、はたと気がついた。



・・・・・・・・。あ、謝れと言っているらしい。謝らなければ気が済まないらしい。



しかし、どうしても謝ろうと言う気がおきない。



いつまでも怒っている人というのは、相手に「詫び」を求めているのかも知れない。



自分の気分を害した、自分の心を傷つけた相手に対して、それなりの「詫び」を貰わない限り、または相手が変わらない限り、「傷ついた、傷ついた。」と間接的に、あるいは直接的に絡むのかも知れない。



人一倍他者に圧迫されて傷ついて来たはずなのに、「変われ」と言われることがどんなに無理なことか知っているはずなのに、易とも容易く他者に同じ刃を向ける。



人間なんてそうそう変わらない。変わるとしたら、「あ、私、変わろう。」と自分で思った時だけだ。



見たモノ、聞いたモノで何かを感じて自分で変わることを選択したときだけだ。それが意識的でも無意識であったとしても。



決して人に変われと要求された時じゃない。



私は、「私に近づいて傷つくのならもう近づかないでくれないか。その度に詫びるのはかなわんから。」と言いたかったのだけど、その後の炎上を思うと何も言えなかった。



世の中には炎上しながらさ迷い、同情という炎で一緒に燃えてくれる人を探す人がいる。



よく「同じ価値観の人を探している」と言う言葉を聞くけど、同じ価値観の人間ばかりが集まってたら、その集団が一つの事柄で低迷すると救い出す新しい風をくれる者がいない。延々と負の感情を与え、貰い、落ち込みつづける。



だけど、私は灰になって散るのはまっぴらだ。そんなの美しいと思わない。生きるために考える。また生きることを考える人と一緒になら燃え尽きてもいいとさえ思う。



「選択」を「冷淡」と言われるなら、それもいいかなと思う。



彼女が「もう、こうやって傷つくから人には自分の話しない。かおるさんにはしない。」と言う。



それを聞くと、「ありゃ、それは悪かったね。ごめんなさい。」と口をついて出た。



しかし、「世界を広げようとして傷ついた。」と言うのを聞くと、「それは本当に『世界』だったのか?半端してないか?」と思わずにはいられなかった。



ちょっと疲れかけたかな?と自分でも思ったけど、



黙らないことにした。



ネットでもオフでも『異常』じゃないか?とすぐ思ってしまう方なのだけど、『異常』って言うよりは『異情』なのかも知れない。少なくとも『同情』よりは自分を鍛えてくれるもの。



自分の存在を含むこの場に、でっかいバケツの水を、ざっばーーんっ!とぶっかけるような気持ちで勤務表の一点を指差した。



「この夜勤明けの日、少し飲んで帰ろうか?」



数秒間、きょとーーんとしていた彼女の顔に笑顔が広がって行くのを見た。
その人は、出会った時、ぴくりとも動かなかった。



両手首が胸の前に揃えられたかのように硬縮していて、これまたぴくりとも動かなかった。



顔貌も仮面様で、まるでお人形のようだった。



何を話しかけても微動だにしない。答えてもくれない。



後にそれは、脳梗塞と激しい抑うつ状態のせいだと知った。



ただ、オムツ交換のために身体を横に向ける時だけ激しく顔を歪めて怒りを露にしていた。



あたしの身体を勝手に動かすな!と言わんばかりだった。



ある真夜中のこと、その人がナースコールを押して来た。



胸の前に揃えられて動かない手にそっとコールを握らせて置いた。



いや、握ることさえ出来ない硬縮状態だったので人差し指と親指の間に挟んで来たと言う感じだった。



そしたら自分で押して来たのだ。押すことが出来たのだ。嬉しくて駆けて行った。



押せたんですね!と部屋に飛び込んで行くと、その人の口が微かに動いた。



慌てて耳を近づけた。



言葉は喋れないまでも絶対解読して見せる!絶対あなたの意志をキャッチしてやる!と意気込んで。



耳を精一杯近づけると「寒くはないかい?」とハッキリ聞えた。



思わず1歩退いて、その人の顔を見てしまった。



発語出来ることさえ知らなかったから。



その人の皺くちゃな顔の中に、小さな瞳があった。きらきら輝いている子供のように綺麗な瞳があった。



寒くないよ。



I見さん、寒いの?



手先が微かに前後に揺れた。これは、”おいでおいで”だ。



私はまた耳を近づけた。



「寒くないよ。あんたは寒くはないかい?」



また呆然としてI見さんの顔を見た。



I見さんが笑ってる。凄い。微笑んでいる。



寒くないよ。ありがとう。大丈夫だよ。I見さんこそ、そんなに細い身体で寒くないの?もっと布団持って来ようか?



「大丈夫だよ。あんたは大丈夫かい?名前なんて言うの?」



え?名前?○○かおるって言います。



「かおるちゃん、寒くはないかい?それからお腹は減ってないかい?」



寒くないよ。お腹も減ってないよ。I見さんは?いつも一口や二口しか食べてくれないけど、お腹減らないの?



私たちはそんな調子で耳と口を代わる代わるくっつけて、まるで糸電話のような会話を繰り返していた。





今朝の申し送り前。



病棟日誌を読み上げるナースが、「○月○日 ○○号室のI見さんが死亡退院されました。」と言う。



それは長い長い報告の一貫に過ぎなかった。



だけど、私はそれきり心臓がばくばくして瞳孔が開いて、他のことは何にも聞えなくなった。



昨日話したばかりじゃんか。



昨日初めてやっと会話が出来たばかりじゃないか。



I見さんの細い顔。I見さんの曲がった手。精一杯私に”おいで、おいで”をした手。あんなに優しい初めての微笑み。まるで、何かに解き放たれたかのような微笑みだった。





もう いないの?





それから目まぐるしく一日が過ぎた。入退院の激しい忙しい一日だった。



同僚たちとの飲み会は中止になった。結局数人の予定が合わないから中止にしようってことになった。



Mちゃんと無駄話をして帰る。



家に帰って御飯を作る。



皆食べ終わった。



お茶碗を洗う。



その時、お茶碗を洗っている洗い桶に、水道を止めても雫がぽちゃんぽちゃん垂れているので、おかしいなあ?と思っていたら自分の涙だった。



どうりでお茶碗の柄が見えにくいと思った。



何で泣いてるんだっけ?何が悲しいんだっけ?



今日も忙しかったな。



立ち止まる暇もなかったな。



そうだ。



I見さんがいなくなっちゃったんだ。



あの夜、ぼんやりした夜の灯りの中で、一人横たわっていたあなた。

笑ってくれたあなた。

自分は痩せこけていて、おうちの人の面会も何日も無くて、何日も一人ぼっちで、そして抑うつ状態でずっとずっと苦しかったのに。



やっと押したナースコールでいったいどんな望みを言ってくれるの?何でもかなえてあげるって思ったら、私に「寒くない?」なんて訊いてくれたあなた。



それだけのために最後のコールを押してくれたあなた。



壊れた。壊れて泣いた。やっとこそさ泣けた。
朝の4時に鳴った外線に出て見ると「痛み止めだけくれるかしら?」とのこと。



・・・・・・・・・。あのう、すみません。かかりつけでいらっしゃいますか?かかっていらっしゃるとしたら、何のご病気でうちにかかっていらっしゃいますか?



「そういうことじゃなくて、今あたしが行ったら痛み止めくれるか?って訊いてんのよ!痛くてしょうがないっつぅの!」



どちらがお痛みですか?(だから、あたしって誰だよ。)



「もう!わかんない人ね!あたしは痛み止めが欲しいの!聞いてる?い・た・み・ど・め!」



てな調子で非常に困ったのだけど、何度も訊いてやっと教えて貰ったところによると腰痛で整形外科にかかっていて定期的にブロックをしていたとのこと。



ところがここ一年くらい自己診断で診察に来ていなかったが、たった今突然痛み出した。それで痛み止めが欲しいとのこと。



何の痛みでどこが痛いのか漸く知ることが出来たのでドクターに内線をかけて、これこれしかじかなんでお薬を出して貰えますでしょうか?と訊いてみると、今度は、



「俺は整形外科じゃないっつぅの!」とのこと。



最近、「・・・っつぅの!」って言い回しが流行っているが、これ言う人っていつも唐突。言うなら2回も3回も同じ事言う人間に言え。



そんなのは知ってるんですが、今お痛みで我慢していらっしゃるようなので、来たらお薬出していただけますでしょうか?



「今何時だと思ってんだよ。あと4時間で外来開くだろ?そん時来ればいいじゃん。夜に何が出来るって言うの?」



いやいや、私が言っているわけじゃないんだけど。あと少しで外来が開くってのも、夜の病院がたいしたことは出来ないってのも知っているんだけど。



処方箋一枚書いてくれんかのう?それで患者さんが楽になるんだったら。



やっとのことで了承して貰って、本人に来て貰った。



痛み止めも出して貰うことが出来た。



が、今度はその患者さんが大激怒。



お会計の時にさんざん怒鳴っている。



「何でこんなに金取られなきゃいけないのよ!たかが薬3錠貰うだけで!」



時間外診療は確かに高い。



でも、うちの場合、それは保証金として収める分であって後日差額が戻って来る。



それは電話でも説明したし、ここに来てくれてからも説明した。さらにお怒りのようだったので、今一度説明した。



が、分かって貰えない。青筋立てて怒っている。ロックがかかっている。



じゃあ、いいですよ。いいことにしましょう。と夜間の会計を仕切るガードマンさんを説得して「お痛みでしょうから早くお帰りになって安静にして下さい。今度は定期的に時間内診察にいらっしゃって下さいね。」と言った。



ところが今度は「何?それ?こんな時間に来たあたしに対する嫌味?」と来たもんだ。



ああー、しんど。眠っ!ムカつく!



が、帰ってくれないので、延々と対応していると、最後には豹変して「昔、嫌な看護婦がいて、お産の時はずいぶん嫌な思いをしたのよ。今でも恨んでるわけだけどさ。でも、あんた親切ね。」とのこと。その時の状況をこまごまと話してくれた。



電話でのやり取りから今までの切り口上と喧嘩ごしな態度の理由がやっと見える。



が、どっと疲れた。



その看護婦さんにはきちんと言うべきことを言ったんですか?



「言えないわよ!病人は弱いのよ!馬鹿!」



はあ・・・、その気持ちはわかるんですけどね。



またどっか別のところの別のモノを持ち込まれた。のっけられていた。





もしも私がうっぷんを溜めて今解決するべきことを解決出来ないでいて、後々出会う人にあたってしまうといけないな。それだけは絶対避けたいなとつくづく思う。



なのでむくむくパンパンの顔で帰って来た夜勤明け、先日のK-1のビデオを観た。



ちょっとワインも飲む。



娘が書いた『希望の春』!と言う習字のでかくて豪快な文字。その掛け軸を眺めたり。

いっつ見ても気持ちのいいーーー文字書くなあ!



かなり気分が晴れて来たのだけど、ネットに繋いだら、ある親しき人物の文章が目に入った。



数日前に、とあるHPの、とある掲示板の片隅に書かれてあったらしき一文なのだけど、その呟きは、その人の人間味が溢れていて、本当にその人らしくて、思わず微笑んでしまったほどだった。微笑ませて癒してくれた。



ただの呟きにしておくのは惜しいくらいに素敵だった。少なくとも私にとっては。





私はよく拾いモノをする 



昨日は外国人の入国許可証を拾ってしまった



どうして良いのか解らなくて



落ちていた場所に置きっぱなしにしてしまった



でも,それは良くない事だと思い



もう一度同じ場所に行ったら



もう無かった 誰か違う人が拾って警察に届けてくれたのか 



本人が見つけてくれたと 思いたい 心が狭くてごめんなさい



今度拾ったら今度はちゃんと届けるから なんて思っていたら



今日は玄関先で 1円拾ってしまった



駐車場で片方だけのピアスを拾ってしまった



神様 私にどうしろと???



思わず空を仰いだら 飛行機雲が綺麗に2本出ていた



それはそれは綺麗な空だった



下ばっかり向いていないで たまには上を見なさいと 言われたような気がした










あ。ほんとだ。



びっくり。



まじにベランダから飛行機雲が見えてるよ。



まじ繋がってるんだな。人間て。



私もたまには上向こう。
番勤務で心身共に疲れてしまったので、家事を急いで終わらせて、いつものようにネットで気分転換を。



と思ったら、メールを開いても掲示板を見ても、何それ?ってなことばかり。



おっかしいなあ。ネットは気分転換のはずなのに。



文字がヒステリックにぎゃーぎゃー叫んでいるように見える。しかもしつこく。



自分の我を通せば周りの気分悪くなっていいのかよ。そこまでしてスッキリしたいのかよ。



思わず 寝たふりをして見た。ぐー。ぐー。



しかし、ネットなので寝たふりしても意味がないと気がついてしばしレスをする。



何でこんな事いちいち言わなきゃわからんのだー!うりゃあー!てな気持ちで以上終わり。



こりゃ駄目だとPCを閉じる。



なーんか、鬱々して来たな。こんなんだったら止めた方がいいな。もう。意味なし。



でも、待て。



私にはお料理セラピーがあった♪



さっそくワインを飲みながらポトフを作る。← ああ、キッチンドリンカー。



手羽先肉にコショウと自然塩をたっぷり擦り込んでこんがり狐色に焼く。



白ワイン入れてじゅわっ!いい匂いが立ち込めて来る。



それから水をたっぷり注いで、大根やジャガイモやにんじん、玉ねぎ、キノコ類を入れる。ベーコンも余っていたので乾煎りして香りを出してから入れる。



頃合を見計らって大きく切ったキャベツも。



野菜やお肉がじっくり煮えていくのをワインを飲みながらぼさーーっと眺めているのが好きだ。ブラックペッパーももうそろそろかな。



てな具合で台所でまったりしていると、長女が「そうだ!」と素っ頓狂な声をあげて駆けて来た。



「この間、TVで『家庭で簡単に出きるカプチーノ』ってのをやっていたから作ってあげる!」



・・・・・・。いや。今、ワイン飲んでるからいい。



「そんなこと言わないで飲みなさい!」



・・・・・・・。はい。



すると長女はポトフの鍋に隣接した場所で牛乳を注いだ小鍋を暖め始めた。



そこまでは良かったのだけど、気が狂ったように牛乳を泡立て始めた。ぐわしゃっ!ぐわしゃっ!ぐわしゃっ!と物凄いスピードで一心不乱に泡立てている。髪の毛振り乱して。縦ノリである。この世のモノとは思えない姿だった。



お玉を持ったまま呆然として見てしまった。ポトフの方にしぶきが飛んで来そうだったので慌てて蓋をした。



・・・・・・・・。そんなに気が狂ったようにやらないと作れないものなのですか?カプチーノと言うものは。わしだったら、もっと簡単に作る。



「そうなんだよ!ちょっと黙っててよ!お砂糖入れる?!」



ああ、疲れてるから入れようかなあ。



バサっ!と砂糖を入れて再びガシャガシャガシャーーっ!



うるさい。うるさい。



ところが、出来あがったカプチーノ。



その泡のキメ細やかで美しいこと。



まるで雪のように白くてふんわりと美しかった。



その完璧なまでの泡を熱いコーヒーの上に注意深く乗せて、長女は私にカップを差し出した。



「出来たよ。何回も練習したからきっと美味しいよ。」



私はその芳醇なコーヒーの香りとミルクの美しさにうっとり見惚れて、気がついたら深く満たされていた。まだ飲んでいないのに、長女が必死で淹れてくれたカプチーノ手にした時点で癒されていた。



こんなに必死で作ってくれたカプチーノが美味しくないわーーけがないっ。



ありがとうねえ。気持ちが伝わって来るよ。と、ふーふーして口にカップを運んだ午後。





しかし、その時の私はまだ知らない。





娘が砂糖と塩を間違えていたと言うことを。





ぶぶーーっと大噴射して「な、なんじゃーーっ!こりゃああああっ!」と叫び長女の心を深く傷つけてしまったので、ひたすら詫びるという大参事。



始めは激怒していた長女も「何だー。そうかー。ごめんね。塩と砂糖を間違えたあたしが悪いんだー。あはは。」と機嫌が直ってほっとした。



しかし、その直後に帰って来た夫の一言で、再びブルー。











「おお!今日はドリフか!美味そうだな!」



ポトフです。
夜は長いと言うのに夜勤に行くなりばてていた。



でも、やっと食事介助が終わってナースコールも途切れ途切れになった。落ち付いて来たので相棒と一緒に夕食を摂ることにした。



「ふうー、疲れたー。」と言って相棒が新聞の広告を観ている。そしておもむろに「あ、かおちゃん。明日、この映画観に行かない?」と言う。



駄目、駄目。最近、夜勤明けでは行動しないことにしてるの。腰は痛いし気持ちはナーバスになるし、とにかく夜勤明けは休むに徹する。



その時、またナースコールが鳴った。うーん、やっぱりほんの数分も休ませて貰えない。



諦めてパネルを見ると、同じ人からだったので、「わーん、またかい。」と嘆く。



ずっと前に足の骨折をしたお婆ちゃんなんだけど、足はとっくに治っている。リハビリもかなり進んでいるし、立てるはず、歩けるはずなのに、ポータブルトイレに降ろせとコールをして来る。



私の倍はある体重を思いきり預けて来るので、もう、ほんと腰がぴきぴき。



しかも、それが5分おきともなると、「ちょっとおおお、Yさんー!全体重で寄りかかっちゃ駄目ー!少しは自分の足にも力入れなくちゃ!」と叫びたくもなるわけで。



数10回目の介助の時は精魂尽き果てて一緒にひっくり返ってしまいそうだった。



が、相棒が現れたので「お!丁度良いところに来た!私が支えているから、この方のパンツ引き上げて!」と必死。



相棒はパンツをあげながら、「じゃあ、映画観に行く?」とほざいている。



交換条件かいーっ。これ仕事だろうよ。



聞いていたお婆ちゃんが「あたしも足が病気じゃなかったら一緒に行けるのになあ。」と言う。



いやいや、何で?足が駄目だから行けないのか?それ以前に一緒に行くなんて言ってないやんか。



そんなことより、もうちょっとリハビリ頑張りましょうね。Yさん、もう少し足に力入るはずだよ!



しかし、Yさんは「えへへへ。無理、無理。」と一蹴してしまう。わーん、無理って言っているうちはずっとこの巨漢を抱えつづけるのね、私。



もちろん、他にも色々あって、明け方迄にはへとへとになった。



ああ、もう駄目。少し横になろうかなあ・・・と思った時に突然病院が大きく揺れた。ぐらぐらっ!



わーーーーーーーっ!と思った。



地震だ。



今ここで地震かよ。



今この状況で来なくたっていいじゃんか。



もう、私、自分一人逃げるのさえも面倒臭いから、このまま死んでもいいやってくらい疲れてるのに。



この揺れがそのまま大地震に繋がったらどうしようー。どんだけの人間を運ばなければならないの。



しかし、その揺れはそんなに長くは続かなかったので、ほっとした。



皆、大丈夫だったー?と点検して回る朝の4時頃。しくしくしく・・・・。





私は見た。



例の巨漢のお婆ちゃんのベッドがもぬけの空である。



ど、どこへ行ったんだ!



ベッドから転がり落ちてしまうほどの揺れじゃなかったぞ。



私は見た。



私の身体と同じくらいの大風呂敷を背負って「やれ、やれ。大地震じゃなくて良かったね。」と戻って来たお婆ちゃんを。



立てるじゃんーーっ!歩けてるじゃんー!しかも、そんな大荷物しょって!



思わず怒鳴ってしまったら、お婆ちゃんは逃げた。



あ!待て!どこに行く!



追い付くのに全力疾走しなければならないほどお婆ちゃんの足は速かった。



やっと捕まえた時には「えへへへ。これだけ歩けるなら一緒に映画行けるよね。連れて行って。」だと。って言うか、走ってるよ、あなた。



でも、見つめ合っているうちに思わず吹き出してしまう。



大笑いした。まったく悪びれてないんだもん。



退院したら本当に一緒に映画観に行ってもいいなあ。



「えー?ほんと?」



うん、行きましょうか。だからリハビリ頑張って下さいねえ。



何とか和気藹々でその場を去った。





しかし、それから数分後、再びお婆ちゃんからナースコール。



「あー、おトイレ手伝って下さいー!」と言われた時には、思わず「ふざけるな。」と言ってしまった。
夜勤、遅番、夜勤と続いている。夜ばっか。



夜の蝶じゃなくて夜の毒蛾と化している。



お約束のようにナースコールが鳴りっぱなし。アドレナリン(毒)出っぱなし。その上、救急車が来る来る。



今夜が山場だと言う人。元気な人。皆一様に「看護婦さん、看護婦さん。」と阿鼻叫喚。



ほんとにここは、まったくもって別の国のような気がする。時々地獄のように感じる時さえある。



ふと見ると、同僚が金縛りにでもあったかのように立ち尽くしている。しかも瞳孔が開いている。ぼーーっと立っているけど視線の先には何もない。こんなにアラームやナースコールの音が連続して鳴り響いているのに固まって動かない。



Aちゃん?Aちゃん?!どうしたの?!と声をかけると「あっ!」と我に返って、またばたばたと働き始める。



何だか今、Aちゃん、やばかったなと分かる。



あんまり短時間の間に恐ろしいほど沢山の情報が入って来ると、さらにそれが長時間繰り返されると、自分の中で処理しきれなくなって、何かがショートするような気がする。



私もAちゃんに近い状態にだったのか、予定よりも2時間も遅くなった遅番勤務の帰り道、どうやって帰って来たのか覚えていない。



気がついたら自分の部屋にいた。



そして我に帰った途端、何だか物凄い焦燥感に襲われた。何だかわからない。何かが虚しい。



その時、長女がノックをして入って来た。



「お母さん、この時計、飛行機に乗る前にキンコン!ってひっかかるかな?」



でっかい目覚まし時計を持って何を言っているのかと思ったら、そうだ、修学旅行の準備をしているんだった。



あ、あんた!そんなどでかい目覚まし時計持って行くの?!もっと小さいのがあるでしょう?



「いやいや、あたしはこのどでかくてうるさいのじゃないと絶対起きれないんだから、絶対これ持っていくの!で、キンコン!にひっかかるかな?」



きっとひっかかるよ。だって、この間お母さんが博多に行った時なんて行きも帰りも、たかがベルトの金具で鳴ってたもん。すっごいひつこい身体検査されるんだよ、あれ。



ほんと、皆がじろじろ見ている中で同じところ何回も撫でられるんだよね。恥ずかしいったらありゃしない。←サングラスかけて両手をあげて口はへの字だった。



「あんなごっついベルトしているからだよ。」とか、「人相悪いからじゃない?」とか、さんざんなことを言われたが、長女はあのビッグな時計を持っていくらしい。だったら訊きに来るなよ。



しかし、部屋を出て行く前に、おもむろに「はい。」と飴をくれた。「ミルキーのココア味。新発売だよ。」



あ、ありがとう。



その飴を手渡してくれた娘の手があまりにも大きくてビックリした。またでかくなってる。





そのあと、何かがひっかかって、手のひらの上の飴をじーーっと見つめた。



そう言えばそうだった。うちの娘たち、美味しい飴やガムがあると必ず持って来る。



それはまだ、二人の手が小さな小さなもみじのようだった時代から続いている。



「お母さん、飴あげる。」



「お母さん、これ美味しいよ。」



またある日は、悲しいことがあって泣いているんだけど、ぼたぼた涙を落としながら飴をくれた。



遊びに来た友達が飴をくれるって言えば、「お母さんのぶんも貰っていい?」と恐るべしずーずーしさでせしめていた。





結婚式の日、長女は不機嫌で、私を手こずらせてくれた。



「お父さんを盗らないで。」と言う思いがつのり、幼い知恵を働かせ、仮病を使って披露宴をぶち壊した。



後に白状して来たときに「あなたがお母さんになってくれって言ったのにどういうこと?」と激怒した私にも「ごめんなさい。好きな人同士が一緒になるのに、何だか悲しくて。寂しくて。ごめんなさい。」と飴をくれた。



あんなにちっちゃかったのに。あんなに葛藤があった。



それなのに、飴をくれた。



そういうことを思い出すと、いちいち泣けて来る。疲れてるせいかなあ?と思ったけど、それだけじゃないみたいだ。



寝言で「何かあげたい。何かあげたい。」って声を聞いた日も思った。「お母さん、これ、あげる。あげるってば。」





いいってば。と涙出る。



私は君たちがくれる飴に値するものすらあげられてないんだから。



お母さんは何もいらないんだよ。



元気で健康でいてくれるから、ほんとにもう何もいらないんだよ。



私の人差し指をぎゅっと握っていた小さな手。今は私より大きな手。



もう充分だよ。



だって、信じられない。ほんとに大きくなったんだよ。あんなにちっちゃかったのに。決してあたりまえのことじゃない。軌跡だ。奇跡だ。



いっぱい喧嘩していっぱい怒鳴りあって傷つけ合って、



でもって、これを書いているうちに、今、長女の寝息が聞えて来る。泣いてしまう。でも、次女のいびきも聞えて来るので笑ってしまう。



それで充分じゃないか。





こんなふうな夜にこそ余計に思う。



本当の焦燥感を抱く人はまだまだ沢山いる。



明日も行こう。あちらの国へ。娘たちの飴に値するようなものは何も持っていないけど。