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2015年生まれ男の子の子育て中ニコニコ

 

家族や自分のアレルギー、

アトピー、鬱症状を

分子栄養学・バイオレゾナンス・

東洋医学・心理学等、まだまだ

一般的ではない治療方法を

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治ってきてからも

予防医学を意識する生活を

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治療記録や学んでいること、

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最近見た中でとても心動かされた

写真集がありますひらめき電球

 

 

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1冊目が

「写真家が捉えた昭和のこども」

 

 

 

戦前の昭和11年(1936年)頃から

昭和51年(1976年)頃までの

子ども達の写真が収められています。

 

 

こちらは19人の写真家が

撮影してきたもの。

 

目次テーマ。

 

「戦前のこどもたち」

「困難な時代を生きる」

「働くこどもたち」

「楽しい学校生活」

「腕白小僧とお転婆娘」

「祭りと歳時記」

「高度経済成長のもとで」

 

 

2冊目が

「街にあふれた子どもの遊び」

 

こちらは萩野矢慶記さんという

写真家の方が撮影してこられた、

1978年頃からの子ども達が

収められています。

 

丁度「写真家が捉えた昭和のこども」

よりもう少し時代が後の

様子の変遷が見られますキョロキョロ

 

 

大きなくくりとして

第一章 街にあふれた子どもの遊び

第二章 街から消えた子どもの遊び

 

という項目でまとめられています。

 

 

 

子ども達を被写体として

撮影されたものが時代ごとに

並んでいて、子どもを通して

感じられる時代の変遷。

 

 

何が一番感動したって

子ども達の顔

 

 

子ども達の笑顔はいつの

時代だってキラキラしている。

 

という概念はあるのですが。

 

 

写真に写っている子どもたちの

顔は、笑顔は全然違う

 

もう今の子どもたちと

本質的に違うと感じました。

 

 

生命力の違い。

 

全力でその時を生きている。

 

パワー、エネルギーの塊。

 

子どもって本来そういうもの。

 

それが子どもの自殺率が過去一に

なっているのだから

考えてみたらそうだろうな…

と今の子ども達と全然違うのも

腑に落ちてしまうというか…。

 

 

戦前写真は人々が土などで常に

薄汚れていて、衣類も破れて

いたり、貧しい暮らしを

している人も沢山いて。

 

幼い子どもが更に幼い子どもを

背負って遊んでいたり

親の仕事を手伝ったりが

日常の風景。

 

 

そして「戦争」というものが

一人で生きていかなくては

いけなくなった沢山の

戦争孤児を生み出し。

 

 

戦後の街はゴミだらけ。

 

 

今もう豊かに暮らせている中では

こういう生活がいいとはなかなか

思えないし、戦争なんて当然

起こしてはいけないもの。

 

 

 

今では完全にアウトという

概念なことも沢山。

 

下駄で友達叩いていて

喧嘩しているとか衝撃

写真なのですが泣き笑い苦笑

 

乗用車の窓が開けっぱなしで

子ども達が撃ち合いっこ

遊びしているし笑

 

 

差別という意識は無い状態で

差別的な概念の中で

過ごしていた時代でも

あるだろうし。

 

幼い子ども二人がみかんを

分けっこしながら食べている

可愛い写真があるのですが。

 

みかんの皮はポイって

地面に捨てられています笑

 

こういう様々な点はそれこそ

「時代だなぁ」という視点でしか

見ることができないのですがキョロキョロ

 

 

そんな時代の状況を今はもう

許容できないものも沢山あります。

 

 

でも一方で他にもあらゆる点で

今の時代はがんじがらめに

し過ぎていることも沢山あるとも

感じていますキョロキョロ

 

難しいですね。

 

 

 

そんな側面と、貧しい中で

このくらい小さい子達が

おやつはグミとかじゃなくて

みかんを分け合いっこして

美味しそうに食べている。

 

という、人として本質的に

大切にしたいな、と思えること。

 

そして今のこの日本を見れば

やっぱりこの時の方が

口にしているものがどれだけ

自然で美味しいものだったのかな。

 

ということ。

 

 

 

あと感じたのが圧倒的に

子どもが多い

という風景。

 

 

どこもかしこも子どもだらけ。

 

だから子ども主体に考える

 

ということが当たり前

だったんだな、とキョロキョロ

 

家ももちろんまだまだ粗末で

周囲の声が筒抜け状態な中。

 

あちらこちらで子どもが

泣いて喚いて。

 

でもそれが当たり前だから。

 

どうにもできないから。

 

大人も皆で「お互い様」

なるしかなく笑

 

 

それが今はもう

「うるさい子どもを何とか

できないのは親のせい」とか

近所に保育園、幼稚園、公園が

できるなんて反対。

 

ということを平気で言えて

その主張が採用される時代。

 

 

公園も減らされたり、

使う人は万人だとしても

大人や高齢者にとって

都合のいいアナウンスにされて

禁止されることが増えたり。

 

子ども自体の身体能力の

衰えから怪我が増えたことを

「モノ」が危ないから。

で廃止された例も沢山。

 

(そうでないものも多分

あるでしょうけど)

 

 

親も子どもが騒ぐのを何とか

できないことに神経擦り減らす

人もいれば。

 

一方で放置し過ぎたり。

 

本来、子ども同士の中で

そういう感覚を学んでいくもの

なのかな、と思いますが。

 

そして多分本当は大人が特に

何もしなくても子ども同士で

約束をしたり、とりあえず

公園や外に行ったら、そこで

コミュニティを築いて色々な

遊びをするのが子ども。

 

母も子ども時代を思い返すと

そんなんだったなぁと思いますし

息子くんも今まさにそう。

 

 

とりあえず「公園に行きたい」笑い泣き

 

年齢を重ねるごとに、

家ってつまらない。

 

もう親と遊ぶのも物足りない笑

 

公園行けば誰かしらいて

何時間でも遊べる。

 

活発な遊びもあるし、

ただ友達とおしゃべりしたり

するだけ。

 

そんな時間もあります。

 

 

そこで大人では到底教えきれない

ことを沢山学びます。

 

 

そういうことができない子どもが

増えたのも事実。

 

 

 

 

で、じゃあせめてそんな子に対して

親は子ども達同士で集まる場へ

連れていったり、促したりを

すればいいのだと思いますが、

色々な理由から自分の手元に

置くことやゲーム類主体にさせて

結局家にいる時間が長い子どもが

どんどん増えて。

 

 

 

人と人との距離感も全然違う。

 

 

子ども達同士が団子状態で

くっ付いて遊んでいる写真が

沢山。

 

 

そういうものがただでさえ

希薄になり続けてきている中で

コロナ禍の「人との距離を

取りましょう」というアナウンスが

更に一撃を与えましたね。

 

 

子どもの自殺が過去一

という事実に複数因子は

あるとしても。

 

根本的な「人との関わり」を

封じてきたことも子ども達の

精神に大きな影響を与えた

一つだな、とこの写真集を見て

より感じました。

 

 

 

子どもが多い分、個性だって

更に色とりどりだったんだと

思います。

 

ちょっと暴れん坊、やんちゃな子も

他にもいるから、きっと「個性」

という見方でしかなかったものが

今は「普通」というところから

少しでも外れているのでは??

と心配し過ぎる親と心配させられる

環境とキョロキョロ

 

今思えば母の子どもの頃も

今で言うグレーゾーンと言われる

子達も近所に沢山いたな、と

思います。

 

はっきり支援が必要なくらいの

子もいたし、少し意思疎通が

しにくい子、こだわりが強い子も

一緒に混ざっていて、問題が

起きたりしたら親はもちろん

対処したりがありましたが、

他の保護者もそれぞれでできる

辺りの見守りを皆でしていた

印象です。

 

 

もちろん今はある程度

世間の中で一般的になった

病気や特性の見方が無かったが

ゆえに反対に生きづらく過ごした

人もこの時代にきっと沢山いたとは

思いますが。

 

 

あとは「自立」の精神の違い。

 

子ども達も幼いころから

家のお商売の手伝いをする、

田畑の仕事をする、

村の行事ごとの役割を果たす。

自分が責任を持って、弟妹の

世話をする。

 

お遊びや教育の一つでしよう、

というような概念では

ないんですよね。

 

「生活」の中での役割を

しっかり担ってもらっている。

 

 

多分ある程度の年齢に

なったら、大人も

「まだお前には早い」

とかではなく、

「もうお前ならできる」

の感覚の方が強かったのかな、

という想像。

 

しかもそれが低年齢。

 

今はそこも

「この子はまだ小さいから。」

「幼いから。」

手放さない過干渉な親

きっと多いから、それなりの

年齢になっても物事の捉え方が

幼くて、そのまま成長して

自立できない子どもも多いのでは

ないかと感じました。

 

 

家のことをさせるとかも

行き過ぎれば、今はネグレクト

虐待、ヤングケアラーとかの

ジャンルに区分されて

しまうでしょうし。

 

 

最後にある、ねじめ正一先生の

エッセイでは、まさに自分の

家のお商売に対してのすっごく

鬱屈した少年の気持ちが

色濃く書かれていて、興味深く

読ませて頂きました。

 

だからこの時代がよかった、

とは一概には言えないし、

やっぱり美化もできない

のだけれど笑

 

様々な過去の時代があったからこそ

今の私達の暮らしがあるわけですが。

 

 

萩野矢さんの言葉に

「1984年、突然出現したゲーム機に

よって、子ども社会に歴史的な異変

起きてしまいました。」

とあるけれど。

 

今やもう親側がゲームを喜んで

取り入れる家庭が多いくらい。

 

だって私達の時代にはもう

ゲームがある生活だったから。

 

それを楽しんで使ってきた

親はむしろ娯楽の一つとして

前向きに見ているものですしね。

 

その価値観への疑問を持つって

なかなか難しいのでしょうね。

 

母も家にゲームがやってきたのは

小学3、4年くらい??

 

弟たちが欲しがって多分

買ってもらったと思います。

 

母ももちろんやったことが

ありますが、もう弟たちや

近所の子ども達がほぼ

占領していたのもあり

そこまではまるほどやった

記憶もなくキョロキョロ

 

近所の友達と公園や林で

走り回っていたのと

年代が上がって走り回る

ことが減ってもとりあえず

外で集まってお喋りして。

 

雨だったら友達の家に

遊びに行ってそこでも

何かしてたのでしょうね??笑

 

あまりはっきりと覚えて

いないのですが。

 

 

我が家も母や父が付きっきりで

遊んでもらった記憶って

正直ありません。

 

4人弟妹で育児、家事、

家計も大変だっただろうな、

と親になって本当に感じます。

 

今なら分かる笑

 

その代わり、私の母はいつも

ご近所さんと家でお茶して

その子ども達がうちへきて

弟妹だけでなく皆で遊ぶ。

 

庭で水遊びも好き勝手にして

何かもう汚れながら遊んで笑

 

 

近所の数家族でキャンプや

スキーで旅行をしたり。

 

一家族に子供がもう3人、

4人とかいたので、4家族

集まったらもう子どもだらけ笑い泣き

 

子ども会に入っていたので

お祭りやスポーツ大会、

イベント、廃品回収と

年中何か皆でしていた記憶。

 

 

そういう子ども達の環境に

置いてくれたこと

近所の皆でわーわー過ごして

大きくなったんだな、と

今改めて思います。

 

だから私もだけど弟妹も

「寂しい」という概念は

全くなく。

 

私なんてあまりに騒がしい

このうちから出て行きたい、

というのが遠方大学を選んだ

理由ですし笑い泣き

 

そんな理由でやってきた

大阪に住んで早〇十年真顔

 

 

今思えばこれがしっかり

自立の精神が確立した

タイミングだったのかも笑

 

 

だから本当にそういう点で

両親には感謝だな、と感じます。

 

 

そう思うと今、私もそうですが

親が一生懸命

「どこどこに連れて行こう」

「これをさせよう」

 

とかしていること自体が

ちょっと自分達の首を絞めて

いるのかも。

 

と思ったり笑

 

 

子ども達が集まれば気付いたら

何だか集まっていたり、

ぶつかりながら、ネガティブな

気持ちも味わいながらも

楽しいこと、面白いことを

共有しながら成長していける

はずなのにな。

 

とこれも写真集も見て心底

感じたことです。

 

 

萩野矢さんのあとがきを一部抜粋。

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

子どもの遊びが奪われたのは

「売れればよい」という大人の

せちがらい商売主義に支配された

結果からでした。

子どもは生活である遊びが

奪われると、自らの能動的な

動きが鈍くなり、興味や要求は

満たされず、知恵や知識も

身につかず、ただストレスを

ためる結果になってしまいます。

 

(ゲーム機の出現に触れて)

子どもは一人で部屋にこもり、

ひたすらゲーム機やテレビと

向かい合うことになりました。

 

ゲームの中には相手を暴力的に

倒していくストーリーがしまりなく

続き、子どもはいびつな洪水に

おぼれてしまいます。

 

 

(全てゲームやネットに起因は

したものではないが、いじめ、

不登校、ゲーム漬け、

親子関係の希薄化、体力低下、

人間関係の崩壊、キレる子、

ひきこもり、性の低年齢化、

凶悪な少年犯罪、JKビジネス、

児童虐待などの問題を挙げて)

 

子どもにとっての「遊び」は

子どもの成育にどれほど大きな

ものであったか明白な答えを

出していました。

子どもが子どもらしい遊びを

体験しないまま成長すると、

空恐ろしいと按じてきましたが、

それは想像をはるかに超える

社会に変貌してしまいました。

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

凶暴化する犯罪の根底に

「ゲーム遊び」が起因し、

「ゲーム感覚」で起こしている

ということ。

 

創造力や発想力に欠けた

幼稚な事件が目立つこと。

 

考える能力が育っていない。

 

というご意見にも同意できる

ところが沢山。

 

 

ゲームに電子機器類に、

そういうものが更に低年齢の

子どもに与えられて、常習化して。

 

その分、子どもの遊びの

時間は減って。

 

この警告を書かれた時より

今は更に厳しい環境変化が

起きている現代。

 

更に怖くなりました。

 

 

「写真」という分かりやすい

「リアル」を感じられるところが

あり、今子育てをされている方は

もちろん、大人には一度手に

取って頂きたい、と感じた

おすすめ2冊です。

 

 

他にもこの写真集から感じることが

あったので、こんなに長いこと

書いているのに。

 

まだ続きます…真顔

 

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