相似象の学会誌
第三号の135ページを以下に筆記します。
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日本語の始まりに端を発するカタカムナ文献は人類全体における言葉の成り立ちを示している。ところが日本の先生が教える学問はみな西洋のものばかり。義務教育では「能」の一曲に触れることも無く、精神のカテと言はれる仏教の教えは天竺からのイタダキモノ。自分たちの使っている文字は漢字から借りたもの。遣唐使以来、外国の知識をひたすら勉強することにまい進してきた。外国の文化に憧れ、外国の学問を学ぶ。果たしてそのような態度でいいのだらうか? 外国人の動きをあまりにも氣にかけ、ミエを張るという劣等感がまん延している。日本の遠い祖先がカタカムナの文化を捨て去ってからずいぶんと経つ。シナ(漢方医薬)、インド、西洋の文化に触れる度、天地のひっくり返るようなイカレ方をしてきた。しかし、触れた時の衝撃が収まるといつのまにか自分たちの文化にしてしまう所がある。そのことに外国人たちは驚き、日本のナゾを解こうとする。カタカムナの文字を捨てて漢字を採り入れた奈良時代の人も外国に憧れる心は同じだったはずだ。漢字がどれほど立派に、心踊らされるものだったのかは想像にかたくない。実に二千年の間、日本人の血肉に染み渡るまでに深い影響を与へた外国文化であったが、採り入れてしまえば、それだけでは収まりきらない何かがあることに気付くもの。外国人が長い歴史を通して作り上げた花を、日本の土壌で、それ以上の美しさを持って咲かせることが出来たのはナゼなのか? 漢字に心酔しながらも、その字にオンとクンを持たせたり、カエリ点をつけて日本語と同じ読みにしてしまう芸当は他の国では出来ないだらう。そのような日本人の感性は一体どこからやってくるのか? 明治以降は西洋の合理主義を学び、人権や契約の交わし方を身につけ、立派な個人として、近代的な自我の確立を目指してきた。明治以降の教育は「進んだ」と言はれる。だがその内容はあまりにも真の教育にはほど遠い。日本人であることの正しい意義を前提として西洋文化の紹介がなされるのならまだよかった。
日本人が日本人であることの証拠は日本語を使ふことにある。日本では外国語には訳せない言葉が日常生活の中でよく使はれる。「マ」とか「ワ」といふ単一の音にしても、訳すことのできぬ深い意味がある。辞書を引くと
マ:間、部屋、間仕切り、部分、時間、調子、運、機会、運命、幸運、魔 とあり、使用例としては まにあわせ、まがよい、まにうける、まとまり、まがさす、まがあう、そのまま、ままならぬ、まぬけ、まけ、まいった などがあり、到底一言では訳しきれない。
ワ:円形、車輪、環っか、調和、平和、和(足し算の答え)、日本という国(和製、和訳)、把(ひとたば) これほどの意味がある「マ」や「ワ」を日本人は別段、氣にも留めず使ひ分ける。
「ありがとう」を「サンキュー」に訳してまにあわせているが厳密には意味が違う。「サンキュー」では収まりきらない意味が「ありがとう」にはある。「サンキュー」だと「私があなたに感謝する」といふ主語、目的語、述語から成る文になってしまう。
「ありがとう」「甘える」「バチがあたる」「もったいない」など日常生活に使はれる言葉は外国語には写しきれぬ日本の心を潜めている。自分たちの存在をかくあらしめる大きな根っこへの思ひがこもっている。このことを忘れては日本というものの本当の姿にまみえることは出来ない。
「オヤコ」という言い方も不思議である。その意味は両親と子どもであるが、欧米ではさらに性別によって言い方を変えたり、単数か複数かによってスペルを変えたりする。しかしカタカムナ文献には「オヤコ」といふ言葉は出てこない。思ふに日本人の感覚から本当の日本の心の感覚が薄れ、オヤコの環に凝結したあたりから微妙に心がゆがみ、敬語を使ふほど心が衰弱し、カタカムナ文献の理解の前に立ち塞がる大きな壁になったのではないか。
奈良時代から続く日本語の仮名遣いの混乱もまた、カタカムナの伝統を失ったことに端を発している。新カナ遣いよりも旧カナ遣いの方が文章としては日本らしいという見解を持っているが旧カナ遣いが最良の日本語だとは思っていない。自然発生的に立ちいでたカタカムナの言葉に対して、法則性を見い出そうと五十音図を作ったり、主語や述語などの文法を取りまとめたりしているが、それには収まりきらない例外がどうしても出てしまう。旧カナならまだ良かったのだが、それでズレた字と音の区別がつかなくなり「いっそうのこと発音通りに書いてしまえ」という暴挙に出たのが新カナ遣いである。カタカムナの歌は動詞も置かず、主語や述語の順番も決まらず、後先の言葉のカカハリ合ひで直接読むものであるから、クセは出るものの(そのクセが文法となるのだが)、そのクセが今日の文法の概念にはまったく当たらないということはハッキリさせておきたい。万葉集や能の謡ひにわづかにその面影をとどめている。
カタカムナの伝統を失ったといえど無意識のうちにカタカムナ以来の言葉を使ひ、カタカムナを創作した人の編み出した片仮名を使ひ、カタカムナを使ふ人の心を今なほ留めてゐる。カタカムナ文献の出現によって改めて自分たちの根っこを知り、自らの行く末を案じた時、一体どのような可能性が生まれるのだらうか? 世界の一部の心ある人は人類滅亡の危機を感じ、一縷の望みを日本の文化に賭けている。彼らのうちには人類の行く末を案じるスコヤカサがまだ生きている。日本人が人類の行く末で果たすべき役割を日本人よりも正しく考えている。どうしてカタカムナの伝統文化が絶えてしまったのか? その事情は古代史の文献をさらってみても分からないが、日本人の二千年間のさまよへる歴史も今となっては貴重な体験になった。
人類絶滅の危機を回避する可能性を日本人らが持っているが、それはあくまで可能性であって、今後の展開は回避とはウラハラな、最も絶滅に近いありさまを露呈している。明治の開国以来、ひらすら欧米に追従し、衣食住の生活様式とか、病気の扱い方まで、思いきり西洋に肉薄し、彼らの社会の仲間入りできるまでになった。それほどに西洋文化に心酔し、親しみの情を抱いている。経済が発展し一生懸命になって働こうとも彼らからは「何をコシャクナ」とばかりに裏で稼ぎを横取りされて弱弱しく引き下がるしかないありさまが偽らざる現実である。個人としては心を失っていない。ただ集団になるとどうしても弱い所がある。
ところでヨーロッパの諸民族が時には占領の憂き目にあって母国語の使用まで禁じられ百年経ったとしても国の伝統を保てた例がある。それは影で母親たちが学校では教へない自分たちの伝統の言葉、習慣、誇り、知恵を語り伝えてきたからに他ならない。女性の秘めるまごころのありかを思はずにはゐられない。
日本の文化が衰退に向かうのが自然のなりゆきなら努力をしてもしょうがないというのは人間のリクツである。自然に生きる動植物たちにそのような態度は無い。生きものは死ぬ間際まで精一杯に生きようとする。ほんのわずかな隙間に芽吹く雑草の種は成長の見込みが薄くても痩せていても何とかして花を咲かそうとする。人間の情はこれをあはれと思ひ、みじめと思ひ、愚かとも見る。しかし天の営みは一度受けた生に対して誠実に生きるのみ。日本人が人類を滅亡の危機から救うなど木によりて魚を求めるようなものかも知れない。まったくの独りごとに終わるのかも知れない。雑草の種のように。それもありうることである。それでも私はカタカムナの子孫として生まれ、カタカムナを知った者として、出来るだけのことをしてゆく。ささやかだがすべての生きものはその生まれた場でひたすら誠実に生きていくしかないではないか。
実に長い間、埋もれていたカタカムナ文献を一朝一夕に解き明かすなど、出来る訳がない。科学だってひとつの理論を確立するまでに何代も人が代わって受け継がれ実を結ぶ。私も自分の研究がこれで完成だと胸を張って言えるほどのことは出来ていない。ただ方向を指し示し、こういふ解釈ができるのではないかと提示したまで。こうしておけば心ある人が後を継いで研究して下さると思ってゐる。
カタカムナ文献を読み解こうとして下さる方は専門家の意見を聞かれてもよいが聞いても正しい評価は得られない。たとえ専門家がどう言おうと「私はこう感じる」を基本に据え読んでもらいたい。「自分の感じ」はそれぞれが持っている。その感じは実にマトモなもの。長いものに巻かれろ式に無抵抗に従っているように見えて、その実、チャンと自分の見方、自分の感じを持っており、いつかそれがモノを言ってくる。雑草のようなたくましさを持つ人種なのである。私は日本人の底力としてもっている根の確かさと未知のものに対する純粋で無邪気な好奇心を頼りに、カタカムナの解説を続けようと思ふ。
表面的にどれほど変貌しようと人種の生やす根はそう簡単に変はるものではない。今後、日本人が、昔の日本人には無かった国際的な場で、日本人の持つ可能性を存分に発揮していくには、日本人たる根(ネ)の理に十分な正しさを感じていなければならない。それが出来て、初めて「愛国心」とか「情熱」とか「勇氣」が湧いてくる。
長い精神の放浪の旅からココロの故郷へ帰る道がようやく見つかった。それは一日本人の運命だけではなく全人類の存亡に関はることなのである。その道とは古来、心のある人や感じよい人がバラバラに探り当て、それぞれ表現し、断片的に行くべき方向を指し示してきた。しかし、誰も、それが何かはハッキリと掴めなかった。西洋人たちに示すものは歌舞伎や茶の湯や禅の庭では無かったのである。
私たちははるか遠い昔にカタカムナの伝統を失い、それ以来、数々の困難に直面し、その度にブザマな姿をさらけ出してきた。しかしいづれの場合も困難を避けるのではなく、立ち向かい、精一杯の力をもって解決してきた。他国の文化をこだはり無く受け容れ、本当に好意を持ち、マジメに学んできた。他の国と比べていかにもウブな、純粋な、世間知らずで、悪の存在することを知らず、テレクサく、はにかまれる程であるが、ひとたび誰かの目に映った姿はいつも本氣で、謙虚に、全力投球してきた。清々しく尊いものだった。そして今、悪事を行う者たちの試練に耐え、大きな犠牲を払って得た数々の苦い教訓は日本人の根となって、私たちのうちに受け継がれてゐる。








