上図は、五万図「水口」(1938年発行)。
野洲川右岸に、水口の町があります。
地図上に見られるこの町の特徴を挙げるとすれば、まずは旧東海道沿いの「街村」ということになるでしょうか。
東海道が、近江鉄道の西で鍵の手に曲り、東では三筋に道が分かれているのも、見て取れます。
水口は、東海道五十三次、50番目の宿場町でした。
上画像は、秋好善太郎 編『東海道 広重畫五拾三次現状寫真對照』(東光園、1918年)より、「水口」。
藁葺屋根の民家が、軒を連ねています。
また、宍戸左行「水口」(1917年)*にも、
東海道も宿々の町外れ丈は昔ながらの俤が忍ばれる。この水口町も明瞭に其一例になって、町の入口と出口とは昔風の茅葺屋根だ。
と書かれているので、当時はまだ、町外れの茅葺屋根の民家に、昔ながらの俤を偲ぶことができたようです。
さて、話を戻し、地図に見られる次なる特徴を挙げるとすれば、それは水口の街村を、北東から南西に横切る「近江鐵道」。
日野~貴生川間が開業したのは1900年12月28日で、「みなくち」には、開業当時の駅舎が残ります**。
上画像は、宇治川電気株式会社『事業案内』(1930年)より、「近鐵電車」。
どこの駅で撮影されたものかわかりませんが、近江鉄道は、当時「近鐵(きんてつ)」と呼ばれていました。
同書によれば、全線電化されたのは1928年4月18日です。
*東京漫画会『東海道漫画紀行』(朝香屋書店。1917年)
**高田圭「近江鉄道」、『鉄道ピクトリアル』No.685(2000年5月)