(前回より続く)

 

 呉枯ノ峰から下山した後、木之本の町を少し歩いてみました。

 

 

 

 木之本は、北国街道の宿場町であり、

 

 

木之本地蔵尊の門前町。

 

本堂の右には、大きな地蔵菩薩の銅像が立ち、

 

 

奥には、阿弥陀堂もありました。

 

 

 『信長公記』*巻五によれば、元亀三(1572)年、

 

 七月廿三日、御人数を出だし、越前境、与語・木本、地蔵坊中を初めとして、堂塔伽藍・名所旧跡、一宇も残さず焼き払ふ。

 

織田信長によって、この辺りは焦土と化したようです。 

 

 

 ところで、この木之本の町の名物は、「桑酒」。製造元は、上画像の「山路酒造」です。 

 

 

 

 

  また、木之本はかつて、牛馬の市が立つ町でした。

 

  上画像は「馬宿 平四郎」。

 

 

 牛馬市は、昭和初期まで、開かれていたそうで、

 

 

 「伊香郡木之本村賣買所」の「明治参拾四年拾壱月」付けの定書も掲示されていました。

 

 当時の官報を調べてみると、例えば、1888(明治21)年11月16~22日に開かれた牛馬市では、加賀、越前、若狭、丹波、丹後、備前から牛馬635頭が入場し、尾張、大和、美濃、伊賀、伊勢の商人が計465頭を購入**。

 

 また、1891(明治23)年7月28~8月3日の市では、丹波・若狭・越前からの517頭が入場し、近江、伊勢、美濃の購買者に436頭が売却***されているので、木之本は、日本海側と太平洋側を結ぶ市であり、そういう位置にあったということになろうかと思います。

 

 

 

 最後に上画像は、木之本村の元庄屋「上阪五郎右衛門家」。1847年の建築だそうです。(次回は小谷城跡)

 

*桑田忠親校注『新訂 信長公記』(新人物往来社、1997年)

 

**『官報』第1637号(1888年12月12日)

 

***『官報』第2452号(1891年8月31日)