先日、鳥居本駅から、鳥居本宿、そして摺針峠へと、ウォーキングに行ってきました。

 

 鳥居本は、旧中山道の宿場町。

 

  秋里籬島『木曽路名所圖會』(1805年)巻一によれば、

 

 むかし多賀社の鳥居此驛にありしより名づくる。今はなし

 

ということで、当時既になかったようではあるのですが、多賀社の鳥居に由来する地名。

 

 

また、「旧本陣寺村家」の建物も、

 

 

「脇本陣・問屋」の建物も現存しませんが、

 

 

それでも、所々に旧い町家の建物が残り、

 

 

行き交う旅人で賑わったであろう、往時を偲ぶことができます。

 

 

 上画像は「松屋」、かつて合羽を扱ってらっしゃたようで、看板も合羽の形です。

 

 

 こちらのお宅は、妻入り。

 

 

こちらは、登録有形文化財の成宮家住宅主屋。

 

 

こちらも、登録有形文化財の百々家住宅主屋。

 

 そば処「百百百百」(どどもも)です。

 

 

 さらに南に進むと、文政十(1827)年に建てられた道標、

 

 「右彦根道」「左中山道 京 いせ」。

 

 京・伊勢に向かう中山道と、佐和山を切通し道で抜け、彦根城下に向かう「朝鮮人街道」との分岐点です。

 

 さて、ここで再び脇本陣・問屋跡まで戻って、次は北へ向かいます。

 

 

 上画像は岩根家住宅。


 先ほどの道標とこの岩根家住宅は、彦根市指定の文化財だそうです。 

 

 

 また、軒先には、「合羽処 木綿屋」という、合羽の形をした看板。

 

 太田南畝『壬戌紀行』(1802年)に、

 

 この驛にまた雨つゝみの合羽をひさぐ家多し。油紙にて合羽をたゝみたる形つくりて、合羽所と書しあり。江戸にて合羽屋といへるものゝ看板の形なり 

 

と書かれているので、鳥居本には当時、合羽をひさぐ家が多く、合羽の形の看板もあったのだろうと思います。

 

 

 

 さて、さらに進むと、「赤玉神教丸」との暖簾や看板がある、国指定重要文化財の有川家住宅が見えてきました。

 

 

 上画像は、『木曾路名所圖會』の挿圖「鳥居本 神教丸店」。

衝立の文字は「神教丸 有川製」でしょうか。

 

 同図会の本文に、 

 

 此驛の名物神教丸、俗に鳥居本赤玉ともいふ。

 

 十返舎一九の『木曾街道中膝栗毛』にも、、

 

  此所の神教丸名物なり。

  もろもろの病ひの毒を消すとかや此赤玉も珊瑚珠のいろ

 

と書かれているように、神教丸は鳥居本駅の名物でした。

 

 

 住宅は、かつての繁昌が偲ばれる、重厚な建築。

 

 

主屋に加え、蔵や薬医門も、国の重要文化財だそうです。

 

 

 さて、今日最後の画像は、鳥居本宿の北入口にある、モニュメント、「おいでやす彦根市へ」。

 

 私はこの後、旧中山道を、摺針峠へ向かいました。

                            (次回に続く)