私は、鉄道ファンでも道路ファンでもないのですが、戦前の地図を見ていると鉄道網の、戦後の地図では道路網の整備・発展を感じます。
上図は、1907年修正の輯製二十万分一圖「名古屋」。
左上(北西)を走るのが東海道線で、その右に「観音寺山」。
中腹に桑實寺があります。
一方、右(東)を走るのは、近江鉄道。
愛知川~八日市(やをかいち)間の開業は1898年7月24日、八日市~日野間は、1900年10月1日*です。
そして、その東海道線と近江鉄道の間を斜めに通っているのは「中山道」。
左下(南西)の「武佐」(むさ)は、六十九次の66番目の宿場町でした。
続けて下図は、 1923年鐡道補入の二十万分一帝国圖「名古屋」。
上の輯製圖と見比べてみると、右下(南東)の八日市駅の表記が「やうかいち」に変わっており、また、西の武佐に向かって軽便鉄道が建設されています。
「湖南鉄道」の八日市口間~新八幡間が営業を開始したのは、1913年12月29日*、現在の近江鉄道八日市線の前身です。
なお、地図には表記されていませんが、八日市口の西0.5哩先には「太郎坊」の停車場(現在の太郎坊宮)があり、そこから登ると、4月9日付けのブログ「太郎坊から箕作山へ(前)」で登場した「太郎坊宮」。
そして、その太郎坊宮からさらに登ると、4月15日付けのブログ「太郎坊から箕作山へ(後)」の箕作山があります。
私は3月から4月にかけて、湖南から湖東の山5つを登ったのですが、どの山も低山ながら、それぞれに歴史があり信仰があり、それぞれの趣のようなものを感じました。
ところで、3月25日付のブログの「飯道山」はどこかというと、上図の北西(左上)。
草津線「きぶかは」駅の西にあります。
ところで、その「きぶかわ」駅から北東の水口に向かって、鉄道が走っているのですが、これはさきほどの近江鉄道。
1900年12月28日に開業しました*。
近江鉄道にはさらに、貴生川~伊賀上野間の延伸計画があったのです**が、これは実現せず。
また、現在は貴生川から南西に信楽高原鉄道が走っているのですが、その前身の信楽線は、1933年5月8日の開業***ですから、この二十万分一帝国図にはまだ描かれていません。
なお、1900年に、近江鉄道や、その接続駅として貴生川が草津線に開業する以前は、上図南東の「深川(ふかは)」停車場が、水口や飯道山の最寄り駅でした。
野崎左文・洲崎栄芳『日本海陸漫遊の栞 西部』(1900年)は、水口について
東海道の驛市にして深川停車場を距る北一里十町
飯道神社についても、
深川の西北一里三十町(三大寺村より登り五十町)飯道寺山の頂きに在り古へは飯道寺と號し僧良辨の開基せし梵刹なりし
などと紹介しています。
*藤井信夫「近江鉄道電車沿革史」、『鉄道ピクトリアル』NO.685(2000年5月)
**「大阪時事新報」1931年1月27日
***『官報』1897号(1933年5月2日)