先日、滋賀県東近江市の太郎坊宮から箕作山に行きました。

 

 

 上図は、2006年更新の2万5千図「八日市」(拡大)。

 

 「近江鉄道八日市線」の「たろうぼうぐうまえ」駅から、上(北)に伸びるのが太郎坊宮の参道で、山に突き当たったところが登山口、右手には駐車場もありました。

 

 

 上画像は、登山口の駐車場から撮ったもの。

 正面の岩山が「太郎坊山」、中腹に見えているのが「太郎坊宮」です。

 

 

 登山口の右手の石柱に、「天台宗成願寺」、さらにその右に、「四十八天狗之随一 太郎坊大権現 天台宗赤神山成願寺」と見えています。

 

 ここはかつての修験の山。

 

 『近江輿地志略』(1734年)巻之六十二に、

 

 成願寺 成願寺村にあり。赤神山成願寺と號す。(略)鎮守は熊野権現、往古は五十餘坊あり、今漸く二坊を存す。行萬坊石垣坊是也。峯は金剛胎蔵の曼荼羅、中央は不動明王の垂迹、悪魔降伏の太郎坊、此處に十丈許の妙岩二行に立つ。

 

と紹介がありますから、熊野権現を祀る、天台宗系本山派の修験道だったのだろうと思います。 

 

 なお、上画像で、石段の上に見えているのが、現在の「成願寺」。

 

 

 しかし、さらにその先、「太郎坊宮」の本堂まで石段は続いていて、なんと740段余もあるそうです。

 

 成願寺の境内から、左に折れると、

 

 

「太郎坊宮」と扁額がかかる鳥居と狛犬があります。

 

 左奥に見えている八角形の石造燈籠は、東近江市の有形文化財(工芸品)で、平安時代のもの*とか。

 

 

 したがって、成願寺の歴史も、平安時代までさかのぼることができるのかもしれません。

 

 鳥居をくぐって、また長い石段を登り、祈祷殿や参集殿の横を抜けると、

 

 

ようやく左上に拝殿が見えてきました。

 

 ちなみに、石段の左右の「献燈」に刻まれている文字は、なんと「支那事変出征紀念」です。

 

 

 拝殿の扁額は「赤神山」。

 江戸時代の建築ということなので、神仏分離以前、「赤神山成願寺」時代のものということになろうかと思います。

 

 さて、参拝を済ませ、さらに石段を登ると、

 

 

夫婦岩が見えてきました。

 

 

 岩と岩の間の隙間を通り抜けると、

 

 

東近江市教育委員会の看板。

 

 この「夫婦岩」は、湖東流紋岩の節理に沿って、割れ目が発達したものだそうです。

 

 

 さらに石段を登ると、「本殿」に到着。 

 

 

 南に、布施山(240.9m)が見えていました。

 

 

*東近江市のウェブページ「有形文化財(工芸品)