『仕事でSNSを使いたいけど初心者の「やらかし」が怖いので弁護士さんに気になること全部質問してみた』

(ヤマサキミノリ 日比野大 著 サンマーク出版)

 

 

 

過去一長いタイトルでした。入りきりません。

 

 

ヤマサキミノリさんがイラストレーターなだけあって、全編マンガです。

 

なので楽しくサクサク読めます。

 

で、日比野さんは弁護士です。

 

 

 

まず、著作権については、次の3つだけ知ってれば大丈夫と。

 

 

1.著作物かどうか

 

2.著作権が侵害されているか

 

3.著作権の制限規定にかかるか

 

 

って、でも具体的に教えてもらわないとさーっぱり、なわけですが、

 

著作権NGにならない特別ルールもあります。

 

 

まず、私的使用。

 

自分で作って着るTシャツにイラストや画像を勝手に使用していても問題ありません。

 

 

次に、引用。

 

他人の著作物を掲載するときに引用元の情報が記載されていればOK、ということ。

 

引用には主従関係があり、自分の感想が「主」であり、引用された著作物が「従」であることが必要です。

 

なので自分の発言や言葉をしっかり述べて、引用された著作物を説明することが大事です。

 

 

2020年の法改正では、「スクショ」をSNSにあげてOKになりました。

 

 

3つ目は、写り込み。

 

街中で写真を撮ったら、そこにたまたま著作物が写っちゃったなら、SNSに投稿してもOKです。

 

 

 

あとは、著作物で利益を得ないこと。相手の利益を奪わないことが大事だとも。

 

 

ちなみに著作権には寿命があって、著作者が亡くなってから70年で著作権が切れます。

 

くまのプーさんは2021年に著作権が切れました。あのミッキーマウスも2023年末に著作権が切れたそうです。

 

 

描き放題です。描けませんが。

 

 

アイディアとかレシピとかAIが生成したものはいいし、水族館や動物園の生き物も人間じゃないから著作権関係ないそうです。

 

 

 

 

 

うーん 分かるようで結局わからない。

 

 

とりあえず「面白かった」だけでも感想書けば大丈夫というのだけは覚えました。

 

 

 

そして話は変わり、人間ドックの結果を真摯に受け止め、YouTubeのショートを見ながら運動をすること早や1か月。

 

ズボンの上げ下ろしが少しだけするっとスムーズになったような気がしています。

 

誰からも何も言われないけど、自分だけは知っている。体重が変わらないのは、脂肪が筋肉に置き換わったからと思いたい。

 

 

明日から7月。

 

今年の後半戦も頑張るです。にやり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『777』

(伊坂幸太郎著 角川書店)

 

 

 

スリーセブンて読むんじゃないんですね。

 

 

スロットマシンで、7が3つ出るのをジャックポットと言うんだそうで、それは大当たりのことなのだそうですが、

 

 

この物語の主役と重要な登場人物の、二人の会話です。

 

 

「ある人が言ってたんです。子供のころ、お父さんにスロットマシンのおもちゃを買って貰った話をしてくれて。

 

試しにレバーを引いてみたんですけど、何回やっても、ジャックポットは出なかったみたいで。

 

あまりにも出ないものだから不安になって、お父さんに、『こんなについていなくて、大丈夫かな』と訊いてみたそうです。

 

お父さんと自分の人生が不安になってしまって」

 

 

こんなことってあるのかな。お父さん、僕たちはどうなっちゃうんだろう。

 

大丈夫だよ。こんなところで運を使わなくていいんだから。

 

 

「他人事とは思えないよ。その子の気持ちが分かる」

 

七尾の反応が想像以上に実感のこもったものだったため、紙野結花は少し驚く。

 

「本当ですか?」

 

 

「痛いほどね。で、その話がどうかしたのか」

 

「思い出しただけです。わたしも今まで、大当たりどころか、7が1個も出ないような人生を歩いてきたので」

 

 

ジャックポットが絶対に出ない、壊れたスロットマシンを回し続けているだけだ。

 

 

「俺なんて、スロットマシンを回そうとしたらレバーが壊れる、そういう人生だよ」

 

 

七尾のついてなさは、真莉亜が説明してくれます。

 

 

「君はだいたい、ついてないでしょ。だから、相手にぶつかられて転んだら、ちょうどそこに危ない物でも落ちているんじゃないかなと想像したの」

 

「どういうこと?」

 

「君がタックルを食らって倒れれば、その床には画鋲(がびょう)や釘(くぎ)が落ちていて、ぐさっと刺さる。

 

そういうことになっているでしょ。不運の塊だから。

 

 

泣き面を見せたら蜂が刺しにくる。転べばそこに尖(とが)ったものがある。それが君の運命。

 

だからわたしがそれを見越して、君の近くを探したら、案の定、あったわけ」

 

 

「何があったんだ」

 

「長い針が床に刺さってた。矢なのかな」

 

 

「ああ、さっき上から狙われた時のやつだ」

 

 

 

紙野結花の不幸は、記憶力がいいことです。

 

「どんなこともずっと、覚えているんです。何でもかんでも。見たものも聞いたことも。

 

ぼんやり眺めている時はまだマシなんですけど、一回意識すると」

 

「記憶に刻まれちゃうわけ?」

 

紙野結花は強くうなずいた。

 

 

「友達とか一人もいませんでした。学校で、必要最低限の会話はありましたけど、学校以外の場所で誰かと会ったり、遊んだりすることもなかったですし」

 

「大学生の時、いろいろ考えたんです。どうやって生きていこう、って。自分に向いている仕事は何なのか、って」

 

 

「弁護士とか資格を持つ仕事はどうなの?記憶力がいいなら、法律を覚えるのも得意だろうし」

 

「それは少し思ったんです」

 

法学部に入学しておくべきだったか、と後悔はした。それに限らず、資格試験にはむいているだろうから、何らかの専門家を目指すことも考えた。

 

 

「ただ、言い方は悪いですが、お医者さんや弁護士さんはみんな、困っている人を相手にするじゃないですか」

 

「まあ、困ってる人を助けてあげるんだろうね」

 

「その困った人たちの話を、ずっと記憶してるとなったら、たぶん耐えられない気がするんです」

 

「分かるかも」

 

 

「考えた末に閃(ひらめ)いたんです。お菓子作りとかはどうだろう、って」

 

「急に?」

 

「料理のレシピ、分量とか手順とか、ああいったものはいくらでも覚えられますし、センスがあるかどうかは分からないですけど、言われた通りにやることはできる気がしたんです。しかも」

 

「食べた人が喜んでくれる」

 

紙野結花は大きくうなずいている。

 

 

 

 

 

 

この本は、ホテルの中で業者に狙われて、いかに逃げるかというハラハラドキドキの連続です。

 

 

伊坂さんだからピンチになっても絶対逆転する。大丈夫。とは思うんだけど、ずーっと血圧上がりっぱなしでまんまと騙されて、そしてやっぱりとっても楽しかったです。

 

 

 

 

 

ところでこの前、SL列車に乗ってきました。

 

新潟と福島を結ぶ磐越西線(ばんえつさいせん)、3時間半の旅です。

 

 

降りる頃には窓枠にはうっすらと煤(すす)が。鼻をかめば真っ黒だし、もちろんエアコンの効いた快適な車内で、窓を開けるなんてことしてないのにとびっくりでした。

 

 

でも何がよかったって、車窓から見る町の人たちが、待ち構えている撮り鉄さんも踏切でたまたま遭遇して停車している車内からも、みんな手を振ってくれるんです。

 

 

私も負けないように歯を見せる全力笑顔で両手振りまくりました。

 

 

確か識子さんが言ってたと思うのですが、手を振るって、あのやんごとなき皇室の方々のお手振りもそうですが、神主さんが幣(ぬさ)を振るのと同じ意味で、相手の悪いものを落とすとか健康や安全を祈念するとかの意味があるってことらしいので、千切れるかってくらいに振りました。

 

 

沿線のみなさんなんて洗濯物の心配もあるでしょうに、みんな笑顔で本当に幸せをいただきました。

 

 

 

あともうひとつ、温泉に泊まって次の日在来線を待っている時には、神を見ました。

 

 

小さな子供二人とお母さんが同じ列車を待っていたのですが、お母さんと一人(妹ちゃん)はホームの椅子に座っています。

 

もう一人のお兄ちゃんは、一番に乗り込めるようにホームに立って待っていました。

 

 

でも残念。立ち位置が列車の開く扉の位置ではありません。

 

ちょっとずれて列ができ始めていました。

 

 

そこへお母さんと妹ちゃんが来て、お兄ちゃんが違うとこに立っていたことが分かります。

 

お母さんから立っている場所にはドアが来ないことを聞くと、男の子は固まってしまいました。

 

日の当たるホームで頑張って立ってたんだもんね。

 

 

すると、正しい位置に並んでいた先頭の男性がゆっくりと、その親子の後ろの方にちょっと動いたのです。

 

手元のスマホを見ながらあくまでも何気なく、です。

 

 

親子が先頭の列になりました。あまりにもさりげなくて、気づかない人もいたんじゃないかな。

 

 

まさに神を見た瞬間でした。

 

 

いい旅だったなぁ~

 

 

 

 

奈良に愛知に磐越。今年は旅の年になってるみたいだから、きっとまたどっかに行ける気がする。

 

 

次はどこかな~クローバー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『喫茶おじさん』

(原田ひ香著 小学館)

 

 

 

喫茶店が大好きな松尾純一郎、57歳が主人公です。

 

1年半前、純一郎の会社が50歳以上の社員を対象に、希望退職を募りました。

 

 

条件は、現在の退職金に2千万円を上乗せする、という東証一部上場企業といえど破格なもので、定年の60歳まで働いたら退職金は3千万くらいになるところ、それに2千万のプラス。

 

5千万が今すぐに入ってくることになる。

 

 

手を挙げた社員は少なくなかった。気がついたら200人の定員はすぐに埋まった。

 

そして、当時55歳の純一郎も・・・そこに身を投じた一人だった。

 

 

退職したい、そして喫茶店を始めたい。

 

 

そんな突拍子もない願いを、妻の亜希子はもちろん、「絶対に許さない」と怒った。

 

 

「喫茶店なんてできるわけないじゃないの。あなたはあの会社に勤めているからこその人。外の世界じゃやっていけない」

 

亜希子の言葉には的を射ているからこそ、うなずけないものがあった。

 

 

会社で働くことに飽き飽きしていた。

 

これ以上出世の見込みがないこともよくわかっていた。

 

そろそろ、同期どころか後輩が部長になっている。

 

年上の自分のようなものがうろうろしているのは彼らにとってやりにくいはずだ。

 

たぶん、次の異動あたりで適当な閑職を与えられ、定年を待つことになるのだろう。

 

それが悔しいともあまり思わない。ただ、ゆっくりと会社の中で死を待つのがつらかった。

 

そんな矢先、純一郎の気持ちを読んだかのように会社が打ち出してきた、早期退職だった。

 

 

それでもなかなか首を縦に振らない妻に、最後はこう言った。

 

「なあ、一生に一度くらい、自分の好きなこと、やりたいことをやらせてよ。今まで、なんでもお前の言う通りやってきたじゃないか」

 

 

中目黒にはおしゃれなカフェやチェーン系カフェはあったけど、どこも混んでいたし、純一郎が計画していたような純喫茶はほとんどなかった。

 

目黒区は若者も来る町だが、意外と中高年が住んでいる。

 

そういう少し歳の行った、豊かな老人たちも引きつける店にしたいと思った。

 

日本政策金融公庫からも少し金を借り、亜希子との約束は守って、退職金から学費と2千万は残してほとんどすべてを使ってしまった。

 

 

そして・・・約半年で潰した。

 

 

 

純一郎は本当に喫茶店が好きで、たくさんのお店で食べたり飲んだりしますが、私はそれほど興味がないのですっ飛ばして読んでたのですが、このナポリタンだけは絶対作ろうと思いました。

 

 

亜希子の前の妻、登美子から教えてもらったレシピです。

 

 

 

「あれはね・・・」登美子が説明を始めた。

 

麺は市販の2.2ミリの太麺のスパゲッティを使うこと。

 

茹でる前に半日以上、水に浸けておくこと・・・。

 

 

「え、水に浸ける?」

 

思わず、身を乗り出して聞き返した。

 

 

「そう。水に浸けておくと、乾麺とも生麵とも違う、もちもちした食感が生まれるの。もともと太麺だけど、その食感がさらに増すの」

 

「なるほど。。。」

 

登美子に断ってスマホを出し、メモを取らせてもらった。

 

 

「それに茹でるのも数分でいいの。だから、お客様に出す時にさっと出せるでしょ」

 

感心して、声も出ない。代わりに、うなるようなため息が出た。

 

 

「確かに、喫茶店なんかだと、ゆで麺を炒めるところが多いよね」

 

「ええ。あれはあれで、独特の歯ごたえがあって、おいしいけどね。このやり方だと、あそこまで柔らかくならない」

 

「すごいな」

 

 

不思議だ。あれだけきまずかったのに、料理の作り方を話していると、こんなにすらすら話せる。

 

 

「ナポリタンの具はね、何でもいいと思うの。あなたの好きなもので。あまりにもインパクトの強い食材や匂いが強いものはダメだけど」

 

「ベーコンとかマッシュルームとか・・・ピーマンもいいかな」

 

 

「ええ。でも野菜は適量にして。あまり多すぎても邪魔になる。お店に来る人は別にナポリタンを食べて健康になりたいわけじゃないから」

 

「うん」

 

 

だけど、絶対にやって欲しいのはケチャップの処理」

 

「ケチャップ?普通のケチャップを使っていると言っていたよね」

 

 

「ええ、メーカーは自分の好みでいいと思う。だけど、少し多めに一人分大さじ2杯以上・・・

 

まあ、うちの店では最後の〆に出すくらいだから、スパゲッティは乾麺で50グラムくらいなのね。普通に一人分、100グラムくらい使うんだったら、ケチャップはその倍、大さじ4,5杯は必要かも」

 

「結構使うんだね?」

 

登美子はその様子を身振り手振りを加えて説明してくれた。

 

 

「じっくり炒めたケチャップと麺、具をからめたら、最後にバターをひとかけら入れれば完璧」

 

「ありがとう」

 

こんな大切なレシピを教えてくれるなんて。元・・・とはいえ、夫婦というものは悪くないものだとやっと思えてきた。

 

 

 

 

 

 

ところで全然関係ないのですが、私この前、下血をみました。

 

昭和の人間として昭和天皇崩御の見出しが脳内にフラッシュバックしたわけですが、内視鏡して心配ないと言われ一安心。

 

その後今度は肋骨が痛くなり、レントゲン撮ったけどダイエットしようとして急にやりなれない動きをしてたからみたいで、こんなやわな骨のヤツだったのかと我ながらがっかり。

 

秘かに健康体のDNAだけはご先祖様に感謝してたのに、ここにきて立て続けに病院にお世話になり、イカンザキ。

 

 

心入れ替えてちょっと身体のこと気にかけるです真顔

 

『ヒロイン』

(桜木紫乃著 毎日新聞出版)

 

 

 

渋谷駅毒ガス散布事件、殺人罪等で特別指名手配中の岡本啓美(ひろみ)、40歳がつかまるシーンから始まります。

 

あぁ、あの事件ですね、とわかります。

 

 

17年にわたる逃亡が終わった日でした。

 

そしてそこに至るまでの日々が描かれます。

 

 

 

啓美の母親は、ちいさなバレエ教室を開いていました。

 

 

東京のコンクールでどこの留学資格も得られなかった娘に、母の態度は冷たかった。

 

あんたがそんなやと、経営さえ危うくなるやんか。

 

 

母の頭には、ちいさなバレエ教室の維持しかなかった。自分はさらにちいさな歯車だった。

 

 

自分の価値・・・そんなものがあるのなら知りたい。

 

誰か、わたしの価値を教えてください。

 

 

啓美の問いかけに、答えをくれたのが「光の心教団」だった。

 

 

光が支配する世界は、もはや性別も人の上下も欲もなく、ただ今日を美しく生きようとする個々の思いがお互いを照らすのです。

 

 

現師のたどたどしい説法には、おかしな説得力があった。母の支配から飛び出す方法として、大学や就職はまだ甘かった。

 

ここならばと入信したときの気持ちは、母とバレエを同時に手放した解放感に満ちていた。

 

 

 

「光の世界を取り戻す装置」を地下鉄に置いた後、かくまってくれた男が言います。

 

 

「明日、また来る。それまでに出てってくれ。本当なら金を突っ返して通報したいくらいだが、それをすると次の仕事がしづらくなるんでな。

 

まったく、えらい物件に触っちまった。お前らの教祖様は、いったいどこにトンズラしやがったんだか。

 

だいたいな、信じるもんしか救わねぇインチキを信じてるお前らが馬鹿なんだよ」

 

 

 

 

 

いいですねぇ。スカッとします。

 

救うのにお金取るのやめようよ。

 

「生きていれば100歳」のお祝いとか、わけわかんないし。

 

 

 

 

ところで昨日、同じマンションに住んでるいかにも脳梗塞やりましたって感じの歩き方する男の人を近くの通りで見かけました。

 

道路のほぼ真ん中を、片手に杖、もう片方に買い物袋を持ってふらふら歩いています。肩には重そうな袋を斜め掛けして、いまにも倒れそうな感じで。

 

 

私は後ろからチャリでおじさんを追い越すところだったのですが、どっちから抜かそうか一瞬迷って歩道側を抜けたくらいなので、今車きたらと相当危ない感じでした。

 

チャリを置いて急いでおじさんのとこに戻って、おじさんが持ってた買い物袋奪ったら結構重いし。

 

肩から下げてるバックも重そうだったけど、それ取ったらバランス崩しそうだったから、並んで歩きながら少しずつ歩道側に押し戻しつつ、一緒にマンションまで歩きました。

 

そしてエントランスに置いてあった泥落としの金属製のマットに足を取られて、助ける間もなくゆっくり転びました。

 

 

受け身も取れないのでそのままコンクリートにぶつけて、多分相当痛かったんじゃないかと思うけど、手を貸して立ち上がって、家まで一緒に行きました。

 

玄関から入るとおじさん土足でそのまま入ってって、私にもそのままでいいと言い、荷物は棚の上においてくださいと。

 

 

そして帰ってきたのですが、思うに雨の晴れ間で今のうちにとスーパーに買い物に出て、買いすぎちゃったんじゃないかな。

 

 

前に見かけたときより足上がってなかったし、よく一人で生活してるなぁ。。

 

ケアマネさんやヘルパーさんもいないって言ってたし、介護認定受けて手伝って貰ったらいいのに。あれじゃ信号も渡りきれないよ。

 

 

郵便受けに行くのも億劫だろうし、宅配ボックスになんて入れられたら取り出せないし家まで運べないし、絶対家にいないとだめだな。

 

 

もっといろいろ手伝ってあげたいけど、一体どうしたら。。。

 

 

とりあえず明日あのエントランスのマットを撤去してもらえるように、管理人さんに言わなくちゃだな。真顔

 

 

 

 

 

 

 

 

『女子とお金のリアル』

(小田桐あさぎ著 すばる舎)

 

 

各章の初めにマンガが挿入されているので、それだけ見ればいいやと思ってたのに、あれ、面白そうと、結局何度読み返したでしょう。

 

 

しかも、読んでるそばから実践しなくちゃ!と血沸き肉躍った本は、これが初めてかもしれません。

 

大絶賛です。

 

 

女子限定の本にしとくのはもったいないです。いやもはや小学生から必修で読んでいただきたい。

 

 

 

まずはこれ。

 

お金持ちとそうじゃない人というのは、具体的に持っているお金の額が違うのではなく、お金に対するマインドや物事の捉え方がまったく違ったのです。

 

 

・お金持ちは、同じ価値のものに対しては一番安いものを選ぶ。

 

・貧乏人は、価値が違うのに安い方を選ぶ。

 

 

お金持ちは、その金額からのリターンでまず考えます。

 

・千円で1回使ったら終わりなのか?

 

・1万円で100回使えるのか?

 

・その1万円が別の利益を生む可能性はあるのか?

 

・もし転売したらいくらくらいになるのか?

 

 

お金持ちのケチポイントは、

 

金額だけをみるのではなく、本来は、その後ろに隠れている価値をみないと、それが実際に安いか高いかというのは判断できない。

 

そして価値が変わらない場合は安いものを選ぶ、です。

 

 

 

もともと仕事と育児の両立を模索するブログを立ち上げ、その両立には、まずは良好な夫婦関係が必須だという結論に自分の中で辿り着き、

 

まずは「良いパートナーの選び方」から書き始めたあさぎさん。

 

 

非モテからモテる自分に変わり、理想100%の男性と結婚していたことから、このノウハウを知ったら幸せになる女性がたくさん増えるんじゃないか?

 

そしたら!!

 

その恋愛論が話題となり、たちまち人気ブログに。

 

ブログ読者の方から毎日のように恋愛相談が届くようになりました。

 

 

長文で届く相談に、こちらも長文で真剣に返信していたら、何度かのやりとりのあとに大抵、こう聞かれるようになりました。

 

「有料でもいいので、直接会って相談できないですか?」「セミナーを開催する予定はないですか?」

 

 

そしてセミナーを開催し、セミナーの動画も販売したところ、結果的に10万円ほどの収益を得ることができました、と。

 

 

今やあさぎさんはドバイに住む年商4億円のバリバリの成功者です。

 

 

 

そしてこうも言っています。

 

 

私のお金と人生が激変した一番のきっかけは、手帳に「自分の理想の人生」を描いてみたこと。

 

 

実際に紙に書いてみることで、自分でも「え、私こんなことしたかったの?」と思うようなことがたくさん出てきて、とてもびっくりしました。

 

そして書き終えてからはリストの存在などを忘れ、いつもと変りない日常を送っていたのですが・・

 

半年ほど経った頃、ふと思い出して見返したら、たくさんの項目が実現していて、再びびっくりしたものです。

 

というのも、その大半が、自分で「叶えるために頑張ろう!」と努力したわけじゃなく、毎日を普通に過ごしていたら自然に叶っていた!という感じだったから。

 

 

ここで私は「自分の希望を紙に書き溜めておく威力」を知りました。

 

 

書いておくだけで神様だか潜在意識なんだかに勝手にインプットされ、勝手に叶っていくのです。

 

そんなわけで1~2年に1回、このリストを最新版に書き直すということを10年続けてきました。

 

そして実際に、いろいろなことを叶えてきました。

 

 

これは本当におすすめなので、ぜひみなさんにもトライしてみていただければと思います。

 

うまく書けなくても全然構わないので、「私の人生、こうだったらお金にノーストレス!」ってことをぜひ妄想しながら、書いてみてください。

 

 

自分は何が好きで、何が幸せで、何に価値を感じるか、お金があったら何がしたいのか。

 

それが今後の人生を豊かに変化させていく大きな鍵になります。

 

 

「夢リスト」と呼んでいたこのリスト、数年前からどうも「夢」というのはしっくりこないなと感じてきました。

 

どちらかというと、自分の下世話な欲望をただただ垂れ流しただけの、単なるわがまま放題なリストだったから。

 

 

頭で考えた綺麗な理想はあまり叶うことはなかったのに、心から湧き上がってきた謎の欲望っていうのはびっくりするほど叶っていたんです。

 

 

世の中の多くの人は「理想の人生を送りたい、でも叶わない」と思いながら生きています。

 

でも、実は本心で思い描いていることは全て叶っているのが「今の現実」

 

今の人生が全て自分で望んだことだなんて、驚きじゃないですか?

 

私はこのことを知ったとき本当に驚いたというか、絶望しました。

 

 

理想が叶わない人には特徴があります。それは、「頭で考える理想」と「心に浮かぶ欲望」がまったく一致していない、ということ。

 

 

過去の私は「たくさんお金が欲しい」と頭では願いながらも、心では「安定を失いたくない」「失敗したくない」という心を優先していたから、お金がなかなか増えないという状態が実現化していました。

 

でも、「お金がたくさん欲しい」に心から変わったからこそ、たくさんのお金を得ることができたのです。

 

 

まずは、今の人生は自分の頭で思い描いたものではなく、心で願っていたことが叶っているんだ、ということを知り、自分の心で願っていることが一体何なのか?ということに、自分自身で気がつくことが重要です。

 

 

そのために作るべきは、夢リストではなく欲望リスト!

 

心の中から勝手に湧き上がってくる欲望は、頭で考えただけの理想とは違い、ものすごいパワーを持っています。

 

だからこそ、実際に人生が豊かに変わっていくのです。

 

 

 

 

そしていよいよお金の稼ぎ方です。

 

 

 

まず、あなたには「自分は自分の夢を叶える事に、自分の時間と労力を使っているのか?」ということを、一度考えてみてほしいです。

 

自分でビジネスを考えて起こして動ける人だけが、利益を全部貰えるのですから。

 

 

いま私達が暮らしている世界で「お金持ち」というのは、いわゆる「資本主義ゲーム」に勝っている人達のことを言います。

 

スポーツやチェスなどのゲームにルールや勝敗があるのと同様に、資本主義には勝ち抜くための明確なルールがあり、そこには勝者と敗者がいます。

 

つまり稼ぐというのは、スポーツやゲームに限りなく近いものなのです。

 

 

でも、この資本主義ゲームのルールや勝ち方は、学校でも家庭でも、場合によっては会社内ですら誰も教わってきていません。

 

 

だからこの「資本主義ゲーム」のルールも勝ち方も、知っている人が本当に少ない。

 

それゆえ、多くの人は「自分には稼ぐ才能がない」と勘違いしているわけです。

 

本当は単にルールを知らないだけで、他のスポーツと同じように、ルールを知り、練習すれば、意外と簡単に勝つことができるようになるんです。

 

練習すれば大半の人はできるようになるのに、この知識がないために始める前から諦めている人がとても多い。

 

これは本当にもったいなさすぎます!

 

まずは知って試してみましょう。

 

 

 

仕組み①

 

資本主義は、実際に自分の手を動かして働いた人ではなく、人が働ける状態を作っている人が、大きなお金を得られる仕組みです。

 

なぜ、手を動かしていないのに大きなお金が得られるのでしょうか?

 

理由は、リスクを負っているからです。

 

まず「リスクを負う人が勝つ」というのが、資本主義の一つ目の特徴です。

 

 

仕組み②

 

資本家は先に労力や時間を先行投資して、後からお金を回収しています。

 

この「先に出す」が資本家と労働者の違い。

 

いくら高収入な会社員であっても、労働者は自分よりも資本家を豊かにするために働いています。

 

労働者は資本主義ではわき役でしかなく、「資本家が主役の社会」が資本主義社会なのです。

 

つまり、資本主義ゲームで勝つためにはまず「資本家として生きる」ということが必要不可欠。

 

そのためには、労働者から少しずつでいいので資本家にシフトしていくことが重要なのです。

 

 

仕組み③

 

当たり前ですが、お金は一人では歩いてきません。基本的にお金は、人から貰うしかないのです。

 

では、どんなときに人からお金を貰えるでしょうか。

 

答えは、その人が喜んだり幸せになったり、欲が満たされたとき、ですよね。

 

なのでまず「人を幸せにする」、という発想をインストールしましょう。

 

そうすると、あとで必ずお金をいただくことができるようになっていきます。

 

繰り返しますが、たくさんお金を稼いでいるというのは、その分だけ人を幸せにしたという証です。

 

 

仕組み④

 

経済学の父と言われているアダム・スミスが、1776年に出版した『国富論』のなかで「強欲は善、裕福になるのはみんなの為」と唱えているのをご存じですか?

 

日本では、こんな思想を持っていたら冷たい目で見られそうですが、これは幸せになる方法なのだと、私は確信しました。

 

 

パン屋さんが1万円で花を買って、花屋さんが1万円で髪を切って、床屋さんが1万円でパンを買う。

 

この一巡の後に、最後に何が残ったと思いますか?

 

手元に残っているお金はみんな1万円で、最初の状態と変りません。

 

でも、得たものはプラスになっていませんか?

 

パン屋さんは美しい花が手元に残って、花屋さんは綺麗になった自分ができて、床屋さんは美味しいパンが手元に残る。

 

そう、最初の1万円に加え、さらに1万円分の他のものも得ているのです。

 

 

このように資本主義とは限られたパイの取り合いではなく、パイの大きさそのものを拡げていける仕組みになっています。

 

誰かがお金を払ったら誰かが損をするのではなく、拡大しながら循環していくことで全員が得をするのが、資本主義の仕組みなのです。

 

 

 

さて次は、お金がなくても資本家側になる方法です。

 

 

「資本家になりたいけど、今そんなお金ないし」

 

大丈夫です。資本は必ずしもお金である必要はありません。

 

自分が持っている時間や労力、知識・・・お金の代わりにそういったものを先出すれば、あなたも立派な資本家です。

 

 

ポイントは、あなたの好き・得意・ワクワクするもので、他の人を少しだけ幸せにすること。

 

最初に返ってくるものはお金ではないかもしれません。感謝されたり、口コミをしてくれたり、誰かに紹介してくれたり、といったリターンかもしれません。

 

でも確実に経験がレベルアップするので、あなたの資本が増えていることになります。

 

そして、その増えた資本を再投資。

 

すると今度は、最初よりもさらに大きなリターンが得られます。

 

これを何度も繰り返すことで、提供できるものや回収できるものが、次第に増加。

 

やりたいことをやり続けるだけで、どんどん知識もお金も豊かになるスパイラルに入っていくことができるのです。

 

 

まずは、嫌なことや苦手なことに自分のリソースを使うのを減らし、その分で自分の好きなことや得意なことに取り組みましょう。

 

自分が好きなことをとことん愛して、どんどんやる。

 

そして周りにも「自分はこれが好き・得意だ」と伝えてみる。

 

 

資本を積み上げる、資本家になる、というと難しく聞こえるかもしれないので、「自分の楽しさをシェアする」

 

そんな気持ちで考えてみると、動きやすいし、いいアイデアも思いつきやすいかもしれません。

 

さっき書き出した欲望を「こうなったらいいな~」と夢物語で終わらせず、大切な自分と周りのために、ちゃんと叶えましょう。

 

1年あれば人生なんてガラリと変わります。

 

 

ただし、注意したいのはこちら。

 

練習したものを先出する際、「何かモノになってから出そう」「完璧にしてから出そう」と思っている人は多いですよね。

 

でもそんなことを待っていたら、いつまで経っても上手くなりません。だから未完成で出す!これに尽きます。

 

私は何事も全部練習でやってきました。

 

上手くなってから出そうではなく、練習したい!から始めていいんです。

 

あなたも楽しいことをただただ続けて、それを気軽に出していきましょう。

 

 

 

ちなみに「一般的には、それでお金は貰えないだろう」と思われがちなレベルで稼いでいる人なんて、世の中にはたくさんいますし、なんなら一般企業でも同じことが言えます。

 

 

「しょうもないか、しょうもなくないか」

 

それは、「本質的に価値があるか、無いか」とはまったく関係ありません。

 

あと、よく自分と「自分がやろうとしていることを既にやっている人」を比べ、自分のクオリティの低さに悩んで始められない人が多くいます。

 

でもそれは要注意。

 

その時あなたの目は「お客様」ではなく「自分の同業者」を見てしまっています。

 

稼げるかどうかは「相手をどれだけ幸せにできたか」で決まるのですから、

 

「自分がどれだけ他の人より優れているか」を気にするのは、まったく本質的ではないのです。

 

 

多くの人は「知識や技術がハイレベルじゃないと、人を幸せにできない」と思いがちです。

 

でも実は、お客様になってくれる人は、「最初のステップ」で困っている人がものすごく多いもの。

 

なので、今のあなたが「人よりちょっとできること」で、幸せになれる人がたくさんいるのです。

 

 

例えば「着付け」。

 

「自分は自分の着付けが出来るけど、師範代のような資格はないので、人に着付けを教えるなんてとてもできない」と躊躇していた女性に、私はこう問いかけました。

 

「自分が着付けを習う場合、身近に着付けが出来る友達がいるのに、まったく知らない高名な先生をわざわざ探して習いたい?」

 

 

あなたはいかがですか?

 

私だったら、本気でマスターするよりも、まずは自分の友達から気軽に習いたい。高名な先生は少し上達してからで十分です。

 

 

こんなふうに、自分に置き換えて考えてみると、「人よりかなり優れていることは、相手にとっていかに価値がないか」、わかるのではないでしょうか。

 

 

 

私はビジネスとは人間理解だと思っています。

 

・相手がどうしたら喜んでくれるか

 

・理想を叶えるため、何に悩んでいるか

 

・どこで止まってしまっているか

 

 

などをひたする理解して、相手を全力で幸せにできる人に、お金は集まってきます。

 

まずは身近な人へ「幸せ」というプレゼントを贈り、喜んでくれたら「お金」というプレゼントを受け取る。

 

そんな感覚でいきましょう。

 

 

 

 

そしてビジネス。

 

 

ビジネスは、手法を真似していいのです。

 

というか、うまくいっている人の真似をしない限り稼げません。

 

ビジネスは車の運転を同じ。生まれたときから運転できる人はいないですよね?

 

そこに才能や強運はあまり関係ありません。

 

ビジネスも練習して、出来ることを重ねていけば、いつか必ず出来るようになります。

 

ではなぜ「世の中で起業して成功出来る人は一握り」と思われているのか?

 

それはそもそもチャレンジした人の母数自体が少ないから。

 

 

ただ、私の元には、「起業塾に3つも通ったけど稼げなかった」という人も来ます。

 

そういう人の特徴はだいたい2パターン。

 

① 自分の実践を積み上げていないだけ

 

② 運転と同じで手順があるのに、その通りにやっていないだけ

 

 

なので最初は「自分にはムリ」って思わないこと!

 

ムリと思っていたらムリです。難しいと思っていたら難しいです。

 

 

まずは「才能はないけど、こんな私でも、もっともっといい思いをしたい」「自分は、もっともっといい思いをする価値がある」と考えるようにしてください。

 

全てはここから始まります。

 

 

 

最後に改めて。

 

 

稼げるのは、自分の労力をかけて誰かを幸せにしたとき。

 

最初にすべきは、今ある知識を「まだまだ」と思わず、放出すること。

 

人に話したり、文章で伝えたり、自分の手を動かすことです。

 

まずは、人に「しょぼい」と言われることを恐れずに出してみる。

 

これをせず、学んで、学んで、完璧になってからドーンと出そうとしてしまう人は大抵、結局ドーンと出せず、学んでも学んでもシーン・・・になりがち。

 

 

こんなんじゃまだダメと思わずに、小さくてもいいからまずは学んだことを全て出す。

 

それで少しでも回収できてから、その中で再投資。

 

このループを身につけましょう。

 

 

 

 

お金は、自分だけでなく、「人の記憶にも思い出を残す」という使い方をすると、幸せがさらに拡大していきます。

 

あなたが、自分自身や、大切な人と、人生で一番したい経験は何ですか?

 

この世に一人しかいない、大切な自分。その自分がやりたいと思っていることなんだから、それってとても大事なことなのです。

 

 

大切な自分い、大切な人に、素晴らしい経験をプレゼントしてあげましょう。と結んでいます。

 

 

 

 

 

 

私、これ読んでるうちから、お金を使う時に「これは投資だ」と考えるようになりました。

 

 

これを買って自分が何年後にどうなっているか、相手との関係がどう変わっているだろうか、何が戻ってくるんだろうか。

 

 

出て行く金額の多い少ないじゃないんだな。

 

 

 

すごい本でした!キラキラ

 

 

 

 

 

 

 

 

『おでんオデッセイ』

(山本幸久著 実業之日本社)

 

 

 

屋台のおでんやを営む有野静香が主人公です。

 

 

東京の大学を卒業後、大手商社に総合職として採用され、資源・化学品事業部門・基礎化学部に配属、無機化学品事業の会社に投資し、資産管理をおこなうチームの一員として働いていました。

 

その後体調を崩して地元伊竹(いたけ)市に戻り、実家で作る練り物を仕入れておでんやを始めたのです。

 

 

お客さんや一緒に働く人たちのエピソードでお話が進みます。

 

 

その中で、屋台にくる常連さんがおでんを食べながら聞くのを楽しみにしている、毎週月曜日、夜9時からのラジオ『アカコとヒトミのラジオざんまい』が楽しかったです。

 

 

「こんばんは、アカコとヒトミのアカコです」

 

「アカコとヒトミのヒトミです」

 

 

今日のオープニングトークはアカコが町内会長に選ばれたという、それだけでつかみはオッケーの話だった。

 

 

「町内会長?どうしてあんたが?」

 

「先祖代々の地元民で、人望もあるからだよ。ぜひお引き受けくださいって、町内のお年寄り達に頭下げられちゃったもんだからさ」

 

「独り身でヒマなオバチャンだからじゃないの?有閑マダムならぬ有閑ボッチ」

 

「はは。ウマいこと言うね、ヒトミ」

 

「あんたに褒められると不安になるよ」

 

「ウチのおばあさんには、ひとに頼られているうちが花だって言われたんだ」

 

アカコは90歳を過ぎてもピンシャンしている父方のおばあさんと、ふたり暮らしなのだ。

 

 

「なんにせよ長がつく役職って、生まれてはじめてだからさぁ。精一杯頑張ろうと思うんだ。リスナーのみなさんもぜひ応援してください」

 

 

静香はマスクの中で笑ってしまう。つみれさんも本を読んだままでいたが、身体が少し震えていた。本を読みながらも、アカコとヒトミの話を聞き、笑いを堪(こら)えているのだろう。

 

 

「もうオシマイの時間だぞ」

 

気づけばヒトミがそう言っていた。静香も30分間、余すことなく聞き入ってしまった。

 

 

「それじゃアカコ、最後に町内会長になって、今後の抱負を聞かせてくれない?」

 

「地球温暖化防止を考えていきたいと思います」

 

「町内でやるにはスケールがでかすぎない?」

 

「小さなことからコツコツしていけばどうにかなるよ」

 

 

アカコの口ぶりはどこかトボけていて、本気かどうかわからない。それがまた妙なおかしみがあった。

 

 

 

 

屋台のおでんはとっても美味しそう。こんなおでんやさんがあったらいいのになと思いました。

 

しかもお客さんが飲んでるの、焼酎をおでんのつゆで割るんですよ。いったいどんな味になるんだろ。

 

冬になって寒くなっておでん作ったら割ってみよう。

 

 

 

 

ところでこの前、友達がチケット取ってくれて、江原啓之さんの講演会に行ってきました。

 

コロナ禍をはさんで5年ぶりに来てくれたんだそうです。

 

開口一番、また地震が来るから油断しないでね、と。怖すぎるんですけど。

 

 

で、講演会はタイトルが人生相談で、どういうことかなと思っていたら、入場した時に渡される紙に相談事を書くと、それがステージに置かれてて、江原さんが手にしてくれたらそのお悩み相談に回答してくれるというシステムでした。

 

 

5年前も読まれました、という羨ましい人が2人もいたり、さすが江原さん、相談者の背景が見えるらしく、「とっても辛かったね」とか「人格を否定されるようなこと言われたもんね」とか言ってくれるものだから、相談者は大号泣。

 

久しぶりにしゃくりあげて泣く人を見ました。

 

娘さんが自信がないというのは、お母さんのお腹にいるときお母さんにとっても大変なことが起こって、お母さんが毎日不安だったからだよ、とか言ってるケースもありました。

 

あっという間の2時間でした。

 

そういえば相談する紙には、何列目の何番に座っている何の誰それと書く必要があるから、会場のみんなにいろんなことが分かられてしまう、そこをご了承いただける方だけ書いてくださいとありました。

 

これは他県で開催された時に行く方がいいかもだな。

 

 

 

で、終わった後母にあらましを報告したら、意外にも興味あるようで、今度来たら行きたいと。

 

へー珍しい。そういうの好きじゃないと思ってたのに。。

 

そしてはたと気づきました。そうね、兄貴と交信したいのよね。2年経ってまだお墓にも入っていないんだもんね。不憫だよね。

 

 

私は思い出さないときも多くなったけど、母の心にはやっぱりいつもあるんだな。

 

 

とにもかくにも、子どもは親より先にいってはいけないのです。真顔

『ごりやく歳時記 5月』

(桜井識子著 幻冬舎)

 

 

 

4月すっ飛ばしました。。反省

 

 

5月は端午の節句(5月5日)です。

 

 

5月5日は五節句のひとつですから、邪気を祓える日です。

 

この日は菖蒲の、邪悪なもの・低俗なものを寄せつけないパワーを利用して、体をスッキリと清めます。

 

人から飛ばされた念を浄化するだけでなく、自分のちょっとしたよくない思いや行動から発生した、小さな黒いシミ(イメージです)まで消してくれるのです。

 

スッキリ爽やかな自分に戻れます。

 

 

塩風呂は他人から飛ばされた念などを落とすのに効果がありますが、ひとりひとりお湯を入れ替えなければなりません。もしくは最後に入る人だけが塩風呂にできます。

 

その理由は、悪いものがお湯に溶け込むから、です。

 

塩を入れたお湯に続けて入ると、2番目に入った人は、最初に入った人の悪いものが溶けたお風呂につかることになります。

 

最初の人が落とした悪いものをくっつけてしまうのです。

 

 

この点、菖蒲湯は塩風呂とは違います。

 

家族全員が入ってもまったく問題ありません。

 

 

菖蒲湯でも塩風呂でも重要なポイントは、一度、頭のてっぺんまで全部お湯につかる、ということです。

 

これで全身がキレイに浄化されます。

 

菖蒲湯によもぎを入れる地域もありますが、よもぎは入れても入れなくても、どちらでもかまいません。

 

パワーは菖蒲にあるからです。

 

 

ただし、節句との相乗効果のおかげで、この日の菖蒲は最大のパワーを発揮していることは知っておいたほうがいいです。

 

他の日に菖蒲湯につかっても、5月5日ほどの効果はありません(まったくないわけではないので、ほんの少しは浄化されます)。

 

 

 

 

 

 

明日じゃないですか。早く買いに行かなきゃ。

 

菖蒲湯なんて今まで一度も入ったことないです。

 

 

明日はスッキリするぞー爆  笑

『一線の湖』

(砥上裕將著 講談社)

 

 

 

『線は僕を描く』の続編です。

 

むしろ上下巻といったほうがいい位です。あれがあってのこれ。

 

これがなければ終わらないって感じです。

 

 

 

 

湖山先生の弟子、湖栖(こせい)さんは、緻密な画を描きます。

 

 

どんなプロでも狙った場所に狙った精度で調墨を行うことは不可能なのに、彼は何度描いても同じ精度で筆の中の墨と水分の量を調節できた。

 

筆圧の精度も同じだった。

 

 

湖栖さんは言います。

 

 

「湖峰先生や湖山先生の湖の号を名乗っても、私は彼らには遠く及びませんでした。

 

私はただ、緻密に描けるだけ。彼らは天地を自在に生み出せるのです」

 

 

心でものを見、世界や水墨の持っている素直な美しさと人生を重ねることができる姿勢…。

 

それを学ぶことによってはじめて、習得し研鑽してきた画技を生かすことができたのです。

 

どんなに素晴らしい技術があっても、それを生かす心がなければ意味がない。

 

器そのものが大切なわけではない。器に何を注ぐかが大切なことなのです。

 

 

 

 

青山霜介も湖栖さんも、湖山先生から「完璧なものに用はない」と言われ、用とは何かを考えていました。

 

 

「湖栖さんから頂いたハガキを見たとき、すぐに意味は分からなかったけれど、気持ちが少しだけ軽くなったことを覚えています。

 

自分の問題から少しだけ視線を逸らせたことを…」

 

 

「絵とは、本来そういうものだと思います。

 

ほんの少し線を引き、心を傾ければ、深く大きく答えてくれる。

 

そして、それは時に言葉よりも大きく強く心に届く」

 

 

「そうか、それが…」

 

 

「そうです。それが『用』です。絵の用だと思います。

 

心を傾ける隙間が絵には必要なのだと、ここに来て思い至りました。少なくとも水墨画はそうです。

 

まさに、『完璧なものに用はない』のです。あなたにはそもそも見えていたはずの世界です」

 

 

 

長時間の訓練、精密で複雑な動作、自分の内側の動きを無視した努力を続けても、どこかで行き詰ってしまうのだろう。

 

そもそも自らの中の『伸びしろ』を『伸ばしきってしまった』後には、どれだけ叩いても伸びることはない。

 

ただ自分を痛め、歪な形にかえてしまうだけだ。

 

重要なのは『伸びしろ』そのものを伸ばすことだ。心の内側に余白が必要なのだ。

 

そのために、描かない。そのために、筆を置く。

 

僕はそのことに気づけなかった。筆を置き、待ち、手ではなく心に立ち現れるものを見る。手が遅いうちには簡単にできていたことが、手が早まると忘れてしまう。

 

 

 

完璧なものに用はない。

 

僕が描くものは、どこまでも不完全で拙い生の形だ。それは、描くのではなく、生まれるのだ。そのときを待たなければならない。

 

白の中に、突然、見えないはずのものが生まれ、それは像になり、意志になり、完璧から可能性への試みに変わる。

 

 

考えてみれば、ひどく単純なことだ。

 

生きるとは、やってみる、ことなのだ。また、子どもたちの生き生きとした様子が目の中に浮かんでくる。僕の中に彼らが生きている。

 

 

 

そして湖山先生は引退を決めます。

 

 

「私がこうして去れるのは君のおかげだよ。君に出会ってはじめて、そう思えた。

 

去ることをいとわず進めるのは、未来を信じているからだ。

 

君が、今日と明日を連れてきてくれたんだ。そして、皆を結んだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

水墨画の描写も素晴らしいし、何より哲学がちりばめられています。

 

これでもか、というくらいで、砥上さんて何者なのかと思ってしまいます。

 

 

 

それにしても、文中に出てくるいくつもの水墨画。表紙や裏表紙に何枚かは絵が挿入されていますが、できれば出てくるたびにQRコードをつけてていただきたい。想像した絵はきっと、砥上さんが伝えたい絵と違ってる。間違いない。

 

 

そして確か『線は僕を描く』は横浜流星さんだったと思うけど、続編の上映も決定ですね。

 

 

 

 

 

そんなこんなでこのGW。前半で念願の愛知に行ってきました。

 

願いは口に出すと叶う。

 

お正月に奈良に行って、4月には愛知へ。次々叶っちゃって、死ぬのか?

 

 

瀬戸市のおじさんのお見舞いに母と行ったわけですが、名古屋駅での乗り換えで疲れ果て、名古屋って大きいんだな。。

 

いとこに藤井総太さんちに連れてってと言ったけど、近づけないようになってるみたいなこと言ってました。生活しているわけだから、そっとしてあげないととも言ってたな。市民みんなで守ってるんだな。

 

 

そしておじさんが入院してるから部屋空いてるからと、おばさんの言葉に甘えて2泊させてもらったんだけど、人間、優しさはしてもらって初めて身につくなんだなとよくわかりました。

 

 

「もっと食べなさい」「いいからそのまま置いておきなさい」「これ使いなさい」

 

命令される幸せ。上げ膳据え膳でのんびりさせてもらって、がっつり太って帰ってきました。

 

これから私も人に優しくできそうです。

 

 

ありがとう、おばちゃん、いとこくん。

 

おじさん、早く良くなってねークローバー

『東家(あずまけ)の四兄弟』 

瀧羽麻子著 祥伝社

 

 

 

四兄弟の父親は占い師。

 

初めて読む設定です。

 

そして次男の真次郎も父親と同じ占い師になり、父親を手伝っています。

 

 

長男の朔太郎は遠く離れた九州の大学で苔の研究をしています。

 

博士課程を修了した後も研究室に残り、助手として働いているのです。

 

 

三男の優三郎は際立って綺麗な顔をしているものの、気持ちと体が弱く、今は倉庫でバイトです。フォークリフトを運転しています。

 

そして四男の恭四郎。末っ子気質で愛されキャラで、大学でもモテモテです。

 

 

 

占いについての父子の会話がよかったです。

 

 

真次郎は新たな疑問につきあたった。仮に、自分の力では動かしようのない運命が存在するとして、そんなものを占うことになんの意味がある?

 

 

「難しい質問だな」

 

と父は言った。

 

 

「占い師によって、いろんな考え方がある。運命ってものを、どうとらえるかによるな」

 

例の本の表紙を、手のひらでなでた。

 

「たとえば、運命が本みたいなものだとする。ひとり一冊、生まれてから死ぬまでに起きることが書かれている。つまり、人生の物語だ。その前提でいくと、占いは、どこかのページを開いて読んでみせるってことになるのかもしれない」

 

 

この怪我もどこかに書かれていたのか、と真次郎はぼんやり考えた。ぞっとした。

 

「それもひとつの考えかただけど、お父さんはちょっと違うイメージを持ってる」

 

父が本をぱらぱらとめくり、腋に置いた。

 

 

「運命は、花壇みたいなものじゃないかな」

 

「花壇?」

 

真次郎はきょとんとして問い返した。本のほうがまだわかりやすかった。

 

 

「お父さんは昔、師匠からそう教わったんだ」

 

運命の花壇は、各人が生まれたときにもらい受ける。場所は自分では選べない。山のてっぺんかもしれないし、川のほとりかもしれないし、荒野の真ん中かもしれない。

 

土の質もさまざまだ。肥沃(ひよく)な土壌だったり、石ころだらけだったり、からからに乾燥していたりする。

 

「人間は、どこに生まれてくるか選べない。どの国のどの街かも、どんな家のどういう親かも」

 

 

真次郎にも、たとえ話の意味がおぼろげにつかめてきた。

 

「花壇の状態が違うみたいに、生まれついた環境はひとそれぞれってこと?」

 

「そう。で、どの花壇にも、たくさん種が埋まっている。いわば可能性の種だな」

 

父がにっこりした。

 

 

「放っといてもすくすく育つ強い種もあるし、大事に世話してやらないとすぐ枯れる種もある。芽が出ないで、土の中に埋まったまま腐るのもある」

 

 

父の言うとおり、まさにあの日、真次郎のもとに占いの世界から招待状が届いたのだ。

 

「父さん、おれのこと占ってくれない?」

 

真次郎は言った。

 

嵐が去った後、次はどんな花を咲かせられるだろう。

 

 

 

朔太郎の言葉です。

 

「強けりゃいいってもんでもない」

 

「生き残るのは、強い種じゃない。環境に順応できた種だ。それは生物学的に証明されている」

 

 

 

 

 

仲良しな親子です。

 

 

表紙に描かれている、顔が隠れている4人の男子。

 

二人は分かるような気がしますが、あとの二人はよくわかりません。

 

 

でも裏表紙の女性ならわかります。

 

もし会えたら幸運がめぐってくると言われている、火山の女神の化身ですね。

 

 

 

平凡な家庭に起きる、他人から見れば些細な事でも家族にとっては大きな出来事で、みんなで相手を思いやりながら乗り越えている、誰かの家の中を覗かせてもらったような、優しい気持ちになれる本でしたクローバー

 

 

 

 

 

『噓をついたのは、初めてだった』

(講談社)

 

 

 

噓をついたのは、初めてだった。


で始まる縛りのショートストーリーが、29編です。

 

それぞれ作家さんが違っていて、もちろん2行目も違います。

 

 

 噓をついたのは、初めてだった。

32年生きておいて初めても何もない。だから、まあ、大きな嘘をついたのは初めて、ということだ。

 


噓をついたのは、初めてだった。

もちろんその日には、という意味だ。

 


噓をついたのは、初めてだった。

後になってそのことに気付いた。

 


噓をついたのは、初めてだった。

だけど仕方がなかった。だって、お母さんのウワキを見ちゃったから。


 

噓をついたのは、初めてだった。

振り返れば6年も前のことになる。まだ6年とも、もう6年ともいえる。



 噓をついたのは、初めてだった。

村上にだけは私は、今まで嘘をついたことがなかったんだと、はじめて気づいた。



 噓をついたのは、初めてだった。

結婚していない・・・なんて、そんな嘘をついたのは。



 噓をついたのは、初めてだった。

その結果がこれだ。



 噓をついたのは、初めてだった。

その一文が、友人の最後の言葉だったという。



 噓をついたのは、初めてだった。

今日はその嘘の経緯について書く。



 噓をついたのは、初めてだった。

なにせ、あの家に来てからというもの、私は常にご主人様に忠実だったのだから。

 

 

こうやって振り返ると、続けて読みたくなる第1位は「その結果がこれだ」かな。

 


「だけど仕方がなかった。だって、お母さんのウワキを見ちゃったから」も展開が想像できて安心して読み進められる。

 




短編はサクサク読み進められていいですね。



長いと昨日まで読んでた内容を思い出すのにも毎回ちょっと時間がかかるし。。



トホホなお年頃なのです魂が抜ける