アメブロ充実へ向けて別ブログよりお引っ越ししてきました。
2012年7月21日 (土)
逢ちゃん、いつまでも大好きだよ。
2012年7月13日、私たちの大切な家族、逢(あい)が永眠しました。
今もまだ、家の中に逢の残像を探しながらめそめそしている私です。
一週間、逢を思いながら、いろいろな文章を書きました。
その中から、逢にごめんね、でも本当に私たち三人、逢のことをかけがえのない存在として大切にしていたことを記したいと思います。
今、後悔していること
その1
私は、逢の最後の瞬間に立ち会えませんでした。
13日の朝、確かに逢の体調は前日より悪かったんです。でも、まだ大丈夫、朝の散歩も何とか行ったし、と信じ、家族、それぞれ仕事へ出かけました。
息子がかなり早く帰宅し、すぐに逢の不調に気づき、メールをくれました。夫はすぐ帰宅し、私はどうしてもしなければならない仕事を片付けてから急いで帰ることに。
京都の職場でした。祇園祭山鉾巡行の準備が始まっていた頃です。交通規制はまだありませんでしたが、山鉾町から離れた私の職場周辺もいつもより渋滞していました。急いだつもりなのですが、息子からの、「息を引き取ったと」というメールを受け取ったのは、あと10分ぐらいで家だ、という所ででした。ごめんなさい、逢。最後にお母さんが撫でてあげられなくて・・・。
でも、息子が急変した逢を看病し続け、本当によくやってくれました。間に合った夫に抱かれて、逢は逝ったようです。 最期の苦しかった時間を、ひとりぼっちではなく、夫と息子に見守られていて、逢も安心して眠れたと思います。お母さんだけいなくて、ごめんね。

その2
日記にも、時々書かせていただいていたように逢の体調は、確かに春以降、あまり芳しいものではありませんでした。5月の終わり頃には、歩けなくなったりもしましたし。
でもその都度、獣医さんへ連れて行き、診察をしてもらっていたのですが・・・。
7月9日に「リンパ種で、後二週間。ステロイドを使ったら1ヶ月はもつかも。」と初めて死に直結する重病であると診断されました。
もっと早く診断されていたからと言って逢が長く生きられたかどうかは、分かりません。でももっとわがままさせてやりたかったし、私も仕事を休んででも側にいたのに。せめて歩けなくたった時に、癌の疑いがないか、もっとしっかり検査してもらえばよかったのに・・・。
リンパ種と診断された時、ネットでいろいろ調べました。
診断から2~3年以上、生き続けた子もいます。免疫を高めるためのサプリメントを飲んで、少し良くなった子もいます。抗がん剤で辛い時期を過ごした子もいました。
そして逢と同じように一週間ほどで逝ってしまった子もいました。
医者ではないので、結局のところ、よくわかりません。
これまで逢の体調の変化には、周りの人が過保護すぎると言うほど、敏感になっていた私でした。(こんな小さな肉腫(良性)よく見付けたね、なんて獣医さんにも何度も言われていました) なのに、なぜ、最後の時に、もっとしっかり治療を受けさせてやれなかったのか、悔しいです・・・。
その3
逢の体調が悪くなったのが春以降だとすると、ワン2を迎えた時期とぴったり重なります。
ワン2の存在が逢の死を早めてしまったのだろうか、家族三人、互いに口には出さないのですが、それが一番大きなしこりとなって、心の中にはあります。
5年ほど前から2頭目を飼いたいとずっと思っていました。家族みんな、大型犬が大好きで、多頭飼いに憧れていました。できれば5匹ぐらい飼いたいけれど、それは経済的に無理。 息子の受験や夫の職場の異動などが続き、なかなかタイミングが合わず、今年ようやくワン2を迎えました。ただ多頭飼いへの憧れだけではなく、元気がなくなった逢に若い犬によって刺激を与え、一緒に仲よく遊んで欲しいということも大きな理由としてありました。 それと、もし逢がいなくなった時、ペットロスで落ち込んでしまうであろう私の落ち込みを緩和するためというのも、息子には大きくありました。
逢とワン2は、結局、仲よく遊ぶことはほとんどできませんでした。が、ワン2は、逢が大好きでしたし、逢も決してワン2を嫌ってはいなかったんです。(嫌いな犬が近づくと、逢は毛を逆立てます。ワン2にはそんなことは一度もありませんでした。)でも、逢自身がしんどい時、テンションの高いワン2を煩わしくは思っていたかもしれません。ワン2が来ても、なんでも逢を優先、もちろん私たちとの絆も逢とはしっかり結ばれているし、お互いの愛情を疑ったことなどは絶対にないと私は信じたいです。
だけどどうなのかは、わかりません。
近所の心ない人から、「逢ちゃんは、やきもちを焼いて死んだんだ」なんてことも言われました。私たちが非難されるならまだしも、逢をそんな風にいうなんて、逢の生前は「あいちゃん!!」なんていつもさわりに来ていた人なのに・・・。
去年、二頭目を探している時、あるブリーダーさんから言われました。
「新しい子が来たら、逢ちゃんは、元気になるかもしれないけれど、逆に、『これで大丈夫。お母さんもこれで私がいなくても悲しまない』、と安心して逝ってしまうかもわかりませんよ。」って。
ワン2がいても、逢への愛情は変わらないし、逢を失った悲しみは薄れませんが、もし逢が安心して逝ったのなら、「お母さんは大丈夫だよ」って言ってやりたいです。
逢とは、楽しい思い出が、それこそ山のようにあります。
大型犬なのですが、ずっと室内で飼っていたので、家にいる時は、一日中、べったりくっついていました。私がパソコンを使っている時は、私が座るベンチの横や後、時には足下にいて、いつでも互いに触れ合える位置にいました。台所で料理をしている時は、少しだけ離れて、お座りをして私を見ていました。トイレにも付いてきてドアの前で待っていました。夜は私がお風呂から上がると一緒に寝室へ。寝る時はお父さんの横なんですが・・・。
旅行へも行きました。琵琶湖畔の犬OKのキャンプ場へは何度も。琵琶湖で息子と泳いでいて、二人ともおぼれそうになり、「お父さんは、僕よりも逢を先に助けた」と未だに息子は文句を言います。
スキーにも出かけました。何年か続けて、長野県の犬連れでなければ泊まれないというペンションへも行きました。みんなが犬と一緒なので、気兼ねなく楽しく泊まれるところでした。「犬は喜びゲレンデ駆け回り」の元気は逢でした。
伊勢方面へ海水浴へも。逢は塩水はちょっと苦手でしたが。
息子も幼く、私たちも若く、逢も元気で、一緒にアウトドアを楽しみました。
やがて息子が親と一緒の旅行を嫌がる年齢になり、アウトドアは減りましたが、京都、白浜、伊勢、いろいろなところへ旅行しました。
逢は、本当にいい子なのですが、唯一の困ったところは、自宅以外のところで、一人で待てない、というところでした。近所のいつもの散歩道沿いにあるスーパーでさえ、店の前で静かに待っていることができず、「お母さん早く出てきて」と吠えてしまいます。
実家へ連れて行き、犬好きの姉が側にいても、私が買い物へ行っている間、ずっとないていたりしました。
旅行へ行くと、ペットの宿泊OKでも、食堂への立ち入りは禁止というところもあり、そんな時は、困りました。三人で交代に食事したり、豪華なお食事なのに、そそくさと食べて部屋に戻ったり。
でもそれぐらいでしょうか。逢と14年間一緒にいて困ったことは。
最後は20キロを切ってしまっていた逢ですが、いなくなると、家が広くなったような気がします。ワン2はいるのですが、部屋に漂う毛が極端に少なくなっているし。
食事をしていて、何かを落としてしまうと、逢が飛んできたのに、今は誰も来ない。
風で膨らむカーテンの中には、逢が心地よさそうに寝ていたのに、今は誰もいない。
今の家に越してきて、すぐに逢を飼い始めました。というか、犬を飼うために、今の家に引っ越しました。逢を迎え、逢と共に生活するための家でした。
寂しいです・・・。
あっ、楽しい思い出を書くはずだったのに。
基本、ドライのドッグフードが主食だった逢。でも果物や野菜も大好き。特にキュウリやだいこんが好きでした。果物は何でも好き。メロン(安物ですが)とマンゴ特に好きで、冷蔵庫から出しただけで分かるようで、私が切っている間も、ちょうだい!ちょうだい!私の分も切ってね、と待っていました。
でも最期は、メロンも食べたくなくなっていたようです。
私たちは、これからも家族を迎えて行くと思います。
ワン2も少しずつ良い子になってきています。
だけど、逢以上にすばらしい子には、出会えないだろうと思います。
それでも、逢の変わりはだれにもできないけれど、家族としての犬との生活をこれからもずっと続けていきます。

逢は今頃、私にとって初めての犬の友だちであったハッピーや、逢の大好きな友だちラスターやラッキーと楽しい時を過ごしていると信じています。
お母さんが逢の側へ行くまでには、まだまだ時間がかかりそうですが、その時が来たら、必ず迎えに来てね。 「お母さん、怖くないよ! さあ、一緒に散歩しよう。」って。


















