今回のテーマは、前回の『核兵器』に引き続き、『平和』です。
日本では、その戦後教育のせいも相まって、軍事と平和は同時には成り立たないモノと考えられていますが、実際のところはそうではないようです。
つまり、軍事力と平和は両立し得るということですね。
例えば、戦時中にアジアで最後まで独立を保っていた国は、タイと日本だけです。それ以外はすべて植民地になってしまいました。
タイは、イギリスとフランスの勢力のちょうど境界線に位置していたため、イギリスもフランスも攻め込むのをためらっていただけにすぎません。
では、なぜ日本だけが独力で独立を保てていたかというと、それは軍事力が強かったからです。軍事力がある日本へは、アメリカでもそう簡単に攻め入れなかったという事ですね。
もちろん、最後にはアメリカと戦争をして敗戦してしまうのですが、植民地にならずに済んでいたのは紛れもなく軍事力があって強かったからです。
このような力の事を、抑止力と言います。
そして、絶大な抑止力を持ってこそ『平和』が保てるというのが、国際関係のようです。
これに対し、『軍事力を持っているから戦争を起こすんだ。武器を持つのをやめましょう!』と言って『平和』を叫ぶ場合もあります。特に日本の左翼主義者はこのタイプが多いです。
しかし、女性が痴漢対策で護身術を習うように、いざという時のための武力はどうしても必要です。
『武器がないから狙われない』という理屈は、自分では陶酔して叫べるかもしれませんが、周りを巻き込めるものではありません。
確かに、世界中の国が武器を同時に捨てて、一切武器のない世界になれば、それは『平和』な世界だと私も思います。
だからと言って、『では私から武器を捨てます!』と率先して武器を捨て出す国があるでしょうか?残念ながらそんな国はならないでしょう。
世界から武器がなくなるような、理想的な状況にはならないのが現状です。
理想と現実は違います。理想のためなら、どんな事でもしても構わないというのは、これまた偏ったというか受け入れられない主義なのではないでしょうか。
人間は精神的に聖者にはなれません。一人の聖者が現れたとしても、残念ながらその傍らで罪を犯す人間が存在します。
日本がいくら『戦争反対!』『武器を捨てろ!』と叫んだと所で、他国には関係ありません。日本を侵略すれば自国民が飢えないで済むと分かっていれば、躊躇わずに侵略してくるでしょう。
平和は、人類全体の願いだとは思いますが、それを実現するほど人間は成熟していないようです。