東大に文理両方で合格した男が綴る、受験の戦略

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東大の出願数や足切りラインについての雑感。

真面目な考察は弊塾HPのこちらのページでやってるので、どうぞ。

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出願期間が終わり週明け。

私の足切りラインの予想に関して、予想が不満なのか、違和感があるのか、お前はダメだとマウントを取りたいのか。
色々な問い合わせがあります。

 

このような問い合わせに関して、改めて私のスタンスの説明を表明しておきます。毎年書いているのですが、改めて。

 

・予想は、毎日貼り付けていたエクセルの表、つまり過去の出願数のデータ「のみ」からしか予想していません。共テの難易度や、「あの年は〇〇だった」など別の要因は、一切考慮にいれていないとお考え下さい。

 

・要するに、限りなく私の主観を排しているということです。最後の予想値を算出する時にはどうしても多少は主観が入りますが、なるべく主観が入らないようにしています。
この意味で、私は予想をしているというより、情報を発信しているという感覚です。

 

・なぜ主観を混ぜないかというと、1次情報(つまり、東大の出願数の速報値)こそが一番大事だと考えているからです。1次情報は誰が発信しようが信頼性に揺らぎがありませんので、私も安心して扱えます。

しかし、そこに私が解釈や主観を入れた瞬間に、私のバイアスがかかった情報になります。ネットを使う人が多くなって、情報の取り扱いが雑で下手な人が露わになったと感じますが、私は徹底して情報は「1次情報から優先して扱うべき」だというスタンスです。私の解釈や主観を入れた2次情報で出願を判断するのではなく、なるべく1次情報にアクセスして判断すべきです。

 

・もちろん私にも表に出していないだけで、主観があります。混ぜようと思ったら混ぜられるし、混ぜた結果として発表している予想値からとは違う予想値に変わる可能性があります。そして本当にガチで予想しようと思ったら、エクセルの表以外の要素を考慮すべきかもしれません。

しかし主観はわざと混ぜていません。このHPで発表しているのは、「私が個人的に予想している数値」というより「私の個人的な意見を排し、過去データから説明できる範囲の数値」だと思ってください。

 

・私の予想の仕方がおかしいとか、不十分だと思うなら、どうぞご自身で予想をしてください。私も、正確さを追求した予想方法だと思っていません。あくまで、どこぞのオッちゃんが発表している参考値です。

私のエクセルの表をよく見てくださり、「この年は〇〇人多いから、今年は△△なんじゃないか」とか「共テの難易度が〇〇」のようにご意見を下さるような方は、恐らく私より正確に予想ができると思いますので、どうぞご自身の感覚を優先してください。


・というか、私が行っている予想は、誰でもできることだと思っています。

私は、いわゆる「後出しジャンケン」のように東大の出願を毎日追えば予備校予想より正確に予想することが誰でもできます、と言ったことはありますが、私だからこそ正確に予想できるのだ。わっはっは。と言ったことはありません。常に自身がありません。誰でもできるレベルの予想を、わざわざ記事にして書いているだけです。

全部一人で作業を行っているため、過去データの見方を間違えることもありますし、予想が外れることもあるでしょう。そのくらいの信ぴょう性だと思って読んでください。
 
・ただ、こんな簡単な作業であっても、過去の予備校予想と比べて、やや正確に予想出来ているとは思います。そのくらいの意味はあるかなぁと思います。
 
 
さて、頂戴した質問に対して。
 
Q、理2について、昨年(出願2294 足切り711)と比べて今年(出願2217)は出願数が多少は少ないもののあまり大差ないように感じるのですが、なぜ足切りが630~670と低めの予想をしたのでしょうか。
 
A、こんな感じで、私の理Ⅱの予想が低いのではないかという問い合わせが多数ありました。
これは、どういう意図の質問なんでしょうか?「お前の予想はおかしい」といいたいのか、「何か表に出してない情報があるのか?」と聞きたいのか。
「私の予想がおかしい」と思うなら、ご自身はもう少し高いだろうと予想をすればよいと思います。
「表に出してない情報を引き出そう」とするなら、残念でした。その辺、私は口が堅いです。見知らぬ匿名の人に対して、ネット上で大事な情報を言うはずがありません。(というか、言っちゃうような人は信頼できないと思っています)
 
さて、この質問に対する答えは「2022年の数字(出願2225 足切り646)の方が近いから」です。
すると、さらにこういう問いが返ってきます。
 
Q、2022年は共テの難易度が高かった(共テの平均点が低かった)のではないですか?だから、2022年の足切りは特に低いとみなすべきであって、今年の理Ⅱの予想はもう少し高くした方が良いのではないですか?
 
A、こう思ってしまうのもわかりますね。平均点が低ければ、足切りも低くなるのではないかと。
確かにそうかもしれません。説得力のある説です。
 
しかし、共テの平均点と、足切りの点数はそこまで相関があるのでしょうか?私は調べたことがないので、調べてみてください。(多分、質問者は理系でしょうし)。こういう時に、人を頼らず、自分で計算してみると、勉強になると思いますよ。
仮に、共テの平均点と足切りの点数に相関があったとしましょう。
そうしたら、私の予想は「考慮すべき点が考慮されていない」ということで、不十分な予想になりますね。良かったら私の代わりに、情報発信してください。
相関がなかったとしても、勉強になったということで、よかったですね。
 
また、「共テの平均点を考慮に入れるべき」という主観を入れることで、私の予想は1次情報からグッと2次情報に近づきます。1次情報以外の要素を入れようと思うと、無限に入れなければならなくなります。そうすると、もう1次情報なんてどうでもよくて主観だらけの予想になってしまいます。
これは私が避けたいところなので、やりません。
ようするに、私の予想値は「データから得られる予想値」だという価値を持たせてください。私の予想値があっているかどうか、ではなくて、どのように利用するかを考えるということです。
 
Q、文Ⅱは10名の余裕を残して最終日の出願を追えたようですが、過去年度を見ると最終日から確定値まで10名以上増えていることもあります。すると、足切りが発生するのではないですか?
 
A、これは非常に鋭い指摘ですね。これに関しては、1次情報に基づいて発信した情報に対して、1次情報に基づいた質問が来ているので、非常に有意義だと思います。
まず、どういうわけかわかりませんが、出願最終日の17時発表以降にも出願数が少し増えるようです。そのため、確かに文Ⅱの出願者が倍率を超過する可能性が残されています。
 
これに関しては、面倒で書かなかった話があるので、補足しましょう。
これも1次情報から分かるのですが、実は東大の倍率は「3.0倍」ではなく「約3.0倍」となっていて、ピッタリではないと、暗に示しているんですよね。
実際に、倍率に対して数名超過した年に、足切りが無かったことがあるんです。
 
つまり、今年も数名であれば超過しても足切りナシになる可能性があるわけです。
一応、そこまでは考慮して予想を「足切りナシ」としました。
 
これはほとんど知られていないのですが、1次情報を見れば誰でもわかります。
1次情報をちゃんと見るとは、こういうことです。すぐに誰かの主観が混じった意見に飛びつくのではなくて、自分の目で1次情報をくまなく見て、取れる情報を取ってください。
 
 

1/30

あんまり調子が良くなくて筆不精になってますがが、久しぶりに更新。
出願期間も後半になり、概ね様子が分かってきました。とは言っても、共テになってから後出しの傾向が強まったから、どうなるかわかりませんけど。
 
現時点では文Ⅲと理Ⅰがやや多い感じ。
順当に考えたら、この2つを避ければ、足切りが回避できる可能性が高いということになりますね。
僕の記事を見るなどして「文Ⅲと理Ⅰを避けよう」と考える人が、まだ千人規模で残っているなら、もう少し慎重に待とうという話になりますし、
平井の記事なんて、どうせそんなに読んでないだろと見積もれば、今の状況から大きく変わらないだろうと見越せばよいわけです。
 
「俺はグーを出すぜ」
に対して、「じゃあ、素直にパーを出すか。いや、裏を読んでチョキか?そのまた裏をかいてパーか・・・?」
みたいな読み合いと全く同じです。
結局、答えなんてない。相手が何を出すかによって、自分の行動を変えるべきだというゲームなので、
どの科類が一番出願が少なくなるかなんて、(予備校の予想も含めて)世界中の誰にもわからない、というのが私のスタンスです。
もう少し言えば、誰にもわからないんだから、確かな情報を一つ一つ手に入れて考えよう。だから東大の毎日の速報を待とう。というシンプルな立場です。
「〇〇予備校の△△先生が「今年は理Ⅰがおススメだ」と言ってたから、理Ⅰが良いと思います!」
みたいな情報は、その先生がどれほど権威があり情報を持っていたとしても、東大の速報には及びません。一次情報は全てに優先されます。
こういう情報の取り扱いというか、ソースの信ぴょう性の判断がだらしない人は、陰謀論にハマってしまいかねないので、気を付けてください。
まずは、絶対に正しい情報を集めてから、考えましょう。
 
そういう意味で、僕が敬天塾のHPで書いている記事の中で、最も重要な情報は、東大の出願速報の画像です。
その次に、過去年度の数字が入力されているエクセルの表。ここまでは、入力ミスがない限り、事実なので信頼しても良いと思います。
その次が、エクセルの表に付記してある「倍率に対する超過分」など、僕が良かれと思って追加しているセルですね。ココは平井の主観やバイアスが入っているので、やや重要度は下がります。
とは言っても、1次情報の数字を足したり引いたりしているだけなので、「その情報が考察に必要かどうか」は疑わしいとしても、「事実と信じられるかどうか」は担保されていると言ってよいでしょう。平井の入力ミスやエクセルの技能を疑うならば、信用できない情報になりますね(笑)
 
さてさて、これ以外に書いてある本文の部分。
「文Ⅰが少ないですね」とか「理Ⅰが多いですね」「過去と比べて遅いですね」など、僕がコメントをしている部分は、もうほとんど価値はありません(笑)
あるオッサンが趣味で書いているだけの部分だけですから、信ぴょう性なんてその程度です。
もちろん、妄想にならないようにとか、推測の域を出ないようになど、なるべく信頼できる情報になるような配慮はしています。
突飛なことや、根拠に乏しいことは書いていないつもりですけど、それでも、どこぞの他人が書いていることですからね。どこまで信頼するかは、皆さんにお任せします。
 
話はそれましたが、それにしても、出願が遅くなるのは予想が出来なくて困るんですが、無駄な出願が減るのは良いことですね。
私が、東大の出願速報を追い始めてから10年くらいたちますが、そのころはまだまだ予備校の予想値をもとに出願する人ばかりだったような気がします。要するに、東大が出願数を毎日アップしているという事実を知らない人が多かったわけですね。
確たる情報が不足していると、無謀な出願が増えます。よって、既定の倍率を超えた願書がたくさん届いて、足切りラインが上がってしまうわけです。
 
一方、今みたいに、東大の出願速報を確認する人が増えると、足切りに引っかかって他大学の受験資格を失ってしまう受験生が少なくなります。どうしても東大とか、東大以外眼中にない人もたくさんいますから、無謀でも出願する人は出てしまうのでしょうけど、多いよりは少ない方が良いでしょう。
受験生がせっかく勉強してきた学力は、発揮されなければ意味がありません。入試会場で発揮してこそ、価値が生まれます。地味なことではありますが、国力につながるわけですから、私は歓迎しています。
 
あとは、東大の職員さんの事務作業が減るのも良いですね。
東大という存在に依存して仕事をしているわけですから、少しくらい東大に貢献したいじゃないですか。
たくさん願書が届くより、少ない方が、職員さんも楽です。ちょっとした恩返しだと思っています。
 
あとは、敬天塾から東大に入る生徒が増えることが東大への恩返しだと思って頑張ってます。
敬天塾は、東大に受かるかどうかだけじゃなくて、社会問題の解決を図るとか、先端の研究を志しているとか、そういう生徒を応援する塾です。
東大に行って目的を失ってしまい退学する学生さんもいます。その方も、大いに悩み、苦労したのだと思いますが、やはり東大を活用して社会に羽ばたき、少しでも良い社会の実現に貢献できる人を、私は応援したい。
目的もなく、私利私欲で東大を目指すのではなく、そこに少しでも公益や公憤を混ぜてほしい。
そのようなリーダーとなる人物を東大に送り込むことで、少しでも東大を盛り上げたいですね。
 

1/24 採点基準とか、合格最低点などの情報について

今日からアメブロの方も更新していこうと思います。
HPで毎日更新している速報記事とはちがって、こちらでは個人的な所感などを踏まえて、ラフに書いていこうと思います。
 
さて、私の記事を読みに来ている人は、受験に有利になる情報を少しでもほしいと思っている方がほとんどだと思います。
特に、足切りを突破したいというのが一番でしょうけど、その次は当然、東大に受かりたい。ということで、様々、情報を集める人が多々いると思います。
 
ネットが気軽に使えるようになって情報があふれています。その中には、有益なものから無益なものまで存在しますし、真実から嘘やデマまで様々含まれています。当然です。
 
ということは、無駄な情報や、嘘の情報を信じてしまう人もたくさん出てくる。「自分はそうならない」と思っていても、慎重な取り扱いをしないと引っかかります。
ちなみに、デマというのは、いわゆる「頭の良い人」の方が引っかかりやすいなんて話もありますよね。自分は頭が良いんだから、自分が正しいと思ったものは真実に違いないと思ってしまいやすいそうです。まさに東大受験生や、ご両親、先生などは、慎重になることをお勧めします。
 
さて、東大の採点基準などの情報について触れてみましょう。
今日も、理Ⅰと理Ⅱの差は採点基準が理Ⅱで厳しいからだとか、文Ⅱより文Ⅲの方が数学の採点が甘いなど、毎日いろいろな情報が入ってきます。もしかしたら、そうなのかもしれません。
 
しかし、ここで大切なのは、その根拠です。
根拠が正確でない情報は、どれだけ本当っぽく感じられても陰謀論です。
確かに、理Ⅰと理Ⅱの差が採点基準だとすれば、いつも理Ⅱの方が合格最低点が低いという現象の説明はできます。しかし、これを「真実だ」と考えるのと「仮説だ」と考えるのでは大きな違いです。
 
東大は、採点基準について、全くと言ってよいほど公表していません。

公表していないということは、よほど内部の人でないと、採点基準は知らないということです。

 
だから、採点基準に関する全ての情報は「分からない」というスタンスで聞かないといけません。確証がないものは、分からないのです。
よって、「採点基準はどうなってますか?」とか「科類によって違うのですか?」と聞かれたとしても、何も答えられません。「答えてくれないなんて、不親切だ」と思うかもしれませんが、不親切ではなくて、誠実な態度なのです。
 
ここで、少し頭を使って「平井先生個人としては、採点がどうなっていると思いますか?」などと、私個人の意見を聞こうとしてくる人もいます。この方が、情報を取る方法としては狡猾ですね。確かに、私が知っていることと、私が感じていることは違います。
ただ、残念ながら私はこのような方法で質問されても、当然答えは「分からない」です。この手の質問には慣れているというのもありますが、意地悪ではなく、本当に分からないのだから、「分からない」と答えているんです。
ちなみに、「お金を払うから教えてくれ」という要望にも、一切答えてないです。私は、このアメブロの他に、敬天塾のHPで無料の記事や有料の記事を販売しています。しかし、有料の記事にも出来ないような情報も当然あります。お金で売ってよい情報とダメな情報があるというわけです。
 
というか、私がもし「現代文の採点は、あ~だこ~だ。」「文Ⅱと文Ⅲでは社会の採点があ~だこ~だ。」などと吹聴しているとしたら、そうとうヤバイ奴です。
東大がトップシークレットにしている情報に関して、軽々しく口にしてしまう人というのは、情報の取扱いに関して信用できません。そうやって、ナンでもカンでも口を滑らせちゃう人は、秘密を打ち明けてもらえません。
「コイツに話したら、明日はクラス中に知られちゃうな」と思ったら、秘密なんて教えないでしょう。
情報を持っている人というのは、口が堅いわけです。
 
私のところに「〇〇塾の先生が、文Ⅰより文Ⅱの方が採点が云々・・・」と相談に来る人もいます。困っているときに、そのような情報を信じてしまいそうになる心理は理解できますが、信じないようにしましょう。そのような情報は全て「仮説」や「憶測」の話ですし、授業とか講演会などで重要な情報をペラペラと軽々しく人に言う人が、トップシークレットの情報を持っている可能性は低いでしょう。
 
一応言っておくと、根拠があれば信用はできますよ。
生徒の再現答案を、毎年、数百枚単位で、メチャクチャ時間をかけて分析しているという場合は、それなりの信用のある結論をお持ちの場合もあるでしょう。
ただ、現代文や社会の答案は、数百枚見たところでほとんど何もわからない可能性も高いですし、ものすごく時間がかかります。英語や数学、古典であれば、ある程度見えてくることもあるでしょうが、それでも数十から数百は検討したいところです。
 
ちなみにですが、仮に、科類ごとに採点が異なっていたとします。この場合、今年の文Ⅰで採点が甘かったとしたら、来年は辛くなる可能性があるわけですよね。こういう意味でも、採点について予想するのは、私のような仕事にしている人でない限りは、ほぼ無意味だと思います。
 
うちの塾は、確かに採点基準の研究をしています。情報も集めています。その意味で、色々教えてくださるのは嬉しいです。
ただこういう研究というのは、「100%分からない状態から、1%くらいわかってきたのを大きな成果として喜ぶ」というような仕事です。圧倒的にわからない中、その中で確かな情報を少しずつ明らかにしていきます。これを喜んでいくのです。
 
「敬天塾のブログでも読んで、何か有益な情報でも得てやろう」と思ってココに来た人は、ガッカリしたことと思います。
そうです。重要な情報は簡単に手に入らないし、分からないものはわからないのです。ネットがどれだけ発達しても、情報が簡単に手に入るわけではありません。ピンからキリまで情報があふれただけで、今も昔も重要な情報は、ちゃんとしかるべきところに収まっています。そこから情報を引っ張るには、それなりの苦労が必要です。
 
受験で勝つのは簡単です。
情報収集なんか最低限にして、学力アップを頑張ればよいのです。
毎日、足切りの情報をアップしていますが、そんなの見ても見なくても良いのです。見たければ、ちょっと息抜きの時にちらっと見ればよいし、有益だと思ったらご自身の出願タイミングに、また来てください。

新シリーズ「いけ好かなくなる俺を見てくれ

ひねくれた視点で、パソコン周りの道具を使用した感想とともにレビューしていく。

デスク周りが気になるけど、高いのは買えない・・・という入門者向けに、なるべく安く済ませつつ、ある程度本格的になるようになものを紹介していくぞ。

 

1発目はデュアルモニター。

ガジェット系Youtuberの口車に乗って失敗した商品第1位だと思う。

 

デュアルモニターっていうのは、↓こういうやつ。モニターが横に並んでいる。

 

Youtuber曰く、

「今すぐやらないと、毎日2時間無駄にする」

「生産性が爆上がりして、仕事が超はかどる」

「一度使ったら、もう戻れない」

などなど、煽るに煽った宣伝文句が飛び交っている界隈。

 

簡単に言うと、パソコンの画面を拡張できるというもの。

パソコン画面が小さいと、ウィンドウが前と後ろに重なってウザいってのは誰でもあると思う。ファイルをドラッグする時なんかも、わざわざウィンドウを小さくして、横に並べなおしてから移動したりする。イライラ。

「ああ、画面がもう少し広ければ、ウィンドウを何枚も並べられるのに・・・。」

という願いを、シェンロンに頼まなくても叶ってしまうのがデュアルモニターだ。

 

しかも、なんとパソコンにケーブルをぶっ刺すだけで、パソコンの画面が外部モニターに拡張されて、広々と仕事ができるという夢のような裏技なのであーる。

 

方法も簡単。

まず、モニターを買ってきて、HDMIっていう種類のケーブルを、パソコンとモニターにぶっ刺すだけ。

すると勝手にパソコンが認識して、画面を拡張してくれる。

 

いずれまた紹介するかもしれないが、HDMIケーブルっていうのは、ググればすぐに出てくるし、ダイソーでも売ってるような安くて手に入りやすい、ありふれたケーブルだ。

自宅にテレビがある人は、もしかすると既に背面に刺さっている可能性が高い。

HDMIのケーブル端子がパソコンになくても、別の端子から変換する道具を使うことで、接続できるようになったりするかもしれない。

ちなみに、こういうちょっとした道具を調べるときには、Amazonで調べるより「HDMI 変換 ダイソー」みたいに調べると最安値付近で買える可能性が高い。ダイソーなら100円で買えるのに、Amazonだと500円とか1000円取られるってことが多々ある。

実は、ダイソーはパソコン周りの商品にかなり力を入れているらしく(平井調べ)、案外なんでも手に入る。

だから、まずAmazonでどんな商品があるか調べて、類似品がダイソーにあるかどうか調べるっていうのが、今のルーティンになっている。

 

さて、モニターを拡張するとどうなるか。

ノートパソコンの画面の端っこまでマウスカーソルを移動させ、そのまま画面の外に追いやると、あら不思議、外部モニターにカーソルが瞬間移動している。

ウィンドウをドラッグして移動しようとすると、パソコンとモニターで半分ずつに切断されたりして、はじめはちょっと感動した。

↑右のパソコンから、左に拡張したモニターへ、ウィンドウを移動させようとしているところ

 

この画像は、モニターが左になっているが、設定すれば右にも拡張できるし、上下にもできる。自分のお好みに設定すればよい。

やり方が気になる人は、この人の動画がおススメだ。圧倒的初心者でもわかるように、知らない単語をひたすら説明しながら丁寧に解説してくれる。

 

さて、デュアルモニターやデュアルディスプレイは、確かに良い。

俺も導入したときは、ノートパソコンと21.5インチのモニターを2つ並べていたが、今では多い時で4枚くらい画面を並べて仕事している。

細かいことをいうと、実は4枚をケーブルでつないでいるわけではなくて、1枚の時もあれば、4枚まで拡張することもあるという、変則的なやり方になっているが、まあ良いだろう。いずれ解説していこう。

 

とにかくパソコンの画面が大きいのは正義だ。正義は勝つ。愛も勝つ。

映画館だって、テレビだって、大画面の方が良い。迫力も出るし気分も上がる。

 

しかし、モニター拡張で気を付けなければならないのは、首や腰の負担だ。

モニターが増えると、当たり前だが、視線を遣る面積が広がる。今まで画面1枚の中で完結していた世界が、横や縦に広がるのだ。広がれば広がるほど、首を振ることになる。

 

俺の失敗談を紹介しよう。

俺がいけ好かない世界に入る前、ノートパソコン1台で仕事をしていた。

その時、外部ディスプレイの事を知って導入したのが、こんな形。

 

 

真ん中に支柱が立っていて、そこからアームが伸びて、左にパソコン、右にモニターが固定されている。

こうして、左右に並べて仕事をしていた。

 

しかし、ここに落とし穴があった。

さっきも言ったが、広い画面は正義だ。基本的には、広い方が良い。

だからこそ、ノートパソコンではなく、外部モニターをメインに使ってしまうのだ。

 

俺の場合、外部モニターを左に設置していたから、体が必然的に左に傾く。

腰も左に曲がりっぱなしだし、首も曲がりっぱなし。

たまにストレッチなどして解消しようとするが、全然解消されない。

 

仕事はたしかにやりやすかったのだが、健康を害す

首や腰が痛いままだと、集中力も下がってしまうから、本来の効果が発揮できない。

 

では、横ではなくて縦(上下)に並べるのはどうかというと、上下の方が良い。

 

しかし、上下にしたとしても、やはり首の角度は重要だ。

自然な角度で画面が眺められるような位置にモニターを固定する必要がある。

テキトーにモニターを買ってきて、テキトーにモニターを設置するだけだと、自分の理想の高さにならず、結局は首を痛めることになる。

ということで、いろいろ試した結果、今ではモニターは上下に配置している。しかも、首をほとんど動かさず、視線を上下に遣るだけで切り替えられるピッタリの位置に固定している。

これは、メチャクチャ快適だ。

 

ここまでこだわれる人は、ぜひ導入してみると良いと思う。

Youtuberの言う通り、快適だし、仕事しやすいし、元には戻れなくなった。

毎日2時間無駄にしているかどうかは、よくわからないが。

ただし、ここまでたどり着くのが、それなりに面倒かもしれない。

 

さて、モニターは何を買えば良いのかというと、正直安いので良いと思う。

Youtuberが紹介しているモニターは高い。

平気で4万円とか5万円のを紹介してくるし、2~3万円のを「安い」と言ってくる。

まあ、仕事が快適になって、パフォーマンスが上がるなら、2~3万円の投資は高くないとは思うが、もっと安くても十分だと思う。

 

高いのだと、画質がキレイになったり、スピーカーがついたり、ケーブルのハブがついたり、多機能になるらしいが、俺はそこまで多機能を求めてないし、そんなのが必要な人はそう多くないだろうから、いらない。だから、あまり調べてない。

 

結局、モニターの初代はアマゾンで14000円くらいの21.5インチで、それでも十分満足していたし、

2代目は13000円の27インチ。より安いのになったけど、十分、十分。問題なく使えてる。

そんなに寿命が短いものでもないから、中古品でも良いだろう。うちには近所にGEOがあるから、まずはそこで市場調査をしたりする。

モニターはある程度大きいし重量もあるから、Amazonのセールの時なんかに割引品を買えば良いと思う。

 

もちろん、こだわりたい人はこだわれる。例えば、ブルーライトカット機能があると目が疲れづらくなるらしく、興味はあった。

ただ、どうしてもブルーライトカットをしたくなったら、あとでフィルムを貼ればよいやと思って、結局買わなかった。こうやって、初期費用を落として、必要になった時に工夫して安く済ませるというのがスタンスだ。

 

ということで、デュアルモニター自体は良いものなんだが、絶妙な位置に調節しなければならないと、体に負担がかかるのが難点。そこにたどり着くには、工夫が必要だ。

では、どういう工夫が考えられるか。それは次回に。

何年か前から主戦場をアメブロから、自分の塾のHPに移動してしまったのだけど、ずっと気になるアメブロ。

だって、自分がちょっと世に出るようになったのって、アメブロきっかけだもん。
今も毎日来訪してくれる人がまあまあいて、ありがたい話です。

 

HPは塾のものだから、平井個人のものは書けないので、たまったストレスはこちらで解消。

何年振りかわからないけど、新シリーズ始めてみようと思います。

 

テーマは仕事道具の紹介って感じかな。

ここ何年か、デスク周りを色々工夫していて、自分なりに納得いくようになったので1つずつ紹介してみようかと。

全然受験と関係ないけど、やっちまえ。もう受験に関することはHPへ行ってくれ。(もはや、このアメブロとは比べ物にならないくらい充実してますから。)

ここでは書きたいことを書くぜ!という気軽な感じ。

 

知っている人も多いと思うけど、自分のデスクを昇降式とか、スタンディングにする人が増えている。
座りっぱなしだと姿勢が固定されて腰やら背中やらに負担がかかるし、立って仕事をしていた方が集中力があがるとな。

へえ、そんなもんかねと半信半疑のままYoutubeで検索してみると、ガジェット系Youtuberなるものをたくさん発見。最新のパソコンやらスマホやら、家具やらを紹介して再生回数を稼いでいる。

自分の部屋をわざと映して、いかにオシャレで多機能なのかを一生懸命アピール。しかも、一般人が手を出せないような高いものばっかり使う。

 

世の中にはいけ好かない連中がいるなと反発心を持っていつつも、一つ買い、二つ買い・・・と、段々そちらに染まっている自分がいる。

「そちら」がだんだん「こちら」になってしまった。

 

何年か前は、スタバでMacbookを広げて仕事している奴らが好きになれなかった。

仕事にオシャレさなんかいらねぇ。仕事は成果だろ?スタバじゃなくてドトールで良い、いや、むしろ俺はドトール派だ。

そう思ってきた。まあ、今でもドトール派なんだけど。

 

ついでに言うと、表参道だか代官山だか知らないけど、夏の暑い日にオープンカフェのテラス席でコーヒー飲んでしゃべっている人の気持ちもわからん。どちらかというと太っているから、そもそもテラス席の何が良いのかわからない。

でもまあ、そもそもそういうカフェに行く人は、旨いものを求めているというより、オシャレ感を味わいにいっているんだから、そんなものか。

勢いで書いてしまったが、オープンカフェの話は完全に言いたいだけ流れ弾。

 

戻そう。

そういうオシャレアピールしてるヤツが嫌いで、いけ好かないと思っていたはずなのに。何年かかけて、染まりつつある自分を、ついに無視できなくなってきた。

 

ガジェット系Youtuberは言う。

「これを使ったら、仕事効率が上がりますよ!」

「生産性が爆上がりですよ!」

 

本当か!?

と思って批判的なことを思うと同時に、使ってみたいという憧れも生まれる。そして、他の動画を見たり、サイトを見たりしているうちに、期待が高まってしまう。

 

しかし、奴らの使っている道具は高い。

平気で何万円もするような道具を買い足す。どうせレギュラーで使う道具は限られているはずなのに、ガンガン買う。

50万近くするMacのパソコンも当たり前のように勝ってレビューする。絶対に広告収入で回収できないような気がするけど、買う。

彼らは経済原理の外側にいるに違いない。

 

そんな高いのは、自分には無理。というか引く。

動画編集みたいな高負荷な作業をするわけじゃないから、高性能なパソコンなんかいらない。そこそこで良い。

 

ということで、コスパの良いものを探す。

すると、大抵、彼らが使っているものと、そんなに変わらない機能なのに安いものが見つかる。どうやら「サードパーティ」というらしい。

仕事柄、他人のしゃべり方とか説明の上手さについて気になってしまうのだが、彼らは平気で専門用語を使う。誰にでもわかるように、相手が知らなそうな単語に関しては、簡単な説明を加えてほしい。

仕方ないから、他の動画を見る。すると、少しずつ専門用語がわかるようになってくる。同時に、再生回数を稼ぐヤツらの術中にハマる。

 

Appleが販売しているiPhoneの充電ケーブルは高い。別に充電するだけなら100均だって買える。こんな風に、本家の製品じゃないけど、互換性がある他社の安い製品のことが「サードパーティ」というらしい。

モノにもよるが、Amazonで検索するとサードパーティばっかりがヒットする。

その中でコスパの良さそうなものを探す。

しかし値段を下げすぎると、彼らが蔑む「中華製」商品になる。壊れやすいとか、注文したものと別のものが届くとかで、安かろう悪かろうの洗礼に遭うそうだ。
いくつか失敗をしながら、見極めつつ買ったり買わなかったりしてみる。

 

そんなこんなで、仕事環境が整ってきた。仕事の速度が確かに上がっている。

今までこなせなかった仕事量が処理できるようになって、ずっと放置していたものがドンドン終わる。

なんと健康にもなった。

体重も減ったし、血圧も下がったし、運動量も増えた。思わぬ副産物だ。

いけ好かないと思っていたけど、悔しいかな、彼らの言っていることは正しかった。

金はかかったが、得られたものが大きかった。

 

さて、次回からは実際に色々使ってみた感想を、ひねくれた視点からつづっていく。

いけ好かない連中に反発心を持ちつつも、染まっていく。そんな俺を見てくれ。

とある仕事の関係で、東大合格者がいかに偏在しているかを説明することになった。

その時に、いくつか資料を作ったので、こちらに掲載。

ちょっとデータが古いのですが、大雑把な構図は変わらないと思うので、ご勘弁。

 

 

まず、このように、東大合格者は東京に超偏在している。

 

「そりゃ、東京は人口が多いから」というツッコミもあろうが、人口比では説明できないくらい多い。

東京の人口は、日本の総人口の約1割。対して、東大合格者は3割強。

さすがに、東京には「何か」があると言わざるを得ないでしょう。

 

表にしたものがこれ。

 

47都道府県のうち、半分くらいが、県全体で20名程度しか東大に受からせられない。

20名と言ったら、東京の中堅高校1つ分くらいの規模。例えば、西高校という東京では有名だけど、地方では全く無名の高校くらい。

 

私の出身の山梨だと、5名くらい受かる高校が県内トップで、山梨全体で20名という状況。

つまり、山梨全体の優秀生をかき集めて、やっと西高校と対等に勝負できる。しかも、その西高校は東京では中堅。

 

これが、佐賀とか鳥取になると、もっと差がつく。何しろ、県全体で5名程度しかいない。

東京で5名程度の合格者となると、中学受験や高校受験に失敗した人がいくところ。もしくは、3番手4番手の層が進学するところとなるでしょう。

 

東京の受験生が頑張っているのは当然。しかし、地方の受験生がチャンスを失っているのではないか?

ということで、敬天塾を作り、地方にも情報とノウハウを届けて、チャレンジする機会を与えていきたいと思っています。

 

最近では、社会人受験の方にも利用してもらっており、大変うれしい。

社会人受験となると、そもそも受け入れてくれる塾や予備校がないそうだ。

その点、敬天塾はウェルカム。

学びに年齢なんか関係ない。

今年は、吉本芸人のさんきゅう倉田さんがうちから合格して、多くの期待を寄せていただいている。

※さんきゅう倉田さんのことについては、こちらで書いています。

 

情報が戦略を作り、戦略が進歩を呼び寄せ、合格に達します。

よろしければ、敬天塾のHPへお越しください。(無料のものが大半ですから、ご安心下さい。)

 

 

 

 

 

 

仕事のない芸人から、一気に時の人へと飛躍した、さんきゅう倉田さん。

これからの活躍が一層楽しみだが、今日は先生から見た倉田さんの凄さを書いてみようと思う。

実際に倉田さんを指導した私だからこそ気づいた点なども、ぜひ参考にしてほしい。

 

有言実行

まず、もちろん「有言実行したところ」。

倉田さんは、日大系の高校出身で、日本大学には内部進学している。だから、大学受験を経験していない。

国税出身ということばかりが目立っていて「どうせ、もともと勉強できるんでしょ?」みたいに思われることが多いそうだが、少なくとも大学受験は初体験だ。

だから、受験を決意された3年前、倉田さんは東大受験の「イロハのイ」すら知らなかった。というか、大学受験のこともほとんど何も知らなかった。

普通のお問い合わせの方には、センターの点数とか共テの点数が何点くらい解けるのか聞くことが多いが、倉田さんには聞いても意味がない。どうせ取れないからだ。古文も漢文も、何も知らない。日本史も地理もゼロ。(正確に言うと、忘れてしまっているのだが)

それでも現状を知りたいということで、2020年のセンター試験を解いてくれた。

数学は、高校の頃の知識が多少あると言っていたけど、それは数学ⅠAだけだったらしく、数ⅡBはたったの9点だった。

どの科目を解いたら良いかもわからず、地理と日本史だけで良いのに、「倫理」と「政治経済」と「倫理政治経済」と「現代社会」も解いていた。

こんな状態から「3年で」と言った。

この「3年」は、「3年あれば東大に受かれるぞ」と綿密に計算した3年ではなく、適当に言った3年。もしくは、仕事などの関係で「耐えられる」のが3年だったということだろう。いずれにしろ、3年で受かる算段など存在しない。

その適当に決めた期日に、間に合わせた。これが圧倒的にすごい。

 

ストイックさ

それを実現したのは、持ち前の「ストイックさ」。

倉田さんのSNSなどでの発言を追うと、1日13時間勉強したとか、15時間とか20時間とかという数字が出てくるが、普通できない。

ちなみに私は毎日13時間の勉強をしたことはあるが、15時間でルーティン化したことはないし、当然20時間も無理。

文Ⅲを受けた時も、せいぜい10~12時間が良い所だった。

仕事をしていたせいもあったが、単純に倉田さんに比べてストイックさは負けている。

目標を1つに絞り、全てをそこに注ぎこむ。この姿勢は、仮に普通の受験生であっても、そう簡単に真似できるものではない。

※宣伝というわけではないが、倉田さんの勉強内容がいかに壮絶な者だったかは、弊塾のインタビュー動画で見られるので、ぜひご覧いただきたい。

 

 

決断力

3つ目は「決断力」。

倉田さんは、非常に稀有なフランス語受験だ。

東大を受ける際、3つの受験の仕方が存在する。

1つ目は、「英語のみ」。

2つ目は、「英語以外の言語のみ」。例えば、ドイツ語だけとか、中国語だけを選択し、英語の試験は実施されない。

3つ目は、第1~3問は英語で、第4~5問だけ別言語にするというもの。(ちなみに、当日の試験時間内に、英語の問題とドイツ語の問題を見比べて、受かりそうな言語を選んでも良い)

 

3つ目のように、複数言語を同一試験で受験するという人がどれだけいるか分からないが、恐らく少数。

そして、2つ目の「英語以外の言語だけ」で受ける人は、1%もいないようだ。

 

倉田さんは、迷わずフランス語を選んだ。

 

まず、倉田さんは、自分の英語の能力なんか他の受験生に比べて無視できる程度しかないということで、英語でもフランス語でもドイツ語でも、なんでもよいと言っていた。

決め手となったのは、倉田さんがすでにソムリエの資格を持っていたことだ。とあるキッカケでソムリエの資格を取っていて、ワインの仕事もを増やしていきたいと。そこで、ワインと言ったらフランスということで、フランス語を選んだ。

私が軽く説明をしたあと「じゃ、フランス語で」と即決。

「え?もう決めちゃってよいんですか?」と聞いたところ、「ハイ」と二つ返事。早かった。

 

また、地歴科目を選ぶのも一瞬だった。

日本史、世界史、地理の科目の特徴を大雑把に説明。するとやはり「日本史と地理で」とすぐ返事が来た。

他にも、参考書を勧めたときも、その場ですぐAmazonをポチっていたし、記号問題も2択であまり迷わない。(これは、もう少し考えても良いかなと思う瞬間もあったが)

いずれにしろ、決断が非常に早かった。

 

ちなみに、3年前の時点で、すでに倉田さんとは友人だったが、ここまでストイックな人だと知らなかった。もし知っていたら、暗記でカバーしやすい世界史を勧めていたかもしれない。(そのくらい、ストイックさは驚きだった)

 

常に考えていた

そして、4つ目。倉田さんは常に考えていた。

アドバイスはすぐに素直に取り入れて実行してくれた。僕の授業も聞いてくれたし、おススメの参考書も買ってくれた。

実行も早くて、どんどん弱点を改善していった。

しかし、提出される答案は、僕の方針とは違った。

僕も、答案を作成するときは、問題文、リード文、教科書などの資料を参考にして一生懸命考えて作る。

しかし、倉田さんの答案は違う主張をしていることが多かった。

なぜなら、倉田さんも考えて答案を作っていたからだ。

敬天塾では、塾長である僕のやり方や答案例をまねることは推奨していない。まねるというのは、考えていないからだ。考えた結果、同じものになればそれで良いし、違う答案になっても良い。

大事なのは、根拠。なぜその答案を作ったか。なぜその方法で勉強したのか。根拠があり、その根拠が妥当であれば、良い。

倉田さんに何か質問したところ、必ず答えが返ってきた。「僕はこう考えて、こう解きました。」と

 

受かるため行動していた

そして、受かるために行動していた。常に考えていたからこそ、受かるための行動が見えてきたのだろう。

確かに勉強量は激しかった。でも、なぜ勉強量が多かったかというと、それだけ弱点が見つかったから。

受験生は勉強をすることで「逃げられる」。

「今日は10時間勉強したからOK」と、自分も周りも安心させられる。誰も「その10時間は意味がある10時間だったの?」などと聞いてこない。10時間の勉強で、10時間分の成長が得られる人と、5時間分しか成長できない人と、20時間分成長できる人がいる。10時間はあくまで手段。成長させるために取るべくして取った10時間なのか、日付が変わったから与えられた10時間なのか。中身は全く違う。

倉田さんは、ダラダラと時間を使わない。意味のあることに使っていた。弱点を見つけては、すぐに克服した。そうしていたら、積もり積もって勉強時間が増えていったのだろう。

 

受かるべくして受かる人になろう

さて、こうして書いてみると、倉田さんはやはりすごい。こんなすごい人、合格して当然ように思える。読んでいる方も「自分なんか到底及ばない」と思うかもしれない。

しかし、そうではない。

倉田さんは、努力で「合格できる人」にまで成長したと思う。まさか、ここまで激しく勉強しなければならないとは思っていなかっただろう。しかし、そう「なった」。

勉強量だけが、合格への道ではない。勉強をしつつも、自分を変えていくのだ。

今が「合格しない人」であっても良い。まずは「合格しそうな人」になろう。そして「合格して当然な人」になれば良いのだ。

ストイックさが足りないのであれば、まずは明日、今日よりもストイックに生きてみよう。

ダラダラ勉強しているだけになってしまったら、一度ゆっくり時間をとり、ニヤニヤが止まらないような合格作戦を立ててみよう。あとは死に物狂いで実行するだけだ。

後を続く受験生は、ぜひ、勉強量の部分はもちろん、勉強量以外のところも学んでほしいと思う。

 

 

 

 

 

 

今まで応援していたTAWASHIさんは落ちた途端、合格したさんきゅう倉田さんばかり発信。

そりゃないぜ、という意見もあるかと思いますが、この辺りの事情について書いておこうと思います。

 

まず、そもそもTAWASHIさんと倉田さんは、ほぼ同時に敬天塾に関わり出し、共に東大合格を目指してきた仲間であり、ライバルでした。TAWASHIさんはドラゴン堀江の事もあり、受験していく姿を見せていくスタイルだったけど、倉田さんは公表しないスタイルをとっただけ。タマタマ表に出ていたのがTAWASHIさんだっただけで、裏では平等に指導していました。

TAWASHIさんにとって、一緒に勉強してきた同世代の仲間、しかも芸人の倉田さんがいたことは、大きな支えになったことでしょうし、倉田さんにとってもそう。

2次試験の2日目の終了時には、毎年倉田さん、TAWASHIさんと一緒に飲みに行って、解放気分を味わうというのが恒例だし、それ以外にも何度か息抜きに行った。

敬天塾の忘年会にも一緒に来てもらっているし、倉田さんとTAWSHIさんは仲良しだ。二人は3年間、東大受験という目標に向かって共に戦かった戦友なのだ。まずこの前提は、まだあまり世間に知られてないだろう。

 

また、こういってはなんだが、塾としてTAWASHIさんや倉田さんが合格したとして、宣伝に使わせてもらうのは自然な流れだと思う。というか、むしろ宣伝に使ってくれと言われていたし、少しでも宣伝して恩返ししたいと、ことあるごとに二人からは言われていた。こちらは、そこまで大変な支援をしたというより、他の塾生と同様、勉強の指導をしただけだが、TAWASHIさんも倉田さんも、とても義理堅いから、いつもそう言ってくれた。

あとは、うちの塾は超小規模で、いつでも吹けば飛ぶような塾だから、あまり宣伝が好きではない私でも必要な時にはせざるを得ないという事情もある。(多少、宣伝に協力してもらうのは勘弁してほしい)

そういうお財布事情もあるが、もう一つ。僕が社会人受験になって東大合格をしたからこそ、同じように社会人になって東大受験を目指す人には、並々ならぬ思いがある。倉田さんやTAWASHIさんの合格は、きっと日本中で、ひっそりと声を潜めて孤独に不安なまま東大受験を志している人に届くはずだ。

だから、世間から何と言われようと、今春は倉田さんに宣伝に協力してもらっている。

 

そして、ここが一番大切なポイントだが、TAWASHIさんには「今春は倉田さんをSNSで発信することになってもよいですか?」と聞いたところ、TAWASHIさんからは、間髪入れずに快く許可をもらった。というか、そんなの聞くまでもないという感じすらあった。要するに、「TAWASHI→倉田」のチェンジに関して、TAWASHIさんには筋を通している。

 

合格発表のあった3月10日の夕方頃、TAWASHIさんに連絡した。

私の方は生徒からの連絡も一段落したというのもあるが、倉田さんだけ合格し、TAWASHIさんが落ち込みすぎて精神的にまいってないか心配だったからだ。

LINEを何回も入れてみたが、既読がつかない。そこで、かなり心配になり、さっきまで一緒のカメラマンさんにも連絡を入れてもらうが、やはり未読。

二人ともちょっと心配になってドキドキしていたら、「寝てました」。

まあ、それなら大丈夫だなということで、3月11日には労いの会を開く。

本当によく頑張ったのを知っているからこそ、心から労って、お酒も奢って色んな話をした。

4月以降の話も当然でたが、それはここでは内緒。一つだけ言えるのは、TAWASHIさんは元気だということ。

 

もちろん、敬天塾が倉田さんばかりを推すことに対して、TAWASHIさんが悔しいとか悲しいとかいう気持ちになることはあるだろう。だけど敬天塾を恨むかというと、そんなことはないと断言できる。それくらい僕はTAWASHIさんを信頼しているし、応援しているし、共に戦っている自負がある。「どんな泥船でも、最後まで一緒に乗りますよ」と、何度も伝えている。

 

SNSの発信だけ見ている人には分からないと思うが、我々はそんなにドライな関係ではない。

TAWASHIさんが、6度目の挑戦をするかどうか分からないけど、もしチャレンジして合格したら、今度はみんなで本当の祝勝会をやりたい。

 

 

 

 

 

小倉優子さんに関して、早稲田大学の不合格がトピックにされがちだけど、大学受験というのは本来そのくらい難しいものだという証拠だと思う。

うちの塾には社会人受験の方がたくさん在籍しているけど、現役生や予備校に通う浪人生と違って、そもそも受験勉強の時間を取ること自体に苦労している。

 

仕事や子育てをしながら、集中できる1時間を確保するのがどれだけ大変か。 生活費を稼いで、家計のやりくりをしながら勉強することがどれだけ大変か。

ほとんどの受験生が、親の保護下や学校の保護下にあるけど、これはとんでもない特権。社会人受験生と一般の受験生を同じ土俵の上で比較できない。

 

芸能人の大学受験企画モノに対して「そんな勉強時間じゃ受からないよ」と揶揄する意見があるが、裏返せば、一般の受験生はそれだけ勉強時間を確保できるような僥倖な環境を与えてもらえていたということ。 

本当に、勉強できるというのは贅沢だと思う。 小倉さんの白百合合格は、字面以上の価値がある。

 

社会人受験生は、生半可なモチベーションでは続かない。大人になると様々な事情があるので、体感、半数くらいが、そもそも大学を受験することなくあきらめざるを得なくなってしまう。 一旦社会に出たあと、大学に受かる人には、心から学びたいという気持ちのある方が多い。だから応援したくなる。

 

途中で受験を辞めるとか、勉強以外を優先しなければならないタイミングはいくらでも来る。その都度言い訳できるけど、大抵の社会人受験生は寡黙で声を上げない。 私のところには、サービス停止の連絡を寄越さなければならないということで、こっそりと事情を説明されることがあるが、表には出ない。

 

昨年は、大学受験を志し、中学の勉強もままならないような状態で問い合わせてきた方がいた。一橋大学に行きたいのだという。 仕事が忙しく、教材を選ぶだけで数週間かかり、やっと勉強を開始したというところで、突然の大けが。体を使う仕事だったため離職をした。

 

そんな状態だから求職活動も思うようにいかず、数か月は無職で療養。 貯金で生活費を賄わなければならないという厳しい状態でも、生活費を削りながら、期限内にキチンと授業料を支払ってくれた。 やっと再就職をしたが、それでもめげずに、勉強を再開したいという。

 

これは一例だが、社会人になるとこういう厳しい事情に見舞われる人が少なくない。 失職以外も、親の介護、病気やケガ、うつ症状が出る方もいた。そもそも共テや東大2次の日に、仕事を休めるかどうかすら怪しい。 これらの災難よりも、学ぶ意欲が勝った人だけが、受験のチャンスをつかみ取れる。

 

不安で不安で仕方ないって?伸びしろですね!!

「受かるか不安で、勉強が手につきません。」

「過去問で解けなくて不安です。」

 

そんな、不安に襲われているアナタへ朗報です!

おめでとうございます。あなたは合格する素質アリです。

 

普通、不安になってしまうのは悪いことだと思われているでしょう。しかし、あながちそうでもありません。

人は不安だから、解消しようと動くのです。すなわち、不安は原動力。

だから安心してください。大いに利用して、自分を飛躍させましょう。

 

と言ってはいるものの、ウマく原動力にならない人もいるでしょうから、今日は不安な心理の対処法を書いてみましょう。

 

不安は解消されないですよ。

まず、不安になる原因についてです。

冒頭の「受かるかどうか不安」「過去問が解けなくて不安」というのは、端的に言うと「実力が足りなくて不安」という心理ですね。すると、不安を解消するためには、勉強をして合格が間違いないような学力をつければよい、となりますが・・・

 

実はここが間違いです。

ほとんどの人が、不安の原因を間違ってとらえています。

 

不安の原因は、学力不足ではありません。

どんなに学力があってA判定を取っている人でも、不安に思ってしまうな人は不安に襲われます。

一方、どんなに学力がなかったとしても、なぜか自信満々な人はいます。

 

端的に言えば、不安に思う心理というのは、その人の性格です。性格という言葉が不適に思うならば、心の動き方のクセや傾向と言っても良いですし、個性と言っても良いでしょう。

いずれにしろ、不安に思いやすい人は、勉強以外の何事につけても不安になりやすいし、不安になりづらい人は何につけても不安になりづらいのです。

 

だから、不安に襲われてしまう人が、いくら勉強をして合格間違いなしの学力を身につけたとしても、不安は払しょくされません。性格が変わらない限り、不安は解消されないでしょう。

 

不安は悪いことではない

ここで私は、不安になってしまう人は損しているわけではありません。不安な心理が、すなわちイコール悪いとはなりません。

特に、トップ層の学力の人には、不安な気持ちは必須な心理ともいえると思います。

 

先ほども書きましたが、不安な心理は、学力アップの原動力にすることができます。

私の個人的経験から言うと、不安になりやすい人は、自信がなかったり、卑屈に考えてしまったりする傾向があるように思いますが、別に自信を無くす必要もなければ、卑屈になる必要もありません。

 

不安に思いやすい自分の特徴を武器として捉えて、大いに利用しましょう。

 

良い不安と悪い不安がある。

しかし、悪性の不安もあります。これに襲われてしまうと厄介なので、対処しないといけません。

それは何かというと、「漠然とした不安」です。

 

私はどちらかと言うと不安に思わないタイプなのですが、それでも不安に襲われることはもちろんあります。

しかし、ほとんどが「何か理由のある不安」です。

例えば、分かりやすく言えば、「このままのペースでは納期に間に合うかどうか不安」だとか「電車が遅延したけど、間に合うかどうか不安」など。

分かりやすく、不安になる原因が特定されているようなものです。

 

こういう不安は、悪い不安ではありません。

納期に間に合うかどうか不安ならば、間に合う計画を作ってその通り実行すればよい。

電車が遅延して間に合うか不安ならば、先方に連絡を入れた上で、間に合うような別のルートを探せばよい。遅延証明をもらえば、少なくとも自分の責任は軽くなるため、不安は幾分か解消されるでしょう。

 

このように、原因がハッキリしていて、対処できる不安ならば、大きな問題はありません。

むしろ、不安に思うからこそ、仕事のペースがアップしたり、先方に迷惑をかけずに済んだりするわけですから、良い不安ともいえるかもしれません。

 

悪性の不安は、意識しないと対処できない

一方で、何も理由がない不安、漠然とした不安は、厄介です。これに襲われてしまうと、何も手が付けられないくらい戸惑ってしまい、全ての行動がストップしてしまいます。

 

こうならないように予防するのがベストではありますが、そう何でもうまくいきません。

襲われてしまったら、放置せずに対処しましょう。

 

具体的には、言語化、具体化を試みます。

 

「漠然とした不安」というのは、「原因がはっきりとしない不安」のことです。

原因が分からないから、どうしてよいか分からない。だから、漠然と、もやもやっと不安になってしまいます。

 

こういう場合は、なるべく言語化、具体化しましょう。

 

例えば、「このままでは受かるかどうか不安です!!」という人の場合、

・どうして受からないと思うの?

・受かるためには、どの勉強が足りていないの?

・今やるべきことは分かってる?

などの、具体的な質問をすると、大抵「わかりません」と返ってきます。

 

もしかしたら、漠然とした不安に襲われやすい人は、普段からあまり具体化、言語化をしない人なのかもしれません。

 

まずは、漠然とした不安心理の前に立ちふさがる霧を晴らして、不安の正体を突き止めましょう。

 

さあ、紙とペンを用意して、よーいドン!

では、早速、紙とペンを用意してください。

タイマーは5分で良いでしょう。テーマは「自分が不安な理由と、その対処法」です。

5分間で、なるべくたくさん書き出してください。

 

こういう時には、細かいルールなんてどうでもよいです。

箇条書きでも良いし、文章形式でも良い。

一度書いたモノだとしても、もう一度書いて良いです。

ペンの色も、文字の大きさもなんでもよいです。

5分で足りなければ、10分やってもよい。

とにかく紙に、自分の不安原因と、その対処法を書きまくるのです。

 

こうして、無理やり不安を書き出すことによって、恐らくスッキリするでしょう。

なぜかというと、人は未来が開ける道が見えると、スッキリしてモチベーションが上がるからです。

 

もし、どうやって解決してよいか分からない不安原因が出てしまったら、その時は他人に相談♪

別に自分でウンウンうなって考える必要はありません。また不安になって来ちゃいますから、その時は先生に尋ねましょう。

 

もちろんそのときは、ただ「不安です。どうしたらよいですか?」ではないですよ。

「〇〇という部分が解決できなくて不安です。どうしたら解決しますか?」と具体的に質問してください。

 

まとめ

さて、最後にまとめです。

まず、不安は悪いことではありません。不安だから、未来に対してちょっとしたことでも対処しようと思えます。

不安は、ウマく利用すれば原動力です。大いに不安がって、目の前の問題を解決していきましょう!

 

そして、漠然とした不安に襲われたときは、まずは言語化・具体化です。

言語化・具体化した時点で、もう問題は8割解消されています。あとは、1つずつ潰すだけ。

 

合格は目の前まで来ています。

 

 

「今年の入試で目標点を何点にしたらよいですか?」という質問が来たんですが、

この「目標を決める」というのには、功罪両方があるので、中々難しいと思います。

 まず、見ず知らずの、パーソナリティが不明な人の目標点を決めるのは無理というのはありますが、それだけではありません。

 

私も、色んなところで「目標を決めよう」と言っていますが、これは初級編。 目標もなくダラダラ勉強している人は、目標を決めて期間内に最大成果を出すような姿勢に切り替えるのは、大きなメリットがあります。

 

一方で、目標を決めると、目標が未達成の時に失敗になり、達成すると成功と捉えることになりますがこれが非常に良くないです。 目標を達成した時には、全てが肯定されてちゃんと過去を反省しなくなりますし、失敗の時は全てダメだったと捉える人が多いです。

 

成功したって、そのプロセスに反省点はたくさんあるし、失敗の時にも、評価すべき部分やあるはず。 反省の仕方が甘いということは、その経験を生かせないということに繋がります。 特に、本人は冷静でも、保護者や先生が冷静ではなくて、全部肯定/全部否定されてしまうとタチが悪いです。

 

これを回避するためにおススメなのは、目標を複数立てること。 私が何か目標設定をするときは、「大勝ち、勝ち、引き分け、負け、大負け」と最大5段階くらいに分けます。 また、評価項目も細分化して、例えば英語、数学、国語・・・と科目別にするような感じで、一つ一つ目標を立てます。

 

こうなると、「成功だ!」や「失敗だ!」のような単純な善悪で評価することがなくなるので、冷静さを保ちやすいです。 よく「模試の成績に一喜一憂するな」と言いますが、一喜一憂してしまうのは、合格判定があるからです。数学や英語で良い所もあるのに「E判定」だけを見て、全部否定しちゃうような

 

余談ですが、私は一喜一憂した方が良いと思ってまして、A判定取ったら喜んだ方が良いし、E判定取ったら悔しがった方が良いと思います。 問題なのは、一喜一憂することではなくて、一喜一憂しかせず、その後の反省をしないことだと思います 感情表現はやる気にも繋がるので、大いに喜び、悲しみましょう

 

話を戻しますが、例えば目標が未達成だったとしても、目標を設定しなかった場合より、たくさん成果が上がったらそれでよいではないかと思うんですよね。 未達成だった原因を反省するのは当然として、では、目標に達しなかったから全て悪いわけではないと思います。

 

さて、東大入試の目標点ですが、まず総合点の目標を決めてもほとんど何の意味もないと思います。(440点中250点をとるぞ!みたいな) なぜかというと、これだけ決めても、そのあとの自分の行動が何も決定されないからです。 その目標を達成するために、なにすんの?と言われてもわかりません。

 

だからせめて、各科目の目標点まで細分化して決めたほうが良いということになります。 英語〇〇点、数学〇〇点・・・というように決めて、総合で〇〇点になるように配分するわけですね。 ただ、科目ごとの目標点は個人差が大きく、見ず知らずの人のを決めろと言われても、不可能。だから断ったのです

 

しかし近年、東大の合格最低点は下落していて、さらに下がるのか、揺れ戻して高くなるのか、などを考えると目標点が決められなくなります。 特に、国語は50点取るのも大変というテストになっていて、かつてのように70点取るのが非常に大変になりました。

 

すると、いつの難易度の水準に合わせて目標点を決めれば良いか分からなくなります。 例えば、国語50点の目標にしたとして、かつてのようにみんな60点くらい平気でとるようになったら、目標設定の時点で失敗してしまいます。 また、採点基準が分からないなどの問題もありますから、非常に難しい

 

だから、ここでもせめて、目標点を複数設定してあらゆる場合を想定したシミュレーションをしておくべきだと思います。 受験業界では、あまりシミュレーションをしなさいという指導がされているのを聞きませんが、ものすごく大事です。 英語が難しかった場合、形式が変化した場合、どう対処するか?

 

シミュレーションをしないということは戦略を1本に絞っているということですが、戦略なんて大抵うまくいきません。上手くいかないけど、現場判断で柔軟に変更しつつ、達成までなんとかこぎつける、というのが大事なこと。 だから、予めあらゆる想定をしておいて、当日慌てないようにしましょう。

 

万能な手段なんてないのだから、目標を決める時には、そのデメリットも理解しておけ、ということですね。 大抵の場合は、目標を設定する方が(総合的に見て)良い選択になるので、おススメはするのですが、東大受験のようなトップクラスの戦いをする場合は、気を付けましょう。

 

 

東大の出願数や足切りラインについての雑感。

真面目な考察は弊塾HPのこちらのページでやってるので、どうぞ。

 

2/3 今年も出願が終わったな。

僕がアメブロに頻繁に投稿していたのは、もう何年も前のことで、今ではすっかりHPでの記事作成に注力しているわけですが、

アメブロは心理的なハードルが少なくてよいものですよね(笑)

 

何せ、(他人に名前を付けてもらったとは言え)敬天塾なんて立派な名前の塾を経営しているし、「知恵の館」なんていう、いくら背伸びしても届かない名前を付けちゃったから、質の悪い記事を書けないもので。思いつきとか、ネタにならないネタなんかは書けなくなっちゃった。

Twitterでも良いけど、Twitterは怖いから、あんまりデリケートなこと書けないし。となると、アメブロが一番安心安全だな(笑)

 

今年は難しかったなぁ。

文系はずっと少なかったから、正直あまり難しくなかったし、多分良いセン行ってるんじゃないかと思うけど、逆に言えばウォッチャーとしては面白くはなかった。

要するに全部低くまとまってるので、予想としての価値も低いし、当たっても外れてもどうってことない(笑)ま、平和なことは良いことだということで、済ませよう。

 

うってかわって、理系は激ムズ。

まず、過去最低の出願数の理Ⅰは、前例がない。前例がないということは、どれくらい下がるかわからない。

一方で理Ⅱは過去最高の出願だったから、これまた前例がない。とはいっても、さすがに750点とかにはならないだろうけど、どれくらい上がっちゃうんだろう。

いや、去年も多かったのよ。去年と60人くらいしか変わらないから、去年並みだと考えれば、650点となるんだけど、気になるのは共テの得点帯。

去年は激ムズの年だったから、全体的に点数が下落した。それに対して、今年は揺れ戻していて、得点帯も上がっている。

これを考慮すると、やはり700点くらいに落ち着くような気もする。

いや、もうちょっと低いような気もするし。

しかし、過去にはもっと超過人数が少ないのに720点をたたき出している年もあるわけで、こうなるともうわからん。

 

そして、理Ⅲは理Ⅲで分からん。倍率が下がった影響がどう出るか。

基本的には、他の科類でも、超過人数と実際の足切り点数との相関係数が高い数値になっているから、今年の理Ⅲもそれで見るんだけど、やっぱりここでも、センターとは得点帯が違っちゃうことが気になるんだよなぁ。

 

もう勘で予想値決めるしかないんだけど、まあ今年は分からなかった。

 

理Ⅱが一番難しかったんだけど、理Ⅱの予想値が一番注目されるから、外したら反感買うだろうなぁ。

見るだけ見て、全く参考にしてくれないというのがベストなんだけど(笑)さすがにそうはいかないだろうから。

 

ということで、受験生と同様、2月14日までドキドキして待ちます。

2/2 お休み

すみません、ちょっと風邪気味なので、お休みします。

 

2/1 消印有効日!これ以降は大きな動きはないかな。

今年の話題の中心はずっと理Ⅱ。

なんで理Ⅱばっかり人気なのか、全く不明。合格最低点でいうと、理Ⅱはずっと理Ⅰより下だし、20点差がついたのは一昨年。

だから、合格最低点に反応しているとしたら、去年時点でもっと理Ⅱ人気になって良さそうなものだけど。

まあ、多分、どこかの大手予備校か、大手塾が「理Ⅱに出せ」のような指示を出して、殺到しているんじゃないかなと思うけど、そんな妄想をしないと説明がつかない。

 

かといって、理Ⅱが多いというわけではなく、理Ⅰがめちゃ少ないというだけ。

理Ⅰは現時点で250通くらい余裕をもってるから、マジで足切りないんじゃないかと思ってきた。

まあ、それならそれで良いんだけど、そんなに理Ⅰって人気なかったっけ?一応、理Ⅰ出身者だから言いますけど、理Ⅰおススメですよ(笑)

 

それはさておき、文系は面白くないなぁ。全部均等。

別に面白さはいらないんだけど、これだとどこに出願するかの決め手がないからなぁ。強いて言うと、文Ⅱが不人気で、このままなら足切りがないかも。

 

去年も文Ⅱは足切りがなかったし、一昨年もなかった。つまり、ここ数年文Ⅱの足切りはほぼ機能していない。

その一方で、合格最低点は文Ⅱが一番高い。

そもそも、文Ⅱは定員が少ないから、合格最低点も足切りも低くなりそうなのに、なかなか面白い現象だと思う。これも色々仮説は考えられるけど、ここでは何も書かないでおこう。

 

さて、出願する方は、今から郵便局へGO!

書類の不備とか起こりやすいので、ご注意を。慌てているとミスしやすいですからね。

 

さて、今日は早めに記事を読みたい人が多いでしょうから、あまり脱線せずに、このくらいにしよう(笑)

いつも、足切りと関係なさそうなことを書いちゃうので。

 

 

1/31 安易な結論に騙されるな!

今日の最大トピックとしては、理Ⅱの足切り発生確定でしょう。まだ若干余裕があるけど、恐らく余裕で超えてくる。

ということは、受験機会を失う受験生がいるということ。多ければ100人以上出てくるから、もったいないことです。。。

一方、理Ⅰはまだまだ余裕がある。まだ500通分くらい余裕があるから、足切りナシの可能性すらある。

 

ということで、今から出願する人は、理Ⅰがお得ですよ。さすがに、ここから理Ⅰの出願が1000通届くっていうことは考えづらいから、足切りも低くなるでしょうし、極端に出願が少ない場合は、合格最低点も低くなる可能性もあります。

まあ、蓋を開けてみないとわからないというのは大前提ではあるけど。

 

文系は、例年より少ない水準のまま均等に増えるかと思ったら、今日になって急増。共通テストに切り替わってからの3年間の中で、3つとも最大値を記録した。ということは、やや足切りも上がるかもしれない。

ただし、気を付けたほうが良いのは、センター試験時代よりも高得点者が減っているという事実。どうやらセンター試験時代と比べて、何十点か下げて考えたほうが良さそうだということが判明している。(平井調べ)

これを踏まえると、センター試験時代のように、足切りが750点のような高得点になるということは、ないだろうと予想される。

ということで、今年の出願で気を付けるべきなのは、やはり理Ⅰと理Ⅱだろうと思う。

 

さて最近、質問箱などで結構質問が来る。「何点あれば足切り突破できますか?」みたいな質問が多いが、悪いけどこういうのは答えない。こちらに解釈を委ねるような質問は、ほとんど塩対応している。こちらに判断の裁量があるということは、こちらに責任が伴うということ。

なぜ、見ず知らずの相手に対して、しかもSNSのような発信者が一方的にリスクを負う媒体で、責任を負わなければいけないことを発信しなければならないのか。そういうことを求めること自体、失礼なことだというのが分からないのか。

今、世間の話題は回転ずし一色だが、正直言うと相手の迷惑を想像できないという意味で、同類だと思う。程度は違うから、全く同じだという気はないけど、自分のメリットが得られれば、他人の事なんかどうでも良いというご都合主義が見えていて、誠実に相手したいとは思えない。

ただ、足切りの情報は(ある意味)生死にかかわることなので、真剣なのも頷ける。だから、丁寧に回答しようという気はある。

 

逆に、現時点で「足切りは絶対〇〇点以下になる!」など、何か結論を断定して主張している人は、信用できない。足切りに限らず、何か結論めいたことを言う人には、遍く注意してほしいと思う。


受験生は、「マークの現代文では、断定口調の選択肢は正解ではない。」というテクニックを習っているはずなのに、こと生身の人間が発信していることとなると、コロッと信じてしまうようだ。

 

「おれの授業だけで十分だ」とか「〇〇が出題される」とか「東大の〇〇は簡単だ」というようなものも同様。そんなの、入試問題が開示されてからじゃないと、絶対に分からない。そういう風に自信満々に喋る人は気を付けたほうが良いし、学問の道とはかけ離れたスタンスだと思う。

学問は予想ではないし、ハッタリでもない。しかるべき根拠と、しかるべき分析方法に基づいた結論こそ、大切にしてほしい。アカデミズムの入り口に立とうとしている東大受験生であるわけだから、そういう安易な言説に騙されないでほしい。

 

ただ一方で、そういう断定口調で話をした方が、大衆からの人気は出る。

宗教の教祖や、自己啓発セミナーの講師などと同じ手法で、要するにアジテーションだ。

塾の先生や予備校の先生の中には、アジテーションが得意な人がいる。言葉巧みに生徒を高揚させ、勉強に向かわせる。単に、モチベーションアップをするだけなら全く問題はないが、やり過ぎると、根拠のない予想を、あたかも真実かのように話始めるので注意してほしい。

人は、あまり難しいことを考えたくはない。だから、手っ取り早く、良さそうな結論にすがりたいという心理になる。聞いていて心地よいとか、なんとなく正しそうな言論は、甘美だ。そして、周りに賛同する仲間がたくさんいて、わいわいやっているのは楽しい。

 

でも、そこでグッとこらえて、「この人が言っていることは本当に正しいのか?」と疑問を持ったほうがよい。そして、ちゃんと根拠を捉えて離している人なのかどうかを、冷静に見極めてほしい。

 

そういう人は、状況が変わると結論も変わるのだが、私は誠実な態度だと思う。根拠が変われば、結論も変わる。当然のことだが、人は一度結論を出してしまうと、中々変えられない。過去の結論に振りな根拠が出てきても、無視したり、解釈を捻じ曲げて都合の良い方にもっていったりする。

私はこうならないように気を付けているが、改めて自分にも言い聞かせたいと思う。

 

さて、話が飛躍したが、足切りラインというのは、出願期間が終了して全ての願書の受理が済み、受験生の共通テストの得点を高い順に並べ替えた後でないと、世界中の誰にも分からない。分からないなりに、根拠を丁寧に積み重ねて予想する、というのが私のスタンスだが、中には勘で結論を出す人もいれば、「私が思ったんだから、正しいのだ」というスタンスで喋る人もいる。

再度言っておくが、足切りはまだ分からない。

分からないなりに、ああではないか、こうではないかと、思考を巡らしてほしい。

 

余談だが、敬天塾は東大入試を研究しているシンクタンクという側面がある。

績を上げる実践的な指導法の確立や、より役に立つ教材開発、模範的な答案例の作成などなど、とにかく頭を使っている。

そのうえで、世の中に流布している東大の過去問の解説資料は、なるべく目を通して、クリティカルに分析している。クリティカルというのは、批判や否定ではない。鵜呑みにせず、自分の頭で考えるということだ。

何冊も分析して答案や教材を作成するから、世の中の教材で解説されていないことがたくさん見つかる。そこを、自分たちで調べて、考えて、ノウハウが煮詰まったら教材化したり、映像授業化している。

これを、HPで販売しているわけだが、ほとんどが世の中の教材で解説されていないことばかりだ。

どこにも書いてない内容が多いから、市販の教材や、他塾、他予備校のサービスと並行して使える。ぜひ一度遊びに来てほしい。

こちらが弊塾HPです。

 

こういうスタンスは、足切り速報の考察とほぼ同じだ。

結論は出さないまでも、小さな根拠を積み重ね、先人の研究成果や出版物を参考にさせていただいている。

違うのは、足切り速報が私の主観をなるべく排しているが、映像授業や教材は、自分たちのオリジナリティを発揮しているところだ。発揮しても問題ないくらい、自信のある内容だからだ。

営業担当から、少しは宣伝しろと言われたため、最後にこうして少し書かせていただいたことをお詫び申し上げる。

1/30 ついに動いた!ここからの動向に注意せよ!

ついに、動きましたね。

理Ⅱが超人気。こういう風に、どこか1つが突出すると、ウォッチャーとしては面白い。受験生にとってはたまったものではないでしょうけど。

とはいっても、東大への出願そのものが下火。

共通テストになった年くらいから、明らかな出願数の減少があって、足切りギリギリの人は他大学の受験に流れているっぽい。理Ⅰの最終確定値はずっと横這いくらいだけど、理Ⅱや理Ⅲは明らかに少なくなってるし、文系は倍率をちょっとはみ出るくらいで終わっちゃって、結局足切りは低いままでおしまい。

これを踏まえると、今の理Ⅱ人気もすぐ鈍化して、理Ⅰに流れるのではないかと思ったり思わなかったり。

 

僕の数字の追っかけ方が異常なのはおいておいて、こうして毎日出願の数字を見ている人なんて少数派だし、一部の人に限られているから、ほとんどの人はあまり大した情報も得ないまま出願しちゃうのかなぁという気もする。

だったら、やっぱり入りやすいところに出願するよなぁと思うし、理Ⅱが人気なのってそういうことなのかと。

 

あまり表で書かないけど、科類ごとに採点基準が違うのではないかという噂もある。

本当かどうかはわからないけど、まあそういう推理になるのも妥当かなという仮説も立てられるかなと。とすると、理Ⅰより理Ⅱの方が採点が厳しかったという話になるが、果たしてどうだろう。

 

採点基準は、明らかに理系より文系の方がグレー。でも、数学は(1)に何点を配分するかによって、採点がブレやすいかなと思う。とすると、理Ⅱは(1)に配点を少なくしたのか。

 

こういうことを考え始めると止まらなくなってしまう。まだまだ先まで考えることはできるけど、ここでストップ。

想像すること自体は意味があると思うが、自分が想像(妄想)したことを正しいと思い込むのはNG。たまに、想像したことと事実が混同して、嘘を垂れ流す人がいるけど、そういう人にはなりたくない。

 

採点基準の話や、出願に関することも、表情報から裏情報まで知っていることはあるけど、そういうことは表で書かない。書いてはならないし、DMや質問箱で聞いてきたとしても、絶対に言わない。

情報の取り扱いが甘い人のところには、絶対に情報は集まらない。情報はタダではないし、公開してはならない情報もある。

東大は採点基準を公開しろ、という意見もあるかもしれないが、これには反対。

まあ、理系科目は工夫すればかなりの部分がわかるから、採点基準の重要性は低いと思うけど、文系科目は採点基準を公開すべきではないと思う。

 

理系と文系は、真理に対する考え方が根本的に違うと思う。

理系は、唯一絶対の真理を突き止めようとするけど、文系は違う。答えのないところに、答えを見出していく感じ。不透明だからこそ研究するし、多数の違う意見や結論が混在するからこそ良いと思う。

まっこうに対立するA説とB説があることが大切で、むしろ何か結論めいたことが解釈が主流になっている場合は疑うクセがついてしまった(笑)

 

邪馬台国は畿内にあったのか、九州にあったのか。金融緩和をすべきなのか、引き締めを行うべきなのか。日本は武力を持つべきなのか、持たないべきなのか。

私自身の個人的な意見はあるけど、逆の意見も認めることが大事。真向から対立する意見に対しても、その主張の根拠や意図を聞き入れて、丁寧に議論を重ねることが大切。自分と真逆の意見だからと言って、それだけで否定するような人は信頼しない。

 

話が逸れたが、だから文系科目は採点基準を公開すべきではないと思う。

1つの問いに対して、複数の回答が出得るし、出てしかるべき。どんなに素晴らしい答案だとしても、もっと良い答案が存在しうる。

だから「これが満点の答案です」のような基準を示せないし、示してしまったら、それ以上に発展しなくなってしまう。

 

さて、出願の速報記事についてだが、毎年書いていて、分からないことだらけ。

なぜ理Ⅱが多いのか、文系は均等に増えているのか。分からないけど、事実はそこに存在する。これに考察を加えていくことが大切で、研究対象だと思う。

きっと明日もまた、分からないことが1つ増えるのだろうけど、分からないなりに、様々な仮説を立て、考え、検証して、ちょっとずつ実態を理解していくことこそ、大切なのではないかと思う。

 

1/26 あんまり面白くないなぁ

今年の出願は面白くないなぁ。ただ初動が遅いだけ。ある程度出願数が増えてこないと、レースとしてつまんない。

明日の数字くらいまで、トロトロ増えて、面白くなるのは週明けかなぁと思っている。

 

逆に、週明けは荒れそう。総出願数が減るはずはないから、後半に急増するはず。

すると、毎日出願が増えていって、どっちが低そうだぞ、とかなって、この記事の意味も出てくるものだ。

とりあえず、今のところは、静観して、様子を見ているしかないでしょうね。

 

どうしても足切りを回避したい人は、週明け火曜日くらいまでは待機しないと判断できないでしょうし、でもそういう人が増えてしまうと出願が増えなくて、結局〆切間際に殺到するだけだし。

ということで、マジでわからんことになってきました。

共通テストしかり、出願数しかり、毎年イレギュラーなことが起こるから、毎年予想が難しいなぁ。

 

1/25 web出願での影響は、多分大したことはない。

今日も、出願数が遅かった。

web出願で、事実上出願期間が1日後ろに倒れたので、今日の数字は、去年までの昨日と比較してみると、まあまあ同じくらいの水準だった。

じゃあ、このまま一日ズレたままで行くかというと、そうはならないだろう。

東大志願者が減ったわけではないので、結局待機組が増えただけ。要するに、どこかで待機できなくなった人が、出願することになるだろう。

ということで、どこかで昨年並みまで追いつく瞬間があるのだと思うが、それがいつになるか。

結局最後までずるずる少ないままで、直前になって急増するっていうのがオチなんじゃないかと思うけど、まあこの辺りも今後観察でしょうね。

 

そもそも、ネット社会が広まって、東大が出願数の速報をやっている限り、出願が遅くなるのは当たり前。

足切り余裕っていう人は関係ないけど、足切りになるかどうか怪しい人は、どうしたって数千人規模で生まれる。その人達が、足切りを回避しようという戦略をとれば、出願時期を遅らせるのは極めて合理的。

 

もちろん、毎日数字を追ってドキドキしている毎日は、勉強効率も悪くなるし、他大を受ける可能性があるから、東大の対策1本に絞れなくなるわけなので、不利と言えば不利。だから、早く出願してしまって、足切りの不安から解放されたいという気持ちはとても分かるので、この辺りはちょっとしたチキンレースではある。

 

1/24 初動遅いな。

今年も、非公式の場で(笑)、出願速報に関する本音やらを、メチャクチャ脱線しながら、タラタラと書いてみようかと。

 

2日目の出願数は、めっちゃ少なかった。

もしかしたらここで書くかもしれないし、書かないかもしれないけど、実はちょっと仕事に集中しづらい状況があって、あまりweb出願についての分析や考察ができてない。

だから、ちょっと想定すればわかるような、今日の初動の遅さも考えてなかった。多分もう少しすると、事態が改善されて、集中できる状況がくると思いますが。

 

さて、初動が遅れると、今後どうなるか。

根本的には分からない。

だけど、東大の志願者が今年だけ激増するってことはないから、結局例年と同じような数字に落ち着くんではないだろうか。

要するに、どこかで数字が跳ね上がるタイミングが来て、毎年と同じくらいになるというシナリオ。

もう何年も、足切りが跳ね上がることはなく、低迷している。今年も、それほど高くなくなれば良いなと、個人的には思っている。

 

私がなぜ、足切り速報をやっているかと言えば、商売上の理由はもちろんあるのだが、正直いうと、それほどコスパは良くない(笑)。これを読んで売り上げにつながった例は、恐らく周りが想像する以上に少なくて、別√からお問い合わせいただくことの方が多い。(もちろん、コレきっかけの生徒もいることはいる)

 

ではなぜかというと、私益というより、公益のため。

あまり言ったことはないけど、昔大きな事故に遭った。奇跡のような形で命が助かった。

どうせ亡くなったはずの命なんだから、世の中の役に立つことをしようと思って、敬天塾を作った。だから、あまり私腹を肥やすことに興味がなくて、世の中にどう影響を出すかばかり考えている。

 

さて、足切り記事の意味だが、色々な思惑はあるけど、まず足切りが高いということは、それだけ受験のチャンスを得られなかった受験生が多いということ。足切りを食らうと、私立大学へ流れるか、後期試験に流れるか、浪人になるか、受験を辞めるか。

色々な選択肢があるだろうが、その人が前期試験で実力を発揮することはなくなってしまう。その努力が無駄になったわけではないが、チャンスは逸している。

 

「受験勉強なんか人生の役に立たない」みたいな議論があるけれど、それはそうとして、せっかく勉強したのに受験のチャンスをロスした方が良いというわけではない。勉強した実力を、ちゃんと試験会場で発揮した方が、日本全体の教育に寄与するに決まっている。

だから、足切りは低い方がよいと思う。低い方が良いというより、残念ながら点数が低かった方は、東大に無理に出願するのではなくて、他の大学へ出願して、そこで実力を発揮してほしいとおもう。

ちなみに、東大の足切りが低いということは、他の大学の競争が激しくなるということ。だから、平井は一橋志望とか東工大志望から嫌われて然るべきだと思う。

しかし、多くの受験生に蓄えた実力を発揮してもらい、大いに日本の大学でその能力を発揮してほしいと思う。その方が日本のためになる。

なお、せっかく東大に向けて勉強してきたんだから、足切り食らっても東大に出願したいというなら、もちろん止める理由はないので、後悔のないようにしてほしい。

 

他には、「戦略を立てるには、情報集めが1歩目だ」ということを知ってほしいということ。

受験業界にも戦略という言葉がかなり流行るようになったが、私も当然「戦略」は大事だと思っている。しかし、多くの受験戦略本が、戦略本というより、命令書になっている。

 

戦略は戦況によって変化する。そして、戦況を知る手段が情報である。つまり、情報を集めないと戦略は立てられない。

その情報というのは、東大の定員とか、合格最低点などの敵の情報もさることながら、自分の情報も含んでいる。

各科目の学力や、生活環境、指導者の教える内容、持っている教材、その人の得意や不得意や、思考のクセ、体調やモチベーションなど、あらゆることが、戦況に影響してくる。

 

そして、戦況が変われば、戦略が変わる。つまり、戦略とは変化し続けるものだ。

山のてっぺんに雨が降ったとする。

すると、その水は低地に向かって流れていく。

山肌がデコボコならば、水は蛇行するだろうし、岩にぶつかれば一度飛び散ってから、また集まって低地へと向かっていく。

戦略も同じで、目標地点は変わらないのに、途中でイレギュラーが起きたなら、その都度形を変えながら向かっていくものだ。

 

しかし、世の中の受験業界の先生たちは、生徒の情報をあまり集めないまま戦略を立てることが多い。

人間は個体差がありまくる。人それぞれ、全然ちがう。同じ教材で、同じ授業を受けて、同じ勉強時間を費やしても、全然違う成績になる。

けれど、どうやら世の中の先生たちは、生徒は工場で生産される製品かのように、同じ指導を施せば、同じ結果が出るかのように思っているようだ。先ほどの、雨が山を下る例えでいうと、デコボコもないし、石や岩が転がってないような、キレイに舗装された斜面の山しか想定していないようなものだ。

生徒の個体差を無視すると、先生が適切な行動命令だけ出せばよいことになる。だから戦略本が「命令書」になるのだろう。

 

かつて私も、集団授業をやっていた頃はそう思っていた。日本の教育の大多数が集団教育だから、このコンセンサスはしばらく変わらないだろうと思う。

しかし、家庭教師など密着型の個別指導をするようになってから、自分がどう教えるかよりも、生徒がどう学んでいるかの方が大事だと気づいた。だから、自分の過去の指導法をあまり参考にしなくなった。「お馴染みの自分の指導法」がなくなり、その子のための指導法をその都度編み出すようになった。

 

さて、話が脱線したが、要するに情報がないと、何も始められない。情報こそが、自分の行動を決める。

まずは、敬天塾のHPを見て、情報の大切さに気付いてほしい。東大受験に関する情報がこれだけ集まっているサイトは、そうそうないと思う。正しい情報を得れば、おのずと正しい戦略が見えてくる。その訓練の1発目として、足切り情報の記事を追ってみてほしい。

なんか、初日だからか、長くなったし、足切りそのものの話じゃなくなったけど、まあいいか。こんな感じで、気ままに毎日更新します。