僕のブログはどうも仕事に引きずられる傾向が強いですね。
シシリー・M・バーカーの時もそうですが、依頼された仕事に関連したことをつい書いてしまいます。
それだけ日常の話題に窮しているというのか、観察力が乏しいというのか、そう言ったことなのでしょう。

ここのところ19世紀末の挿絵を少しご紹介しているのですが、「絵の感想とか解説とかしないんですか?」とか言われまして困っているところです。
絵は鑑賞するものであって解説するものではないと考えていまして、見ている側が先入観無く判断されるほうが好ましいわけです。

ワインの評論家にP氏という有名な人がいるのですが、彼が高得点をつけたからと言って全てが「美味しい」わけではありません。
彼が試飲している状況も、ついでくれるソムリエの技術も、グラスでさえ違うわけです。まして僕は彼ではないですから味覚を共有するなどは絶対に不可能です。

絵の印象も同じことでして感性も違えば、見ている状況も異なります。同じ絵でも時と場が違えば自分でさえも違った見方が出てきます。

例えばこんな絵があったとします。

年代も特定しない旧世紀に建てられた塔の周りを3人の女性が手を繋いで踊っています。
塔は女性の子宮であり、拘束や権力、不吉を生み出す象徴でもあります。
これはヨーロッパの一部では、昔、出産は城内の主室などでするものではなく、離れた塔の中でされた風習があったことを理由にしています。
日本でも水上勉さんが「若狭巡礼」中で母屋とは別の離れで出産する風習があったことに触れていました。
母子のどちらかが、或いは、ともに命を落とすこともあったでしょう。
生まれた子が男子なら王権の継承者とされ喜ばれましたし、女子であれば将来の政略のため世間から隔絶されて教育を施されたかもしれません。
また、イギリスのクィーン・メアリーの例をあげるまでもなく、高貴な人の幽閉場所としても有効に使われました。
とにかく塔は誕生と死と権力の生まれる場所であったのです。
そして、手を取り合う3人の女性はウルド、スクルド、ヴェルダンディの過去未来現在の運命の魔女です。
つまり3人の魔女が、生み出される運命を支配していることを示しているのです、と説明します。

次に、18世紀半ば~18世紀末に描かれた絵があります。
古城の庭で、目隠しをした女の子が中央に居て、手を繋いで彼女を取り囲む3人の女の子の絵です。
前述の塔と魔女の話を当てはめて、古城はイングランドを示し、中央の女の子はイングランドの王となるアーサーを身ごもる運命にあり、目隠しは定かならぬ先行きを暗示しています。それを3人のノルンの魔女が象徴しているのです、と実しやかに薀蓄を垂れたとします。
話としては面白いですよね。
でも、描かれた当時は世界遺産などという価値基準もなれけば、信仰としての遺跡観も一部を除いては希薄でした。
子供達の遊び場としても古城の庭はそれほど珍しくも無かったでしょう。
そう、これは日本で言うなら、単に「かごめ、かごめ」をしているところです。
そんなものなんです。

僕も図像学辞典や象徴解読辞典など持ってはいます。必需品ですので。
それを駆使して全てを当て嵌め絵を読み解いたからと言って感動の肥やしになることはありません。
むしろ、何でもかんでも当て嵌めようとして不可解な解釈をこじつけたりする弊害の方が困りものです。
そのこじつけもツッコミ処満載で聞いていれば面白いことは面白いですけどね。

あと19世紀末という言葉。
僕は単に1800年代の終わりから1900年初めという区切りに使っているつもりです。
しかし「19世紀末」って何と言うのか、退廃感と言うのか、終末観みたいなものを含んでいますよね。
誤謬が生じる隙間の多い言葉ではあります。
でも、当時の一般庶民の間では終末観など実感はされていなかったでしょうし、特別なことなどなかったと思います。
産業革命と旧風俗との中で、奔放に、かつ、厳しい時代を過ごしていたはずです。
現に僕も100年ほど時間がずれますが1900年代の「世紀末」を過ごした人間ですから、普通に。
もし、失望感や不安、退廃的傾向を指して「世紀末」と言うのなら、今でも充分に「世紀末」です。

今日は話題がもう滅茶苦茶ですが「おしゃべり」ですから許してください。

今回ご紹介する予定のないビアズリーやリッケッツなどの挿絵画家のことです。
彼らは素晴らしい芸術家です。

オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(Aubrey Vincent Beardsley、 1872~1898年)
無名時代には、グリーナウェイの絵本の模写などをして生計を立てていたこともありますが、「アーサー王の死」(トマス・マロリー原作)で市場に衝撃的な登場をしました。
ビアズリーの「サロメ」(オスカー・ワイルド原作)の挿絵は一枚の芸術的絵画として完成された感があります。
 

  

  SALOME (John W. Luce, NY刊、1907年) 
 

 

そこが気になるところです。
挿絵とは本を離れてはいけないのではないか?独立した無関係な印象を与えた時点で「挿絵」ではないのではないか?
かなり前に国立西洋美術館で「ビアズリーの大回顧展」が開かれました。
その一枚一枚の絵の前に立ってみて「偉大な芸術作品」の感を強く持ちました。
分かりやすいとか、分かり難いではなく、統一感と言ったものから少し離れている気がします。挿絵の引力が強すぎます。
そんなこともあって絵本に限定しようかなと思った次第です。

 



チャールズ・リッケッツ(1866-1930年)の装丁も見事ですし、挿絵画家としても素晴らしいです。
例えば “The Poetical Works of James Thomson”(Reeves & Turner, and Bertram Dobell, London刊、1885年)などです。
いずれ取り上げられればとも思っています。

  

The Poetical Works of James Thomson (1885年)
 

 

 Oscer Wilde Poem (Elkin Mathews and John 刊、1892

 

 

 

 

前回の続きでケイト・グリーナウェイを見ていこうと思います。
今回は、彼女の2冊の本についてご紹介します。
 

  “ Marigold Garden ” (1880年)


 

 大好評となった“ Under The Window ”に続く彼女の2番目の絵本が“ Marigold Garden ”です。
 初版は、1880年にイギリスの“ George Routledge and Sons ”から発刊されました。非常に人気のある絵本なので、発刊当時から今日まで版権を移譲し発行所をかえながら何度も復刻されています。 

 

 


 初版の Publisher の表示は“London George Routledge and Sons, " です。
 1885年には“ Fredrick Warne ”からも発行されるようになりました。
 各々の刊頭に表記された Publisher は“ George Routledge and Sons, London, 1885 ”と  “ Fredrick Warne and Co Ltd, London ”となります。
 1900年代に入ってからは“ Fredrick Warne ”からの発行となり、1901~1910年までが

“ London: Frederick Warne & Co. ”となります。
 以後、発行年の記入が無いものが多くなります。

 

 


 その発行年を区別するために大体10年周期で発行者のアドレスの表記が変わりますので購入される方は注意してください。
 これを憶えるのは意外と面倒です。調べてはいないのですがネットで検索すれば、そういった資料も見つかるかもしれません。
 また「初版」と言っても“ First Edition ”と言う以外に“ First Edition, First Issue "となっているものが、いわゆる「初版第一刷」です。
 中には“ Re-issue " 、“ New Edition ”もありますので複雑です。
 僕も全く知識がなかった頃は大失敗をして高い買い物をしてしまったことがあります。$10くらいで買えるものを$120で買ったりしてしまいました。
 思い返せば、今も失敗はありますが、あれで懲りてとんでもない失敗が少なくなったのではないかと思います。
 勉強は大切ですが、できれば犠牲は最小限に留めたいものです。
 話が別方向に行ってしまいました。刊記については他の機会にまた取り上げたいと思います。
 

  

 

 “ Marigold Garden ”のオリジナル版は、木版で装丁、並びに、挿絵が刷られているので、よくみると刷りのための凹凸が紙面に残っています。文字も活版印刷のために裏側に凹凸がでます。機会がありましたら実物を手にとってご覧になってみてください。


 グリーナウェイの絵本は日本でも人気があり翻訳版も出版されています。
 新書館のペーパームーン叢書の知名度が高いと思いますが、翻訳版はオリジナルと最後のページが異なります。他にも扉・口絵のイラストの順序が異なっていますが大きな違いはページを分割したことです。

 

 

 

 オリジナルの最後のイラストを上下で切って2ページに分けています。
 オリジナルでは最終ページはイラスト無しの詩が添えてありますが、新書館版はそこに女の子の絵を入れてあります。
ページ割の都合やデザイナーの趣味など事情はあるでしょうが、元版通りにしていただいたほうが好いのではないかと思います。

 

 


 新書館版の良いところは色調(装丁以外)をほぼ忠実に再現していることと、巻末に原詩と翻訳をまとめて収録していることです。また巻末の各ページにはセピアでイラストも加えられています。

 

 “ ALMANACK for 1883 ”
 

 

 2冊目にご紹介するのは、ケイトが作った最初の暦手帳 “ ALMANACK for 1883 ”です。
 これはとても小さい本です。
 ページ数も各冊、僅かに20頁程しかありません。携帯するのに邪魔にならないように作られた結果です。
大きさはページトップの写真で見比べていただけると分かり易いかと思います。

 

  
 

グリーナウェイは、1883年から1931年まで“ ALMANACK "と言う暦手帳を発行しています。
彼女は1901年に亡くなっていますので、彼女自身が手掛けたものは1897年までです。以後は彼女の作品から抜粋して編集されました。
1月から12月までのカレンダーと四季のイメージイラスト、それから、季節に合わせた子供達の遊びのイラストなどが描かれています。
 

  


 グリーナウェイをラファエル前派の画家に結びつけ、無理にでも神秘主義に関わらせようとする方々も以前はいたようです。今は極めて少数となりましたが。
 “ ALMANACK ”は単なる携帯用カレンダーで魔術的な時祷書ではありません。
 グリーナウェイは18世紀の雰囲気と古典主義的な図像学に基づいて描いているに過ぎません。
 当然、図像学は宗教的な色彩が強いものですから絵によってはその影響が色濃く見受けられますが、それはアカデミックな古典絵画と何ら変わるものではないのです。
 あとは鑑賞する側の趣味と言うことにはなります…。

 

 

 グリーナウェイについてはひとまずここでお仕舞にして、後ほどクレインとあわせて何冊か本をご紹介しようかと思っています。
 

 ケイト・グリーナウェイ、本名をキャサリン・グリーナウェイ、1846年3月17日生まれ、乳癌のため1901年11月6日に亡くなり、ロンドンのハムステッドに埋葬されました。
 ウォルター・クレイン、ランドルフ・コルデコットと共に19世紀末から20世紀初頭に活躍した挿絵画家です。
 早逝したコルデコットを除き、クレインとはその画風や人気ともに生涯のライバルでした。
ただ前記二者と異なるのは、グリーナウェイが女性であること。

 

  


 と言うのも19世紀末には女性が学べる美術学校は少なく、本格的な美術教育の機会を得ることが非常に困難な時代であったのです。
 そうした中で彼女は、唯一開かれていたとも言えるロイヤル・カレッジ・オブ・アート・ロンドンで絵の指導を受けることが叶います。


 1867年頃から挿絵を手がけ始め、1878年、木版画家であり工房を営んでいたエドムンド・エヴァンズに見出され“Under The Window”(George Routledge, London 刊)を出版したことにより一躍脚光を浴びることになりました。

 

 
 

 彼女の画風は牧歌的な風景と可愛らしい子供を特徴としています。
それはイギリス・ロンドン郊外のロールストン、ノッティンガムで幼少時を過ごしたことと、晩年まで過ごしたサウスウェルの風景、18世紀の画家ジョン・ホップナーの影響を受けているのではないかと言われています。

 

  
 

 彼女の家は、スコットランドの建築家リチャード・ノーマン・ショウが設計したものでした。
 

 当時、彼女の描く子供の衣装も話題になりました。
画中には、18世紀の衣装であるスモックフロックを着た男の子やPinaforeと呼ばれる腰高のエプロンドレスとモブキャップを身に着けた女の子が数多く登場します。その衣装は人気を博し子供服として再現され販売もされたようです。

 

 

彼女の存命中に出版された本は50冊以上、“The Girl's Own Annual”などの雑誌の挿絵を含めればかなりの作品数になります。

 

  

 

 “The Girl's Own Annual” は1880年1月3日に創刊号が出され、途中で“The Girl's Own Paper”と改題し、1956年に廃刊となりました。
 誌面は、物語、特派員記事、School Storyと呼ばれた学園生活のフィクション小説、詩、楽譜(ピアノ、ヴァイオリン、声楽等)、レース編み、裁縫の仕方などで構成されていました。
 日本では、2006年にエウレカ出版より復刻合本が出版されていますが元が高価な上、現在は絶版となり手に入れるのは非常に困難です。
 状態と刊行年月に拘らなければオリジナルの“The Girl's Own Annual(Paper)”を単刊で探すほうが容易かもしれません。
 

 “Mother Goose or the Old Nursery Rhymes”( Frederick Warne and Co., 1900年)

 
 

 因みにイギリスでは「マザーグースの歌(Mother Goose)」とは言いません。これはアメリカで流行した題であって、英国では“ Nursery Rhymes ”或いは“ Old Nursery Rhymes ”と言います。意味は「(古い)子供のための韻律詩」です。
邦訳版では、彼女のイラストを独自に編集した書籍が数多く出されています。
しかし、個人的に言わせていただければ、挿絵とは無関係の詩を挟んでみたり、絵の部分をトリミングして別の詩にあてがうなど非常に雑で読みにくいものが多いです。
絵と言葉の韻律を純粋に楽しめる本づくりをお願いしたいですね。薀蓄的な解説やコラムでその絵本の中の流れを止めるようなことはせず、巻末などに添えて欲しいものです。

 

 
 

今日はここまでにしておきますが、次回もグリーナウェイの絵本をもう少し見ていこうと思っています。