僕の蔵書の中から幾つかの挿絵本を紹介していきます。

 

 最初は19世紀末を代表する挿絵画家ウォルター・クレインの本を取り上げます。

 ウォルター・クレインは我が国でもファンが多く、チャールズ・リッケッツ、ケイト・グリーナウェイ、ジョン・テニエル、ランドルフ・コルデコット等と共に当時を代表する知名度の高い挿絵画家です。
代表すると言うよりも、むしろ「クレインが近代絵本の挿絵を牽引した」と表現する方が適切でしょう。
 クレインは、ラファエル前派やウィリアム・モリスの影響を受け、書籍の中の絵画と文字との有機的作用を主眼としたデザインの構築を主張し、同時代のグリーナウェイやビアズリーなどに対し辛辣な批判を展開したことでも知られています。
 個人的な意見ですが近代絵本の挿絵はクレイン以前と以後とに分けられ、良くも悪くも以後の絵本の挿絵画家はクレインの影響を受けていると言えます。
 クレインの絵を受け入れるか、否定して拒絶するかの手法は別として、彼の影響を受けずにはいられなかった挿絵画家は居なかったと言っても過言ではないでしょう。

 

  

「Flowers from Shakespeare's garden」(1906年)

 彼らが登場した時代は印刷技術の革命時代でもあったのです。
19世紀初頭までの印刷法であった銅版によるエッチングから木版多色刷へと移り、さらには石版多色刷、写真凹版印刷など次々と新技術が開発され、低コストによる大量印刷が可能になりました。
その印刷技術の飛躍的発展に伴い挿絵の可能性も広がり、かつ、アカデミックな絵画の仕来りに拘束されることなく活躍の場を広げる事が出来ました。
豪華装丁本や多色刷挿絵本の黄金時代であったとも言えます。

 あまりメジャーな書籍ではありませんが、マーガレット・デランドの詩集「THE OLD GARDEN and OTHER VERSES」をご紹介します。
クレインの挿絵本の中ではマイナーな方なので少しは目新しい感じがするかもしれません。

 

 マーガレット・デランドは1857年ペンシルバニア州アレゲニーに生まれ、1945年に亡くなっています。
 詩人であり、小説も手掛け、短篇小説に優れた能力を発揮しました。
 彼女の代表作としてあげられるのは、「オールド・チェスター物語」「伝道師ジョン・ウォード」「激しい炎」などです。
 1880年頃、グリーティング・カードやハーパーズ・マガジンにおいて詩を発表し、1886年にそれらの詩を集め「THE OLD GARDEN and OTHER VERSES」として刊行しました。
 刊行当初は極めてシンプルな装丁でしたが、1893年にウォルター・クレインの手によって美しい挿絵が添えられベストセラーとなりました。
 詩は「古い庭」「自然」「愛の歌」「人生の詩」「子供のための詩」とテーマ別に分けられています。

 

 

 


 1886年オリジナル版と1893年クレイン挿絵版とを対比させてご紹介します。
しかしながら1886年版については僕の持っているものは表紙のコンディションが悪いので、他所から写真をお借りしてきました。

(参考:http://www.archive.org/stream/oldgardenandothe00delaiala#page/n0/mode/2up

 

上段が「オリジナル版」、下段が「クレイン挿絵版」です。

 

   

 

   

 

 表紙については両冊ともに和装本を意識したような装丁になっています。
中は挿絵が入ると雰囲気が全く変わり、英語が読めなくても絵本のようにページを捲るだけでも楽しみが湧いてきます。
 クレインのデザインはアールヌーヴォの特徴を生かしたカルトーシュを効果的に用いていますが、デザインのコンセプトとしては当時の流行を取り入れるというよりも一つ時代を遡るような18世紀末~19世紀初頭の感じであるようです。
 また外輪を彩るカルトーシュもただ文様を描くというのではなく、ページによってはその文様自体に詩の内容を反映する何かを埋め込もうとしているのが見受けられます。

 

   

 

 クレインは余白部分を活用することに当時の誰よりも心を砕いた挿絵画家とも言えます。
後でご紹介する機会があると思いますが、例えばグリーナウェイは余白部分にあまり注意を払ってはいません。
 むしろ絵を広く見せるために空白部をそのままにしている感じがあり、少女を可愛らしく描くことに重点を置いています。
 次に挿絵画家をご紹介する時は、ケイト・グリーナウェイを取り上げてみようかと思っています、一応。

 

 

 

 19世紀末から20世紀初頭の挿絵画家を何人かご紹介しながら、いずれ再びウォルター・クレインに戻り、もう少し詳しくご紹介するつもりです。

 


 

 「曳舟の異空間 LE PETIT PARISIEN」 は、当初『古書屋』を標榜しておりました。しかし、これは便宜的な間に合わせの肩書きに過ぎず、私が今後行っていきたい活動と相容れない属性を含んでいたことは否めませんでした。
もとより、古書の販売を主眼に置いて運営する目論見は皆無であった訳で、寧ろ『販売しないことの意義』を鮮明に伝えることを念頭に置いていました。言い換えれば、『美術的作品としての書籍の価値も伝えて、次代に継承していく』とでも言いましょうか。言辞のみ矢鱈と壮大で、実が伴っていないという指摘はさておき(笑)、とにかく伝えていく為には、原本ありきでないと理解度が半減するだろうという思いから、書籍を無闇に販売しないという方針を採用した訳です。

 

 書籍を伝える活動に留まらず、個展および単発のイヴェントを実施する所以は、その際にご来場頂いた方達に展示作品やイヴェントをお楽しみ頂くついでに、書籍に目を向けて貰う機会を創出したいという思惑が潜んでいます。実際、個展への来場が目的であった方が、うちの書籍が目に留まったことによって、そのまま引き続きお越し頂いているケースが少なくありません。誰とは申し上げませんが、ね。(笑)

 

 活動を続けていくうち、いつしか『古書屋』から『書斎』へ、更には『オープンな書斎』と呼称することが多くなりました。私自身は勿論のこと、書斎に足を運んで下さる方達も含めて、『LE PETIT PARISIEN = お店』という意識が稀薄になってきたという証左なのでしょう。この意識の共有は、今後の運営を進めていく上で重要なファクターになると確信しています。
サーヴィスを提供する側される側の関係では培われない、胸襟を開いたお付き合いをすることにより、相手の趣味趣向に沿った書籍の提示を容易にし、また芸術全般に限らず様々な情報の交換の場として機能し始めています。ゆくゆくは、全ての来訪者が言いたいことを言い合える場所になってくれることを期待しています。20世紀初頭のラパン・アジルのように。。
そういう訳で、『ここをお店だと思わないで下さい』と、一見の方にはお伝えするように心掛けています.。(笑)

 LE PETIT PARISIENは、時代の変遷と共に埋もれてしまった作家や画家を再評価する活動も偉そうに開始しています笑 ま、こちらは細く長く続けていこうと考えています。求められる人間とそうでない人間というのはどの時代においても必ず存在しているので、現代の潮流なども加味しながら少しでも世に送り出していければなぁ。。と。あ、ちょっと酔ってます。(笑)
 

 話の画竜点睛を何処に定めれば良いか分からなくなってきたのでそろそろ終わりにしますが、とにかく私の理想というのは、私が現在所蔵している書籍の類を私の生きている時代を超えて残していきたいということに尽きます。そのために、自らの蔵書の魅力というものを多角的な観点から伝えていく所存です。殊に若い世代に向けて。。微塵も来てくれる気配が無いけど。」(笑)

 From Ishikawa


 

後半は、オーナーである石川さんのインタビューをご紹介致します。
 店名の由来や古書を橋渡しの材料とする理由などについてお訊きしました。

「来たいから来る。
 話したいから話す。
 そういった場所でありたい。」



 

 

 曳舟にある "LE PETIT PARISIEN " 。
 店名を直訳すれば「小さなパリの住人」となりますが、転じて「我らパリ市民」の意味になります。パリという街に囲まれた同朋たちと言うことです。
 これは1870年初から1930年代頃まで発行されていたパリのタブロイド紙の名前から採られています。
 この新聞はフランスにおいて日露戦争を大きく取り上げた貴重な資料として注目を浴びたことがあります。

 

 そのタブロイド紙と店名についてどのような思い入れがあるのでしょうか?

 「あまり期待させて悪いのですが、それほど深い意味はないんです。語呂が良かったというか、響きが自分に合っていたということが大きいですかね。勿論、LE PETIT PARISIEN の新聞としての役割にも注目はしています。
 当時のパリの教育の平均水準はお世辞にも高いとは言えませんでした。文盲の人も多くいましたしね。教育格差が非常に大きかった。この新聞はそういった人たちにも分かり易いように絵を多用し時事を伝えていたんです。
 ですから、僕の店も大衆性というものを主眼に置いて、誰にでもわかり易くしたかったというのはあります。」

 

 

 次に、そのポピュラリティのツールに古書、それも作家存命当時、或いは、初刊行の書籍を中心に展開することにはどんな意図があるのかをお尋ねしました。

 「初版本に拘っているわけではありません。重版でも再販でもいいんですよ。ただ作家が小説なり随筆なり作品を書いた時、明治、大正、昭和初期(戦前)までは装丁を含めてひとつの作品だと考えていた。それを伝えたい。
 収録されている作品に対して作家が抱くイメージは装丁に表れているわけです。
 装丁は作品の入り口です。それを手に取ることによって、より作品世界に入りこんで行く手掛かりになればと思っています。芥川も佐藤春夫なんかも非常に装丁に拘っていました。そこを知ってもらいたいんですね。
 今の作家さんがご自分の本の装丁にどこまで拘っているのかわかりませんが、大概は出版社任せではないでしょうか。もちろんそこには出版コストという問題があるのは避けられません。
 今の出版事情で、作家や装丁家が芯になる紙を選定してそれを皮なり布で飾って、木版や銅版で挿画や題字を作り、見返しにマーブル紙を使うようなことをしていたら一冊がいくらになるのかわかりません。
 大量生産が可能になったために書籍はより大衆化したと言えますが、大量に作るためには簡単な材料でなければなりません。それが書籍の魅力を失わせてしまう原因にもなったと感じています。」

 確かに室生犀星などはその随筆の中で極論とも言えますが「本の装丁に関わってこそ小説家である。それに関心を払わないというのは小説家の資質がない」と述べています。
 そこには昔と今の本の立場の違いが大きい。例えば芥川や犀星の随筆に「本を一冊売って生活費の足しにした」というエピソードが数多く登場します。彼らの当時、普通に販売されている書籍でも、ものによっては2~3日食い扶持を稼げたのです。
 本が高価な贅沢品であった点が現代との差であるかもしれません。
 現在販売されている単行本は1500~2500円くらいが中心です。勿論、それは安くはないです。しかし商品社会においてはほとんど価値を有していません。3000円で買った新刊を古本屋に持って行ってもせいぜい100円ってところでしょう。状態によっては10円と言われることもあります。最良の状態の本で頑張って300円つけばラッキーです。
 つまり今の書籍は流通コストを償却するための値段しかついていないのです。本そのものは無価値な消耗品になってしまっている。文具とかわりありません。そうなってくるとわざわざ高いお金を払ってまで嵩張る紙の書籍を買う必要がなくなります。
 そこでデジタル書籍の登場となるわけです。

 「デジタル書籍は様々な形で普及し始めていますが、それは単に作品を読むためだけのものであって、本を楽しんでいるのとは違うと思います。
 カバーの見た目、そしてカバーを外した時の書籍本体の作り、何よりも自分でページをめくることの楽しさ、それが紙の本が持つ固有の価値であると思っています。
 タブレットやスマホの画面を撫でているのは簡単で便利ですが、同時に文字も流れて行ってしまいます。自分で感触を得るという大きな楽しみが失われている気がします。」

 「できれば高校生とか

 若い人にこそ知ってもらいたい世界」

 

 

 では、紙の本を残すということへのヒントというか、手掛かりというものはあるのでしょうか?

 「装丁の力は大きいと思います。まずは並んでいる本を手に取る動機になるわけですから。
 もうひつとには、蔵書票が紙の本を残すきっかけになるのではないかと感じています。
 けれど残念ですが日本では蔵書票自体の知名度が低い。銅版画を学んでいる美大生でも蔵書票を知らないという人が多いんです。
 現代においては、銅版画と蔵書票は、例えば同じエッチングという手法を使うものであっても分別されてしまっているのです。どちらも手掛けている作家はいるのですが、どうしても蔵書票の制作は手工業商品的な印象が強くなり、銅版画家を芸術家、蔵書票作家を職人のように見てしまう傾向が強くなります。
 ユメノユモレスク原画展も、実は、夢野久作の本を通じて蔵書票の存在を知ってもらいたかったという意図がありました。
 蔵書票って何だろうと思ってもらえれば、ある意味で成功でした。」

 今の蔵書票には少なからず問題点も存在します。
 それはコレクターズ・アイテムと化して実際に書籍に貼られることが少なくなってきたということです。
 蔵書票は大体1作品30~50枚で作ることが多く、票主は一部を自分の保存用として取り分けたら、残りは交換用として使用するケースが多くなってきました。
 これでは蔵書票ではなく、額に入れて眺める版画作品と変わらなくなってしまいます。蔵書票である意味を失くしてしまうのです。

 

 「蔵書票を作るというのは誰にでもできるというものではありません。制作費がかかるということもありますが、本に対する考え方というのが大きく作用します。
 高価な蔵書票をまず貼るということに対する抵抗と、大事にしている本に何かをするという抵抗があります。どちらも勿体ないという気持ちの表れですが。その勿体ないというのが実は大切なのです。
 貴重な蔵書票を大切な本に貼るということは、貼りたいという気持ちが強くないとできません。そこには、この本だけは手放さないという思い入れがないといけないんです。自分のものであることを主張し、残したいという感情がないと貼れません。
 そのためにも今の大量生産の普及版ではなく、一作品としての価値を持つ古書の装丁を知ってもらいたいんです。
 僕にできることは持っているものを見てもらい、それらを後に残していくことです。」

 

 

 オーナーにとって "LE PETIT PARISIEN "とは、どんな場所であるのでしょうか?

 「本の感触というか、楽しさというか、そういうものを残すことができる一助になりたいですね。
 古くなった本はゴミではないんです。
 様々な思いが詰まった作品であること、そういう時代があったこと、 そんな気持ちを伝えるきっかけとして作用してくれれば良い。
 うちは基本的には古本の販売をしません。飲み物も強引にお勧めしてはいません。
 来たいから来る。話したいから話す。そういった場所でありたい。
 皆さんがおっしゃるとおり、うちは外から見ると怪しい店で入りにくいんです。何のお店だかわからない。それはドアを開放してても同じだと思うんですね。
 ですから、その媒体としてドリンクの看板を出しているのです。その方が入りやすいですから。
 来店された方は、並べられた古書の背表紙を眺めて通り過ぎるのではなく、本を開いて、読んで欲しい。特に自分の知らない作家の本を手に取ることから始めていただければ、と思っています。できれば高校生とか若い人にこそ知ってもらいたい世界です。」

 (8.14. 2016)

 ここまで話をしてきますと、このカフェの商売欲が希薄なのも納得いきます。
 要は、 "LE PETIT PARISIEN "というカフェは「サロン(運動体)」なのです。

 最後にオーナーの石川さんは、水曜荘同人の本を手に取り、その中の挨拶状を取り出して見せてくれました。
 そこには「特装本というのは道楽でないと作れない。自分の作りたい本を自分が納得する形に作る。後先を考えてつくるものではない」という様なことが書かれていました。

 非常なご苦労を重ねて場所を維持していらっしゃることは察しれらますので、それを道楽と言ってしまうと失礼ですが、道楽とは経済的余裕の表出ではありません。
 本当の道楽は借金をしてでもそれを貫き通すものなのです。
 「道の苦楽を合わせて楽しむことこそ道楽の極み。」
 誰だったかがそんなセリフを言っていました。

 "LE PETIT PARISIEN "というお店自体がオーナーである石川さんの特装本なのではないかと僕は感じて、今日のインタビューを終わりました。

 石川さん、長時間お付き合い頂きありがとうございました。

 後ほど石川さんからメッセージをいただくことになっておりますので、届きましたらご紹介したいと思っております。

 
 【 LE PETIT PARISIEN 】
 東京都墨田区東向島2-14-12
 東武スカイツリー線「曳舟駅」より徒歩1分
 TEL 03-6231-9961
 http://le-petit-parisien.com
 営業時間  13~18時、19時~24時