音楽 (新潮文庫 (み-3-17))/新潮社

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 最近暖かくなってきたのでワンランク薄いコートで出かけたら夜に冬将軍の逆襲を受けた管理人です。まだまだ寒いとは言いますが、田んぼのあぜ道に緑の草がちらほら生えているのを見かけました。梅の蕾もだいぶ膨らんできたようです。頑張れ春将軍!!!冬将軍の首を取れ!!!

 本日の本は三島由紀夫『音楽』です。

 管理人は三島由紀夫のちょっと硬い文体が苦手で、敬遠していたのですが、この『音楽』は大衆向けの婦人雑誌に掲載されていたというだけあってやわらかい文体でとても読みやすかったです。

■あらすじ

 日比谷で精神分析医をやっている汐見の元に、弓川麗子というその名のとおり麗しい女性がやってくる。彼女は故郷の許婚者から逃れるように東京に進学しそのまま就職、職場で隆一という想いの人ができた。しかし、彼女は汐見にこういうのである。「先生、どうしてなんでしょう。私、音楽がきこえないんです」と。

 もちろんこの音楽は比喩表現で、音楽を聴く=オルガスムに達する。ということ。麗子は不感症を直してもらうために汐見の元にやってきたのでした。この小説は麗子という女性の不感症の原因を探る、一種のミステリー小説のような様相を呈しています。汐見先生はときに彼女に医師として以上の魅力を感じながら、彼女の過去から彼女自身も知りえなかった本当の気持ちを、鋭い精神分析で紐解いていきます。

■ネタバレ感想

 精神分析というものがどれくらいの精度で患者さんの複雑な気持ちを言い当てられるのかは存じ上げないのですが、ここまで原因と結果がはっきりして、予想がぴったりあったら気持ちいいだろうなと思いました。恋人の隆一さん、病に命を落とした許婚者、不能者ゆえに自殺を試みる花井青年。様々な人との出会いと反応から彼女の不感症の真の原因に導かれる過程は、まるでミステリーを読むようなカタルシスがあります。
 麗子は兄との近親相姦によって、兄以外の人の音楽を聴くことができなくなり、その苦しみを癒すために「兄の子どもを生めばよいのだ」という思考に至ります。小説を読むうちに麗子に心を合わせた読者は、自分の兄の子どもを生むことの望み叶わないと知った麗子の絶望と解放をリアルに味わうことが出来るように思います。

 それにしても「音楽をきく」って素敵な表現ですよね。この比喩を味わうだけでもこの小説を読む価値があると思います。文学苦手、三島由紀夫苦手な人でも大丈夫!三島由紀夫入門にどうぞ!
ダブル・ジョーカー (角川文庫)/角川書店(角川グループパブリッシング)

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 部屋が驚くほど汚い。管理人です。
なんで部屋って汚くなるんだろう。極度のめんどくさがりというのは自覚しているけれど、気づいたら猛烈に汚い。あれだな、エントロピー増大の法則だな……。このブログを書いたら片付けようと思います。

 本日の本は柳広司さん『ダブル・ジョーカー』。先日書いた『ジョーカー・ゲーム』の続編ですね。前作が結構ヒットだったのですぐに手に入れて読んでしまいました。

 時は第二次世界大戦あたり。「魔王」と称されるほどの凄腕のスパイだった結城中佐によって陸軍内に独自に設立されたスパイ養成機関・通称D機関。今回も結城中佐とD機関のメンバー達が華麗な騙しあいを繰り広げます。

以下ネタバレ感想

①ダブル・ジョーカー

 なんとD機関にライバルが!風戸哲正陸軍中佐によって新たなスパイ組織・通称風機関が設立された。「死ぬな、殺すな、とらわれるな」という教えの元に、あえて軍人を使わないD機関とは対照的に、「国のために喜んで死ね!進んで殺せ!」というガチガチの軍人ばかりで構成された風機関。組織の存続をかけて、白幡という英国スパイの逮捕に乗り出す両機関であったが……。

 「軍人である」ということだけで、すでに「とらわれて」しまっているのですね。満を持して登場する結城中佐のかっこいいことかっこいいこと。私の初老レーダーにギンギンにひっかかっていますよ。でもね、ちょっと風機関まぬけすぎないか……?D機関の人間が書生に化けて内部に侵入していることを突き止められないのはちょっとスパイ機関としてどうよ?
 まぁそんな瑣末なことは結城中佐のかっこよさの前にはどうでもいいことですわ。「天保銭」というものの存在を初めて知りました。当時軍人さんはこんな風に揶揄されていたのですねぇ。D機関どころか女中さんにすらスパイってばれちゃうって風機関ダメダメだな……。

②蠅の王

 本作は一風変わったスパイ視点からのお話。兄の死をきっかけにソ連のスパイとなることを決めた軍医・脇坂。前線の情報をソ連に流す彼の元に、「スパイ狩り」が行われているという情報が入る。一体誰がスパイ・ハンターなのだろうか。慰問のためにやってきた芸人の中にいるのか?疑心暗鬼に駆られる彼が知ったスパイ・ハンターの正体とは。
 今度は追われる側の立場で、私達にもだれがD機関の人間かわからないんですね。しかしD機関はねちねちせめますねぇ~www漫才のネタにすらスパイを煽るような言葉を入れて……。全部分かっていながら脇坂を泳がせていたD機関ですが、スパイのために人を殺すというオイタを見逃すことは出来ませんでした。たった5分で一人のスパイを完膚なきまでに打ちのめす名も無きD機関のスパイ。く~うたまらんです。しかし彼はこのためだけにわざと腕を撃たれたんだよな……プロ意識半端ないぜ……。

③仏印作戦

 善良な一般市民、高林正人は中央無線電信所に勤める通信員。彼はハノイにて、陸軍の情報を暗号文化し、郵便局からそれを送信するという仕事を行っていた。しかし、ある日彼は突然暴漢におそわれる。そのときに助けてくれた永瀬という男は自らをD機関の人間と名乗り、極秘の情報を送電することを高林に依頼するが……。
 D機関の人間が「オス!オレD機関!」とは言わないだろうなぁとは思っていましたが……。遠き外国の地で、羽目をはずした日本人の夢が醒める瞬間が痛々しい。

④柩

 ベルリンで起きた列車事故で日本人のスパイと思われる男が死んだ。ヘルマン・ヴォルフ大佐は彼がドイツで網を広げているスパイ・マスターであると考え、彼と関係しているスパイたちを一網打尽にすることをもくろむが……。
 ヘルマン・ヴォルフ大佐は実は結城さんと昔バトルした経験がおありでした。祖国に売られた結城中佐はとっさの判断で腕を一本犠牲にして生き延びる道を選びました。すげーー!結城中佐すげーー!!!そしてわざわざドイツに出向いてきてるんだ結城さん。ドライ&クールなイメージの強い結城さんですが、スパイ・マスターとして仕事を貫遂して無くなった真木さんを弔う姿にじーんときます。

⑤ブラックバード

 今でもそうですが、WW2以前も日本人のような有色人種は欧米で差別されることが多かったようです。D機関の仲根晋吾は二重経歴を使ってアメリカの有力者の娘に取り入り、子どもまで儲けることで活動しやすい環境を整えていました。しかし、仕事の相手が自分の実の兄であったことで「とらわれて」しまうのですね。
 情報提供者・ファルコンを追い詰めた仲根でしたが、「とらわれて」しまったことで大事な判断を誤り、そのスパイ生命を絶たれてしまいました。D機関も人間ですからね……失敗することもあるのでしょう。当時のアメリカ人の戦争観ってこんな感じだったんだなぁ。


 前作ほどの切れ味はないかな~という感じですが、時代を生かしたネタが新鮮で面白いです。次回作も早く読みたい~。
 
教育とは何か (岩波新書)/岩波書店

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 最近周りが出産ラッシュということもあり、子供が成長する・教育をつけるとはどういうことなのだろうということに興味があります。管理人です。本人に出産予定どころか男の影すらないのが痛いところ。バレンタインデー?なんじゃそりゃ!!私は家で豚足料理作ってたよ!!!チョコの売り上げに貢献などしてやるものか!!!

 本日の本は大田尭(たかし)さん『教育とは何か』です。1990年の本ですので、ちょうどゆとり教育が浸透した頃でしょうか。少し古い本なのですが、古代から脈々と続いてきた教育というものを的確に捉えたいい本だと感じました。

■そもそもの教育とは?

 今の時代、教育というと学校でいっせいに授業を受けているアレや、両親がお金を出して塾に行かせているアレみたいに、家庭と学校だけで完結しているもの、という印象が強いのではないでしょうか。しかし、古くから子供の誕生とその成長はその家庭のみの財産ではなく、地域や、さらには国全体の財産であり関与するところだったようです。地域ぐるみで子供が一人前になるサポートをいろいろとしてきたんですね。
 当時でいうところの「テスト」は子どもの序列付けをしたり、成績をつけるためのものではなく、一人前の大人になることを皆に要求するものだったのですね。コメニウスでいうところの「すべてのものに、すべてを」つまり、すべての人に等しく教育を施し、すべての人に大人として成長してほしいという根源的な願いがあったわけですね。

■目的意識性

 夏目漱石が『行人』の中で「自分のしている事が、自分の目的(エンド)となっていないほど苦しいことはない」と言っているようですが、本当にこれはそうだなぁと思います。よほど従順で、勉強すること自体が好きな子で無い限り、「学びなさい」といったところで子どもにはまったく響かないのですね。著者も「人間は、その人がかわるのを助けることは出来ても、かえることはできない」と言っています。人を説得によって自分の思うままに成長させようとするのは、無理な話なんですね。
 「生きる力」が必要とされる時代だといわれていますが、この生きる力は結局はこの目的意識性なのかもしれません。目的意識を持つということは、端的に言えば自分のめあてやたくらみといった設計図を頭の中でこしらえ、それを実行に移す能力を養うことにつながるからです。

 なぜ現代においてこのような目的意識が希薄になったかというと、科学技術の進歩によって人が道具や他者に依存するようになったからではないかと筆者は説いています。今私達はスーパーや電話、インターネットがないと満足に食べ物を調達することもできません。自分の手で何かを作ったり、成し遂げたりという体験をあまりしていないんですね。自分の意図を自分の力でやり遂げて、自分の地位や役割を認識する機会が減ってしまっているんです。この考察は確かにそうかもしれないなと思いました。

■教育の自由化とは

 大人たちはややもすると子どもに対して、自分の理想的な人間像を子ども達に押し付けようとしてしまいます。しかし、先ほども言ったように子ども達は自ら「変わる」ことは出来ても、大人達が思い通りに「変える」ことはできないのですね。子どもは多かれ少なかれ特性を持って生まれてきます。スポーツの出来る子、勉強のできる子、障害のある子……その子どもたちに対してあたかも「完璧な人間」というものがいて、それに対して○○が足りていないとするような教育はまったく意味が無いというのですね。そうではなく、一人ひとりが自己の特性を伸ばして生きていけるように、先生や親だけではなくいろんな人が教育に自由に携わって、皆で子どもの成長を見守っていきましょうというのが真の教育の自由化なのですね。
 決して学校を「自由に選ぶ」ことが教育の自由化ではないんです。


 「あー、教育とは確かにこう有るべきかも知れない。理想では」という印象。難しいとは思うけれど。もっといろんな人が教育に関わる機会が増えればいいのになぁとは確かに思います。
 科学技術の発展で便利に、効率的になった代償に、達成感や「なぜ?」を問う内発的な生きる動機が希薄化したという考察には大変納得。私も大きくなるまで親におんぶにだっこされていた世代なので耳が痛いぜ……。親が受験のホテルの手続きをしているところをぼーっと待っている学生って、自分は違ったけれど、よく見る光景かもしれないと思った。子どもは自分の人生を生きていないような気がしますね。