進々堂世界一周 追憶のカシュガル/新潮社

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御手洗潔と進々堂珈琲 (新潮文庫nex)/新潮社

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 皆さんこんにちは。

最近、外見って大事だな。と思い始めた管理人です。小さい頃から今までブスの名をほしいままにしてきた管理人です。思春期以降はこじらせにこじらせ、「ブスは何着ててもブス」という悟りを開き、自前の糞掃衣(洗いすぎて擦り切れたユニクロ)を着ていました。でもね、この歳になってやっとね、気づいた。それが「ブスと身なりは分けて考えろ!」ということなんですね。「ブスは何着てもブス」はこれは世界の真実です。が、汚いブスと小綺麗なブスはやっぱり違うんだなと。思うわけです。すぐに自分の生活を変えることは無理ですが、少しずつアイロンの必要な服なんかを増やしていこうと思います。

 そんなブスがお送りする本日の本は島田荘司御大『進々堂世界一周 追憶のカシュガル』です。最近文庫で出た『御手洗潔と進々堂珈琲』はこの作品の改題なので、間違えて重複購入しないように注意注意ですぞ!!

 舞台は1974年の京都。我らが御手洗さんは世界一周の放浪のたびを終えて、京都大学で脳科学の研究をしている学生さん。御手洗さんいきつけなのが京大北門前の珈琲店『進々堂』。このお店、実在するようですね。食べログに記事が載っていました。瀟洒な洋館のような外観をしている老舗の喫茶店、という感じでしょうか。その進々堂で京大を目指す浪人生「ぼく」は御手洗さんから世界の様々なお話を聞く、というストーリーです。

 もう御手洗さん大スキーの管理人は活字に御手洗という文字が出てくるだけで嬉しいのですが、その御手洗さんが……しゃべってる……物食ってる……動いてる……(五体投地
 正直お話のメインは外国で御手洗さんが出会った人々なので彼の影は薄いのですが、もうね、いいですいいです。御手洗さんがいてくれるだけでいいです。

以下ネタバレ感想

①進々堂ブレンド 1974

 雨の降る日風邪気味の「ぼく」が御手洗さんから借りたヴィックス喉スプレーから、中学生のときの古い記憶がよみがえる短編。日本海の漁村で育った「ぼく」はフィッシャーマンズという海の向こうの酒場を模したお店の女主人に恋をしてしまった。しかし、中学生だった彼にはその恋を実らせることが出来るはずも無く……。

 「差別と誇りと道徳心は実は同じもの」という御手洗さんの言葉に驚きました。綺麗好きな人は確かに汚い習慣を持っている人を軽蔑しますよね。強い差別をする人は、実は強い道徳心があるそうな、うーむ確かに。そして「日本人では若輩者が差別の対象」という言葉は1970年代にも言えたのですね。今でこそ本当にそのとおりだと思いますが、当時もやれ新幹線授業やら受験戦争の過熱やらで若者は疲弊していたのかもしれませんね。
 チンザノ・コークハイはヴィックス喉スプレーの味がするんでしょうか……どっちもやったことないんだよな……。

②シェフィールドの奇跡

 シェフィールドはイングランドの工業都市。

 御手洗さんたちが昼食に入った定食屋で、少し発達に障害のある青年を見たことから話は始まります。シェフィールドで御手洗さんが会ったギャリーという青年は学習障害を持っていましたが、体格が大きく、重量挙げの才能を持っていました。少し競技のスタートが年齢的に遅れはしたけれど、このまま練習を積めばイングランド代表だって夢ではないかもしれません。しかし、障害を持ったギャリーのコーチは嫌がられました。重量挙げは一歩間違えれば大怪我をするスポーツだし、万一のことがあったら……と考えるコーチの気持ちもなんとなく分かります。
 最後の最後にお願いしに行ったレオンというコーチにも首を横に振られ、憤懣やるかたない気持ちでギャリーとその父親が彼の元を去ろうとしたそのとき、大きな地震が起こります。そして防災用のシャッターが、倒れたレオンの上に落ちてきてしまいます。シャッターの重さは350ポンド、ギャリーの目指す重量挙げの重さと同じです。彼は持ち上げることが出来るのか……?

 ちょっとシャッターの空気の読めすぎな感じに笑ってしまいましたw
 健常者がそうではない人の可能性を勝手に決めてしまうのは傲慢ですよね。怪我やトラブルなんてものは健常者でもありうることなのだし。○○だから出来ない、じゃなくてこうやったらできるって考えられるようになりたいものです。

③戻り橋と悲願花

 京都は一条にある戻り橋は、陰陽師である安部清明がその下に式神を隠していたというのが有名ですよね。この戻り橋は行っても必ず帰ってこられると、出兵のときに好んでお見送りの場所に選ばれたのだとか。今回はこの戻り橋にも咲いている悲願花のお話。

 1970年代といえばまだまだ戦争の傷跡がリアルに残っていた時代だったのでしょう。御手洗さんが話すのは朝鮮から日本につれてこられ「風船爆弾」を作らされた幼い姉弟のお話。風船爆弾って初めて太平洋を横断したかなりすごい武器だったようです。原理は至極簡単で、日本からアメリカに向いて吹く強い偏西風にのせて、爆弾つきの気球を流すというもの。材料は和紙と爆弾だったので大量に作れたことから、それなりの脅威として恐れられたようです。
 しかし作らされる少女達にとってはたまったものではないですよね。食べるものも食べさせられず、体が動かなくなってきたらヒロポン(覚せい剤)を飲まされて作業をやらされたようです。姉へのひどい仕打ちに耐えられなくなったビョンホンは、日本兵に悲願花の球根を食べさせて復讐しようと考えますが……。

 彼岸花は天国に咲いている蓮以外の唯一の花だそうですが、遠きアメリカの地に一面にさいた景色はそれはそれはすばらしいのでしょうね。

④追憶のカシュガル

 カシュガルは中国の西南に位置する町。その町に咲く昔ながらの桜と、日本に狂い咲くソメイヨシノのお話。

 日本で「桜」というとソメイヨシノをイメージしてしまいますよね。でもアレは江戸時代にたった一本偶然出来た異端な品種だそうな。その一本をクローンにしてそこら中に植えたのが、今皆さんが春に目にする桜たち。そろそろ寿命が来るそうで、日本の街から一気に桜が消えてしまう日が来るのかもしれません。

 カシュガルで御手洗さんが出会った一人の老人。かれは美しい英国英語を話し、教養もあるのになぜか街の皆に避けられて軽蔑されていた。その影には彼が昔イギリスのスパイであった事実が隠されていました。イギリス人に利用され、民族の誇りを奪われた老人は、古くからモンゴルや清、西欧諸国に蹂躙されたカシュガルの土地そのものをあらわしているのでしょう。



 私は1980年代生まれなので1970年の記憶は残念ながらないのですが、今おじいちゃんおばあちゃんの人たちはこういう時代を生きてきたのかなぁと思いました。御手洗成分が薄かったのが少し残念ですが、島田さんの作品はやっぱり面白いです。
ジョーカー・ゲーム (角川文庫)/KADOKAWA/角川書店

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 最近、刀剣乱舞というゲームがはやっていると聞きました。
何でも、歴史上の人物が使った刀が擬人化されてそれを集めたり、戦わせたりするゲームなのだとか。沖田総司が使っていた刀や、坂本竜馬が持っていた刀が出てくるらしい。早速三島由紀夫がムッキムキの裸体と一緒に写真に写っている刀を探したのですが、まだ無いみたいです。彼が出てきたら、やってみようかと思います。

 さて、本日の本は柳広司さん『ジョーカー・ゲーム』です。
亀梨さん主演で絶賛映画公開中だそうな。

 舞台は第二次世界大戦(だよね?)の日本。陸軍内に極秘に設立されたスパイ養成機関、通称”D機関"。設立者は魔術師のごとき手腕で諜報戦を勝ち抜いてきた結城中佐、通称”魔王”。D機関に所属するものはいわゆる陸軍士官学校の卒業生ではなく、帝大や慶応早稲田といった一般の大学を卒業した人たち。教育勅語が浸透しきった家父長制を重んじる大日本帝国においてそれをものともせず、自ら自負心だけをもって、驚異的な能力を発揮し任務を遂行する超人的な組織でありました。本作はその機関の名も分からぬスパイたちが担当してきた事件の短編集です。

 どうでもいいけど日本ってあんまりスパイ小説が浸透しないですよね。スパイというものになじみが無いからなのか。まぁそもそもスパイなんて目立っちゃいけないのだからエンタメにはすこぶる不利な素材なんでしょうけど。スパイ七つ道具とかものすごい興奮するのに、日本を代表するスパイキャラってあんまりいないですよね。

 映画では結城中佐を伊勢谷友介さんがやられているんですが、原作では彼は50歳くらいの結構初老のおじさまなのですね。と言ってもスラリとした体躯にステッキをついた萌え満載のダンディなんですけど。

以下ネタバレ感想

①ジョーカー・ゲーム

アメリカ人技師 ジョン・ゴードンが暗号表を隠したのはどこ?

 D機関の入隊試験やばすぎwwwwwサイパン島の位置はギリ分かったとしても探すよwww私なら永遠に探すよwww地図の下なんて見てられるかぁ!建物の中くらい自由に歩かせろおお!(失格
 本作ではアメリカ人のゴードンという人物にスパイの容疑がかけられ、D機関はその証拠をあげなければならないというお話。この短さで当時の軍隊と天皇の関係と対比させながらD機関を描きつつ、それをトリックのネタにするという鮮やかさ。精神的盲点はスパイには許されないのですね。結城中佐の大胆すぎる変装がすげぇ……。

②幽霊(ゴースト)

英国領事館総領事 アーネスト・グラハムはスパイなのか?

 英国領事館に蒲生次郎として潜入したD機関の人間によると心象は限りなくシロ。しかし、状況的には限りなくクロ。しかし、スパイの世界に「限りなく」はあってはならない。一体どうやって証拠を挙げるのかというお話。
 結局グラハムは気づかぬうちにスパイの片棒を担がされていただけだとわかって、彼は何も知らずに本国に帰ることになるのだけれど、蒲生次郎の正体に気づいたとき彼はどう思うんでしょう。

③ロビンソン

伊沢和男がイギリス諜報部からどうやって逃げ出したのか?

 前田弥太郎という写真家の甥っ子である伊沢のふりをして諜報活動にいそしむD機関員。しかし、新人の外交官がぽろりとD機関のことを口を滑らせて話してしまい、伊沢は英国諜報部のスパイ・マスターであるハワード・マークス大佐に捕まってしまう。(あのジェームズ・ボンドもこの人の部下にいたと思うとちょっと面白いね……)
 伊沢は自白剤を注射され、秘密を話してしまったことで英国のスパイになる道を選ばざるを得なくなる。日本を撹乱させる情報を一言一句送信させられた伊沢はその後すぐに脱出への動きを開始する。
 モールス信号を送るときにわざと間違えるというテクニックが本当にあったそうですね。な、なるほど頭いいな!!問題は緊張しすぎて本当に間違えないようにしなきゃってことですけど。わざと伊沢を泳がせたマークス大佐もすごいな!と思いましたが、深層意識に訴える結城中佐の作戦のほうが一枚上手でした。眠れるスパイってかっこいいな!!スパイであることすら忘れそうなくらい出番なさそうだけど!!!

④魔都

上海派遣憲兵隊の中にまぎれた敵の内通者は一体誰?

 上海に来て三ヶ月の本間憲兵軍曹。彼が上海派遣憲兵隊の中の内通者を探せと及川大尉に命令された。前任の宮田伍長はどうやら何者かによって消されたらしい。話をもらった直後、及川大尉の自宅が何者かに爆破された。一体内通者は誰なのか?
 今回はD機関の人間が主役なのではなく、彼の推理を影ながら導く役。慣れない気候・環境・言語の中で人はゆっくりと狂っていってしまうのでしょうか。なんとも後味のわるい一遍。

⑤XX

ドイツ人の二重スパイ カール・シュナイダーの死因は?

 地味であることが必要条件であるスパイであるが、派手な生活を装うことで逆に目をくらますタイプもいるらしい。シュナイダーは日本を拠点にソ連とドイツの二重スパイを演じていた重要人物。彼が自宅で死んでいるのが発見された。前から彼を追っていたD機関の飛崎は、その死の原因が分からずにいた。結城はD機関のほかの人間を使って情報を集めるが……。
 飛崎のアレだけの証言と生い立ちから過去の女性に「とらわれていた」ことを見抜いた結城中佐はほんと魔王としか言いようがない観察力をお持ちです。このことに自分の限界を感じた飛崎さんはD機関を去る決断をしますが、それは同時にD機関の秘密が漏れないように最前線に送られるということを示していました。軍服も敬礼も普段から徹底的に排除してきた結城が、敬礼でかつての研修生を送り出さねばならないのは皮肉ですね。

 この魔王・結城中佐のモデルはソ連の諜報活動によって活躍し、ソ連でその生涯を終えた秋草俊という方だそうです。wikiを見たら超人的なシュッとした人というよりは、ほんとどこにでもいそうな朴訥とした青年の写真が載っていたのですが、リアルスパイはやっぱりこれくらい普通じゃないとダメなんでしょうね。伊勢谷友介が近くにいたらスパイじゃ無くても見ちゃうもんね。顔もイケメンだからすぐ覚えちゃうし。
悼む人/文藝春秋

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 本日の本は天童荒太さん『悼む人』です。

 ところで皆さん「悼む」って読めますか?
管理人は読めませんでした。正解は「いたむ」です。
意味は分かりますか?
管理人は分かりませんでした。
辞書には「人の死を悲しみ嘆く」とあります。
本書の使い方としては「人の死を心の中に留め置く」くらいのニュアンスで使われていると思います。
このね、私の国語力の無さ。お前は国語の授業のときに何をしていたのだと、お叱りを受けてもしょうがないこの体たらくなんですけど、めげずに読書を楽しもうと思います。

 「悼む人」と呼ばれる坂築静人はその名のとおり、人の死を悼む人。いったい誰の死を悼んでいるのかというとすべての人なんです。火災のあった民家で無くなったご夫婦、チンピラ同士の喧嘩で死んだ男、暴力を振るわれて殺された少年、見聞きしたすべての人の死を悼んで回っているのです。
 彼を中心に、彼の生い立ちを知る余命わずかな母親・巡子、かつてそのエグすぎる記事にエグノというあだ名をつけられた下品の権化のような新聞記者・蒔野、そしてかつて愛した夫をその手で殺した謎の女・倖世の物語が紡がれていきます。彼はなぜ人を悼むようになったのか、彼に出会った人はどのように変わってゆくのか、普段見えているようで見えていない「人の死」というもののひとつの捕らえ方を提示してくれる作品です。

以下ネタバレ感想

■蒔野について

 この小説は年齢や性別や生い立ちによってきっと誰に感情移入するかが変わるのではないでしょうか。私はドンピシャ蒔野に感情移入してしまいました。もちろん私がかつて結婚していて離婚しているわけではないのですが、私にも家族を捨てて女と蒸発した父がいるもので、彼も死に際に蒔野の父親のようになるのかしらとふと思ったからなんですね。
 「悼む人」は無くなった方が生前「誰を愛し、誰に愛され、誰に感謝されたのか」ということだけを心にとどめおくのですが、蒔野にとってクズも同然だった父親にはそんな余地が残されていてはいけないんですよね。理々子のいうように彼を憎んでいた自分の過去が無駄になるし、自分の今の精神の安定はその上になりたっているから。今際の際に蒔野に会いたいという父親に、結局蒔野は会いに行かなかったんですけど、私は「よくやったエグノ!!お前、会いにいかなくて正解だからな!!死ぬ前に肩の荷を降ろさせてたまるか!!」と思わず応援してしまいました。
 でも死んだ後で蒔野は彼を許してあげる準備が整うんですね。まだきっと許せてはいないのだけど。それは憎み続けられなかった自分をも許すという痛いプロセスだろうと思うのですが、その気持ちがほんの少しだけ分かった気がします。私もいつか許せる日がくるのでしょうか。

■倖世と朔也について

 幼いころの体験ゆえに神も仏もこの世にはいない、人の愛は結局は執着だと早い段階で悟ってしまった朔也と、愛というものが分からずにこれが愛なのかと迷い続ける倖世は非常に好対照で興味深いです。朔也は倖世に自分を殺させることで、倖世が自分に執着してる(=愛している)ということを証明してほしかったのですね。彼自身はとても賢い方だったので、愛というものを細かく細かく定義しすぎたのか、自分の倖世への愛ももうよくわからなくなっていて、そういう壮大な試し行為のような形で発露してしまったのかもしれません。
 愛というものに定義などなくて、独りよがりでも間違った伝わり方でも受け取る人が愛だと感じれば愛だといっているのでしょうか。

■静人について

 彼の行為が理解できずにこの小説苦手!!っていうひとは結構いるんじゃないでしょうか。私も終わりまで読んで結局分からずじまいでした。作者さんによるとこのお話の発端は
「多くの人々の死にふれ、悲しみを背負いすぎて、倒れてしまった人」
「何もする気にはなれず、ただただ悼んでいる」
というメモだったそうですので。物語の初期の静人はまだこの段階を引きずっているように書かれているのかもしれません。悼むことを続ける中で、悼むということを三つのポイントに絞り、必要以上の感情移入をせずにドライになっていく静人なのですが、関係者からするとこのドライということがありがたいのかもしれません。結局は他人ですから、死んだ人自信の気持ちになることはできません。同情したところでそれは想像の範囲を越える訳ではなく、それこそ偽善的なものになってしまうでしょう。
 なんか分かったような気になりましたけど、この人ほんとよくわからない。印象がばらっばら。倖世のことをね、好きになっちゃうのも自然なことだと思う。悼みに集中しろよお前とも思わない。始めから悼みは彼のただの自己満足にすぎないのだから。一貫している必要も無いと思う。でもなんだろう。悼み、悼み、セックス、悼み、悼み、セックスの工程を見せられて喪女は一体なにを感じればよかったんだろう……。多分ね、過去の執着からの脱出だとか、新たな生への希望とかいろいろ意味があるんだろうけど、このシュールさに私はなぜか笑ってしまいました。ほんと作者さん、すいませんこんな読者で。

■巡子について

 私はきっと巡子の気持ちを察するには年齢も環境も境遇も違いすぎました。ただ、宗教というものにアレルギーを持っている人にとっては、彼女の旅立ちの描写はきっとひとつの力になってくれるのだろうなと思いました。

 この作品、2月14日から堤幸彦監督による映画が公開されるようです。
映画ならより理解が深まるかしら。機会があれば行ってみたいと思います。