笛で祈ったり、迫害について考えたりした件 | 笛吹きの備忘録

笛吹きの備忘録

おばあさんのモノワスレ対策ブログです。
アマチュア楽団でフルートを吹いています。
お芝居が大好き!
母の着物をリメイクして、着る(ここ大事♪)ことを老後のミッションと決めました。

一昨年の12月から始めた「黙想と祈りの集い~テゼの音楽と共に」は、quarterly開催(3カ月に1度)で続けております。

⤵️これは初回ですね。
⤵️これが1年後の5回目です。

…で、3月9日に6回目の集いを開催いたしました。
毎回、30人ほどが参加されるようになって、定着してきたな~と嬉しく思っております。

⤵️これは準備しているところ…。
祭壇にイコンを飾り、ロウソクをたくさんセットします。
参加者の皆さんが積極的にお手伝いしてくださって、イコンをもうちょっと右、いや左、ロウソクは大きいほうが良い、いや大きすぎる等々、準備も楽しいです。

はい、出来上がり🎵


楽器演奏チームは、ハープさんが一人増えました。
まだちょっと緊張されてるようで、練習に余念なし…。
フルート担当の私は、写真撮ってるくらいですから余裕のよっちゃんです、うふふ…。

そして「イコンを書く会」から、毎回、ご提供いただいている手作りイコンです。

このイコンは「絶えざる御助けの聖母」と呼ばれていて、原画はローマの聖アルフォンソ・デ・リゴリ教会にあります。

聖アルフォンソ教会は、ローマ観光ツアーには組み込まれてないかもしれませんが、美しい教会です。

玄関扉の上に、この聖画を象った装飾があります。

原画は聖堂内の

とても古い聖画で、オスマン・トルコのイスラム教支配から逃れてきた無名の画家が、ギリシャのクレタ島で、信仰の支えとして描いたと言われています。
15世紀中ごろに、ローマの聖マタイ聖堂に移されたのですが、300年後の1798年に、フランス革命の余波を受け聖マタイ聖堂は破壊され、絵も行方不明になってしまいます。
それが65年後の1863年に発見され、現在は、聖マタイ聖堂の跡地に建てられた聖アルフォンソ・デ・リゴリ教会に掲げられているのです。
この数奇な遍歴には、何度もマリアさまのお告げや出現などの奇跡があったそうで(事実か伝承かについてはサラッと受け流してくださいね)、大河ドラマみたいな物語を持つ聖画なのですよ。

では、どんな聖画なのか、ここからはウンチクです。
マリアさまが抱っこしてるのは、もちろんイエスさまで、その頭上に天使(青丸で囲ってます)が描かれていますよね。
向かって右の天使は手に「十字架」「釘」を持っています。左の天使は「槍」「胆汁の器」「海綿を刺した草の茎」を持っています。

天使のアイテムと言えば楽器や花が定番なのに、このアイテムは何?  いったいどんなクエスト…?って思いますよね。

謎は聖書を読めば、すぐに解けます。
Googleで「ヨハネによる福音書19章」と検索してみてください。

以下、めちゃくちゃザックリした要約です…。
イエスは、「十字架」につけられ「釘」を打たれます。
そのとき兵士は、胆汁」を混ぜたぶどう酒を飲ませようとします。当時の麻酔のようなもので、苦痛を和らげるのですが、イエスは拒否します。
いよいよ最期というとき、イエスは「渇く」と言います。傍らにいた人々が「海綿」に酢を含ませ「葦の棒」に付けてイエスの口元に差し出します。イエスはこの酢を受け取り「成し遂げられた」と言って息を引き取ります。
そして、死を確かめるために兵士がイエスのわき腹を「槍」で刺します。

つまり天使の持ち物は、これからイエスさまが経験する苦難を表していて、幼いイエスさまも、母になったばかりのマリアさまも、すでに自分たちの運命を知っていた…と、この聖画は伝えているのです。
そう思って絵をじっくり見ると、マリアさまの決然としたまなざし、たなごころを合わせて(合掌するように)、しっかりとマリアさまの手を握っているイエスさまの小さな手など、想像をかきたてますね。

600年前、オスマン帝国によって迫害を受けていたキリスト教徒は、この聖画を崇敬し、マリアさまへの信頼を誓ったのでしょう。

絵の下の方を見ると、脱げかかっている履き物(緑の丸で囲ってます)が描かれています。
⤵️拡大してみました。
幼いイエスさまは、ご自分の運命という、とんでもなく怖いものを見て、履き物が脱げちゃうほど必死に走ってマリアさまに抱きついたのでしょうか。
でも、履き物は脱げず、たった1本の紐でイエスさまと繋がっています。
この履き物は、イエス・キリストを信じる人々の心を象徴していると言われています。

カトリック教会では、2月14日から3月28日までを四旬節といって、イエスさまの受難に心を合わせ、自分の生活を振り返り、節制と回心に努める期間としています。
その四旬節にふさわしいイコンを提供していただきました。

今も、さまざまな困難に遭っている人々がいます。知らん顔をしない、たった1本の紐のようであれ、つながりを意識しようと、強く思った3月の集いでした。