アジアのお坊さん 番外編 -19ページ目

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

乱歩の中絶作「悪霊」の解決編を「明智小五郎対金田一耕助」や「金田一耕助、パノラマ島へ行く」といったパスティーシュ作品を手掛けた芦辺拓氏の手で是非にと、このブログに書かせて頂いたのが10年ほど前のことだ。

 

今年の初めに芦辺氏が「乱歩殺人事件 「悪霊」ふたたび」という著作を出しておられたことに、遅ればせながら気が付いた。

 

貯めておいた頂き物の図書券で先日やっと購入し、ようやく読ませて頂いたのだが、なるほど、なるほど、これはもう、申し分のない決定打、芦辺氏のあとがきに評論家の新保博久氏に相談したら、今さらそんなものをと言われたそうで、如何にも訳知り顔の新保氏が言いそうなお言葉ながら、我ら乱歩ファンとしては、その長年の夢を達成して下さった、芦辺氏の稚気と力量にこそ、大いに感服した次第。

 

                   おしまい。

 

 

※日本人上座部僧・三橋円寒ヴィプラティッサ比丘が日本語訳された、タイの高僧・プッタタート比丘の「仏教人生読本」「観息正念」PDF版を「ホームページ アジアのお坊さん 本編」上に公開しております。

日本人上座部僧・三橋円寒ヴィプラティッサ比丘が訳された、タイの高僧プッタタート比丘の「仏教人生読本」「観息正念」を、2024年9月中旬より「ホームページ アジアのお坊さん 本編」上で公開しております。

 

タイの高僧プッタタート比丘には大量の著作がありますが、三橋師は「Handbook for mankind」を「仏教人生読本」というタイトルで、「Mindfulness with Breathing」を「観息正念」というタイトルで、それぞれ日本語に訳されました。

 

実際の修行方法を説いた「観息正念」に対し、「仏教人生読本」の方は、仏教とは何かという大きなテーマの下に、色受想行識の五蘊についての詳しい説明と、そこからさらに涅槃に至る様々な瞑想状態の解説を含んでいます。

 

三橋師は「人生読本」「観息正念」の順で翻訳を終えられましたから、師の後書きや解説を読むには順序通りに読むのが理解しやすいですが、内容的には坐禅瞑想の独修に適した手引書「観息正念」の方が取っ付きやすいかも知れません。

 

いずれにしても、どうか一人でも多くの方がこの2つの著作に触れ、ブッダの教えを体得されますように。

                        合掌

優れた奇術家にしてミステリ作家でもある泡坂妻夫師のシリーズ探偵の一人・「ヨギ ガンジー」のことが、私は余り好きではなかった。それまで読んで来た泡坂師の珠玉の初期作品群と比較して、どうしてもこのシリーズの、特に短編が小粒に見えてしまったということがまず一つ。

 

次に探偵役であるヨギ ガンジーの不自然な関西弁が全く面白くないこと。松田道弘氏が、ジョン・ディクスン・カーのイギリス人特有のドタバタ調のギャグが、文章で読んでもうるさいばかりで楽しめないと書いておられるが、大好きな泡坂師(奇術家であることを考慮して、敬称は「氏」ではなく「師」を付けさせて頂いている)にこんな失礼なことを言いたくはないのだけれど、他の追随を許さない泡坂師の小説の中で唯一の欠点が、ヨギ ガンジー・シリーズ以外の作品にも頻出する、くどくてベタなギャグ会話の部分だと私は思う。

 

最後にもう一つの理由が、ヨギ ガンジー・シリーズの長編である「しあわせの書」が、やたらとプロの作家・評論家や一般の読者に持ち上げられていること。もちろん私も初読の時には十分に感服し驚きもした「しあわせの書」だけれど、最近の再評価も含めて余りに色々な方がこの本の仕掛けをほめそやすので、偏屈な私は却ってこの本を読み返そうとは思わなくなっていた。

 

ところが最近、「泡坂妻夫引退公演 手妻編」の中の、奇術の出て来る短編を読み返したついでに、他の収録作品も全部読んでみたのだが、その中に単行本収録から漏れたヨギ ガンジー物が3篇あって、読んでみたら意外と面白かったので、試しに「ヨギ ガンジーの妖術」と「しあわせの書」を読み直してみることにした。

 

そうしたら、まず短編集である「ヨギ ガンジーの妖術」は伏線やテーマも楽しめるひねりの効いた内容だし、「しあわせの書」は例の大仕掛けもさることながら、仕掛けを成立させるために無理に作ったストーリーのように以前は感じたのに、今回読んだら、新興宗教を追い詰める活劇的展開までが面白く、十分に楽しめた。

 

思えば、以前に読んだのが二十歳前後の頃なので、おそらくは年を取った自分に、物語を楽しむ余裕が出来たのかなと思う。

 

日本人上座部僧・三橋円寒ヴィプラティッサ比丘が訳された、

タイの高僧プッタタート比丘の「仏教人生読本」「観息正念」を

「ホームページ アジアのお坊さん 本編」上で公開しております。

 

 

両手を打てば音がある、では片手に何の音声があるかという禅の公案「隻手音声(せきしゅおんじょう)」について人に聞かれた。

 

どう答えると正解なんですか? こういう風に答えればいいんでしょうか? といったことをその方が仰るので、パズルやジョークのような、気の利いた解答や頓智を求めないのが公案ですよと申し上げたら、そうかなるほどと、納得して下さった。

 

ただ、公案というのは周知の如く、インド仏教発祥ではなく中国仏教の創案になるもので、禅僧の方たちですらこれを解説しようとすると、ついつい、理屈を捏ねたり、知識をひけらかしたりになってしまいがちな、諸刃の剣だと私は思う。

 

ところで話は全然違うのだけれど、片手に何かを持っていて合掌できない時にもう一方の手だけで礼をすることを「半掌」などと呼び、世間ではこれを「片手合掌」とか「片手拝み」などと呼んでいるようだ(両手を合わせていないので、厳密に言えば「片手合掌」という言葉は相応しくないが)。

 

私は合掌という作法が好きで、片手に物を持っている時でも出来る限りは半掌する。両手が空いていて合掌する時には、状況にも依るけれど、なるべくならば金剛合掌を行うように心掛けている。合掌は心を調えるための、有効な手段だからだ。

 

 

 

               おしまい。

 

 

日本人上座部僧・三橋円寒ヴィプラティッサ比丘が訳された、

タイの高僧プッタタート比丘の「仏教人生読本」「観息正念」を

「ホームページ アジアのお坊さん 本編」上で公開しております。

 

子供の頃に読んでいた角川文庫の「十字路」の巻末に、乱歩の中絶作「悪霊」が収められていた。飛び切り魅力的な謎なのに、犯人もトリックも不明なまま未完なので、子供なりに解決篇を色々と考えてみたものだ。

 

その後に乱歩の随筆「探偵小説の謎」を読んだら、巻末に自伝「探偵小説三十年」(後に「探偵小説四十年」と改題)の目次が載っていて、その最後の章題が「中絶作「悪霊」」となっている。

 

もしかしたらそこに「悪霊」の秘密が明かされているかも知れないと思ったものの、実際に詠んだら中絶した経緯が書かれているだけでがっかりしてから幾星霜、誰か優秀なミステリ作家が解決篇を書き継いでくれないものかと思い、出来るなら「明智小五郎対金田一耕助」などのパスティーシュ作品を手掛けた芦辺拓氏の手で「悪霊」の解決編をと、このブログに書かせて頂いたのが10年ほど前のことだ。

 

ところが先日、久々に書店を訪ねて探偵小説の棚を見たら、まず今井K氏の「江戸川乱歩 『悪霊』<完結版>」なる作品が去年の4月に出ていたことを発見した。

 

そこでもしやと思って芦辺氏の単行本の棚を見たら、「乱歩殺人事件 「悪霊」ふたたび」という氏の著作が今年の1月に出ていることに気が付いて、遂にその日が来たのかと感動した次第。その後のことは追ってご報告致します。

 

                   おしまい。

 

 

※日本人上座部僧・三橋円寒ヴィプラティッサ比丘が日本語訳された、タイの高僧・プッタタート比丘の「仏教人生読本」「観息正念」PDF版を「ホームページ アジアのお坊さん 本編」上に公開しております。