沙羅双樹の花の色 | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

仏教学者・佐々木閑氏の「ゴータマは、いかにしてブッダとなったのか」という新書を読んでみたところ、内容はさして面白くもなかったのだが、インドのクシナガラにおけるブッダの入滅に関して「もっとも私は沙羅の木を見たことがないので、どんな花の色なのか知らないんですけどね」みたいなことが書いてあったので気になった。

 

講演録風な口調に編集された文体なので、元のニュアンスは分からないものの、インド通を以て知られる今を時めく仏教学者のお言葉にしては、少々寂しいなと思ったものだ。

 

ちょうどその頃、ある方のお家の庭で沙羅の花を拝見したのだが、もちろんそれは日本での話なので、その木はインドのサーラ樹(ヒンディー語ではシャール)ではなく、日本で沙羅双樹と呼ばれている夏椿(ナツツバキ)だったのだけれど、さて、それならばと思って、インドの植物や花のことにかけては他の追随を許さぬ西岡直樹氏の「インド花綴り」を図書館で借りて調べてみたところ、サーラ樹の花の色は淡いクリーム色だと書いてあった。

 

そしてそこには、沙羅の花は春に咲くので、ブッダの死に際して沙羅双樹が時ならぬ花を咲かせたとあるのは、雨期が明けた三ヶ月後にブッダが亡くなったという記述によれば、本来、沙羅の花が咲いていない12月頃の出来事なので記述に間違いがないことになる、ということも書いてあった。

 

ところで「インド花綴り」には中村元訳の「ブッダ最後の旅」のことも出て来るが、中村博士が「ブッダ最後の旅」の注釈に「私は12月や1月の乾期に何度もインドに行っているがいろんな花がたくさん咲いている。この時期に花がない訳ではない。だから、この経典の記述は、ブッダの死に際してそこに生えていた沙羅の木の花が突然咲いたという奇跡を述べているに過ぎない」と書いておられることに、西岡氏は触れていない。

 

中村博士の業績がインド通を以て知られるくらいでは済まないほどに多大で偉大なものであるにしても、限られたご自身の見聞を基に不確かな推測を述べるのは如何なものかと私は思うが、たぶん博士は沙羅の花がその時期には咲かないことをお確かめにならずにその文章を書かれたのだろう。そして、慎み深い西岡氏は、敢えてご自身の著書の中でそのことに触れなかったのだろうなと、秘かに思ってみたりする。

 

 

                  おしまい。

 

※写真は何年か前の1月にクシナガラの涅槃堂を訪れた時の写真です。

 

※過去ブログ「沙羅双樹あれこれ」もご覧ください。

 

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