改めてアジアの尼僧さんについて | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

アジアにおける尼僧事情についての過去記事を再録しようと思ったのは、天台宗の尼僧である勝本華蓮師の著作「尼さんはつらいよ」を遅ればせながら読ませて頂いたからで、私の姉弟子に当たる尼僧さんからこの方のことをお聞きしたことがあったのをふと思い出し、何となく手に取ってみたのだが、とても面白かった。

 

天台宗や他宗の尼僧寺院の楽屋噺だけでなく、アジアにおける比丘尼事情についてもアジアの寺院で見聞した実体験と仏教学者としての見解の両面から触れてあったので、この機会に拙ブログのアジア尼僧記事も、是非推敲してみようと思った次第だ。

 

さて、「世界各国の尼僧及び仏教における女性修行者とジェンダー」というテーマの学術研究は、取り敢えずこの世にたくさん存在する。

 

そもそも先ず、ブッダが比丘尼サンガの創設を一旦はためらったという歴史こそが尼僧という存在の特殊性をよく表しているが、尼僧の世界に男僧と違った諸問題が内在することは、日本仏教界のみならず、現在のテーラワーダ(上座部)仏教、中国系仏教、チベット系仏教においても変わらない状況だ。

 

ブッダの決断によって成立した比丘尼サンガは、結局のところ、上座部仏教においては11世紀頃に滅んだ。タイのメーチーやミャンマーのティラシンを始めとする、上座部仏教各国で現在見かける剃髪した女性修行者たちは、比丘尼の法統を正式に継ぐものではないため、女性の「僧侶」「比丘」であるとは見なされていない。

 

ただ、上座部仏教やテーラワーダ仏教に関する情報が今のように溢れてはいなかった時代においてすら、タイのメーチーやミャンマーのティラシンたちは、正式な比丘尼でないとは言っても、日本の僧侶よりもよほど出家者らしい生活をしていると、タイやミャンマーを旅行した日本の男僧さんたちの旅行記などに、よく書いてあったものだ。

 

さらにテーラワーダ仏教に関する情報が1990年代以降、日本でも急速に溢れ出し、比丘尼やメーチーに関する研究も多くなり、テーラワーダ修行をする日本人男性僧侶ほどの比率ではないにしろ、タイやスリランカなどでメーチーなどの一時出家体験をする日本人女性(尼僧さん、及び学者さんを含む一般女性)も増えて来た。

 

一方で、大乗仏教の比丘尼制度は途絶えず存続しているので、正式な比丘尼となりたい女性仏教徒が台湾などで受戒することは以前からよくあった。そして台湾や韓国の大乗比丘尼たちの活動は、スリランカなどの比丘尼運動とも連動しつつある。

 

1996年にスリランカ仏教界において韓国曹渓宗の協力の下に比丘尼制度の復興が成し遂げられ、その後、2001年にタイ人女性がスリランカで得度し、タイにも黄衣の比丘尼が存在することになった。タイ人比丘尼の誕生に関しては、2000年代の初頭に、日本の新聞にも何度か記事が載っていたものだ。

 

そのあたりの事情を踏まえた上での比丘尼制度復興問題や、スリランカのダサシルマーターやタイのメーチーのような女性修行者に関する伊藤友美氏の非常に詳しい研究はインターネット上でも閲覧できるし、その概要とも言える伊藤氏の論考が「挑戦する仏教」(法蔵館)という書籍に収められてもいる。

 

私事ながら、スリランカ人比丘尼誕生に関する重要事項でもある、1998年のインドのブッダガヤにおける、台湾の佛光山主催の国際尼僧受戒会開催当時、私はブッダガヤ日本寺に駐在中で、駐在主任だった三橋ヴプラティッサ比丘と一緒にブッダガヤ台湾寺での受戒会法要に招待して頂いたり、受戒会に参加するために日本寺に止宿した年配の日本人尼僧さんたちのお世話を、駐在同期のH師たちと共にさせて頂いたりしたことを、今も懐かしく思い出す。

 

 

 

 

 

※写真はタイの在家仏教徒人形。髪のある女性仏教徒はタイ語で「メーチー・ポム」(ポムはタイ語で髪の毛のこと)と言います。タイのメーチーやメーチー・ポムは白衣を身にまといますが、ミャンマーのティラシンは薄いピンクの衣を身に着けています。

 

「ホームページ お坊さんの呼び方 メーチー」も是非ご覧ください。