アジアの民衆坐禅 | アジアのお坊さん 番外編

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旅とアジアと仏教の三題噺

ガザで人質になっていたタイ人女性が解放された時の日本のニュースでの字幕が「目をつぶって心を落ち着かせていました。祈ることだけが唯一の心のよりどころでした」となっていたのだが、その女性はタイ語で「ナン・サマーティー นั่ง สมาธิ」という言葉を2回繰り返し口にしていた。

 

「禅定」を表すサンスクリット語やパーリ語の「サマーディー」のタイ語訛りが「サマーティー」で、そこに「坐る」という意味の「ナン」を冠して坐禅や瞑想のことをタイ語では「ナン・サマーティ」と言う。

 

ちなみに2018年にタイで起きた洞窟遭難事件において、サッカークラブの少年たちが出家経験のある教師の指導の下、坐禅瞑想によって心を落ち着かせていたというニュースも記憶に新しい。

「映画 The CAVE と瞑想のこと」 

 

また、政治犯として収監中のミャンマーの女医マ・ティーダ氏の心を支えたのも、独房での1日20時間に及ぶ瞑想だったという。

 

現在のテーラワーダ仏教圏の一般大衆の中に、坐禅瞑想やその基盤にあるブッダの教えが如何にごく自然に普通に根付いているか、そしてそれが我々の苦しみを取り除くのに如何に有効かということを、何とか日本の人たちに伝えることが出来たらと思う。

 

 

               おしまい。

 

※画像は「サマーティー สมาธิ」と書いたタイ語の本。

 

「ホームページ アジアの瞑想」もご覧ください。

 

※ブッダの教えを説いたプッタタート比丘の「仏教人生読本」よりも、ブッダの瞑想実践の方法を説いた「観息正念」の方が読みやすいかも知れませんが、「人生読本」を先にがんばって読了してから読んだなら、「観息正念」の内容がとてもよく理解できるかと思います。