先日も書かせて頂いたのだが、私はお寺の生まれではないのにお坊さんになりたくて、今の師匠のお寺に飛び込んで得度させて頂いた。
そしてそのままでは何も分からなかろうという師匠の命で、本山である比叡山で正式な修行をする前に、京都のお寺で前行としての小僧修行をさせて頂いた。
そのお寺では日曜ごとに坐禅会が行われていて、小僧の一人が坐禅会の最中に厨房で粥を炊き、坐禅の後に供することになっていた。
普段の食事は禅寺のようなきちんとした精進料理を食するのではなく、あるだけの乏しい食材を工夫してその日の当番が調理していたので、ちょっとしたコツを教えて頂いたりする以外、料理はそれぞれ自己流に近く、今の私が人より上手に作れるのは、その白粥くらいのものだ。
先日、「修行僧の持ち物の歴史」という本を読み直していたら、「修行僧の持ち物としての薬」といった内容の章があり、薬としての粥についても書かれていた。
そこに我々が粥を食する時に唱える「粥の十利(粥の10か条の効能)」という偈文の出典が事細かに説かれていたので、ふとそんなことを思い出した次第。
※附:アジアのお粥あれこれ
・タイや台湾や韓国にも、それぞれ自国のおいしいお粥があるし、インドにもキール(乳粥)のような米を使ったデザートがある。
・インドでインド人や、インド人と結婚した日本人が経営しているような、個人経営の小さな日本食レストランには、「お粥」というメニューが含まれていることが多い。日本米とは種類の違う、パサパサしたインディカ米の白粥でも、インド料理に疲れた日本人旅行者には喜ばれるということだが、元手のかからない楽なメニューだと思う。
・インドのブッダガヤにある日本寺では、昔は団体が泊まった時に、夕食には普通の白飯を出し、朝食にはお粥を出していた。ところがある時、仏跡巡礼の団体が日本のお米を持参して食事の時に出してくれと仰ったところ、インド人のスタッフは何も考えず、いつも通りに夜は普通にご飯を炊き、朝は貴重な日本米をお粥にして朝食に出した。
そうしたら、長い仏跡ツアーの間に日本米を食べるのを楽しみにしていた年配の日本人たちが、ああ、日本のお米をこんな風に炊いてしまってと悲鳴を上げられたのを、懐かしく思い出すことがある。
おしまい。
※「ホームページアジアのお坊さん本編」もご覧ください。