※事情があって、過去記事を推敲の上、抜粋致します。
明治から昭和の終戦までの日本人とテーラワーダ仏教(上座部仏教・上座仏教)の関わりや歴史について記した「仏教をめぐる日本と東南アジア地域」(勉誠出版)に、「タイへ渡った真言僧たち 高野山真言宗タイ開教留学僧へのインタビュー」という記事がある。
タイ・バンコクのワット・リアップ(ワット・ラチャブラナ)寺院には戦前から日本人納骨堂があり、高野山真言宗のお坊さんがテーラワーダ比丘として得度した上で、三年の任期でその管理に当たっておられるのだが、「タイへ渡った真言僧たち」は、1987年発行の「泰国日本人納骨堂建立五十周年記念誌」以降、現在に至るまでの事情を網羅した、貴重な最新の資料だ。
ワット・リアップの納骨堂に関しては、私も「ホームページ アジアのお坊さん 本編 日本人上座部僧」の中で、「日本人納骨堂のあるワット・リアップ寺は旧日本軍の辻政信元大佐が僧侶に変装して潜んだことでも知られており、馳星周氏の小説「マンゴー・レイン」(角川文庫)にも登場する。」と書かせて頂いたことがある。
⇒拙ブログ「 バンコクの日本人納骨堂」もご参照ください。
また、バンコクの市街からチャオプラヤー河を挟んだトンブリ側にあるワット・パクナム寺院は、私をタイに派遣して下さった横浜善光寺留学僧育英会を始め、日本との関係が深いお寺だ。
現在もタイのチェンマイで日本人テーラワーダ僧として修行と瞑想指導に当たっておられるプラ・落合・マハープンニョ師(⇒拙ブログ「日本人テーラワーダ僧」参照)、カンボジアのワット・ウナロム寺院で比丘として修行後、還俗して在家の形で活動を続けておられる渋井修氏(⇒「ホームページ アジアのお坊さん 本編 日本人上座部僧」参照)といった方々も、元横浜善光寺留学僧の諸先輩だ(ちなみに、現在の仏教ブームの中での活躍も目覚ましい曹洞宗僧侶・藤田一照師も育英会の先輩。ただし、派遣先はタイではなくアメリカの禅堂)。
また、善光寺留学僧ではないが、インドのナグプール在住の日本人僧侶として有名な佐々井秀嶺師は、善光寺育英会創立者の黒田武志師と共に、ワット・パクナムで修行された仲だ。
真宗の僧侶学者である佐々木教悟師は、1944年1月~1946年8月にタイのワット・リアップ及びワット・スタット寺院で修行された方で、上記の辻政信の著書「潜行三千里」に、当時居住していた佐々木師のことが出て来る。
真言宗の佐々木弘傳師は1964年8月から1969年12月まで在タイ。1964年8月にワット・パクナムで得度し、1967年7月よりワット・リアップ納骨堂の管理に当たられた。私がワット・パクナムで修行させて頂いていた時に、先に挙げた真言宗の「泰国日本人納骨堂建立五十周年記念誌」や、横浜善光寺留学僧育英会発行のタイ得度式次第書、及び海外仏教事情を含むある宗教年鑑のタイ国の項などに、よく佐々木師のお名前や文章が載っていたものだ。
その他、1999年にタイのワット・パクナムで比丘修行をする一般日本人青年の生活がNHKで放映されたり、パクナムで比丘修行された松下正弘氏が2003年9月の「大法輪」に体験記を投稿されたり、また、2020年4月12日に読売テレビの「グッと!地球便」という番組で、バンコク日本人納骨堂の堂守僧侶の方が特集されたこともある。
日本仏教会とも繋がりの深いワット・パクナムは、地域名を付してワット・パクナム・パーシーチャルンとも称されるが、私のように横浜善光寺育英会の留学僧として派遣されたお坊さんも、或いはそうでない方も含めて、昔からたくさんの日本人僧が修行して来られたお寺だ。
私の居た頃はバンコク市街からボートで運河沿いに寺と行き来が出来たが、その後、乗り合いボートの運航はなくなり、また今はBTSの駅が割りと近くに出来たりと、種々、変遷はあるけれど、同じバンコク市内とは言いながら、チャオプラヤー川を挟んだ市街とは一線を画し、運河が縦横無尽に走り、一歩足を踏み入れると住宅の裏手に熱帯雨林が広がっている、素敵なお寺だ。
おしまい。