日本人テーラワーダ僧 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

※2020年10月2日 更新しました。

 

 
インドの日本寺駐在同期のH師が、先日、仏教学者の佐々木閑氏とお話した時に、タイ北部におられる日本人上座部僧の話題が出たそうだ。多分それは落合師のことではないかと思う。

 

プラ・マハープンニョ・落合師は私をタイのお寺に派遣してくださった留学僧育英会の先輩で、もともと在家の出でありながらタイで出家され、一旦は還俗して、私の在タイ中に、一度訪ねて来て下さったことがある。

 

あちらは覚えておられないかも知れないが、私はその頃、お寺のタイ人僧侶たちから、落合師の噂はよく聞いていたので、突然のご来山が、印象深く記憶に残ったものだ。その後、風の噂でまたタイで再出家して、日本人でありながらパーリ語試験の級も取り、修行を重ねられておられると聞いていた。

 

先日、お会いしたプラ・ユキ・ナラテボー師に確認すると、佐々木氏と親しく、タイ北部におられる日本人僧侶ならば、落合師に間違いないでしょうとのことだった。

 

そんなこんなで、海外で活躍する日本人上座部僧、日本人比丘事情は、刻々と変化する上、海外在住の日本人比丘同士が、必ずしも緊密な横の繋がりを持っている訳ではないので、全く正確な状況というのは把握できないから、2007年にホームページ「アジアのお坊さん」の中の「日本人上座部僧」という項目で何人かの日本人比丘を紹介させて頂くに当たって、私はひとつの条件を考えた。

 

それは新聞やテレビや書籍・雑誌のような、インターネット以外の何らかの日本のメディアに、2007年当時までに紹介された方のみを列記する、ということだった。だから三橋ヴィプラティッサ比丘や落合師のように、テーラワーダ仏教事情に詳しい人には知られている日本人比丘であったとしても、当時の媒体に出ていなかった方のことは記載せず、反対にたまたまの一時出家中に日本のテレビ局に取材されたような、名もない一時出家者のことも取り上げた。

 

その後、「日本人比丘」のような特殊な事柄については、インターネットで調べる方が、世間の人々にとっては普通になったことでもあるし、現に「現在、テーラワーダ仏教僧として修行中の日本人比丘」という記事なり、情報をネット上で公表している方たちも複数になって来たので、ちょっと一文を添えておこうと思い立った。

 

インターネットの普及によって、情報は誠に収集しやすくなり、インターネット以外にも、空前と思える仏教ブーム、仏教書ブームの中で、有名無名ないまぜに、たくさんの日本人テーラワーダ僧や、テーラワーダ比丘経験のある日本人が存在することが、手軽に把握できるようになって来た。

 

テーラワーダ仏教関係の諸団体の活躍によって、日本国内で得度した日本人テーラワーダ比丘の方たちも増えて来たが、現在、活躍中の「日本人比丘」の中には、かなり立ち位置の違うお坊さんたちが混在しているのも、また事実だ。

 

※加えて以下に2020年10月2日の記事を追加します。

 

・明治から昭和の終戦までの日本人とテーラワーダ仏教(上座部仏教・上座仏教)の関わりや歴史については、「仏教をめぐる日本と東南アジア地域」(勉誠出版)に、タイ、インド、ミャンマーなどに関する詳しい論文がいくつも掲載されているので、是非ご参照頂きたい。

 

・また、同書には「タイへ渡った真言僧たち 高野山真言宗タイ開教留学僧へのインタビュー」という記事もある。タイ・バンコクのワット・リアップ(ワット・ラチャブラナ)寺院には戦前から日本人納骨堂があり、高野山真言宗のお坊さんがテーラワーダ比丘として得度した上で、三年の任期で管理に当たっておられるのだが、「タイへ渡った真言僧たち」は、1987年発行の「泰国日本人納骨堂建立五十周年記念誌」以降、現在に至るまでの事情を網羅した、貴重な最新の資料だ。

 

・ワット・リアップの納骨堂に関しては、私も「ホームページ アジアのお坊さん 本編 日本人上座部僧」の中で、「日本人納骨堂のあるワット・リアップ寺は旧日本軍の辻政信元大佐が僧侶に変装して潜んだことでも知られており、馳星周氏の小説「マンゴー・レイン」(角川文庫)にも登場する。」と書かせて頂いたことがある。

⇒拙ブログ「 バンコクの日本人納骨堂」もご参照ください。

 

・バンコクの市街からチャオプラヤー河を挟んだトンブリ側にあるワット・パクナム寺院は、私をタイに派遣して下さった横浜善光寺留学僧育英会を始め、日本との関係が深いお寺だ。

 

・因みに現在の仏教ブームの中でご活躍中の曹洞宗僧侶・藤田一照師、現在もタイのチェンマイで日本人テーラワーダ僧として修行と瞑想指導に当たっておられるプラ・落合・マハープンニョ師(⇒拙ブログ「日本人テーラワーダ僧」参照)、カンボジアのワット・ウナロム寺院で比丘として修行後、還俗して在家の形で活動を続けておられる渋井修氏(⇒「ホームページ アジアのお坊さん 本編 日本人上座部僧」参照)といった方々も、元横浜善光寺留学僧の諸先輩だ。

 

・明治以前の日本人比丘事情に関して、「ホームページ アジアのお坊さん 本編 上座部仏教」に、「元軍人で「シャム・ラオス・安南 三国探検実記」の著者である岩本千綱も明治29(1896)年から翌年にかけて、僧侶の姿でインドシナ方面を探検旅行している。同書を読む限りでは正式に得度したかどうかはわからないが、僧体であるにも関わらず、随分無茶な振る舞いをしたようだ。」と書かせて頂いたが、 「仏教をめぐる日本と東南アジア地域」によると、日本人最初の日本人比丘とされる釋興然は、それ以前の1890年にスリランカ(当時のセイロン)で得度したそうだ。

 

・1957年にミャンマーでテーラワーダ比丘として修行した「日本釈尊正法会」の留学僧の中には、壬生寺管長の松浦俊海師、天台宗一山・霊山寺(アウン・サン・スーチー氏も来日時に参拝した)の先代住職・小寺文穎師、「ビルマ仏教」(法蔵館)の著者・池田正隆師、「ミャンマー乞食旅行」(ノンブル社)の著者・遠藤祐純師などがおられる。

 

・「ビルマ仏教」の池田正隆師は1957年頃から1960年までミャンマーに滞在し、その間、3カ月間テーラワーダ比丘として出家された。池田師は佐々木教悟師に師事された方だ。佐々木教悟師も僧侶学者で、1944年1月~1946年8月に、タイのワット・リアップ及びワット・スタット寺院で修行された。

 

・池田師以外の日本人学者・研究者のテーラワーダ比丘体験者としては、1958年にタイで3カ月出家された経験を基に「タイ仏教入門」(めこん)を著した石井米雄氏や、池田師同様、日本仏教の僧侶でもある生野善応師(ミャンマーで3週間出家。「ビルマ佛教」(大蔵出版)の著者)がおられる。

 

・その他、人類学者で「タイの僧院にて」(中公文庫)の著者である青木保氏が1972年8月~73年1月にタイで、タイ仏教が専門で「タイこだわり生活図鑑」(1994年発行)などの一般向け著作もあある山田均氏が、1986~87年に同じくタイで出家経験をされている。

 

・最近では2001年&2003年に、「仏教をめぐる日本と東南アジア」にも寄稿されている小島敬裕氏がミャンマーで、2002年7月~10月に、国立民族学博物館の平井京之助氏がラオスで出家体験をされている。  

 

・真言宗の佐々木弘傳師は1964年8月から1969年12月まで在タイ。1964年8月にワット・パクナムで得度し、1967年7月よりワット・リアップ納骨堂の管理に当たられた。私がワット・パクナムで修行させて頂いていた時に、先に挙げた真言宗の「泰国日本人納骨堂建立五十周年記念誌」や、横浜善光寺留学僧育英会発行のタイ得度式次第書、及び海外仏教事情を含むある宗教年鑑のタイ国の項などに、よく佐々木師のお名前や文章が載っていたので、敢えてここに記録させて頂く。

 

・1990年代前後から2020年に至る日本人比丘に関しては、プラユキ・ナラテボー師を筆頭に、日本におけるテーラワーダ仏教の隆盛に伴い、現在、活躍しておられる方の数は枚挙に暇がない程だ。その間には、藤川チンナワンソ師が遷化し、アーチャン・カヴェサコ師が還俗されるといった出来事もあった。

 

・西原理恵子氏の元夫・鴨志田穣氏は1990年代に在タイ中、ミャンマーに入国してマハーシ僧院(本人の表記はマハージー僧院)で3週間出家された(「鴨志田穣「煮え煮えアジアパー伝」2001年連載 2002年単行本 2005年 講談社文庫)。

 

・2001年頃、西原理恵子氏もミャンマーで鴨志田氏らと共に出家修行された(西原氏は女性なので比丘ではなく白衣のティラシン修行)。

 

・その他、1999年にタイのワット・パクナムで比丘修行をする一般日本人青年の生活がNHKで放映されたり、朝日新聞の宇佐波雄策氏が2001年4月にタイで11日間の出家体験をした様子を記事にされたり、ワット・パクナムで比丘修行された松下正弘氏が「大法輪」(2003年9月)に体験記を投稿されたり、2010年にカンボジアで一時出家された平戸平人氏の「カンボジア自転車旅行」(連合出版)が2012年に発行されたりしている。

 

・2016年にタイで得度したプラ・アキラ・アマロー師(直木賞作家・俗名笹倉明氏)は、2019年に幻冬舎新書より「出家への道 苦の果てに出逢ったタイ仏教」という著作を出版された。
 

・2001年11月発行の「地球の歩き方 ラオス 2002~3版」にラオスでの一時出家に関する投稿が載っていて、ずっと私はこの方を一般の日本人旅行者だと思っていたのだが、今回、インターネットで検索させて頂いたら、ラオス大使館関係の方だったので、お名前は伏せておくことにする。

 

・2002年から3年間、タイで修行された伊藤充一氏は、還俗後も日本で「新・タイ佛教修学記」というサイトを運営し、タイ仏教の布教や瞑想指導に努めておられるが、旧サイトの「タイ佛教修学記」と共に、インターネット上に有名無名を含めてたくさん見かけるテーラワーダ出家体験者の記録の中の出色であり、私も常に参考にさせて頂いている。

 

 

 

                   おしまい。

 

 

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